Episode 10
ある日の午後、俺はいつものように『奴』と隣り合い、並んで『アラジンA』を打っていた。
やはりその日も、良い台は全て例の学生達に持っていかれ、俺達はコインが下皿に出たり入ったりしているだけの明らかな低設定台を朝一から回して、ただ台に遊ばれているだけだった。
「あーあっ …。らちが明かんわな、全く。設定にはどうあがいても逆らえないか⁉ 」
「スランプグラフには太刀打ちできないさ! その日の出玉はもう決まっているのョ。“ 打ち手の引き ” 何て言葉は、ただの都市伝説。お呪いさ‼ 」
「いつもながら、朝から並んでまでして、一体、俺達は何をしているんだか⁉ ふーッ …」
俺は奴にそう愚痴りながらも、動かす手だけは止めずにベットボタンを叩き続けている。
「そうだよなー」
奴も顔を顰め、隣でコーヒーの缶を口に咥えながら打っている。
その時だった。スキンヘッドにでかい身体をした一目でその筋の奴と分かる男と、縦縞の高級そうな黒いスーツに身を包む見るからに品のある男の二人連れが、俺達が打つ『アラジンA』の島に入って来たのに気づいた。そしてスーツの男はおもむろに、俺から少し離れた台に腰を下ろした。
それを、俺は自分の台を打ちながら横目で何となく見ていたのだが、間もなくその台に座った男の所に、左胸にネームプレートを付けスーツを着た男が若い店員を伴って来ると、その男に丁重に頭を下げている。
「今来たのが、ここの店長さ …。ヤクザの地廻りだ」
隣に座っている奴が、サングラスの奥の目で俺を見ながらそう言った。
「ヤクザ⁈ 、ね …」
俺は煙草を咥えると、銀のジッポーで火を点けながら小声で言う。
「見てろよ …。面白いことになるから」
奴はそう言いながら、俺に笑い顔を向けて笑っている。自分の打っている台にも、全く気を入れていない風で。
店長からの挨拶を横顔で受けると、その台に座ったスーツ姿の男はスキンヘッドの男が両替してきた折り目のない紙幣を受け取り、脇のコインサンドに千円札を滑り込ませる。そしてコインを右手に取ると、悠然と台を打ち始めた。
その様子を見届け、スキンヘッドはどこにともなく立ち去って行く。
台を打つその男の後ろでは、店長の横に並んで立つ店員が、口元に付けたインカムでホールの管理室と何やら連絡を取り合っている。
と、間もなくであった。その男の打っている台がアラジンチャンスゲームに突入したのは。
俺が覚えている限りでは、その男が打つ台は朝から何人もの客が入れ代わり、そして立ち代わり打っていたにも係わらず、全く出ようとする素振りすら見せていなかったというのに。もしその時、その台のスランプグラフを見ことができたなら、恐らく一直線に綺麗な右肩下がりのグラフを描いていただろう。
「だから言ったろう。みかじめ料さ …。世の中巧くできてらァ」
奴が、俺に向かいそう小さく囁くと、レイバンの黒いサングラスの奥で、ちっこい片目をウインクして見せる。
「出玉の操作か⁉ 噂には聞くが …、本当にできるとはな!」
俺は首を左右に大きく振りながら、煙草の煙を吐き出すとそう奴に返す。
「ボタン一つで、何でもできるのさ‼ 言ったろう? 所詮、お店の手の平の中で、俺達は転がされているだけだって。なあ?」
「ああ …」
俺は、アラチャンを黙々と打つスーツの男をチラッと横目で見やると、そう、無表情で奴の言葉に相槌を打った。
「つまらねェ事さ。俺達が幾らデータを読んで台を打ったところで、裏じゃ遠隔でどうにでも操作できる訳さ。これじゃ、俺等がどう立ち回って打ったとしても、勝てるはずはない訳ョ。解る?」
奴は舌を出しながら、そう全てを蔑むかの様に言い放った。
「全くな … …」
俺も何だか気が抜けて、今こうして向かい合っている自分の台を打つ気さえ、もう完全に失せ切ってしまっていた。
結局、その男は千円札を一枚コインサンドに投入しただけで、その後も止まることなくアラチャンゲームを引き続け、短時間で四千枚以上のコインを抜くと満足顔で席を立ち、どこへとも知れず去って行った。店長らの見送りと、またスキンヘッドのお供を従えて。
