第20話 彼女が恐怖に喘ぐということ
あの日のデート以来、彼女の性格はまるで別人格が乗り移ったかのように変わってしまった。そう僕が感じた理由はただ一つ、彼女の笑顔する姿が、一秒も見られなくなったからだ。
それまでの彼女と言ったら、天真爛漫が代名詞で向上心の塊のような存在で、僕の理想かつかけがえのない共感者だった。
だがそんな僕の陽だまりは、登下校中に足元だけを見て僕と目を合わしてくれず、僕が精一杯の笑顔で話しかけても彼女の笑みは消え去ったままなのだ。
おまけに睡眠不足を暗示するくまが瞼の下に堂々と佇んでいる。
挙句の果てには僕の生き写しにでもなったのか、こんな風にネガティブな言葉で自虐をするようにもなった。
「……私なんて、取り繕った天真爛漫の下で生きているだけなのよ」
「そんなことはないだろ。取り繕おうと思えている時点で、まず普通の根暗な人間とはわけが違うんだからさ」
僕は本心をぶつけて彼女の心を揺さぶろうとする。だが、あいにく彼女の心は頑丈に閉ざされていた。
「ううん……親孝行もできない私はその根暗な人たちの最下層なの。だから、本当は生きる価値なんてどこにもないのよ……」
「それさ、両親が死んでいる僕にも結構刺さるんだけど……」
「だ、だから、ごめんってば……!」
『だからってなんだよ……。どうしてこんなに心が荒んでいるんだ……?』
僕らは孤独という影を常に背負って生きてきた。一親等のいない痛みを誰よりも理解しているはずの彼女が、こんな腐った言葉を放つのだから、僕の頭は空っぽになってしまう。
こんな腫れ物に触るような日常が二週間も続き、僕は求めていなかった彼女の裏面に心を抉られそうになっていた。
僕はこれが普遍になることを考えると、身体中が冷め切って恐怖に怯える。今までに感じたことのない苦痛を味わっていた。
朝起きてから夜眠るまで、僕の頭の中は希奈のことで一杯だったが、概ね底なしの不安と不満に占有されていた。
だからこそ、一刻も早くこの負の現状から抜け出したかった。
彼女が僕に別れを切り出さない以上は、まだどうにか打破する方法があるはずだ。
きっとすべては彼女の能力が災いした結果で、僕はこの能力と決別することが彼女の再帰に繋がると踏んでいた。
6月18日、今日もまた鬱に陥っている彼女と帰り道を歩んでいた。今日の僕にはこの状況に別れを告げる意志があった。
「今度こそ僕は彼女の支柱になる番だ」と意気込み、僕は彼女にこう訊ねる。
「なにがあったんだ?」
「……え?」
彼女はアスファルトを見つめる面を上げて、少しやつれた顔をこちらに見せる。
「もう白状しろよ。この一ヵ月で希奈になにがあったんだ?」
彼女はなぜだか苦虫を噛み潰したような顔をして、さっきよりも小さな声でこう告げてくる。
「……私、ちょっと怖いのよ」
「なにが怖いんだ?」
「自分のことが……ちょっと悍ましくなっちゃって、憎くなっちゃって……」
「それって、あの能力のせいか?」
彼女は小さく息を呑む。図星というか、本当にそれしか理由がなかったのだろう。
だが彼女は往生際が悪く、いつまで経っても心の間口を開こうとしない。
「……知らない」
「あぁ……どうして最近は言い訳しか言わなくなったんだよ?」
「言い訳じゃないから……」
「第一、そんな自虐みたいなことを思わなくていい。生きていたら、ちょっと辛い時期はあるかもしれないけど、そういうときこそ僕を頼ってくれよ」
「……私は響のことを信用しているし信頼している。だけどごめん。これだけは自分で抱え込みたいのよ」
『自分で抱え込んでいいことなんてこれっぽっちもないだろ……』
僕は出会ったときの彼女が百点で、以降は減点方式で彼女を見てしまっていた。
