Final chapter
季節はもう、秋と呼んでもよかった。
次の週の月曜日から、俺は仕事に復帰した。休職してから、既に半年以上が過ぎ去っていた。
仕事に戻ってからの俺は、連日、溜まった仕事を片付けることにただ追われているだけの毎日だった。
心身ともに仕事に追われ続けることで疲れ切っていた俺は、当然、仕事を終えた後はただ真直ぐ家に直行するというだけの生活の繰り返しで、とても仕事帰りにホールに立ち寄ろうとする心の余裕などなかった。それに休日も、俺はこれまでの罪滅ぼしの気持ちも込め、家族サービスをすることに努めていたのだった。
だから、パチスロとはすっかり縁が切れた日々を送っていた俺は、自然と『奴』のことは、頭の中から消えかかっていた。
しかし、俺がスロ屋通いに熱中し、毎日、朝から晩までスロ打ちに明け暮れ狂っていた時期が嘘ではなく、確かにあったのだということを、俺の心にはっきりと思い出させるのに十分な証拠が、私の手元には残されていた。
それは、奴に融通してやった四十万円の金を借りた、消費者金融の借入金の返済債務だった。
毎月一回きっちりと、借入金の返済期日はやって来た。その毎月の返済額は、借り入れ金の利息を含め、二万円弱である。当然、そのことは家族には秘密にしてあったから、俺は何とか小遣いをやり繰りしながら工面して、毎月の返済に充てていた。
だから、毎月のこのサラ金への返済の時には、自然と奴の顔が俺の頭の中に思い浮かんでいたのだった。
「あの野郎 …。連絡も寄こさねぇで!」
その度に、俺はそう呟きながら、消費者金融の無人借入機のコーナーを後にしていた。
それから暫くの間は、その他には何の変化もない、毎日が仕事に追い立てられているだけの極ありふれた普通の生活が続いていた。
そんな、ある日の昼下がりのことであった。職場の外線の電話が鳴り、電話を取り次いだ庶務の女性職員が、その電話を俺の座る席の内戦電話に回して来た。
「澤憑さん、加藤さんという方から外線に電話が入っています」
「加藤? …。はい」
そう答えながら、俺は受話器を取ると耳に当てた。
「もしもし、澤憑ですが …」
聞き覚えのある甲高い声が、くぐもりながら受話器を通し耳の中へと入って来た。
「もしもし。俺です」
それは、奴からの電話だった。
「すいません、連絡も入れずに。仕事が忙しかったもので …。今日、東京から戻って来たところなんです」
「これから、そちらに伺ってもいいですか?」
奴はそう言うと、言葉を切った。そして受話器の向こうで耳を澄ませながら、こちらの気配を窺っているようだった。
「ここへ? …。いいけれども、場所が分かるのか?」
「分かります。それじゃあ、直ぐ行きますから」
それだけ言うと、奴は電話を切った。
( ふーッ … )
俺は受話器を置きながら、周りの同僚達に気づかれぬように小さくため息を吐くと、事務室の外にある喫煙所へと煙草を吸いに部屋を出て行った。
( 奴め、やっと金を返す気になったか⁉ )
俺は煙草を吸いながら、俺の他には誰もいない喫煙所で、丸い灰皿をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていた。指に挟んだ煙草の先からは白い煙が、螺旋を描きながら立ち上っていく。
俺は、暫くその場所でジッと身じろぎもせずに煙草の先から立ち上る白い煙を見詰めながら、独り考えに浸り切っていた。
あの日、ホールの休憩室で奴から預かった借受け証文と奴の運転免許証は、いつもサーフの助手席のダッシュボードの中に入れてあった。もちろん今日も、そのまま載せて職場に持って来ている。
( ふー …。… … )
煙草の煙が、天井に向けて薄らぎ、消え入りながら広がって行く。俺は横目でそれを見やりながら灰皿に煙草を押し付け揉み消すと、喫煙所の丸椅子から立ち上がった。
奴が事務所を尋ねて来たのは、それから暫く経ってからのことであった。
「澤憑さん、お客様です」
事務所のデスクに座り、パソコンの画面に向かっていた俺に、庶務の女性がそう声をかけてきた。
「はい。分かりました」
俺は、彼女に軽く会釈をしながら席を立つと、事務所の後ろにある出入り口のドアに向かう。
ドアの外の廊下には、灰色のスーツに身を包んだ奴が、はにかんだような笑いを顔に見せながら立っていた。
「どうも。連絡もせずにすみませんでした」
奴は俺の顔を見ると、頭を俺に下げながらそう言った。
「よう!、久しぶり。どうしてた?」