そしてその男が止めたその台は、その後も何人かの客達が立ち代りつつ打っていたようであったが、その後はアラチャンどころかビックボーナスすら引けず大ハマリのまま、その後は再び他の客に見向きもされることもなく空台のまま放置されていた。
「世の中、全てこんな物さ …」
奴が、そう小さく呟いた。自分が座る台をジッと見詰め、その目線も離さずにうつむいたまま、そして誰に言うともなく。
その時、俺は隣に座る奴の横顔を横目で見ながら、奴の心の中に潜んでいる、暗い何かの影を見てしまったような気がしていた。
「コーヒーでも飲もうよ? 奢るぜ」
しかし、奴は直ぐにいつものニヤケタ顔に戻ると、そう俺に向かって聞いてきた。
「ああ、いいね!」
俺もいつもの調子でそう奴に言葉を返すと、席から腰を上げた。
結局その日は、例の一件があってから台を打つ気力も何となく削がれてしまい、打ちたいという気分にはなれなかった。
それに朝から打っていた台も一日中ダラダラとコインの出入りを繰り返すだけで、終わってみれば、いつも通りの大負けという結果に終わっていた。
俺の隣で打っている奴も、やはり大負けのようである。
左腕に填めた腕時計に目を落とすと、長針と短針が一直線になりかけていて、そろそろもう六時を指そうとする時間となっていた。既に今日の勝ち目もなくなり、勝負を諦め家に帰るには丁度良い頃合いであった。
「さてッ、と …。じゃあな。俺帰るわ。明日も来るのか?」
「明日は?、金曜日か …。東京にこの週末は仕事で出掛けなきゃならないの。今週はもう、今日で終わりだね。来るとすれば、次は来週の火曜日だョ。それじゃあ」
「じゃあな。また来週」
奴とそう言葉を交わし別れると、俺はホールを出て駐車場に向かった。
厳しかった日中の暑さも、今時分の夕刻となると大分過ごしやすくなっていた。季節はもう、夏の終わりを告げようとしているのだが。
駐車場脇の梢では夏の名残りのツクツクボウシが一匹、間もなく山の端に落ちようとする最後の日の光を浴びながら、短い夏を惜しむように精一杯声を張り上げ鳴いている。
次の日も、俺はいつも通りにホールに出掛けた。妻には例の、いつもの子供だましの言い訳をして。
そして入場の順番待ちの列に並び待ち時間を潰すと、定刻通りにいつもの“一瞬の静寂”を味わった後、やはり想定の通りに大負けを喰らった。
「本当に最近、全く勝てないわ。やっぱりあの学生達のお陰で …。もうスロも、そろそろ潮時か⁉ 仕事も考えなきゃならんし …」
俺は独り溜息交じりにそう呟くと、ホールの立体駐車場の一階に停めていた、シルバーのハイラックスサーフの運転席に乗り込んだ。
「明日は土曜日か。家族でどっかに出掛けるか …」
車を運転しながら、ボンヤリと頭の中でそう考えていた。
俺は、休職してこの店に通い出してから、ほぼ毎日、欠かさずホールに通っていた。だが、土曜、そして日曜日だけは決してホールには近づかなかった。週末は妻も仕事が休みのため、家族に後ろめたい思いをしながらも毎日こうして遊んでいる自分としては、多少とも罪滅ぼしとして家族サービスをしてあげたいと思っていたからだった。ただそれが、ただの自己満足に過ぎないということも十分に分かってはいたのだが。
そして、むしろこちらの理由の方が大きいのだが、週末にはホールに、会社が休みの勤め人達が大勢押しかけてくる。当然店側としては、敢えて設定を入れ客への見せ台を作る必要もなく、客が勝手に金を落としてくれる週末は、自ずと台の設定を下げることが明白だったからである。だから当然、例の学生達やスロプロの親子等の常連客も、週末はホールへの出勤を止めていたようである。
何れにしても週末は、俺にとって条件が悪かったのは事実であった。
「ただいま。今帰ったよ」
玄関を開け、家の中に向かってそう呼びかける。
「お帰り!」
ゲーム機を片手に、子供達がリビングから顔を出すと、そう口々に言いながら俺を出迎えてくれる。
「ただいま」
俺はリビングに入って行くと、キッチンで夕飯の支度をしている妻に向かいそう声をかける。
「ふうー。遅いのね …」
妻は不機嫌そうに、そう皮肉を纏った言葉を俺に投げかけてくる。