それなので、ごの傲慢さが彼女の価値を大きく下げてしまい、僕を美少女の幻想から呼び覚ますことになった。
これ以上、彼女への印象が悪化することは耐えられないだろう……。
いてもたってもいられなくなった僕は、彼女に真っ当な問いかけをする。
「じゃあ、僕はなんのために彼氏になったんだよ……?」
「響はそばにいてくれるだけでいいの。それが私の幸せだから……」
「僕は胸の内を明かしてくれないと不仕合わせなんだけどな」
「……ごめん。でも、私は幸せにするから」
この言葉も何回聞いたことか。僕は彼女が当分この調子だと確信して、ついに棘のある言葉を放ってしまう。
「無理だろ……普通に考えて、自分の悩みを打ち明けてくれない彼女とか、それいる意味あるのかって話だろ」
「それでも幸せにするの……私は響と一緒に添い遂げなくちゃいけないの……」
「なんだよ……まるで強制されているみたいな言い方してさ」
僕の一言に彼女は堪忍袋の緒が切れたのか、顔を最大限しかめてこう怒鳴る。どうみても逆切れでしかなかった。
「私は……私は響のことを幸せにしないといけないのよ!」
「じゃあ、なんで真逆のことをして僕を不幸にしようとするんだよ!」
「不幸になんかしないってば!」
「今、僕はもう不幸なんだよ! これなら、前の生活のほうがよかった! 僕の普遍をどうしてくれるんだよ!」
僕は我に返った。見渡す限りこちらに目線を合わせている。これは誰がどう見ても喧嘩でしかなく、僕は学年で一番の美少女に怒鳴らせた不届き者だった。
「なんで……なんでわかってくれないのよ……」
彼女はそう言って目を覆うと、ポタポタ生暖かいものを落とすようになった。最後に彼女を追い詰めたのは、紛れもない僕になってしまった。
『分からないものはなにも分からないだろ……』
僕が彼女に寄り添おうとして肩に手を置くと、あろうことか彼女はその手を引っ叩いて、駅のあるほうに駆け出して行った。
僕の瞳には、彼女が我を失って孤独になろうとしているように映った。そんな我を失うだけの失敗が、きっとどこかの過程で起きているはずだった。
それから二日間、彼女は学校に来なければ連絡の一つもよこしてこなかった。
僕と彼女が破局寸前だなんてでまかせが広まり、クラスの中での立場は元に戻りつつあった。ただ、彼女の彼氏という重役を担っていることには変わりない。
僕は彼女から連絡が来るときを待った。
6月19日深夜、どういうわけかスマホの通知音が鳴り響いた。彼女とのトーク以外は通知を切っているはずで、目を向けるとなんと彼女から「明日会えない?」という文言が送りつけられていた。
『……たぶん観念したんだよな』
僕はその認識でいた。だが、彼女は「話したいことができた」という言い回しをして、僕を多少混乱させた。まるで今日なにかが解決したような表現をして……。
6月20日、僕は約束の地に向かっていた。行く先は彼女の住まいこと児童養護施設だった。
彼女はほんの僅かだが、笑い顔のようななにかを浮かべて出迎えてくれた。こんな顔色をされても、僕はなにも嬉しくなかった。
ただでさえ気味の悪い施設なのに、今日ばかりはお化け屋敷のそれより何千倍も居心地が悪かった。
「ここに来てもらったってことは、ここでしか話せないようなことがあるってことよ」
部屋に誘導されると、彼女は僕にそう言った。それなりに落ち着きを取り戻したようで、くまもある程度は取れていた。
「やっぱり僕に隠しごとをしていたんだな」
「ごめん……いつか言うことになるとは知っていたけど」
「教えてくれよ。その秘密ってやつを……」
「……いいわよ」
彼女は立ち上がって軽く息を吸う。
そしてついにこう暴露した。
―――私はね……響の両親を殺したの。―――