俺はそう奴に言葉を返しながら、人気のない場所へと、空いていた二階にある小会議室に奴を連れて行った。
会議室のテーブルの椅子に奴を座らせると、俺は向いの席に座り奴と向かい合った。そして奴に笑顔を見せながら問いかけた。
「忘れられたと思っていたよ」
「俺も仕事が忙しくなって、あちこちと飛び回っていたもので。あの時は、あり難うございました」
「いいさ、今は、俺もこうして仕事に来ているのさ」
そんな軽いやり取りを暫く続けた後、奴が口にした。
「ところで …、あの時借りたお金のことですが …」
「返してくれるのか?」
「ええ、でも …」
「でも⁉ でもって?」
俺は、奴の顔を見ながら眉間にしわを寄せる。多分それは、奴にも伝わったのだろう。
「今日のところは、これで勘弁してもらえませんか?」
奴はそう言うと、ポケットから畳んだ紙幣を取り出し、俺に渡した。
俺は札びらを数えてみる。
「一、二 …八、九。九万円?」
「すいません …。今日はこれだけしか用意できなかったものですから。残りはきっと直ぐに返しますから、約束します」
奴はそう言うと、俺に頭を下げた。
「止めてくれよ。俺は金貸しじゃあねえんだから」
「それと、あの証文の紙と免許証は、今日持って帰ってくれないか?」
「駄目ですよ!。あれは、私の約束の証なんですから」
「いいや。あれを持っていると、何だか気持ち良くなくてな …。頼むから持っていってくれ。な!」
俺はそう言うと、止めようとする奴を振り切って、職員用の駐車場に停めてある車にそれらを取りに行った。そして間もなく、奴の待つ小会議室に戻った。
「ほいよ!」
奴にそれを手渡す。
奴は俺のその手をまだ拒もうと、口の中で何やらぶつぶつ言っている。
「何を⁉ ごちゃごちゃ言ってないで、持って帰れ‼ 」
俺はそう強く言うと、強引にそれを奴の手の平の中に手渡した。
「… 申し訳ありません」
証文の紙と免許証を受け取った奴は、そう言いながら頭を下げた。
それから奴は、暫くそこで俺と他愛もない世間話をした後、帰って行った。
「それじゃあ」とだけ、俺に言い残して。
俺の頭の中には、その時、最後に奴が俺に向かって深々と頭を下げた姿だけが、妙にくっきりと残っている。
そう、それを最後に、奴は二度と俺の前に姿を現さなかった。
もう二度と、電話の一本も寄こさずに。
今、改めてあの頃の事を思い出すと、多分俺は、奴の仕組んだ巧妙な詐欺芝居の出演者の一人として、奴の手の平の上で最初から最後までずっと、ただ転がされ続けていただけだったのだろうと思う。
それらの俺の記憶の中の出来事は、あれから日が経つにつれ俺の中で、それは多分ではなく、実際にそうであったのだという確信に変わっている。
きっと奴は、生粋の詐欺師だったのだろう。
言葉巧みに俺に近づき、そして俺を、奴の仕組む大きな詐欺劇場のエキストラの駒として手懐けていった様に、その詐欺芝居の配役として狙った他の善良な人々に、俺のように言葉巧みに巧く近づいて行っては小口の詐欺話を仕掛け、小金を巻き上げながら彼等を手懐けていたのだろう。
あの時、俺が奴に会わされた中年の夫婦二人連れも、多分、奴に何等かのうまい儲け話を持ちかけられ、俺がそうであった様に彼等もまた、奴の手の平の上でエキストラを演じさせられていたのだろうと思う。
だから俺は、まんまと奴の術中にはまったという訳だった。完全に、そしてしかも俺をだました奴に、友達としての感情を感じさせられてしまうなどという、今考えても本当に恥ずかしい真似をしたものだと自己嫌悪に恥じ入るしかない。
本当の詐欺師は、だました相手にだまされたという感情を抱かせる事なく、良い人だったという印象だけを被害者の心に残し、上手に巧く金を巻き上げる。そう昔どこかで聞いた覚えがある。
だから奴のことをそう考えると、あの、スロ屋での一連の出来事も、そして奴が演出し仕組まれた劇場型詐欺も、全てが極めて自然で見事なほど巧みであったと思える。
それは、俺に偽りではあったのだが、友情の感情を抱かせるほどの。孤独な俺だったからこそ、その、奴の術中にまんまと嵌められてしまったのだろうが。
こうして、俺のひと夏の狂った遊びの日々は終わった。借金の返済という事実だけを残して。
結果的に、奴は俺の中で詐欺師になってしまったが、本当は根の真面目な奴であると信じている。今でも。少なくとも俺は、そう思っている。
(了)
お読み頂き、ありがとうございました。
一応、終了です。… … …




