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レリ・マハーシーヴァ  作者: JING
青いクジラと第0レーン
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1/19

第1話 神さまはお断りです

レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」

https://youtu.be/6FmwM8nEabA

「間宮さん、この丸は、どっち向き?」


 教卓の前に立った逸見先生が、わたしの提出用紙を持ち上げている。


 金曜の朝から、一番苦手な質問が来ちゃった。


 丸に向きなんてないって思うよね。


 わたしもそのつもりで描いたんだけど。


「あの……茶碗、です」


「そうだったのね。ありがとう」


 先生が用紙を回してにっこり笑うのを見て、さっきまで上下が逆だったことに気づく。


 わたしは机の下で、そっと両手の指先を合わせる。


 どうか、これ以上の質問が来ませんように。


 ここは東京の晴海にある晴海第三中学校で、わたし、間宮りんは2年生だ。


 4月のクラス替えからまだ1週間しかたっていない。


 今月の初めに14歳になったけど、自己紹介には慣れない。


 みんなの前で名前を言うだけで、のどが渇いちゃうんだよね。


 担任の逸見真理子先生が用紙を束に戻す。


「体験会の掲示物は、当日までに出してね」


 茶道部の文字の横へ先生がつけた丸は、お手本みたいで、向きには困らなそうだ。


「りん、完成したら見せて」


 横の席から、葵が先生に聞こえないよう口だけを動かしてくる。


 わたしも声を出さず、うん、と返す。


 葵とことりにならいろいろ話せるのに、初めて会う人とも同じようにはいかないんだよね。


 朝の挨拶に合わせてみんなが立ち上がり、斜め前の弥勒舞人くんも椅子を机へ寄せる。


 みろく、まいと、と読む名前の男子だ。


 弥勒って、歴史の教科書に出てくる仏さまと同じ字だ。


 名字で呼ぶと手を合わせたくなるから、心の中では、舞人くんと呼んでいる。


 今日も舞人くんのカバンには陸上部のシューズ袋があって、わたしの袋には茶道で使う布が入ってる。


 同じ教室にいても、チャイムが鳴ったあとの予定はぜんぜん違う。


 わたしの今日の仕事は絵を描くこと。


 もう失敗の予感しかしないんだけど。


     *


「りん、これは……逃げてるの?」


 放課後の和室で葵が画用紙を指さすと、ことりまで首を横に傾ける。


 畳に手をついてのぞき込んだ絵には、丸い茶碗と、そこから立ち上る湯気がある。


 少なくとも描いている間はそうだった。


「お茶って、逃げないよね……?」


「うん、だからきいてるんだけど」


 葵が指を2本立てて、絵の横で足みたいに動かしてみせる。


 なるほど、湯気が足に見えるのか。


 茶碗に足が2本あって、全力で走ってる。


 もうそれにしか見えない!


