第12話 住まいが明らかになるということ
4月25日、週末の僕はなんと自分から彼女に電話をして、あることを切実に頼み込んでいた。他でもない彼女の住まい、児童養護施設への訪問だった。
僕はどうしても彼女の本性を、本性がされけ出せる場所で聞きたかった。その根底には「彼女と共感したい」という、彼氏なりの矜持みたいなものがあった。
翌26日には行けることが決まって、早速僕らは彼女の最寄り駅で待ち合わせをしていた。尾行のときに来ていたおかげもあってか、やけに駅構内に馴染みがあった。
「……ごめんな。急に行きたいなんて言っちゃってさ」
「いいのよ。こっちもそのうち招待しようと思っていたから」
「でも、許可取るの大変だっただろ……?」
「ううん。そこはほら、長年の付き合いを生かしたのよ」
「本当にありがとうな。今日もよろしく」
僕の言葉に彼女は控えめな笑顔で答えた。だがその作り笑いもすぐになくなって、気がつく間もなく彼女は神妙な面持ちをするようになっていた。
『この顔が彼女の本当の顔……なのか?』
「……ちょっとだけ、気を引き締めてね」
時刻は午前十時、やはり人通りの少ない小道に入ったところで、彼女はそう忠言してきた。
「な、なんでだ?」
「それはあとで詳しく説明するから……説明しなくても分かると思うから、とりあえずお願いね」
「あぁ、分かった……」
僕らは尾行したときより少しだけ早く施設に着いた。歩きスマホの罪深さを感じると共に、相変わらずな建物の古めかしさに唖然とさせられる。
「本当にここの住人なんだよな?」
「……今さら疑うこともないでしょ」
「いや疑っているというか、信じられないというか……」
彼女はドアノブに番号を打ち込んで扉を開ける。彼女が建物に入ると、ついで僕も「お邪魔します」と言って潜入する。
すると事務室らしきところから、一人の女性がでてきた。僕らに満面の笑顔で出迎えるその人は、少しお年を召されていて、それなりに恰幅のいい身体もされていた。
「帰ってきたかぁ」
「ただいま戻りました。あ、例の彼氏を連れてきました」
「そうかぁ。ちょっと古びた建物かもしれんけど、ゆっくりしていきなさいなぁ」
「は、はいありがとうございます!」
ちょっと訛った口調からはこれでもかと人柄の良さが滲み出ていて、これがかえって僕の緊張を和らげてしまった。
女性が事務室のほうに戻ると、彼女がこの女性のことを紹介してくれた。
「あの人は南さん、ここの管理人よ。ご飯からなにまでみんなやってくださってるの」
「いい人じゃないか」
「本当にいい人よ……いい人過ぎるわね」
僕は彼女の後ろについて、長ったらしい廊下を進む。壁はクリーム色で天井の電球はおそらく蛍光灯だろう。
どこはかとなく昭和臭が漂っている空間を歩んでいると、僕はある光景を目撃することになった。
向こうから群れを作って小学生ぐらいの女の子たちがやってきていた。だが、みな僕の顔を異物を見るような目でじろりと見つめて、黙ってすれ違っていった。
『……なんか、無愛想だなぁ』
それがこの子たちだけで終わればよかったものの、すれ違う子みんながこちらを侮蔑混じりな目で視認していた。
そうして殺伐とした廊下を進んでいき、彼女はある扉の前で立ち止まった。ドアの真ん中にはゴシック体で「森希奈」と書いてあった。
彼女が部屋を開けると、僕は軽く一礼して中を覗かせてもらう。そこは廊下とは打って変わって、赤色系統が基調の絵に描いたような女子の部屋だった。
「そこの椅子に座っちゃって」
「ありがとう。綺麗にしているんだな」
「……部屋を綺麗にすることしかないから」
「え……?」
早速不穏な空気が漂いつつも、僕らは言の葉を交わし続ける。
「軽く私の家庭環境について説明するわね」
「……おう」
そして次に彼女が言った言葉は、僕を呆然とさせて言葉を発せなくさせた。
―――私、実は捨て子なのよね。―――
『は、は……?』
「正確に言うとちょっと違うけど。響は赤ちゃんポストって知っているかしら」
