第19話 友達に助言してもらうということ
それ以降のデートはトントン拍子で事が運んでいった。電車の時刻に始まり、披露宴会場から喫茶店、少し時間をずらして向かった夕食先までなにもかもが予定調和といった有様だった。
最後に僕らは展望デッキに立って、日本で三本の指に入る滑走路に圧倒されては、轟音を立てて大空へと飛び立っていく飛行機を並んで見上げた。
「響、今楽しい?」
「希奈はどうだ?」
「私も楽しい……けど、ちょっぴり寂しいかもしれないわ」
「……本当にどうしたんだよ。前までそんなこと言う性格じゃなかっただろ?」
「えぇ、そうだったっけ……」
そうして時は過ぎていき、空港の隅から隅までを堪能している僕、そんな僕の和やかな表現に現を抜かす彼女という構図で、無事に帰宅することになった。
今までのデートと変わったことがあるとすれば、僕はどうやら眼前の美少女に目が慣れてしまっていたようで、デートの最中は単に彼女として接していた。
それなので、家に帰ってから改めて彼女の可憐さを想うのだった。
『……本当に慣れって怖いんだな』
展望デッキで彼女に吹き付けていた風は東風ほどではないものの、彼女の髪を優しく美しく持ち上げていた。あのときの美麗さと言ったら、今でも言葉にしがたい心を奪われるものだった。
だが、今日は彼女の美麗さを再確認しただけではなかった。彼女の性格は、この二ヶ月の間に明らかに悪化していた。
そしてきっとその中には絶対に、“明晰夢を正夢にする能力”が含有されていた。
『……でも、僕の目的地が羽田空港だって当てたんだろ? それならなんで……』
帰宅するや否や、僕はある連絡先にこんな文面を送りつける。
「ちょっといいか」 「聞きたいことがある」
「夜遅くになによ」
「21時はセーフだろ……」
「アウトよ」
その連絡先とは、彼女を最もよく知る人物こと河田だった。
「希奈が“明晰夢の能力がある”とか言っているの聞いたことないか?」
「あんたにも言ったのね」 「ちょっと意外」
「聞いた覚えがあるんだな」
「えぇ、何度もあるわ」
「それでその能力をなにに使っているか聞いたことはあるか?」
「そんなことするわけないわ」
「そうか……」
『そんなピンポイントで聞くわけがないか……』
僕が渋々諦めようとすると、河田のほうからこんな言葉がやってくる。
「あ、思い出した」
「なんだ?」
「今日はもう寝る」 「明日詳しく話すから」
「明日か……」
「文句言うならなにも教えないけど?」
「明日で結構でございます」
デートの最中、希奈が一瞬見せた陰りのある表情がいつまでも脳裏を過り、なにか彼女が後ろめたい感情を抱いている気がして止まなかった。
そして、それが彼女の考える“能力”に由来するものだとしたら、文化祭のときの沈黙と辻褄が合うように思ったのだ。
『……まさか、僕がその中心にいたりしないよな?』
6月2日、僕は「話すことが多いからと」言われ、河田と電話することになった。
「……ごめんな、わざわざ」
「いいの。もう潮時だと思ったから」
「潮時って……なんだ?」
河田はそうして大きく息を吸い、吐く息に混じってこう呟き始める。
「希奈は長い間、自分の境遇を共感されたがっていたの。最近はあんまり直接言わなくなったけど、きっと今も思っているわね」
「それをずっと敵対していた僕に、どうして打ち明けてくれたんだ?」
「……共感するのは私だけで十分だと思っていたから。でも、最近になってそうじゃないって気づいた」
「と言うと……?」
「希奈からちょっと聞いたけど、あんた親がいないんでしょ?」
『あぁ……河田も知っていたのか』
僕は潮時の意味をなんとなく理解した。
「あいにくそうだな……」
「私の考えだけど、人って実際に体験していないことは共感できない。だから、今まで希奈は暗闇の中で生きてきたの……。それが今は心の支えができて、本当の意味で共感できるようになったのよ」
『……まさか、河田が希奈の支えだって言う日が来るとはな』
だが、河田の性格の変容に目を向けている暇はなかった。
「……だから、小学生の希奈は共感されたいあまりこんなことを口にしていたの」
「なんだ……?」
「“私は親を亡くす悲しみをみんなに共感してもらいたい”って」
「まぁ、当然だよな……」
高校生の僕でもたまに考えることを、彼女は小学生の頃から何度も思案していた。僕は彼女に少しだけ歩み寄れた気がして、これが共感の本質だと知る。
だが、僕がそんな共感に満ちていると、河田は衝撃的な一言を発する。
「でも、そうしたら今度は“殺人をした”って言ってきたわ。最初はすごく驚いたわね」
その言葉を聞いて、僕の脳はけたたましい警報を鳴らし出す。
彼女に殺人なんて言葉は似つかわしくなかった。だからどうしても身体が拒絶してしまい、二の句が継げなかった。
「それ……すごく重要な一言だな」
「そうかもしれないわね」
「さ、流石に本当に人を殺したわけじゃないんだろ……?」
「そうよ。精神的に参っていた時期があったんだと思う」
「あぁ、僕も二ヶ月前までそれだったよ」
「それなら話が早いわ。希奈の場合、それもこれも全部救ったのがあの能力だったの。自分の思い通りにいく未来が、生きる希望を導いていたのよ」
僕は彼女にとって、明晰夢を正夢にする能力にどれだけの力があるのか、ことごとく思い知らせた。
つまり、彼女が崩壊しそうな精神を繋ぎ止めるための唯一の命綱だったわけで、そこには途轍もない固執があった。
河田は僕に考える時間を与えてくれ、二十秒も時間を置いてから、こんな風に助言を送ってくれる。
「私から助言があるの」
「……なんだ?」
「希奈が言っている能力は、もはや能力じゃなくて自分を正当化するための手段なの。だから、それを踏みにじることは死んでもしないほうがいいわ」
「正当化って……自分のなにを正当化するんだよ?」
「はぁ……」
僕はまるで「そんなことも分からないのか」と言うような溜め息をつかれ、河田は嫌々その答えを教えてくれる。
「人生に決まっているじゃない……。誰からも共感されない自分に歩み寄って、未来の希望を与えてくれた概念なんだから」
「それは……そうなのかもしれないけど」
「あんたみたいに真に共感できる人を近くに寄せたりできたのも、そのおかげだと思っているんだし」
「……河田も能力を認めているのか?」
「私はなんでもいい。それで希奈が幸せになるんなら」
今日の河田の声はやけに静かだった。彼女を慮る気持ちがそこにはあって、かえってそれが僕に必要以上の圧力を加算する。
それは、僕があまりにも能力のことを軽んじていたことの裏返しでもあった。
僕は最後まで、河田の助言を否定することはなかった。僕の流儀である以上に至極真っ当な意見だったからだ。
ただ、間近で能力が失われていることに憔悴していた彼女を見ていた僕は、この能力がいずれ未来の彼女の負債と化し、幸せを剥ぐものになることを理解していた。
『……だって、僕からすれば偶然の連鎖が途切れただけでも、希奈からすれば能力が弱まってきているように見えるんだから』
僕には決断ときが迫っていた。その能力という幻想を彼女から剥ぎ取るのか、能力と共存させるべきなのか。至極の二択に睡眠時間は削りに削られ、やや徹夜気味の学校が幕を開けるのだった。
『……希奈に会って直接話がしたい』
このときの僕に誤算があったとすれば、彼女が能力に執着する理由が、自分の未来からあるものに移り変わっているということにあった……。




