#9 体育祭の話
五月。
高校生活にも少しずつ慣れてきた頃。
朝の教室は、いつもより騒がしかった。
「体育祭だって!」
陸が教室の中央で声を上げる。
「まだ一か月以上先だろ」
俺が呆れながら言う。
「だからこそだよ!」
「何が?」
「今から作戦を考えるんだ!」
「気が早すぎるだろ」
翔太が苦笑する。
「桐生はこういう行事が好きなんだよ」
「当然!」
陸は胸を張った。
「高校最初の体育祭だぞ? 燃えるだろ!」
「まあ、分からなくもないけど」
俺がそう言うと、乃愛がこちらを見る。
「湊は何に出たい?」
「俺?」
「うん!」
「特にないな」
「えー!」
乃愛が不満そうな顔をする。
「一つくらい決めようよ」
「まだ種目も決まってないだろ」
「じゃあ一緒に決めよう!」
「何で俺と?」
「いいじゃん」
乃愛が笑う。
「せっかくだし」
「……まあ、いいけど」
「やった!」
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一時間目のホームルーム。
高瀬先生が黒板に体育祭の種目を書いていく。
「今年はクラス対抗で行う。個人種目と団体種目、それぞれ希望を取るからな」
教室が一気にざわつく。
「リレー!」
「玉入れ!」
「綱引き!」
陸が手を挙げる。
「先生! 俺、リレー出たい!」
「お前は毎年そうだな」
「中学でもリレーだったんで!」
「じゃあ候補に入れておく」
「よっしゃ!」
陸が喜ぶ。
「水瀬は?」
「俺は……」
少し考える。
「綱引きとか?」
「地味!」
陸が即座に突っ込む。
「別にいいだろ」
「もっと青春しろよ!」
「体育祭に青春を求めるな」
教室に笑いが起こる。
その時。
「私、二人三脚やりたい!」
乃愛が手を挙げた。
「誰と?」
美咲が聞く。
乃愛は一瞬だけ俺を見る。
「……湊と」
「――え?」
教室が静かになった。
「おおー!」
誰かが声を上げる。
「また二人かよ!」
陸まで騒ぎ始める。
「お前ら本当に仲いいな!」
「ち、違うって!」
乃愛の顔が真っ赤になる。
「ただ、幼なじみだから……!」
「別にいいんじゃないか?」
高瀬先生が言う。
「二人三脚は二人で組むから、希望者同士で決めてくれ」
「じゃあ決まりだね!」
乃愛が俺を見る。
「……俺はいいけど」
「本当?」
「ああ」
乃愛は嬉しそうに笑った。
「やった!」
その様子を見ていた花音は、少しだけ目を伏せる。
「……二人三脚」
小さく呟く。
美咲がすぐに気づいた。
「花音?」
「ううん。何でもないよ」
「本当に?」
「うん」
花音は笑う。
でも。
胸の奥には、少しだけ複雑な感情が残っていた。
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昼休み。
「湊」
乃愛が俺の机の前にやってきた。
「どうした?」
「体育祭、楽しみだね」
「まあな」
「二人三脚、絶対勝とうね!」
「そこまで気合い入れる?」
「もちろん!」
乃愛は拳を握る。
「湊と組むんだから、負けたくない」
「俺も負けるつもりはないけど」
「じゃあ放課後、ちょっと練習しない?」
「今日から?」
「うん!」
「気が早いな」
「だって、せっかくなら練習したい」
「……分かった」
「やった!」
その会話を聞いていた陸が割り込んでくる。
「お前ら、体育祭まで毎日一緒に練習する気?」
「たぶん」
「青春だな!」
「うるさい」
翔太が笑う。
「でも、二人三脚って意外と難しいよ」
「そうなの?」
乃愛が聞く。
「足を合わせないと転ぶからね」
「じゃあ練習しないと!」
乃愛がますますやる気になる。
「湊、放課後ね!」
「ああ」
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放課後。
校庭の端。
俺と乃愛は、二人三脚の練習を始めていた。
「まず、右足から」
「分かった」
「せーの」
一歩。
二歩。
三歩。
「わっ!」
乃愛がバランスを崩す。
「危ない!」
俺がとっさに腕を掴んだ。
「大丈夫?」
「う、うん」
乃愛は俺の腕を見て、少し固まる。
「……ありがとう」
「気をつけろよ」
「うん」
その後、何度か練習する。
最初は全然息が合わなかった。
「右!」
「左!」
「湊、逆!」
「乃愛が早いんだよ!」
「ご、ごめん!」
何度も転びそうになって。
何度も笑った。
「もう一回!」
「まだやるの?」
「やる!」
「分かったよ」
そして。
「せーの」
一歩。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩。
今度は綺麗に進めた。
「できた!」
乃愛が嬉しそうに笑う。
「やったね!」
「まあ、少しは」
「少しじゃないよ!」
乃愛がこちらを見る。
「湊となら、できそう」
「……そうか」
なぜか、その言葉が嬉しかった。
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練習を終えて、校門へ向かう。
「今日、楽しかった」
乃愛が言う。
「俺も」
「体育祭、楽しみだね」
「ああ」
「……ねえ、湊」
「ん?」
「体育祭が終わっても」
乃愛が少しだけ間を置く。
「また一緒に何かしたいな」
「体育祭が終わったら?」
「うん」
「別にいいけど」
「本当?」
「ああ」
乃愛は嬉しそうに笑った。
「約束ね」
「また約束か?」
「だって、約束した方が忘れないでしょ?」
「忘れないよ」
「……そっか」
乃愛は少し照れたように笑った。
その横顔を見ながら、俺は思う。
体育祭。
学校行事。
放課後の練習。
こういう何気ない時間が、少しずつ増えている。
そして。
俺にとって乃愛と過ごす時間は、いつの間にか「普通」ではなくなりつつあった。
まだ恋人ではない。
まだ告白なんて考えてもいない。
それでも――
隣に乃愛がいることを、俺は当たり前のように嬉しいと思っていた。




