第14話 明晰夢デートをするということ
5月9日、一ヵ月も同じ生活をしていると身体が完全に慣れて、周りの目も「みんな自分のことで必死だ」と割りきれるようになっていた。
そんな日の放課後、彼女はいつもより口数が少なかった。嫉妬感情はどこかに行ってしまったはずで、なにかしらの悩みの種を抱えている様子だった。
「いつもの饒舌はどこに行ったんだ?」
「……はっ」
彼女はそう言って、空想の世界から我を取り戻した。
「ごめんね、ちょっと考えごとしていたの」
「なにを考えていたんだ?」
「……今朝のことを打ち明けるかどうか」
「言ってくれよ。夫婦は二人で一つだしさ」
「今朝、明晰夢を観たのよ……」
そう言えば、彼女には明晰夢を正夢にできる能力があるらしい。無論、偶然の産物だと思う僕は未だにそれを信じていない。
「どんな夢だ?」
「……私ね、ついもっと幸せになりたいなんて思っちゃったのよ」
「今のこれは幸せじゃないのか……」
「今でも十分幸せよ。ただ、上を見つめ過ぎちゃったのよね……」
「まぁ、そういう日もあるか」
「それで、明晰夢の内容を達成できないと、他の手段で達成されることになるの。悪いほうに進まないか心配で……」
『……無理にでも僕との交際に従ったのはそのせいか』
彼女は手の平を頭に当てて、また一段と気まずそうな表情をする。
「それで、僕はなにをすればいい?」
「……デートに付き合って」
「逆にデートでいいのか?」
「うん。でもね、私はそのデート行き先とそのときに得た感情を知っちゃってるの……」
彼女は笑顔の裏に、なにか自責のようなものを持ち合わせているようだった。
そこで発揮されるのが、僕が小説なり詩なりで培った豊かな表現だった。
「それ、二度美味しいじゃないか。羨ましすぎるぐらいだ」
『たぶんこれが最適解なんだろうな』
僕は半分ドヤ顔に近いうざったらしい顔をして、ただ彼女には直に見られないよう前のほうを向いていた。
「二度美味しい……そうね。その考え方が一番楽かもしれないわ」
「それなりにいい返事の仕方だっだろ?」
「うん。本当にありがとう」
彼女はまた格別の笑顔を取り戻して、僕の隣を堂々と歩みだした。
「それで、どこにデートしに行くんだ?」
「私の行きたいところよ」
「まだ他にも行きたいところがあるのか?」
「山ほどあるわね。ざっと五十ヶ所かしら」
「……本当に離婚しないようにしないとな」
僕がふとそう言うと、彼女はにっこり笑ってこう返してきた。
「最近の響は、よく結婚認めてくれるようになったわね」
「そのほうがお互いに繋がっている気がするからな」
5月11日、明晰夢デート当日を迎えた。電車に乗るにあたって、彼女からはこんなことを指示されていた。
「一日乗車券を買ってちょうだい。私は紙をお勧めするけどね」
僕はその助言に従って、硬券の一日乗車券を買うことにした。
今日も前と同じように、電車内で合流することになっていた。だが、日曜日のお昼前から動くことになっていたので、中々に電車が混んでいる。
それでも彼女のなびく髪は目に映るものがあり、瞬時に駆けつけられるのだった。
「おはよう……いや、もうこの時間は“こんにちは”か?」
「おはよう、響」
「あんまり見かけない服装をしているな」
「オーバーオールよ」
今日の彼女は前回のワンピースから趣向を変えて、どっかの配管工みたいな服装をしていた。
「でも、可愛いでしょ?」
「希奈はなにしていても可愛いだろ」
「いや、そういうことを聞いているんじゃなくて……」
「えっ……?」
どうやら僕の会話にはまだまだ改善の余地があるようだ。
『小説の文章なら読み取れるんだけど……やっぱり、女性の心情は別物なんだな』
今日のお出かけ先は、ズバリ東京都内で名所を回るというものだった。
まずは昼前なので飯を食うというとのろだが、いかんせん割高で懐が痛む。そこで彼女は「お弁当を作ってくるから」という提案をしてくれた。
そしてまず僕らが向かった先は、どういうわけか皇居前広場だった。意味が分からなかった僕は、日比谷駅から広場までの短い道程でこう訊ねることにした。
「なぁ、希奈」
「どうしたの?」
「ズバリここに来た意図とは」
「あそこを見てちょうだい」
彼女が指差した方向には複数のベンチがあった。しかも上には木が植わっていて、日の光からも避けることができる。お弁当を食べる場所にしては好条件だった。
ベンチについて彼女が弁当の箱を開けるとある疑問が浮上した。
「いつもそうだけど」
「うん?」
「このお弁当ってどこで作っているんだ?」
「基本的にみんなでご飯食べるから、料理をいっぱい作れるように調理場があるのよ」
「あぁ、たしか南さんが主導で作っているんだっけ?」
「そうよ。朝は誰も使っていないから、そこを借りて作っているの」
このお弁当は、手間ひまかけて作った作品のようなものだ。しかも材料費だって馬鹿にならないわけで、僕は一昨日の彼女に近い気まずさを感じてしまう。
「……そろそろ弁当代を払いたいんだけど」
「それは大丈夫よ。バイトして貯めたお金があるから実質ゼロ円だから」
「それ、僕がヒモみたいじゃないか……」
「ヒモでもいいのよ。ずっと私のそばにいてくれるなら」
「そっちが専業主婦でいいってのに……」
『……冷たいのに美味しいんだよな。きっと場数が物を言っているんだ』
お弁当を食べ終えた僕らは、腹ごしらえに広場の砂利道を歩いて、足裏のマッサージまでこなす。
