第二十二話「魔除けのくせに何も除けない」
使者が戻るまでの三日。やることは二つあった。同盟の談判と——検証である。
俺は新しい力を得たら、まず数字を取る主義だ。名力は理屈で動く。理屈は、試した回数だけ味方になる。というわけで翌朝、黒木城の前庭を借りて検証を始めた。
「まずは堅さと重さから。岩丸、重くなれ」
「がう」
手のひらの獅子が、ずしりと沈んだ。慌てて両手で受ける。見た目は変わらないのに、漬物石どころじゃない重さだ。地面に置くと、甲斐が面白がって持ち上げにかかった。両手で駄目、腰を入れて駄目、最後は武者を二人呼んで駄目だった。
「……岩、ですな」
「岩丸だからな」
名前の意味どおりの力が宿る。堅くて丸い。それでいて肩に乗る時は羽根みたいに軽いのだから、重さを自分で決められるらしい。
「次。転がってみろ」
「がう」
岩丸は手足を引っ込めて玉になり、前庭を端から端まで転がった。速い。石の玉が坂を得たらどうなるかは、言うまでもない。崖道の国では下手な馬より速いだろう。
問題は、本領のはずの「魔除け」だった。
「玄水、頼む」
「ほれ」
玄水が指先から水の玉を飛ばした。岩丸は肩の上で微動だにせず、水は俺の顔に当たって砕けた。ずぶ濡れである。
「……弾かないのか」
「儂の水に悪意はないからのう」
「じゃあ真鶴、本気で打ち込んでくれ」
「いいの? 言ったわね?」
姉弟子様の本気の一撃を、俺は金城の型で受ける羽目になった。岩丸は肩の上で香箱を組んだままだ。びくともしない。守る気配すらない。
(堅い、重い、転がる。以上。……魔除けの獅子はどこ行った?)
「魔除けのくせに、何も除けないじゃないか」
「がう」
心外そうに鳴かれた。見かねた日高翁が、笑いながら言った。
「魔除けは、魔が来た時にしか働きませぬよ。若君の周りに、まだ魔が来ておらぬだけのこと」
その言葉の意味を、俺は三日目に思い知ることになる。
◇
検証を終えた昼下がり、日高翁の勧めで麓の集落に下りた。談判は夜からだ。国を見るなら、城より先に民の竈を見ろというのが、名字マニアの流儀である。
霧の切れ間の斜面に、木の皮で屋根を葺いた家々が、崖に張り付くように建っていた。どの家からも細い煙が上がっている。梅雨どきでも囲炉裏を絶やさないのだと甲斐が言った。火を絶やすと、霧が家の中まで入ってくるからだそうだ。
行き交う民は山袴に蓑、腰に木地師の刃物。皆いちように寡黙で、だが俺たちが崖道で難儀していると、何も言わずに手を貸してくれる。世話を焼いてから名乗りもせずに行ってしまうので、礼を言う暇がない。
その途中で、妙なものを見た。
畑に出る前の年寄りが、霧に霞む山のほうへ向き直り、深く頭を下げて何か唱えている。ひとりじゃない。行き合う民が、みな同じことをする。
「——あれが、翁の言ってた朝の名乗りか」
「左様にござる」
甲斐が当たり前のように頷いた。
「民は毎朝、山に名を名乗ってから野良に出ます。——おらは誰それ、今日も谷におります、と」
毎朝、名乗る。
誰に聞かせるでもなく、山に向かって。三百年、霧の底で誰にも知られずに、この谷の民は毎日自分の名前を口にしてきたわけだ。山道で翁に聞いたときは、作法の話だと思っていた。目の前で見ると、まるで違う。
(隠れてる国が、いちばん名乗ってる国なのか)
名は隠しても、名乗りは絶やさない。この国の芯を、ようやくこの目で見た気がした。
◇
昼飯は、集落のいちばん大きな家の囲炉裏に呼ばれた。猪汁に、焼いた椎茸。稗と栗の飯。それと、白く濁った栗の酒が椀で回ってくる。
玄水が椀を一口含んで、目を細めた。
「……栗と、湧き水の酒じゃな。塩気のある水じゃ出せん柔らかさよ。ここの水は、いい山を通ってきておる」
利き水の男の誉め言葉に、囲炉裏の周りの空気が少しだけ緩んだ。
「……この椎茸、身が厚いな。琉球じゃ見たことない」
「うちの椎茸じゃもの」
囲炉裏の主が、初めてちょっとだけ胸を張った。聞けば、代々この谷で椎茸を育ててきた家だという。名を、椎葉といった。
「椎葉。——椎の葉と書くのか。そのまんま、椎の木で茸を育てる家の名前じゃないか。いい名字だ。あんたの家の仕事が、名前になって残ってる」
主は目を丸くして、それから黙って、俺の椀に汁のお代わりをよそった。この国の民は、嬉しい時ほど無口になるらしい。帰り際、荷に入りきらないほどの干し椎茸を持たされた。
◇
集落からの帰り道、崖道の途中で、甲斐が足を止めた。
振り返った顔から、昼間の面白がりが消えていた。
「比嘉どのの見立てどおり、良い国にござろう」
「ああ。飯も水も人も、いい国だ」
「——なればこそ、先に申し上げておく」
崖の国の武士団長は、まっすぐにこちらを見た。
「今宵の談判。それがしは、反対の側に座り申す」
霧の向こうで、滝の音だけがしていた。
(第二十二話・了)
次回、明日20時10分に更新します。




