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名字マニアの天下取り ~名字が国名の戦国で、俺は47の名を誉めて味方にする~  作者: 無名の権兵衛
第二部・九州動乱編【集めた名 四/四十七】

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第二十六話「名を消すには銭がかかる」

「——で、沈められた四隻の荷を教えてくれ。何を積んでた」


「初めが生糸。次が焼き物。三つ目が砂糖で、四つ目が銅だ」


 商館の絵図の間で万里は指を折った。俺は海図を睨む。沈んだ場所は全部、五島の沖——山口の船が南蛮へ出ていく玄関先だ。


「沈められてるのは南蛮へ売りに行く船だけだな。買って帰る船は一隻もやられてない」


「ふう」


 万里は面白くもなさそうに算盤を鳴らした。


「魔人どの。そこまではうちの番頭でも読む。荷を獲らんで、出る船だけを狙う。——山口の出商いを細らせたい奴の仕事よ。誰の仕事かもこの湊の子どもが当てる」


 ……ですよね。一月も船を沈められている商いの国の当主が、何も考えていないわけがない。俺は出しかけた推理を、大人しく引っ込めた。


「田中だろ」


「言うな」


 万里の扇がぴたりと止まった。声の陽気さはそのままで、目だけが冷えている。


「この湊で『田中』と口に出すには、証(あかし)が要る。うちは銭で立つ国だ。証のない喧嘩は買えん」


 万里は算盤を卓に置いた。


「聞け、魔人どの。あんたの申し出——琉球と組め、という話は悪くない。だが山口家は、当主が判ひとつで戦を決める国じゃない。湊の商人衆の寄合が銭を出さねば、船は一隻も動かんのだ。……で、その寄合が動く条件はひとつよ」


「証」


「そうだ。誰が沈めているか証さえ立てば、明日にでも銭は出る。証がなければ、俺がどれだけ吠えたところで、爺どもは南蛮相手の商いに戻るだけだ」


 なるほど、この男が湊の酒場まで自分の足で走ってきた理由が、やっと腑に落ちた。歓迎しに来たんじゃない。証を獲ってくる駒が向こうから船で歩いてきたからだ。


(値踏みされてるな、……上等だ)


「じゃあ獲ってくる」


「ほう?」


「海に出る、あんたの湊が細るのを止めて、証も持って帰る。——その代わり、証が立ったら寄合はあんたが押さえろ」


 万里はしばらく俺を眺めてから、にやりと笑って算盤を一つ弾いた。


「——手付けは、受け取った」


 ◇


 策は単純にした。囮である。


 万里が「砂糖百五十樽、南蛮へ売りに出る」という触れを湊に流す。実際に積むのは砂の樽と俺たちだ、護衛の船は付けない。丸腰の上客に見せる。


「餌が良すぎると、逆に食いつかんものだが」

「餌の良さは触れの出し方で決まる。……あんた、湊で口の軽い荷積み人足を二、三人知ってるだろ」

「がっはっは! 知ってるとも、うちで一番信用ならん奴らだ!」


 出航は明け方、潮を選んだ。五島の沖は上げ潮と下げ潮がぶつかって、潮目の筋が立つ。前世の日本地図で覚えた地形は、この世界でもそのまま生きている。狙われた四隻が沈んだのは全部この潮目の内側——船足が落ちる場所だ。襲うならそこしかない。


「向こうがその潮目で待つなら、こっちは潮の変わり目に通る。追われて逃げる時、下げに変わった潮がこっちの背中を押して、向こうの船腹を叩く」


「海戦というのは、矢と炎でするものではないのか」


 万里が首を捻った。


「蘊蓄(うんちく)でするものだよ、まずは」


 ◇


 敵は、潮目の霧の中から来た。


 三隻。黒く塗った快速船で、帆に旗がない。船首に家紋も姓の一字もない。この世界で名無しの船を走らせるのは、裸で戦場に立つより恥だとされている。それを承知の、名無し。


「琉太様、来ます!」


 寧々の声だ、先頭の敵船から火矢が上がった、狙いは帆。やはり荷を獲る気がない、沈めに来ている。


「玄水!」

「応よ」


 舷側から突き出した玄水の手のひらが、海をひと掬いした。持ち上がった水の壁が火矢を呑み、じゅっと音を立てて消す。海の上の利き水は、井戸端の百倍働く。


「接舷までもたせろ、——千代金丸(ちよがねまる)」


 鞘を鳴らして白金の宝剣を抜く。井上の井桁が腕で灯り、刀身が溶けるように透きとおって、流水の刃に変わった。井上の水刃、海の上で抜くのは初めてだ。


 ……ああ、なるほど、これは。


 刃が海と繋がっている。振るう前から潮の流れが柄を通して手に伝わってくる。水脈を読む井上の力が、海そのものを水脈として読んでいる。


 一隻目が横に並んだ瞬間、跳び込んでくる敵兵——より先に、俺は舷から身を乗り出して、海面すれすれに水刃を薙いだ。


 斬ったのは、人じゃない。舵だ。


 水刃が波の中を魚みたいに走り、敵船の舵板を根元から断つ。舵を失った快速船は下げ潮に横っ腹を叩かれて、ぐるりと明後日の方を向いた。速い船ほど舵を失うとすぐ破船する。


「二隻目、来るわよ!」


 真鶴が長刀を担いで舷に足をかけた。接舷、飛び移ってきた敵兵のひと群れが、姉弟子様の間合いに入った瞬間、三人まとめて海に落ちた。長刀は峰しか使っていない。海に落とすのが一番早くて、一番殺さない。


