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名字マニアの天下取り ~名字が国名の戦国で、俺は47の名を誉めて味方にする~  作者: 無名の権兵衛
第一部・琉球動乱編【集めた名 三/四十七】

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第七話「祝詞は三代を越えて」

 その晩、城下の外れの薬草屋を、俺と寧々と真鶴の三人で訪ねた。


 目当てはこの店だ、と俺が言い出したのには、ちゃんと理由がある。昼のうちに中村家の分限帳(ぶげんちょう)——家臣や領民の名前と禄を書き並べた台帳だ——を借りて、姓の記録を洗ったのだ。名字マニアに名前の台帳。宝の山である。三代前、琉球から渡ってきて改姓した家。その筆頭に、城下で薬草屋を営む、東(ひがし)という一族の名があった。


 店に入るなり、俺はまず、そのことを老いた店主に告げた。順を追って、隠さずに。琉球から来た使者であること。連れているのが尚家の生き残りであること。分限帳を辿ってこの店に行き着いたこと。そして——探しているのは、三代前に散った尚の旧臣の血筋だ、ということを。


「……なにゆえ、この薬草屋と当たりをつけられた」


 腰の曲がった店主が、しわがれた声で問うた。もっともな問いだ。


「東(ひがし)、って姓ですよ」俺は棚に並ぶ乾いた薬草を指した。「東は『日の昇る方角』の姓だ。弱い加護だが、方角と日の巡りを体で読める。何刻に採れば効きが増すか、どの向きの斜面の草がよく効くか——日と時を読む姓は、薬草を扱うのにこれ以上ない。だから改姓させられた海の一族が生業を選ぶなら、まず薬草屋だろうと踏んだ」


 店主は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと顔を上げて——寧々を見た瞬間、手にしていた湯呑みを、からんと落とした。


「……姫様」

「え?」

「いや、御無礼を。あまりに……あまりに、昔お仕えした尚の姫君に、似ておいでで」


 店主の目が、みるみる潤んでいく。血は、変えられないものらしい。名を奪われ、姓紋の色まで変わっても、面差しだけは三代を越えて尚家の血を伝えている。それを、この老人は一目で射抜いた。


 老人——東翁(とうおう)は、尚家最後の船団の、水主長(かこおさ)の孫だった。


「なぜ中村が、負けた家の落ち人を受け入れたか、と不思議に思われましょう」東翁は、震える声で続けた。「中村は武の国。滅んでもなお主家を捨てぬ者を、義とお認めくださった。……それに、我らは海の民。船を操る腕がござった。山育ちの中村の兵には、海が読めませなんだ。当時の中村公は、我らに『東』の姓と土地を与え、対岸の田中を睨む海の目として、召し抱えてくだされたのです」


 情と、実利。武の国らしい、真っ当な理由だった。


「日の昇る方角の姓を賜ったのは——せめて、太陽を戴く旧主家を、朝ごとに拝めるようにとの、公の御心と聞いております。姓は変わり申した。なれど——」


 東翁は奥の間から、古い木箱を、宝物のように両手で捧げ持ってきた。油紙を解くと、黄ばんだ紙の束。


「尚家の言祝(ことほ)ぎの祝詞(のりと)にございます。負けた家の祝詞など、声に出すことはもう誰にも許されませなんだ。……なれど、いつか本物の尚の御方にお返しできる日を信じ、書き写して、写して、三代。この手で守ってまいりました」


 俺は、その紙束を横から覗いて、内心で息を呑んだ。表向きの祝詞の文字の裏に、朱でびっしりと、別の古い綴りが書き添えてある。声に出すことを禁じられた、名の裏側——たぶん、これが。


 ……いや。今は言うまい。確信が持てるまでは。この国には、まだ俺の知らない「名の奥」がある。それだけ、頭の隅に留めておく。


 寧々は、その紙束を両手で受け取った。


 いつも背筋を伸ばして、顎を上げて、嫌味の切れ味だけで武装している没落の姫が。


 このときだけは、紙束を抱えたまま、肩を震わせて、長いこと顔を上げられなかった。


「……守って、くださったのですね。三代、ずっと」

「もったいのう、ございます。姫様がご無事で、それだけで、爺は……」


 二人の言葉は、そこで途切れた。あとはもう、言葉じゃなかった。


 俺と真鶴は、そっと店の外に出た。夜風が火の山の匂いを運んでくる。


「……ねえ琉太。名前ってさ」


 真鶴がぽつりと言った。


「あたし、金城って名前、生まれたときから当たり前にあって。強い姓紋も、当たり前で。……奪われるなんて、考えたこともなかった」

「だろうな」

「琉太は、考えたことあるの?」


 あるも何も。俺は名前を全部置いてきた側だ。前世の姓も、名も、戸籍も、あっちに置いてきた。


 だからわかる。名前というのは、失って初めて質量を持つ。


「——俺はほら、空紋だから。名前の重さについては、日本一考えてる自信がある」

「にほんいち?」

「こっちの話」


 店の中からは、老人の啜り泣きと、寧々の静かな声が、まだ続いていた。


 ◇


 変事は、その夜半に起きた。


 早鐘。城下を走る松明。廊下を踏み鳴らす具足の音。


 叩き起こされた俺たちに、中村の武者が叫んだ。


「田中軍先鋒、南岸に上陸! 数はおよそ七百——指揮官は、井上玄水(いのうえ げんすい)!」


 井上。福岡三位の名。水を統べる姓。


 ……よりによって、水の使い手が、海から来た。


「琉太、どうするの!?」

「決まってる」


 俺は寝癖のついた頭のまま、地図を引っ掴んだ。


 空紋若君の初仕事だ。


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