「文字は、すごくきれいなんだけどな」


 ことりが絵の横の『茶道体験会』をなぞる。


 ……ありがとう、慰める場所を探してくれて。


 わたしは角の丸くなった消しゴムを持ち、湯気へ近づける。


 消せば消すほど、走る速さが増しそうだ。


「足、1本にしようかな」


「もっと怖くなるよ、それ」


 葵の返事が早くて、わたしも笑ってしまう。


 和室の片づけはもう終わっていて、ほかの部員は帰り、わたしたちだけが残ってる。


 迎えに来た2人を引き留めているのは、絵が終わらないわたしなんだけど。


「じゃあ、花を描くのを手伝ってくれる?」


「いいよ、どこに入れようか」


 ことりが筆箱を開け、薄い色鉛筆を選ぶ。


 筆箱を出そうとカバンを引き寄せた葵が手を止め、ファスナーの端を何度もひっくり返す。


「……あれ、クジラがいない」


 聞いた瞬間、わたしもカバンを見るけど、いつもそこにいる青いキーホルダーがない。


 去年、3人で水族館へ行った日に買って、ことりとわたしから葵に贈った物なんだよね。


「朝は? 教室では、ついてた?」


「わかんない、なくした音も聞いてないし」


 葵の指が銀色の小さな輪をつまむ。


「金具が開いてる……ここから落ちちゃったんだ」


 ことりは座布団を1枚ずつ持ち上げる。


 わたしも四つんばいになって、低い机の下へ顔を近づけてみる。


 落ちているのは消しゴムのかすばかりだ。


「昨日、らんぷ亭ではついてたと思う」


「あたし、帰りにカバン開けたっけ……」


 葵はスマホを出して、昨日の写真を探す。


 画面には、わたしの顔と同じくらい大きく玉ねぎの山が写ってる。


 らんぷ亭の肉抜き玉ねぎ大盛り牛丼だ。


 名前が牛丼なのは知ってるけど、甘いつゆを吸った玉ねぎが好きなんだもん。


「これ、右端に写ってる」


 ことりが指を広げ、写真を大きくする。


 葵のカバンにぶら下がった青いクジラは、丸い体に小さな目、尾びれは上を向いてる。


 その端の欠けまで、わたしは覚えている。


「昨日の道、もう一度通ってみよう」


 わたしが言うと、葵は描きかけの画用紙を押さえる。


「でも、ポスターがまだでしょ」


「茶碗、これ以上は逃げないから」


 ことりが笑って、色鉛筆をしまってくれる。


 ポスターを机の端へ寄せて、足の生えた茶碗には、ここでおとなしく待ってもらう。


 職員室で和室の鍵を返し、棚の上の落とし物の箱も見る。


「クジラじゃなくて、手袋だね……」


「見つかったら、連絡してください」


 声が途中で小さくなって、先生が顔を寄せる。


 もう一度同じことを言ってみると、今度は最後まで声が出る。


「青いクジラね。ほかの先生にも伝えるわ」


 逸見先生が手帳へ短く書いてくれる。


 待ってくれる相手だと話しやすいな。


 廊下で合流した葵が、わたしの手を引く。


「ありがと、りん」


 その指はいつもどおり温かい。


 わたしたちは並んで、昇降口へ歩いていく。


 校庭の端では陸上部が道具を片づけていて、舞人くんが重ねたハードルを松本くんへ渡している。


 別のクラスの松本くんも同じ学年で、体育の時間に400メートルを走るのを見た。


 わたしなら途中で座る距離を、一気に走る。


「弥勒、青いクジラって見なかった?」


 葵が校庭の境目から声をかける。


 舞人くんは手に持った棒を見下ろす。


「ここで? 生き物の話じゃないよな」


「カバンにつけてたやつ、キーホルダー」


 ことりが写真を見せ、2人が顔を寄せる。


 わたしも大きさを説明しようとして、言葉が重なり口を閉じる。


 ……最初の言葉を考えている間に、話が進んじゃうんだよね。


「これくらいの大きさで、青くて……」


「見つけたら、間宮に渡せばいい?」


 舞人くんがわたしへ目を向ける。


 ……わたし?


