第37話
翌朝。
「唐揚げ六個。」
「多い。」
「五個だワン。」
「多い。」
「四個。」
「交渉制なの?」
「三個で手を打つワン。」
「何で二郎丸が譲歩したみたいになってるの。」
朝から二郎丸と揉めていた。
今日は第101ダンジョン第三階層へ挑戦する大事な日だというのに、本人が一番気にしているのは昼のお弁当に入れる唐揚げの数らしい。
「昨日いっぱい頑張ったワン。」
「それは認めるよ。でも卵焼きもウインナーも入れるからね。」
「唐揚げ三個とウインナー三個だワン。」
「食べ過ぎ。」
「育ち盛りだワン!」
「犬の育ち盛りっていつまでなの?」
「ずっとだワン!」
「絶対違う。」
横を見ると、るかには小さなリュックへプリンを入れようとしていた。
「るかに。」
「な〜に?」
「それ何個目?」
「三個〜。」
「一個にしなさい。」
「二個〜。」
「何で二人とも値切る方向が逆なの。」
結局、二郎丸のお弁当には唐揚げ三個、るかにのリュックにはプリン二個が収まった。完全に押し切られた気がする。
僕自身の装備も確認する。胸部プロテクター、肘と膝のガード、グローブ、木刀。それから救急用品に水、予備の食料、ロープ、懐中電灯。昨日使った道具で必要だった物は全部持った。
第101ダンジョン。
攻略進行度は六十八%。
数字だけなら残り三十二%なのだが、ゲームなら最後の三割が一番大変というのはよくある話だし、昨日二郎丸が第三階層から「強そうな何か」の気配を感じ取っている。
油断は出来ない。
「二人とも。」
「ワン!」
「は〜い。」
「今日は危ないと思ったらすぐ帰るからね。攻略出来なくてもいい。僕たちにはまだ時間があるんだから。」
「分かったワン。」
「無理しない〜。」
「うん。それでいい。」
以前なら二郎丸が「倒すワン!」と突撃するんじゃないかと心配していたけれど、最近は少しだけ落ち着いてきた気がする。
少しだけ。
本当に少しだけだけど。
・・・
第101ダンジョンへ到着し、昨日と同じ道を進んだ。
第一階層。
ここはもう随分慣れた。
途中で普通のゴブリンが二匹現れたけれど、二郎丸が前へ出て一匹を引き付け、もう一匹を僕が相手にしている間にるかにが後ろから毛針を撃つ。
「右行ったワン!」
「分かった!」
「左もいるよ〜。」
「そっちは二郎丸!」
「忙しいワン!」
そんなことを言っているうちに終わった。
最初にゴブリンと戦った時は、たった一匹を相手に三人とも必死だった。二郎丸は息を切らし、るかには隅で丸くなり、僕は木刀を握る手が汗で滑るほど緊張していた。
今は二匹を倒しても普通に会話している。
慣れというものは恐ろしい。
もちろんゴブリンが弱くなったわけじゃない。僕たちが強くなったこともあるけれど、それ以上に大きいのは戦い方を覚えたことだと思う。
最初の頃の僕は「敵を倒さなきゃ」としか考えていなかった。
でも今は違う。
まず見る。
相手が何匹いるのか、武器は何か、逃げ道はあるか、二郎丸とるかにはどこにいるのか。それを確認してから戦うようになった。
たぶん、これが経験なんだろう。
僕は剣士でも軍人でもない。
少し前まで魔物なんてゲームや漫画の中でしか知らなかった普通の人間だ。
だからこそ格好良く戦う必要なんてない。
三人で生きて帰ればそれでいい。
「ご主人。」
「ん?」
「何か難しい顔してるワン。」
「ちょっと考え事。」
「お腹空いたワン?」
「まだ入って三十分だよ。」
「オイラはいつでも食べられるワン。」
「知ってる。」
第二階層へ降りる。
昨日苦労した地下河川では、ロープがそのまま残っていた。
「あ。」
「あるワン!」
「良かった〜。」
昨日、帰り道で「また使うかもしれないから」と残しておいた物だ。
二郎丸が得意げにロープを見る。
「オイラが張ったロープだワン。」
「僕も手伝ったけどね。」
「二郎丸ロープだワン!」
「勝手に名前付けないで。」
「ジロちゃんロープ〜。」
「採用されたワン!」
「採用しなくていいから。」
今日はピラニアの姿もほとんどなく、念のため鑑定で確認してからロープを使って川を渡った。
昨日はあれだけ大騒ぎした場所なのに、二回目になると驚くほど簡単だった。
その先でゴブリンソルジャーが二匹現れたが、これも大きな問題にはならなかった。
