幕間六「都の月は三日月」(田中宗雪視点)
都の夜は、静かに数を刻む。
田中宗雪は燭台の下で、届いたばかりの書状を読み終えた。九州よりの急使。差出は、黒木へ遣わした使者・蔵田である。
曰く、黒木は琉球・中村と盟を結んだ。曰く、広間にて田中の武者が先に刃を抜き、制圧された。曰く、御判の圧は正体不明の石の獅子に弾かれた。曰く——曰く、曰く。言い訳の多い報告書だった。三枚もある。使える報せは、半枚で足りたはずだ。
「判をひとつ、無駄にしたか」
宗雪は書状を折り畳み、帳面を開いて筆を執った。
黒木、判押さず。損耗、御判一箇の威信。琉球の三男、名を四つ。
それだけ記して、筆を置く。民を数える趣味はない。数えるべきは判と、名と、損得だけだ。それで王国は九カ国、回ってきた。
◇
庭に降りると、月が出ていた。
細い、糸のような三日月である。宗雪は腰の太刀を抜いた。三日月宗近——都の権威そのものと呼ばれる、天下五剣のひとつ。刃文に浮かぶ三日月が、空の月と、同じ形に光った。
満ちた月は、欠けるだけだ。三日月は、これから満ちる。田中の家紋に月はないが、宗雪はこの欠けた月を、密かに家の姿だと思っている。
都を押さえて三代。だが宗雪は知っている。田中は、まだ満ちていない。
東の鈴木は、名を配って民を太らせる。あれは危うい。判も押さずに国が増える道理を、あの帝国だけが持っている。いずれ田中の判と、鈴木の恩賞は、どちらが重いかを天下に問われる日が来る。——その日までに、西と南を締めておかねばならない。
北の佐藤は、恐るるに足りない。あれは数えるだけの家だ。寄合とやらが結論を出す頃には、天下の地図が二度は塗り替わっている。
海の山本だけが、読みにくい。あの女当主は判を求めず、地図にも載らぬ道を使う。出雲と鳥取の睨み合いも、こちらが睨んでいるだけで、向こうは測っているだけかもしれぬ。
そして——南。
「名を、誉める」
口に出してみて、宗雪は僅かに眉を寄せた。
奪うでも、与えるでもなく、誉める。判も押させず、兵も出させず、それで黒木の姫が名乗りを許したという。理解の外にある手口だった。理解の外にあるものは、帳面に載らない。帳面に載らないものが、宗雪は何より嫌いである。
◇
「お召しにより、参上いたしました」
背後の廊下に、大きな影が膝をついていた。田中宗典。琉球で敗れた、一門の将である。
「宗典。琉球の三男が、九州で名を増やしている」
「……は」
「黒木が向こうに付いた。次は山口に手を伸ばすだろう。放っておけば、九州の南半分が『誉められて』束になる。——雪辱の機会をやろう。第二陣を率いて、南へ下れ」
宗典は頭を垂れたまま、短く答えた。
「畑を、刈りに参ります」
「刈るな。むしれ」
宗雪は太刀を鞘に納め、廊下の端の長持を目で示した。
「持っていけ。日本号。呑み取りの槍——琉球のあと、都で預かっておいた。あれはやはり、お前のような男が振るう槍だ」
宗典が顔を上げた。夜目にもわかるほど、目の奥に火が入っている。だがこの男の火は、蔵田のような癇癪の火ではない。土の下で熾きる、種火の火だ。
「ひとつだけ、聞いておく」
宗雪は月を見たまま問うた。
「琉球の三男。あれは、判で潰せるか」
しばらくの沈黙のあと、宗典は答えた。
「——判では、潰せませぬ。あれは、土に根を張る類の男にございます」
「ならば」
「根ごと、刈り合うのみ。それがしの畑仕事にございます」
よろしい、と宗雪は短く言った。
三日月が、雲に入った。都の闇はいっそう深くなり、その闇の底で、王国の判がまたひとつ、南へ向けて押される音がした。
(幕間六・了)
次回、明日20時10分に更新します。