「まだ七時前だろう⁉ ちっとも遅くないじゃん!」
「仕事を休んでいるのだから、六時前には帰ってもらわないとね。早く帰って、洗濯物を取り込んで畳んでおくことくらいはやって欲しいわ。私も働いているのだから …。それに … …」
いつも通り、また妻の説教が始まる。俺は聞いていている素振りを妻に見せながらも、食卓に着くとサッさと食事を始めて
しまう。
「とうと。とうとは、いつまで仕事休みなの?」
子供が傍に寄って来ると、そう俺に問いかけてくる。
「うーん …。そうだね、とうとの病気が治ったらだね」
「いつ治るの?」
「そうだね … …。」
俺も、その子供からの問いかけには、正直言葉に窮してしまっていた。実際、仕事への復帰の時期は、まだ俺自身でも決めかねているところがあった。
「大丈夫。多分、もう直ぐだから」
子供には可愛そうだったが、そう言葉を濁してしまった。
” そろそろ、本気で仕事のことを考えねば … ”
後ろめたさに、家族から無言の言葉で責められている気がして、俺は夕食を食べながらも、心の中でそう考えていた。
夕食後シャワーを浴び、いつものように上半身裸で庭に出ると、椅子に腰掛け煙草に火を点ける。
煙が静かに風に揺られながら漂い、星の無い暗い夜空に溶け込みながら消え入っていく。
ひっそりと吹く夜風が、温まった体にひんやりと涼しく感じる。その風は同時に、秋の鳴く虫達の鳴き声も運んで来ていた。
「もう、夜は秋の世界に支配されてしまっている。夏ももう終わりか …」
紫煙を吸い込み、俺はぼんやりとそう頭の中で呟く。
そしてまた煙を吐き出しながら、静かに目を閉じてみる。夜闇の中で鳴く虫達の声が、一定のリズムを刻みながら頭の中へと染み入っていく。
暫くそのままジッと、目を閉じている。俺の周りでは静かに、そしてゆっくりと時が流れ去って行く。
「仕事 …、仕事か、… …」
( ふッ、ふー … )
「いつ、職場に復帰するか? どうする …、おい …」
俺はそう、自分の心に問いかけてみる。
「…、……」
「逃げていてばかりじゃ … …」
だが、まだ返事が返って来る気配はない。
「いつにするのか⁉ それは自分自身の頭で考え、決めることだ」
別の自分が俺に、そう心の中で囁く。
「そうさ。自分で決めるべきことだ」
そう、言葉にして言ってみた。
「そうさ …、そうだよな」
俺は自分自身のその言葉を耳にすると、煙草を灰皿の上で揉み消し、そして椅子から立ち上がる。
「うーんッつ …。」
夜空に向かって両腕を広げ思い切り大きく伸びをすると、玄関に向かって歩いて行く。
リビングに入って行くと、子供達はまだ寝室に上らずに、携帯ゲーム機の画面に食い入りゲームに興じていた。
その傍らで、妻もテレビを観ている。
白いクロス張りの壁に掛けられている時計に目をやると、時刻はもう十時近くを指そうとしている。
「あなた達、もう寝る時間よ。明日の朝、起きられないわよ!」
俺の姿を見にすると、妻が子供達に向かって大声で言った。
「はぁい!」
子供達は口々にそう返事をすると、歯を磨きに洗面所に走っていく。
「もう、こんな時間か …。チャンネルを変えるよ」
俺はそう言いながら、リモコンのボタンを押し、テレビのチャンネルを国営放送に変えた。
妻は何も言わずに、黙ってテレビの画面を見詰めている。
俺は天気予報を見たかったのだが、画面ではまだ、今日の県内ニュースの続きを流していた。そして間もなく天気予報が始まった。
「明日の県内は、晴れ時々曇り。降水確率は一日を通して0パーセントでしょう。注意報は … …」
女性アナウンサーが、そう原稿を読み上げていく。
「ほ⁉ 明日は晴れか。休みだしどこか出掛けてみるかい?」
俺はテーブルの向いに座り、テレビを観ている妻にそう問いかけてみた。
「そうね …。子供達も連れて出掛けましょうか」
「どこがいい?」
「うーん⁉ そうね …。日中はまだ暑いし、どこか涼しい所に行ってみたいわね」
「涼しい所か …。山 …。そうだ、富士山の麓なんかはどう?」
俺は少し考えてから、妻にそう提案してみる。
