第16話 四十歳差で対話するということ
5月16日、週末の僕は学校帰りにホームセンターに立ち寄り、必要になったグルーガンやらなんやらを買い求めていた。
クラスメイトの協力が功を奏して、パーテーションや仮装の衣装などある程度のものは完成に漕ぎ着けていた。
『クラスに団結力が生まれてよかった』
今のままでもB級お化け屋敷という感じはしているがまだまだ未完成だ。そこで部活がなく、彼女のように墓参りもない僕が一人でやってきていた。
このホームセンターは駅で言うと学校から一駅分離れており、今日中に戻るのは不可能だ。なので僕は自分のペースで直帰することにしていた。
ただ、地球温暖化のせいかはしらないが、今日は猛暑日一歩手前の蒸し暑い日で、下着は汗でクタクタになり、地面に汗の粒を落としながらの帰宅だった。
どこかで一休みしたい、そう思った矢先のことだった。
「おぉ、例の彼氏さんじゃないかぁ」
僕が建物を出た途端、耳馴染みのある訛り声が聞こえてきた。前後左右を振り向くと、僕の右側に南さんが棒立ちしていた。
「こ、こんにちは!」
「元気にしているかぁ?」
「はい! おかげさまでピンピンしています」
両手に大量の食料を抱えられていて、相当足腰が強くないとこの姿勢はできないだろう。
「なぁ、彼氏さんはこのあと暇か?」
「あ、えぇ、暇ですけど?」
「ちょっとそこの喫茶店に行かねぇか? なんでも奢るからよぉ」
今の僕は喫茶店で水一杯でもいいので飲んでいきたかった。カバンのドリンクホルダーに水筒がぶっ刺さっているが、一息つける喫茶店は一等星ぐらい輝いて見えた。
『……それに希奈のことも聞けるかもしれない』
「話し相手が僕でよければ……」
僕らは喫茶店に入店すると、フル稼働する冷房の下に座った。
「……すまんな、名前なんだったったかな?」
「山田響です」
「あぁ、そうだよなぁ。希奈ちゃんいつも響、響言っているしなぁ」
『果たしてそんなに僕の名前が出る場面ってあるのか……?』
「私が持っているネタって言ったら、そりゃあ、希奈ちゃんの話題になるわけだけどさぁ。今は個人情報云々が厳しい世の中だからなぁ」
「まぁ、そこは“ここだけの秘密”ってことでいいと思います」
「小さい頃の話とかは問題ないよなぁ」
そういって南さんは大笑いする。周りからしたらちょっと迷惑な声量ではあるが、そこは気さくなおばさんということで、他の客からひんしゅくを買わずに済むのだった。
「彼氏さんは希奈ちゃんのちっさい頃、どこまで知っているんだ?」
「赤ちゃんポストに預けられて、お婆さんに可愛がられたってこと……ぐらいですかね」
「あぁ、ちっさい頃のしか知らんのやなぁ」
「他にもなにかあるんですか……?」
僕はそう言うとコーヒーを一口吸って、それにつられた南さんもごくりとカフェラテを飲み込む。
「九歳の頃だったかなぁ。希奈ちゃん、一回精神を病んじゃったことがあるんだぁ」
「……それ、ここで言って大丈夫ですか?」
「なんだぁ、周りに誰も同級生おらんのやろ?」
「そう……ですね。続けてください」
「その頃はずっと“私は屍の上で生きる”って言っていたんだぁ。私たちもよく分からなくて精神科に連れて行ったんだけど……特になにも問題はなくてよぉ」
『……逆によくその頃まで耐えられていたよな。家族が誰もいないって言うのに』
「どういう意味なんでしょうね」
「親の死を乗り越えて生きるっていうことだとは思うけどよぉ、私にゃ本心はよく分からないなぁ」
「そうですか……」
そうして南さんは天井を見つめだし、なにかを思い出したようでこう言ってきた。
「あ、あとはこんなことも言っていたなぁ」
「なんですか?」
「“一親等”って」
偶然とは思えないこの言葉に僕は力が抜けて、膝においていた手をぶら下げる。
「……本当ですか、それ」
「そんなもん嘘ついてどうするっちゅうの」
「そうですよね……すみません」
「まぁ、両親もいない、兄弟もいない。血の繋がりがある人間が誰もいないんじゃあ、一親等が欲しくもなるわなぁ」
「……つまり、その一親等の意味って」
「ちっさい子が子供がほしいなんて考えるわけないんだからぁ、たぶん自分を一番に扱ってくれる人が欲しかったんでねぇか?」
