第11話 彼女を尾行するということ
『……なんかめっちゃ丁重に拒絶されたんですけど⁉』
それはデートの帰りのことだった。
地下鉄に乗り換えて、もうあと少しで僕の最寄り駅に到着する場面。夜もだいぶ更け、ここらで彼女を一人で帰らせるというのは、少々僕の性に合っていなかった。
「家の近くまで送ろうか? って言うか言われてなくても送る」
「……それは大丈夫よ。人通りの多いところに住んでいるし」
「で、でももうそろそろ二十時とかそんなんだしさ……」
「ほんっっっとうに大丈夫だから! 私のことを舐めないでよね!」
「そうなのか……。なんか悪かったな」
「気遣いありがとうね」
ここまで堂々と送迎拒否されるなんて思ってもみなかった。
僕は自分自身を“どこの馬の骨かも分からない男”だと顧みる一方で、彼女もそんな男と付き合っている女性だと考える。もしかすると、駅前での啓蒙が災いしたのかもしれず、僕は心の中で発狂していた。
彼女とわかれると、自分の不甲斐なさに落胆して「あぁ」と溢す。
『本当にどこのなにがいけなかったんだろう……。まぁ、おかしいところばっかりだから見当もつかないな』
4月21日、次の日が学校という強行スケジュールだったので疲労が取れず、僕は酔っ払いのごとく寝ぼけていた。
そこで愚痴というものを吐きたくなり、隣で野球ゲームに夢中な棚田に、ダル絡みをしてみることにした。
「棚田に一つ聞きたいことがあるんだ」
「ちょ、今かよ!」
「あぁ、今聞きたいことでさ」
「ちょい待ち」
そう言うと、棚田はものの数秒でゲームを切り上げて僕のほうを向いてくれた。
「俺に訊ねてくるってことは、例の案件なんだろうなぁ」
「例の案件って……」
僕は棚田の耳元でささやき始める。ということは、つまりそういうことだ。
「デート後に彼女を送り届けるのってアリかナシかだったらどっちだ?」
「その感じは拒否られた口だな」
「う、ううるさい」
「まぁ、付き合って早々はないだろうなぁ」
「……そういうもんか」
「た だ し、森さんのほうからアプローチをかけてきたみたいだし、断る理由もないよな?」
「なぁ、なぁ、そうだろ⁉ あっ……」
僕は共感を得たことで思わず声を大にしてしまう。近くに座る彼女にもその様子ははっきりと見られ、そしてまた視線を元に戻していった。
「尾行すればいいんじゃないか?」
「え、え?」
「浮気調査ってテイでな」
棚田は急に爆弾を投下してきた。つまり法を犯すことで納得を得ろと言うのだ。
「そんな無茶な話はないだろ……」
「家、そんなに離れているのか?」
「……三駅だな」
「じゃあそれ、もうご近所じゃんか!」
「五キロはあるだろ……」
「そんなに心配しなくて大丈夫だろ……カレカノなんだしさ。あ、じゃあこうしよう」
「なんだ……?」
「もしなにかあったら、全部俺が提案したってことでいい!」
「お前と希奈に関連性なさ過ぎて逆に嘘を疑われるだろ……」
「まぁ、こういうときに友好関係をフル活用すべきだと思うけどな」
ここで、僕はある疑問が生まれた。至極単純だが今まで全く気づかなかった。
「てか、なんで僕なんかと友達になってくれたんだよ……?」
どうして今でも泡沫な僕との間に友好関係を樹立してくれたのか、その背景が知りたくなったのだ。だが、棚田もまた一風変わった人間だと思い出すことになる。
「隣にいたからだな。あと“僕なんか”って言い方、気に食わないから次から無しでよろ」
「……なんだよその返しは」
「いやだって実際それで知り合っただろ?」
「そうだけどさ……」
「言っておくが、他意はないからな」
「おぉ、お前も他意なんて難しい言葉つかうんだな」
「そりゃあ、馬鹿野郎じゃ野球なんてスポーツできないんでね」
「あぁ、たしかにそうか」