「あぁ、たしか育てられなかった子供を預けるっていう……」
「そうよ。私もその一人だったわ。遺棄されるよりは何億倍もマシよね」
彼女は珍しく作り笑いをし始めた。笑っていなければ話を進められないのだろう。
「それで、小さい頃からここで暮らしているのよ。なんとなく分かったかしら?」
「あ、あぁ……」
僕が彼女の話に打ちひしがれていると、扉を二回叩く音が聞こえてくる。彼女が「はい」と言うと聞き馴染みのある訛った声色が耳に届いた。
「お茶と菓子をもってきたから食べなぁ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
「アレルギーとかだいじか?」
『だいじ……大丈夫ってことか?』
「あ、はい、大丈夫です!」
そう言うと南さんは最後まで笑顔を貫いて、そっと扉を閉めていった。
「次はなにが聞きたい?」
お茶と菓子を分け終わったところで、彼女がそう訊ねてきた。
「……僕の思い込みならいいんだけどさ、さっきここの子たちが、僕のことを蔑むような目で見ていたんだよ。あれは……」
「たぶんだけど、自分の家の中に入られている気がしたのよ」
「自分の家……?」
「私も小さかった頃、そんな風に思ったことがあるわ。ここが傷を舐めあえる唯一の場所だから仕方ないのよ」
「そうなのか……」
僕はお茶を一口すする。茶柱なんて立つようなお茶ではないが、優しい味がした。
「もう一つ、質問してもいいか?」
「なにかしら?」
「あの墓参りの日、希奈は誰のお墓に来ていたんだ?」
「……ちょっと話が長くなるけどいい?」
「あぁ、いくらでも」
そして彼女は少し長めな昔話を始める。
「私が小学生の頃、私を可愛がってくれたお婆さんがいたの。昔はこの施設以外にもいくつか施設があって、私以外には数えられるぐらいしかいなかったのよ」
彼女もお茶で口の渇きを癒す。
「だからね、学校から帰る度にお小遣いとかお菓子とかをくださったの。それである日その人にね、私はこんなことを言われたの」
―――挫折をしないでなにかを成し遂げる人なんていないよ。今の希奈ちゃんは、なにかを成し遂げるだけの才能を持っているんだよ。―――
「両親がいない私を励ましてくれたの。それ以降、私はときどき明晰夢をみるようになって、それが正夢になるって気づいたのよ」
「キーパーソンだったのかもな」
「絶対にそうよ。そうじゃなかったら、今の私はいなかったかもしれないし……」
学校での彼女は、たしかに取り繕っているところがあるかもしれない。だが、彼女の持つ向上心は偽りではなく、成長の過程で手に入れた能力の一つだった。
『希奈はやっぱり希奈なんだ……』
彼女の本性はいつもの彼女を少し気弱にしたもので、僕が想像していたような真反対のものではなかった。僕はもう一口お茶を飲んで、心と身体を癒しておいた。
一時間半が過ぎて昼どきを迎えた。
「今日、いくらかお金持ってる?」
「たぶん二千円ぐらいはあるかな」
「なら、お昼食べに行きましょ」
「あれ、抜け出しちゃっていいのか……?」
「ここは十五歳から縛りが緩いのよ。バイトもオッケーで夜九時まで外出自由だから」
僕らは駅前のほうに向かってファミレスに入店する。デート以外でこんな風に外食するのは初めてのことだった。
そして料理が届くと、いつもの如く美味しそうに頬張る彼女がいた。まるで施設から解放されたかのような面持ちの……。
「……苦しかったらいつでも言えよ」
「え、どうしたのよ?」
「僕は頼りにならないかもしれないけど、エーアイよりはマシだから」
「分かってもらえないと思うけど、これでも結構信頼しているわよ」
「じゃなかったら登校初日からプロポーズしてこないもんなぁ」
「……それ、一生言われ続けるのかしら?」
「一生いい続けてやるよ」
僕らは笑い合った。心のわだかまりが消え去って、僕にはなににも追われない余裕が生まれていた。