彼女が何度も葛藤していたことはよく分かった。一親等というのは紛れもない比喩であり、「自分を一番の存在」だとする相手のことを言うのだ。
『……それなら、僕以外の誰かにすればよかったのに』
それにしてもコーヒーが美味しい。これまでちびちび飲んできたが、少しの量でも口に深みというやつが広がっていく。
「南さんはここのお店、前にもいらしたことがあるんですか?」
「あぁ、いっつもここまで食べ物を買いにに来ているからなぁ」
「ちょっと施設から離れていません?」
「足と腰だけはピッチピチの十代だから、そこんとこはどうにかなるんだぁ」
「すごいですね。僕も南さんのようにいつまでも健康でいたいで……あ」
『……遠まわしにおばさんだって言ってしまった』
僕は一旦心を落ち着かせようとコーヒーを啜り、南さんのほうを覗く。すると僕の懸念とは裏腹に、普通に微笑んでいる南さんの姿があった。
「あたし、何歳に見えると思う?」
難問だった。ここで僕の推測のとおりに60と答えても空気が悪くなるだろうし、40は鯖を読みすぎだ。そこで僕が十秒かけて導き出した答えがこれだった。
「……55歳」
「あはははは! やっぱりいつになっても若く見られるって嬉しいなぁ」
「お、おいくつなんですか?」
「うん? 72歳だぁ」
「……72歳とおっしゃる割に肌艶がいいと思うんですけど」
「いやいや、そんなにおだててもなにも出てこないからなぁ」
南さんは還暦をとっくに過ぎて、喜寿のほうが近いぐらいだった。定年を迎えてもまだ活躍される姿に僕は感嘆した。
だが、南さんは笑顔に諦めたような顔色を上乗せして、こんなことをボヤく。
「でも、悲しいよなぁ」
「なにがですか……?」
「施設の子供たちの中で階層なんてもんができちまったり、あたしが話しかけるとそっぽ向かれたり。最近の子たちはちょっとシビアなんだぁ」
「そんなもんですか……。南さんでも変えられないなら、もう誰にも変えられませんよ」
僕がそう言うと、南さんはどういうわけかこちらを向いて微笑んできた。
「希奈ちゃんなら変えてくれるかも分からないなぁ。響くんだってそう思う節はあるんじゃねぇか?」
「あぁ、はい。あると思います」
「まぁ、それができるのも、例の階層だと希奈ちゃんは一番上位にいるからだけどなぁ」
すると南さんは珍しく、「へぇ」と言って溜息をつく。
「でも……思っているより希奈ちゃんは内気なんで、そう上手くいかないんだぁ」
「希奈が内気なんですか……?」
「いやぁ、親から虐めに遭ってる子がいるからだの性被害受けたからだの言って、あんまり踏み込もうとしないんだぁ」
「……実は僕も親を亡くしている身分なんで、どうにか協力させてもらいたいぐらいなんですけど。希奈なしだと厳しいものがありますよね……」
さらっと僕がそう言ってのけたせいで、南さんは口をかっ開いて「えぇ」と言う。
「たまげたぁ……そうだったのかぁ」
「なので希奈と近い部分はあると思います」
「あぁ、こりゃあ響くんが希奈ちゃんの求めていた一親等だよぉ」
「僕でいいんでしょうか……」
「苦しみが分かち合えるだけで彼氏として十分過ぎるぐらいなんだぁ」
今までとても単純なことを忘れていた。僕らは共に親がいない環境下で暮らしてきたので、人一倍お互いを慮れる。
つまり、僕の価値は外見や言動ではなく経験にあった。
もし、彼女の明晰夢がそれを知っていたとすれば……と考えるのは蛇足だが、それでもどこかに運命というものはあった。
『……やっぱり、なんでも人に聞いてみるもんだな』
帰り際、南さんはこう言って背中を見せていった。
「希奈ちゃんを幸せにしておくれぇ」
「は、はい、もちろんです!」
このときには、僕の心にあったほとんどの疑問が晴れていた。
あと残り疑問があるとすれば二つ、一つは彼女の能力。もう一つは、前のデートで彼女が僕の両親の死に絶句した背景。そんなもんだった。
こんな風に詮索しているのは、彼女を信用しきれていないことの表れで、たしかに不義理かもしれない。だが、これが叔父の言った“家族関係解消”発言の代償だった。
僕は彼女の実情探しをやめられず、彼女を完全に信用してやれないのだった……。