「雨上がりだとこの砂利の下が茶色っぽくなるのよね」
「前にも来たことあるのか?」
「小さい頃にね。例のお婆さんに連れて行ってもらったのよ」
「……児童養護施設ってそこらへんの規則は緩いんだな」
「ううん。一昔前だからできたことね」
「でも、いい思い出だよな」
次の僕らは日比谷駅から電車に乗って、赤坂見附駅に降り立った。
目的地までの道中、彼女は相当絶好調なようで僕にこんな問題を出してきた。
「これから響君にクイズです!」
「急になんか始まったな」
「今から行く神社の名前、お日様の“日”に“枝”と書いてなんて読むでしょう!」
「その感じだと”ひえだ“ではないんだよな」
「そうよ!」
僕は今までに獲得した知識を総動員して答えを導こうとする。こんなんで糖分を消費するのも馬鹿馬鹿しいが、その時間がまた楽しいのだ。
「……ひぐさ」
「ぶっぶー!」
「あぁ、三つの枝で“さいぐさ”って読むのは知っていたんだけどな……」
「逆によく知っていたわね」
「降参だよ……」
「答えは“ひえい”でした!」
「答えさせる気ないだろそれ……」
日枝神社の鳥居をくぐり、僕らはそれなりの段数がある階段を登る。するとそこには都心の一等地とは思えない、荘厳な社の姿があった。
「これもお婆さんに教えてもらったのか?」
「流石にこれは調べたわ。ちょっと興味があったのよ」
クラスの女子は踊ってみた動画を投稿したり、可愛い系統のコンテンツに触れたりという有様だ。よって、彼女は少し現代の女子高生から離れた発想を持っていた。
『……でも、面白いな。まるで“普通の恋愛”じゃないみたいで』
参拝を終えた僕らが次に向かったのは、若者の街、渋谷だった。彼女が言うには「ハチ公前で写真が撮りたい」のだそう。並ぶことを承知なようで、彼女は手持ち扇風機を二台持ってきていた。
「……結構並ぶな」
「結構並ぶわね」
日曜の十五時と来たら、矢鱈に外国人の姿があって、間もなく一時間が経とうとしていた。だが、そこは前のデートで培ったモノがあり、なんとか乗り越えて撮影に挑むのだった。
「……どれもどっちかの目が半開きね」
「なんか馬鹿みたいでいいな」
「たしかに」
『……これが希奈が明晰夢で観たデートの内容なのか。たしかに、言われてみれば全然まとまりがないな』
次の目的地は上野で、彼女曰くこれがしたいんだとか。
「不忍池って知っているかしら?」
「上野公園の下のほうにあるよな?」
「そうよ。そこでスワンボートに乗るの!」
というわけで、スワンボートに乗った。もちろん、彼女に漕がせるわけにもいかないので、緩急をつけてアトラクションのような感覚で取り組んだ。
すると僕は上野駅という土地柄を考えて、たしか魔の日曜日の起こった三つの現場のうち一つがこの近くにあることを思い出す。
「ちょっと寄り道してもいいか?」
「いいわよ。どこに行くの?」
「……事故現場なんだけど」
「へ……?」
「まぁ、それも折り込み済みなんだろうけど」
「……う、うん」
デートで献花するというのも馬鹿みたいな話だが、彼女の観た夢のデートもそれなりに常軌を逸していたのでこれで釣り合いがとれるだろう。
僕は三輪のコスモスを買うと、そのまま事故のあった現場の麓に向かう。未だに何輪かの小綺麗な花が置かれていた。僕の花もその花々と肩を並べることにして、最後に一礼をすると彼女にこう言う。
「唐突で悪いけど、僕も両親がいないんだ」
「え……?」
「何年か前に魔の日曜日って事件があって、それで両親と死別しちゃて」
「そう……だったの」
「ここの真上でも同じ日に事故があったんだ。だから……まぁ来たんだよ」
彼女は僕の気持ちを案じてか、口をポカンと開けて黙ってしまった。彼女が人情溢れる人間だと思った矢先、僕はどうも様子がおかしいことに気づく。
彼女は無意識かのように微動だにせず、顔色からは徐々に血の気が引いていく。今までの楽しいひとときを無に帰すように、僕の顔をじっと見つめていた。
だが、力は緩んで遂に手に持ったカバンを地面に叩きつけてしまったのだ。これも予期していた感情だったのか……?
「だ、大丈夫か!?」
「大……丈……夫」
『……希奈はなにが言いたいんだ。分からない。なにも分からない』
僕の両親が死んでいたことに驚嘆したのは事実だ。だが、無関係にしてはやけに悍ましい反応をする。
このデートがなにを意味していて、なにを暗示しているのか。彼女の両親が事故に関与しているのか、彼女本人が事故に関与したのか。
このときの僕には見当もつかなかった。いや、つかなくてよかったのだ……。
「……さっきはごめんね」
自我を取り戻した彼女は、夕食を済まして早々にそう言ってきた。
「僕が悪いんだよ。突拍子もないことを言って困惑させてさ」
「違うの……ちょっと、い、色々あるのよ」
「色々って、それ……諸に隠しごとじゃないのか?」
「些細なことだから……。ほ、本当に大丈夫だから……」
「そうなのか。それなら、いいんだけどさ」
このときの彼女はまた笑顔を見せるようになっていた。だが、血の気の引いた青白い面持ちが変わっていることはなく、彼女はまるでなにかを切実に守っているかのようだった。
『……たぶん彼女は嘘をついている。必死にはぐらかすだけの理由がある秘密を隠しているんだ』
僕はまだ彼女を信用してはいけない。もう一つ、あと一つ踏み込まなければいけないとそう思うようになっていた。
このデートが残したものは、あまりにも大きかった……。