「岩丸!」


「がう!」


 肩から跳んだ岩丸が、空中で玉になった。俺はそれを、思いきり敵船に向かってサッカーのボレーシュートのごとく蹴っ飛ばす。重くなるのは着弾の寸前——毬(まり)ほどの石獅子が漬物石の百倍の重さで甲板を撃ち抜き、二隻目の船底までめりめりと突き抜けた。浸水した敵船が、みるみる傾いていく。


 岩丸は海面をぽんぽんと弾んで戻ってきた。石のくせに水を切って跳ねるのは、丸いからだそうだ。物理がどうかしてる。


「三隻目——逃げます!」


 最後の一隻は頭がよかった、仲間を拾いもせずに反転して、潮目の外へ逃げていく。追わない、追えば潮がこっちの敵になる。


 ◇


 海に落ちた敵兵を、網で拾い上げた。合計十一人。


「吊るしますかい」


 万里が付けてくれた船手の頭が、縄を手にあっさりと言った。捕らえた敵に口を割らせるのは、この世でごく当たり前の仕事である。真鶴も玄水も止めなかった、当たり前だからな。


「……先に、俺がやらせてくれ」


 俺は縛られた男たちの前にしゃがんだ。潮でぐしょ濡れの十一人が、揃って俯いている。


「あんたら、名前は」


 沈黙。


 名を問われて黙る、というのはこの世界ではかなり異様なことだ。名は誇りで身元である、斬られる間際でも名乗るほうが多いくらいだ。


「じゃあ、俺から当てようか。——そこのあんた。その縄の結び方、玄海の漁師の結びだな。西の浦の出か? あのあたりなら松浦(まつら)か、原田か」


 一人の肩が、ぴくりと動いた、だが顔は上げない。


「松浦だな。いい名だ、松の生えた浦。船が沖から陸を見るとき、いちばん先に目印にするのがあの松だ。人の目印になる家だから松浦」


 男の目が、揺れた。揺れて——それから、濁った。


「……そんな名は、知らん」


 嘘をついた声じゃなく、忘れた声だった。


 寧々に袖を引かれた、顔から血の気が引いている。


「琉太様。この人たち……姓紋が、ありません」


 男たちの左腕をあらためた。姓紋の灯るはずの場所に、何もない。焼いた痕も、切った痕もない。ただ、無い。


 空紋と呼ばれ続けた俺の腕にも、少なくとも枠はある。この男たちには、枠すらなかった。


「……取り上げられたのか、誰に」


 答えはなかった。ただ、松浦だったかもしれない男が、ひとことだけ言った。


「名は、預けた。——お返しは、しまいの日に」


 背中が冷えた。預けた。誰にだ。


 それきり、十一人は口をきかなかった。玄水が短く首を振る。


「これ以上は無駄じゃろう、吊るしてもこの者らからは何も出ん。……出す名が、そもそも無い」


 ◇


「じゃが、船は喋る」


 拿捕した一隻目を検分していた玄水が、船縁を撫でて言った。


「板と板を、鎹(かすがい)じゃなく縄で縫っておる。波の荒い海の流儀じゃ。南の海の船大工は、こうは組まん」


 波の荒い海。南じゃないどこかの海。


 それから玄水は船倉に降りて、しばらく出てこなかった。上がってきた時、抱えていたのは空の水樽だった。


「琉太、これを見なされ。木口(こぐち)の目が詰んで、脂が浮いておる。——豊前(ぶぜん)の杉じゃ」


「豊前……田中領の、北の端か」


「船の水樽は、湊で仕立てる。樽の木が分かれば、水を積んだ湊が分かる。名は消せても、木の目までは消せんかったわけよ」


 帳面の男が、樽の底を指で叩いた。


「儂の頭の帳面は去年の夏で止まっておる。……じゃが、山はかわらん」


 旗も、銘も、名も、金と手間をかけて消してある。消し忘れたのは、水を汲むための樽ひとつ。


(名乗らない兵、旗のない船、荷を獲らない襲撃。……名前を消すってのは、それだけ銭のかかる仕事だ。払える誰かがいる)


 ◇


 湊に戻ると、万里は樽の上に座って待っていた。


 縄縫いの船。豊前の杉。姓紋のない十一人。三つを並べて聞いた万里は、途中から算盤を弾く手を止めていた。


「……三つ揃えば、うちの寄合は動く」


 樽から降りて、初めて商人の顔をやめた。


「魔人どの。同盟の話、俺は賛成だ。だが山口は当主の一存で決める国じゃない。三日くれ。商人衆を集めて、この三つを卓に並べる。——それでも首を縦に振らん爺どもがいたら、一人ずつ買収する」


「がっはっはが戻ったな」


「商いの話に戻ったからよ」


 万里は算盤を懐にしまい、それから、ふと思いついたように言った。


「ときに——うちの名乗り、いくらで買う? 言い値で付けてやってもいいぞ」


 来た。名前の売り込みだ。だが俺は首を横に振った。


「いらない」


「ほう? 山口の名だぞ。安くないぞ」


「名前は売り買いするもんじゃない。……あんたがいつか、値札をつけずにくれたくなったら、その時に貰うよ」


 万里はしばらく俺を眺め、それから、妙に静かに笑った。


「——高い買い物になりそうだ、それは」


 ◇


 その三日は、来なかった。


 その夜、湊に早船が入ったのだ。北からの報せである。読み上げる万里の声から、洒落っ気が抜けた。


「田中の第二陣、豊前に上陸。旗印は緋色。将は——田中宗典」


 豊前。……日暮れに玄水が、樽の木目から読んだ湊だ。


 万里は書状を畳んで、低く言った。


「寄合は、明日の朝にする」


 緋色の陣羽織が、九州の土を踏んだ。


 一年ぶりだな、宗典。あんたの畑仕事と、俺の名前集めと——今度は陸で、決着をつける番らしい。


(第二十六話・了)

次回、明日20時10分に更新します。

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