「富士山か …。そうね、いいわよね」
少し首を傾げて見せてから、妻も素直に答える。
「うん。それじゃあ、富士山にしようよ。明日の朝は、早めに出発するとしよう」
「分かったわ」
「じゃぁ俺も、もう寝るよ。お休み」
「お休みなさい」
俺はそう妻と言葉を交わすと、椅子から立ち上がり洗面所に向かった。
妻はまだ暫くテレビを観ている風で、リモコンを片手にチャンネルをあちこち変えている。
洗面台の鏡を見ながら歯を磨く。鏡の中でも俺がこちらを見詰め、左手に歯ブラシを持って同じように歯磨きをしている。
「ぼちぼち生え際が黒くなって来たし、白髪も目に付く様になってきたなぁ。そろそろ美容院に行ってみるか」
そう呟きながらガラガラと音を立てうがいをすると、ペッと、流しに吐き出す。
俺は普段から白髪隠しも兼ね、髪の毛を茶色に染めていたのだが、その白髪も若白髪と言うより、もうそろそろ年相応に相応しい物に見られる歳になっていた。
「ふー」
顔をタオルで拭きながら鏡を覗き込み、大きな溜息を一つ吐いた。鏡の中の俺もしょぼくれた顔で、こちらの俺の顔を眺め返している。
俺は首を傾げながら照明のスイッチを消すと、頭の中のそのイメージを打ち消すように首を左右に小さく振りながら、洗面所を後にした。
階段の照明を点け二階に上っていくと、二階は既にひっそりとしている。子供達は二人とも既に、もう寝付いたようである。
寝室に入ると照明を点けた。
ベッドの上では、長男が寝息を立てている。
俺はベッドの枕元のナイトスタンドのスイッチをオンにすると、部屋の照明をリモコンで消した。
ナイトスタンドの周りが黄色く、ほのかに明かりを浮き上がらせている。その光の下では、長男の寝顔も黄色く淡い光の中に、ほんのりと浮き上がって見えている。
「子供の寝顔はいいよな、無邪気で」
俺は息子の寝顔に目をやりながらそう呟くと、サッシ戸を開けて外のベランダに出た。
ヒンヤリとした空気の中に、遠くの街の灯りがくっきりと煌めいている。
空を見上げると星々が輝き、瞬きながら夏の終わりの星座を形作っている。今夜の空に月はなかった。今頃はまだ、山の向こうで眠りに就いているのだろう。
ベランダの手すりにもたれ掛かりながら煙草に火を点けると、一息吸い込んだ。
「ふー …。」
煙が胸の中へと染み込んでいく。
「はー」
煙を吐き出しながら、大きく溜息を吐く。そしてまた黙ったまま、指に挟んだ煙草の先の火を見詰めている。
「…、……」
煙草の先の赤い火は燃えながら徐々に後ずさり、替わりに白い灰が燃えカスとなって伸びていく。
もう少しで灰が床に落ちるという瞬間、指を口元に運び煙草を咥える。その反動で、煙草の灰は音もなく静かに床に舞い散った。
「ふー …。どうするか …」
溜息混じりにそう呟く。思考はまた、同じ所へと堂々巡りに戻ってくる。
目を閉じ、首をゴリゴリと回しながら頭の奥に意識を集中させる。吹き渡る風の中にコオロギの鳴き声が混じって、微かに耳の中で鳴いている。
「もう九月か …。休み始めてもう半年になる」
煙草の煙を吸い込み、目を開けながら煙を吐き出す。遠くの夜景の灯りが、目に新鮮な光となって映っている。
「そうだよな。生活して行かなくちゃならんし …」
俺はそう声に出すと、それを強く自分の心に言い聞かせてから、今まで吸っていた根元のフィルターの部分まで短く燃え残った煙草を、ベランダのテーブルの上に置かれた透明なカットガラスの灰皿の中にギュッと押し付け、揉み消す。
そしてベランダから寝室の中に戻ると、サッシ戸をバタンと音を立てながら閉じた。
ベッドに潜り込むと、右手を伸ばしてナイトスタンドのスイッチを消す。
すると途端に寝室の部屋の中は暗闇に包まれ、開いていた目を閉じ、そしてまた開けてみても、瞼の裏には相変わらず漆黒の闇の世界が広がっている。
溜息を一つ吐いてから目を閉じると、再び俺は、自分の心に言葉を投げかけた。
「そうさ」、と。
何も見えていない視界の中を、何かがさっぱりと綺麗に割り切れたような清々しさを纏った感覚が流れていく。
そして間もなく俺は、直ぐに眠りへと落ちていった。
次章へ …