二郎丸が一匹を引き付け、僕がもう一匹の剣を木刀で受ける。
一週間前なら武器を持ったゴブリンと正面から戦うなんて考えただけでも怖かった。でも剣術がレベル3になった影響なのか、それとも単純に僕自身が慣れたのか、相手の剣先が以前よりよく見える。
右から来る。
受ける。
次は左。
一歩下がる。
大振り。
ここ。
木刀で手首を打つ。
剣が落ちる。
「二郎丸!」
「終わったワン!」
振り返ると、二郎丸の方も既に終わっていた。
「早いね。」
「忍犬だワン。」
「見習い。」
「そろそろ見習い取ってほしいワン。」
「僕に言われても。」
そんな調子で昨日の階層主の部屋まで辿り着いた頃には、まだ午前十一時前だった。
「早いね。」
「昨日より早いワン。」
「昨日はお昼食べたもんね〜。」
「今日はまだ食べないよ。」
二人の顔が曇った。
「何でそんな顔するの。」
「唐揚げ……。」
「プリン……。」
「第三階層を少し見てから!」
食べ物への執念が凄い。
・・・
第三階層への階段を降り始める。
昨日感じた冷たい空気が、今日はさらに強く感じた。
第一階層や第二階層と違い、壁に生えている発光苔が青白い。通路も少し広くなっていて、場所によっては天井が見えないほど高い。
何より静かだった。
水の音もしない。
魔物の鳴き声も聞こえない。
僕たちの足音だけが石の通路へ響いていく。
「……二郎丸。」
「ワン。」
「昨日感じた気配は?」
二郎丸が鼻を動かし、それから耳を立てた。
「いるワン。」
「近い?」
「まだ遠いワン。でも昨日より分かるワン。」
「どっち?」
二郎丸が通路の奥を見る。
「ずっと向こうだワン。」
「そっか。」
少なくともいきなり襲われることはなさそうだ。
少し進むと通路が三方向へ分かれていた。
「……。」
嫌なやつだ。
こういうのが一番困る。
「右だワン!」
「何で?」
「なんとなくだワン!」
「却下。」
「左〜。」
「るかには何で?」
「なんとなく〜。」
「君たち勘だけでダンジョン攻略しないで。」
僕はリュックからノートを取り出した。
最近、簡単だけどダンジョンの地図を描くようにしている。最初は「迷うほど広くないだろう」と思っていたけれど、第二階層辺りから通路の分岐が増え始めたので考えを改めた。
帰れなくなったら洒落にならない。
「まず右から行って、行き止まりだったら戻る。曲がった場所はノートに書く。」
「ご主人真面目だワン。」
「命掛かってるからね。」
「オイラ覚えられるワン。」
「昨日スーパーの駐車場で車の場所分からなくなってたよね。」
「……。」
「二郎丸?」
「右だワン!」
「誤魔化した。」
右の通路を進む。
しばらくするとゴブリンが三匹現れた。
普通のゴブリンが一匹。
剣持ちが一匹。
そして槍持ちが一匹。
以前なら緊張した組み合わせだ。
「三匹だね。」
「三人だワン。」
「一人一匹〜?」
「そういうゲームじゃないから。」
戦闘は思ったより早く終わった。
二郎丸が普通のゴブリンを引き付け、るかにが槍持ちを毛針で牽制し、僕が剣持ちと戦う。途中で二郎丸がこっちへ転がってきたり、僕が避けた槍が二郎丸の尻尾すれすれを通って「毛が減るワン!」と怒ったりしたけれど、危ない場面らしい危ない場面はなかった。
最後のゴブリンが黒い煙へ変わった時、僕は少し不思議な気持ちになった。
強くなった。
確実に。
でも。
「ゴブリンダンジョンって言っても、第三階層まで来て普通のゴブリンがいるんだね。」
「弱かったワン。」
「うん。でも油断はダメ。」
同じゴブリンでも装備やレベルで強さが全然違う。
第101ダンジョンはBランク。
僕たちが最初に戦ったゴブリンは、このダンジョンでは一番弱い部類だった。
それでもあの時は三人掛かりで死にかけた。
その事実は忘れちゃいけない。
僕たちは強くなった。
でも。
強者になったわけではない。
たぶん世界が本当に変わったら、僕たちより遥かに強い人間なんていくらでも現れるだろう。
身体能力に優れた人。
格闘技をやっている人。
軍人。
警察官。
剣道家。
アスリート。
それに、どんなスキルを得るかでも大きく変わる。
僕は別に世界最強になりたいわけじゃない。