「おい、納得すんな」
そうして、僕らは端から見ると薄気味悪い笑顔を送り合い、いざ探偵ごっこへと舵を切ることにした。
彼女には棚田と用があると言って、「待っている」という言葉も退けて、独りで帰路につかせる。
彼女が校門を出るや否や僕は法律を犯し初めて、彼女の背中を忍者になったつもりで追い続ける。
十五メートルの距離でも彼女の綺羅びやかな象形が浮かび上がるもんで、見失うようなことはなかった。
僕は彼女から少し離れた号車に乗って、完全に下校ではない尾行を行う。
彼女が最寄り駅だと言っていた駅で降りると、ホームの少し先にスマホに釘づけな彼女の姿があった。
『そういえば、デートのときは全然観ていなかったよな……。これが希奈の……』
彼女はどんどん市街地から離れていき、日中でも人通りが少ないような路地裏へと入っていく。
これで昨日の彼女が嘘をついていたと分かった。だから、僕は決してこの尾行を止める気になれなかった。
合計で十分ぐらい歩いたところで、彼女は遂に立ち止まった。しかし彼女の目線の先にあったものは、築四十年ぐらいの古びた建物だった。
アパートにしては奥行きがあって低層な事務所にしては広大な、なんとも言えない造りの建物で、僕はここがなんの施設なのか頭がこんがらがる。
……すると彼女は突然、電柱裏の僕に聞こえるぐらいの音を出しながら息を吸い、こう呟いたのだ。
「あー、なんか今日は誰かに尾行されている気がするわねー」
『な、なに独り言呟いているんだ?』
「……もう気づいているわよ。いい加減出てきなさい、響」
僕は心臓が止まりそうになった。いや、一瞬たしかに止まった。
電信柱の裏からとぼとぼ出てきて、普通に法令違反したことを白状する。
「……ちょっと、怖いもの見たさみたいなものはあった」
「なによそれ……」
「と、というか、いつから知っていたんだよ……?」
「響が二つ隣の号車に乗ったときからね」
「つまり最初からってことか……」
「そうよ……まったく」
彼女は僕の尾行に過去一番大きなため息を漏らして、笑顔をしかめっ面に切り替えてしまう。ただ、幸い僕に絶望しているような雰囲気でもなく、どうにか切り抜けられそうではあった。
「どうして私のあとをついてきたわけ?」
「ごめん、悪気は全然なくて……。ただ、昨日追い返されちゃったのが」
「癪に触ったと?」
「そうじゃないけど……ちょっと気になっちゃって」
彼女は背後を振り返って「うーん」と言うと、諦めがついたのかこう言ってきた。
「今回のところは見逃すことにするわ」
「本当にありがとうございます」
「……でも、これでバレちゃったわね。私がここに住んでいるってこと」
「ここはなんだ? 事務所……か?」
「ううん。ここは私の住まい、習志野児童養護施設よ」
僕はきょとんとする。ここに彼女が住んでいると言って、すんなり受け入れられるほうが少数派だろう。
「児童養護施設って……希奈、両親がいないのか?」
「あいにく親戚も含めて誰一人もね」
彼女は僕なんかよりも遥かに過酷な家族構成をしていた。本当なら「実は僕も両親がいない」と言っていた。
だが、彼女と比較される僕はあまりにも幸せな環境に身を置いていて、彼女に言っても霞んで見えるだけだった。
僕はその場で黙る。自分のことも、彼女のことにも触れずにそっとしていた。
そうすると彼女は薄ら笑いをしながらこう告げる。
「たぶん、いつもの私は偏屈なところに身を寄せている裏返しなのよ」
「……え?」
僕の疑問形に彼女はこう答える。
―——だから、私はちょっと自分を取り繕っているの。きっと、この私だって本当の私じゃないのよ———
僕の勘はどうやら当たっていた。ここまできたら、彼女の私情に足を踏み入れるほかなかった……。