 葵のクジラなのに。


 でも、大きさを説明しかけていたのは、わたしだ。


 指で作ったクジラの幅をそのまま保つ。


「う、うん、お願いします」


「部のやつにもきいてみるよ」


 松本くんは足元のカバンから細いペンを出し、練習表の端に『青いクジラ』と書き込む。


 書く場所が余っていて、ちょっと安心する。


 走る記録の上に書いちゃったら、困るもんね。


「写真も送っといて。似てるの拾うかもだし」


「ありがとう、松本」


 葵が答えると松本くんはペンをしまい、舞人くんの肩から落ちた袋も拾って渡す。


「おまえ、今日は先に上がるんだろ」


「ああ、ハードル戻したら帰る」


 部活にも早く終わる日があるんだね。


 わたしは2人に頭を下げ、葵たちを追う。


 3人で昨日通った道を戻っていく。


     *


 らんぷ亭の手前で、貼り紙を1枚もらう。


 商店街の案内所には落とし物の掲示板があって、ことりが撮った写真を受付で印刷してくれる。


「連絡先は学校でいい? 自分の番号は書かないでね」


 係のお姉さんに言われて葵が学校へ電話し、貼り紙の下に学校の番号を書き足す。


 わたしは余白へ、クジラの大きさと色をなるべく大きな字で書く。


 尾びれの欠けを書こうとしたところで紙が揺れ、葵はもう掲示板のクリップへ手を伸ばしている。


「これ、写真のここが黒くなっちゃった。ほら、おなかに黒い三日月みたいな線が出てるでしょ」


 ことりがクジラの腹を指さす。


 スマホの写真を開いても、その黒い線はどこにもついていない。


「裏の機械、最近こんな汚れが出るのよ」


 お姉さんが申し訳なさそうに紙をこする。


 何枚か刷り直しても同じ場所が黒くなるけど、クジラの輪郭は見えるので、そのまま使う。


「貼った場所、撮っておくね」


 スマホを構えたことりが下がり、わたしたちは写真に入らないよう横へ寄る。


 後ろで白い配達車が止まり、荷物が下ろされる。


 板の上で小さな車輪が鳴って、台車が動く。


 配達車の後ろにことりが少し顔を出す。


「車が動くから、こっちへ寄ってね」


 運転席から声がして、わたしたちは壁へ寄る。


 右の尾灯には透明なテープが斜めに貼ってあって、割れたところを直しているのか、光が細く曲がる。


「ごめんなさい、もう撮れました」


 ことりがスマホを下げ、車に向かって会釈する。


 車は、そのまま荷物の多い路地へ曲がっていく。


 足元に青い物がないか探してみると、コインが1枚落ちていて、係の人へ渡す。


 持ち主がわからなくても、戻ればいいなあ。


 店先を通りかかった人が、写真へ目を向ける。


「かわいいね。見つかるといいね」


「ありがとう、ございます」


 わたしは手の中でペンを握り直す。


 知らない人でも、こうして言ってくれるんだね。


 葵はうなずいて、何度も貼り紙を見上げる。


「らんぷ亭、もう一度きいてみよう」


 ことりが促し、わたしたちは角を曲がる。


 黄色い看板が見えると、おなかが小さく鳴る。


 今はご飯じゃなくて、クジラの捜索だよ!


 らんぷ亭は牛丼屋さんで業界1位らしく、2位のスキイエより、ずっとお店が多いんだって。


 でも、わたしが通う理由は玉ねぎのほうだ。


 持ち帰りのお客さんが並ぶ店先を通って、葵とことりが空いたレジへ声をかけに行く。


 中に入るとつい注文したくなっちゃうし、わたしは外で3人分の荷物を持つ。


「キミ、ずいぶんたくさん持ってるね」


 すぐ横からの声に、カバンを抱える肩がぴくりと動く。


 見下ろすと、わたしより少し小さい、12歳くらいの知らない男の子が立っている。


 背中へ垂れる長い髪が、銀色に光ってる。


 白い布と淡い黄色の布を体に巻いた姿は、教科書で見た、インドのお坊さんみたいだ。


 サンダルの足元までなんだか絵になる。


 わたしのほうはカバンを3つ抱えてるけどね。


「お手伝い、ではなくて……友達の、です」


「そう。じゃあ、友達がいるんだ」


 いるよ、そんな意外そうに言わなくても!


 男の子がわたしの顔をじっと見るので、カバンに何かついてるのかと思って、目を落とす。


 その間に、男の子が半歩近づく。


「キミには神の素質がある。神にならないか?」


 ……え?


 わたしは持っていた袋を落としそうになって握り直す。


 ……聞き間違いじゃないよね?


 その言い方だと、神さまは募集されてるの?


 男の子は、わたしが返事をするまで動きそうにない。


 宗教の勧誘って大人がすると思ってたけど、子供から断らなきゃいけない場合もあるんだね。


「……宗教は、ちょっと」


「宗教の勧誘? りん、どうしたの?」


 背後でドアが開き、葵の声が重なる。


 わたしはあわてて体を横へずらす。


 男の子が2人を見て、さらりと髪を揺らす。


「こんにちは」


「こんにちは。何かのおつかい?」


 ことりが返すと男の子は口元を緩め、その顔だけなら、迷子の小学生にも見える。


 でも、返事はない。


「りんに、何の話してたの?」


「えっと……神さまの、話みたいな……」


 わたしが答えると、葵が男の子を見る。


「そういうの、いらないよ、この子」


 知らない子にもいつもはっきり言える葵は、わたしには、それだけでもうらやましい。


 男の子は気を悪くせず、こちらを見上げる。


「ぼくは、シーヴァ」


 その名前だけがわたしの耳にすっと残る。


 手を振って歩道の人波へ入っていく男の子の銀色の髪が、大きな買い物袋の向こうへ隠れる。


 もう一度見たときには、姿が見つからない。


「あの宗教の子、知り合い?」


「今、初めて話したんだけど」


 葵が伸ばした手でカバンを受け取ってくれると、腕が急に軽くなって、わたしは息をつく。


 神さまになる人は、落とし物も探せるのかな?


 ……いや、その話を始めちゃダメだよね。


「クジラ、どうだった?」


「今の人は知らないって。夜の人にもきいてくれる」


 店へ電話していい時間をメモしたらしく、ことりがスマホの画面を消す。


 見つかるまでは、できることを1つずつだ。


 神さまの話より、今はクジラを見つけたい。


「ねえ、あれじゃない?」


 葵が指をさすのは、通りから建物の間へ少し入った場所にある、細い立て看板だ。


 白い紙に、大きく『お返し処』と書いてある。


 その下に、青いクジラがぶら下がっている。


レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」

https://youtu.be/RXc36LRIwuI

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