二郎丸とるかにを守れて、家族や周りの人を守れるくらい強くなれればそれでいい。
「ご主人。」
「ん?」
「また難しい顔してるワン。」
「考え事。」
「唐揚げのことだワン?」
「何で君の頭の中は唐揚げしかないの。」
「大事だワン。」
るかにも僕の足元へ来た。
「シュウ君〜。」
「何?」
「お昼にしよ〜。」
時計を見る。
十一時四十分。
「……まあいいか。」
「やったワン!」
「プリン〜!」
結局、第三階層へ入って一時間も経たず昼食になった。
安全そうな小部屋を見つけ、入口に二郎丸を座らせて簡単な見張りをお願いする。
「いただきます。」
「いただきますだワン!」
「いただきま〜す。」
ダンジョンの第三階層で食べる唐揚げ弁当。
冷静に考えると異常な光景だ。
二郎丸は唐揚げ。
るかには卵焼き。
僕はおにぎり。
「美味しいワン。」
「おいしい〜。」
「平和だねぇ。」
「平和だワン。」
「平和〜。」
どこがだ。
ここはダンジョンである。
・・・
昼食後。
探索を再開した。
右の通路は行き止まりだった。
「ほら。」
「左だったワン。」
「さっき右って言ったよね?」
「過去は振り返らないワン。」
「格好良く言ってもダメ。」
中央の通路も途中で行き止まり。
残った左へ進む。
こちらは長かった。
途中で何度かゴブリンと遭遇したものの、戦闘自体はそれほど苦労しなかった。
ただ一度だけゴブリンメイジが二匹同時に出てきた時は焦った。
火球。
火球。
さらに火球。
「多い多い多い!」
「熱いワン!」
「こっち来た〜!」
三人で岩陰へ逃げ込む。
「魔法使い二人はズルいよ!」
「るかにも魔法使いだワン!」
「そうだった!」
「まほ〜使い〜。」
「じゃあるかにお願い!」
「え〜い。」
毛針。
「魔法じゃないじゃん!」
「毛針もまほ〜。」
「そうなの!?」
「たぶん〜。」
本人も分かっていなかった。
結局、るかにが岩陰から毛針を撃って一匹の詠唱を邪魔し、その間に二郎丸が走り込んで倒した。
もう一匹は僕。
木刀で杖を叩き落としたところで、二郎丸が戻ってきて横から体当たり。
僕まで巻き込まれた。
「痛い!」
「連携だワン!」
「またそれ!?」
「高度な連携だワン!」
「僕を巻き込むのやめて!」
るかにが笑っている。
「仲良し〜。」
「今の見てその感想?」
でも。
楽しかった。
怖い。
疲れる。
痛い。
それでも三人で戦っていると、どこか楽しい。
きっと一人だったら、とっくに心が折れていたと思う。
・・・
さらに一時間。
通路の雰囲気が変わった。
壁。
床。
天井。
今までより明らかに綺麗な石材で造られている。
そして。
正面。
巨大な扉。
「……。」
「……ワン。」
「大きいね〜。」
今までの階層主の扉より遥かに大きい。
高さは五メートル以上あるだろう。
扉には何か巨大な人型の魔物らしき彫刻が刻まれている。
僕はゆっくり近付いた。
「鑑定。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【第101ダンジョン・最奥部】
ダンジョンマスター領域。
現在攻略進行度:92%
最終守護個体を討伐することで攻略完了となります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……九十二%。」
「あと八%だワン!」
「今度こそちょっとだね。」
「ボス〜?」
「たぶん。」
僕は扉を見上げた。
この向こう。
最初に一匹のゴブリン相手に三人で死にかけたダンジョン。
あの日は逃げ帰った。
でも今。
僕たちは最奥まで来ている。
「……どうする?」
二郎丸を見る。
「行くワン。」
るかにを見る。
「行く〜。」
僕は少し考えた。
時間は午後二時半。
体力は残っている。
MPも問題ない。
食事もした。
装備も大丈夫。
「じゃあ。」
木刀を握る。
「見るだけ。」
「ワン?」
「中を見て、無理だと思ったら今日は帰る。戦えそうなら戦う。」
「分かったワン。」
「は〜い。」
三人で扉の前へ立つ。
僕が押す。
重い。
「二郎丸手伝って。」
「ワン!」
二人で押す。
ゴゴゴゴゴゴ……。
巨大な扉がゆっくり開く。
暗い。
奥が見えない。
一歩。
中へ入る。
二歩。
その瞬間。
バンッ!
