#3 少しずつ変わる距離
高校生活が始まって、一週間。
最初は慣れなかった制服も、今ではすっかり馴染んできた。
朝起きて、学校へ行く。
授業を受けて、友達と昼飯を食べる。
放課後になれば帰宅する。
そんな普通の日々。
――ただ、一つだけ変わったことがある。
「湊、おはよ!」
「おう、おはよう」
教室に入ると、乃愛がいつものように声をかけてくる。
最近では、それが当たり前になっていた。
「今日、眠そうじゃない?」
「昨日ちょっと夜更かしした」
「またゲーム?」
「まあな」
「もう。ちゃんと寝ないとダメだよ?」
「母さんみたいなこと言うなよ」
「だって心配なんだもん」
乃愛はそう言って笑う。
「……ありがと」
「どういたしまして!」
この距離感にも、少しずつ慣れてきた。
――いや。
慣れてきたと思っていた。
「おーい、水瀬!」
後ろから陸の声がする。
「何?」
「今日の放課後、暇?」
「たぶん」
「じゃあゲーセン行こうぜ!」
「なんで高校生になって最初の一週間でゲーセンなんだよ」
「青春だろ!」
「お前の青春、安すぎない?」
翔太が横から笑った。
「まあ、たまにはいいんじゃない?」
「佐伯まで……」
「俺も行くよ」
「じゃあ決まり!」
陸が嬉しそうに拳を握る。
その会話を聞いていた乃愛が、こちらへやってきた。
「湊、放課後どこか行くの?」
「ああ。陸たちとゲーセン」
「……そっか」
乃愛の表情が少しだけ曇った。
「何?」
「ううん。楽しんできて」
「おう」
俺は特に気にしなかった。
でも――
乃愛は少しだけ寂しそうだった。
---
昼休み。
乃愛は美咲と花音と一緒に昼食を食べていた。
「ねえ、乃愛」
「なに?」
「今日、元気なくない?」
美咲がじっと乃愛を見る。
「そんなことないよ」
「嘘」
「嘘じゃないって」
「湊くんが陸くんたちと遊びに行くから?」
「……っ」
乃愛の手が止まる。
花音が小さく笑った。
「やっぱり」
「花音まで……」
「分かりやすいよ、乃愛ちゃん」
「だって……」
乃愛は少し俯く。
「最近、湊と一緒に帰るのが当たり前になってきたから」
「うん」
「だから今日も一緒に帰れると思ってた」
美咲がニヤッと笑う。
「それってさ」
「……何?」
「もう完全に好きじゃん」
「――っ!」
乃愛の顔が真っ赤になる。
「ち、違う!」
「じゃあ何なの?」
「友達として!」
「へえー」
「本当に!」
花音は二人の会話を聞きながら、静かに乃愛を見つめていた。
「乃愛ちゃん」
「なに?」
「私は……応援するよ」
「花音……」
「だから頑張って」
花音は笑った。
けれど、その笑顔の奥には――
まだ本人にも気づいていない、小さな感情があった。
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放課後。
「じゃ、行くぞ!」
「おう」
陸と翔太と一緒に校門を出る。
「水瀬」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、一ノ瀬隼人だった。
「一ノ瀬?」
「ちょっといい?」
「俺に?」
「ああ」
陸が面白そうな顔をする。
「じゃあ俺たち先行ってるわ」
「おい、陸」
「青春しろよ!」
「意味分からん」
陸と翔太が先に行ってしまった。
「何か用?」
「昨日のことなんだけど」
「昨日?」
「天野さんのこと」
乃愛の名前が出てきて、俺は少しだけ驚いた。
「天野がどうかした?」
「……君たちは、付き合ってるのか?」
「は?」
思わず声が大きくなる。
「いや、付き合ってないけど」
「そうか」
隼人は少しだけ安心したような顔をした。
「ならよかった」
「何が?」
隼人は少し黙ってから、
「俺、天野さんのことが気になってる」
「……」
「まだ知り合ったばかりだけど、もっと話してみたいと思ってる」
そう言って、隼人はまっすぐ俺を見る。
「だから、これから天野さんに積極的に話しかけるつもりだ」
「……そうか」
俺はそれ以上何も言えなかった。
別に俺と乃愛は付き合っていない。
隼人が乃愛と仲良くなろうが、俺には関係ない。
そう思っている。
なのに――
胸の奥が、妙にざわついていた。
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翌日。
「おはよう、天野さん」
「おはよう、一ノ瀬くん!」
朝の教室。
隼人が乃愛に話しかけていた。
「昨日の宿題、難しかったよね」
「うん! 数学がちょっと難しくて」
「よかったら今度教えるよ」
「本当?」
「もちろん」
乃愛は楽しそうに笑う。
俺は自分の席から、その様子を眺めていた。
「……」
「水瀬」
隣を見ると、翔太がこちらを見ていた。
「何?」
「気になる?」
「何が?」
「天野さんと一ノ瀬」
「……別に」
「そう?」
翔太はそれ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑っていた。
「水瀬って、意外と分かりやすいんだね」
「何のことだよ」
「さあ?」
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放課後。
「湊!」
乃愛が駆け寄ってきた。
「今日、一緒に帰ろ?」
「いいけど」
「やった!」
そこへ隼人がやってくる。
「天野さん」
「あ、一ノ瀬くん」
「今日、よかったら一緒に帰らない?」
乃愛が驚いた顔をする。
「え?」
「駅までだけでも」
「……」
乃愛は俺を見る。
俺は何も言わない。
「ごめんね」
乃愛が隼人に答えた。
「今日は湊と帰る約束してるから」
「……そうか」
隼人は少し残念そうに笑った。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日!」
隼人が去っていく。
俺は乃愛を見る。
「よかったのか?」
「何が?」
「一緒に帰ろって誘われてたじゃん」
「うん」
乃愛は笑う。
「でも、湊と帰りたかったから」
「……」
まただ。
また胸の奥が変になる。
「湊?」
「……何でもない」
俺は歩き出した。
乃愛が隣に並ぶ。
「ねえ、湊」
「ん?」
「これからも一緒に帰っていい?」
「もちろん」
「……よかった」
乃愛が小さく笑った。
その横顔を見ながら、俺は思った。
――俺は、乃愛のことをどう思っているんだろう。
友達。
幼なじみ。
それとも――
まだ答えは出ない。
けれど。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
俺たちの距離は変わり始めていた。
そしてその変化に気づき始めたのは、俺たちだけではなかった。
教室の窓から、二人の背中を見つめる少女が一人。
藤宮花音は、小さく呟いた。
「……私も、もしかしたら――」
その言葉の先を、花音自身はまだ口にできなかった。