扉が閉まった。
「えっ。」
「ワン!?」
「閉まった〜。」
「……聞いてない。」
部屋の奥。
ボッ。
松明が灯る。
ボッ。
ボッ。
次々と明かりが点く。
広い。
体育館ほどある。
そして中央。
何かが座っている。
「……。」
デカい。
普通のゴブリンとは明らかに違う。
身長は二メートルを軽く超えている。
太い腕。
盛り上がった肩。
暗い緑色の皮膚。
体には粗末ながら鉄製らしい鎧。
右手には、人間なら両手で持つような巨大な棍棒。
その足元には。
骨。
何の骨かは考えたくなかった。
「ご主人。」
二郎丸が僕の前へ出た。
「うん。」
るかにも僕の足元へ寄ってくる。
さっきまで唐揚げだプリンだと騒いでいた二人が静かになった。
僕も木刀を握り直す。
鑑定。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【ホブゴブリン・ロード】
Lv15
第101ダンジョン最終守護個体。
多数のゴブリンを統率する上位種。
高い筋力と耐久力を持ち、通常個体を大きく上回る戦闘能力を有する。
固有能力:
【統率】
【剛力】
【威圧】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「レベル……十五。」
僕たちは八。
ほぼ倍。
ホブゴブリンがゆっくり立ち上がった。
大きい。
立つと余計に大きい。
二郎丸が小さく言う。
「ご主人。」
「何?」
「帰るワン?」
「……。」
後ろを見る。
巨大な扉。
閉まっている。
押す。
動かない。
「帰れないみたい。」
「聞いてないワン。」
「僕も聞いてない。」
るかにがホブゴブリンを見る。
「シュウ君〜。」
「ん?」
「アレ〜。」
「うん。」
「強そう〜。」
「僕もそう思う。」
ホブゴブリンが棍棒を持ち上げる。
ブォン。
ただ振っただけ。
それだけで風が来た。
「……。」
「……ワン。」
「……。」
僕は木刀を見る。
次にホブゴブリンを見る。
もう一度木刀を見る。
「これ、武器選び間違えたかな。」
「今言うワン!?」
「だって木だよ?」
「今まで木で来たワン!」
「そうなんだけどさ!」
るかにが小さく手を上げる。
「シュウ君〜。」
「何?」
「お腹〜。」
「え?」
「大きいけど〜お腹は鎧ないよ〜。」
僕は見る。
本当だ。
胸。
肩。
腕。
そこには防具がある。
でも腹の中央。
そこだけ鎧が開いている。
「……るかに。」
「な〜に?」
「天才かもしれない。」
「えへへ〜。」
ホブゴブリンがこちらを向く。
赤い目。
そして。
「グオオオオオオオオオオッ!!」
部屋全体が震えるほどの咆哮。
ビリビリと空気が揺れた。
怖い。
普通に帰りたい。
家でアイス食べたい。
でも。
右を見る。
二郎丸。
左。
るかに。
「……やる?」
「やるワン。」
「やる〜。」
僕は息を吐いた。
「じゃあ、いつも通り。」
二郎丸が前へ出る。
るかにが後ろへ下がる。
僕は木刀を構える。
世界を救うためでもない。
英雄になりたいわけでもない。
ランキング一位なんて興味もない。
ただ。
三人でここまで来た。
だったら。
三人で帰る。
「絶対に無理しないこと。」
「ワン!」
「は〜い。」
「危なかったら逃げる。」
二郎丸が後ろを見る。
「扉閉まってるワン。」
「気分の問題!」
「分かったワン!」
ホブゴブリンが棍棒を振り上げた。
僕は木刀を握り直す。
第101ダンジョン。
攻略進行度九十二%。
残り八%。
僕たちにとって初めてのダンジョン攻略。
その最後の戦いが始まろうとしていた。




