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名字マニアの天下取り ~名字が国名の戦国で、俺は47の名を誉めて味方にする~  作者: 無名の権兵衛
第二部・九州動乱編【集めた名 四/四十七】

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第二十一話「不知火は誉められて燃える」

「……誉めに、来た?」


 最初に沈黙を破ったのは、田中の使者だった。呆れ半分、嘲り半分の声である。


「これは異な事を。名を寄越せでもなく、兵を貸せでもなく——誉めに来たと仰る」

「あんたには言ってない」


 俺は姫に向き直った。青白い火がじっとこちらを見ている、、、気がする。火に目はないんだが、そうとしか言えない気配だった。


「中村で、義親公から直に聞いた。黒木は三度、判を突っぱねたって。——正直、会う前は『気の毒な小国』だと思ってた。謝るよ。この国は気の毒なんかじゃない」


 誰も、口を挟まなかった。


「湊から歩いてきただけで、わかった。あの崖の道、幅二尺——人ひとりがやっとの道しかないのに、三百年誰にも攻められてない。閉じてるんじゃない。守り抜いてるんだ。それでさっき、城に入る前に教わった。『黒木』ってのは、皮を剥いでいない木のことだそうだな」


 甲斐が、わずかに顎を引いた。道すがら、俺が質問攻めにして聞き出した話である。


「白木は、皮を剥いで磨いた木。黒木は、皮のまま使う木だ。飾らない。削らない。山から切り出したまんまの姿で、それでも社の柱になる。——この国と同じ名前だよ。皮のまま、山のまま、三百年立ってきた」


 不知火が、ゆらりと揺れた。


「世辞なら要りません」

「世辞はここからだ。……いや、世辞じゃないな。本題だ」


 俺は一歩、進み出た。


「あんたの名前。甲斐殿は『千火(ちほ)様』と呼んでた。千の火と書くんだろう。——けど、違うな。それ、あんたの本当の字じゃない」


 初めて、姫の目が見開かれた。


「不知火の使い手だから千の火。名乗りとしては筋がいい。けど名ってのは、呼ばれるたびに応えるもんだ。使者殿がさっきから何度も『千火様』と呼んでるのに、あんたの火は一度も揺れなかった。名力は嘘をつけない。呼ばれても応えない名は——まだ、馴染んでない名だ」


 広間の空気が、張り詰めていく。


「あんたの字は、火じゃない。……歩く、だろう。千歩(ちほ)。あの崖道を千回歩いて守ってきた、この国そのものみたいな名前だ」


 言い切った、その瞬間。


 姫の周りの不知火が——燃え上がった。


 青白かった火が橙に色を変え、倍の丈に伸び上がって、広間の板壁に光の模様を走らせる。姫は表情ひとつ動かしていない。だが火が、何もかも白状していた。


「……誰から、聞いたのです」


 声だけは、静かなままだった。


「誰も教えてくれなかったよ。あんたの国の道が教えてくれた」


 しばらく、姫は黙っていた。やがて、ほんのわずか——ほんのわずかだけ、口の端が動いた。


「千歩。父が付けた名です。当主を継いだ日に、火の字に替えました。戦う名が要ると思ったから。……その字を言い当てられたのは、あなたが初めてです」


 横で田中の使者が、扇を握ったまま固まっていた。四度通って姫の火を一度も動かせなかった男の前で、初対面の若造が火を燃え上がらせたのだから、まあ、立つ瀬もあるまい。


「……三日後」


 使者は立ち上がり、精一杯の声で言った。


「三日後、あらためて判を頂きに参ります。次は、空手(からて)では参りませぬぞ」


 脅し文句を残して、緋色ではない陣羽織が広間を出ていった。三日。時間切れの刻限が、はっきり口にされたわけだ。


 ◇


「——お見せしたいものがあります」


 使者の足音が消えたあと、千歩は立ち上がった。


「誉められた礼です。黒木の一番奥を、お見せします」


 ◇


 案内されたのは、城のさらに上——霧の中の山道だった。先導は神官の老人。日高斎(ひだか いつき)と名乗った。黒木の祭祀を預かる神官長で、寧々と二言三言交わしただけで「ほう、祝(はふり)の家系か」と目を細めた、筋金入りの神事の人である。


「この山は、入るのに名乗りが要ります」


 先導の日高翁が、振り向かずに言った。


「黒木の山は、山そのものが御神体(ごしんたい)にございます。登ってよいのは当主と、日高の家の者だけ。麓の民は山に向かって毎朝名乗りを上げ、頭を下げまする」

「……俺たちが入っていいのか、それ」

「姫様が、客人(まろうど)として名を通されました。——三百年で、外の名が通るのは初めてにございます」


 千歩は前を歩いたまま、何も言わなかった。誉められた礼、と姫は言った。その礼の大きさを、俺は山の中腹でようやく理解し始めていた。


 それと、あの霧もただの天気ではないらしい。山の神気が谷に降りて、国ごと隠しているのだと翁は言う。——道理で、と思った。湊で感じた「隠れている国」の気配は、地形の話じゃなかった。山が、隠していたのだ。


 霧を抜けた瞬間、視界が開けた。


 山頂だった。雲が眼下にある。雲海が夕日に灼けて、金色の海みたいに波打っている。そしてその頂の岩に——一本の鉾(ほこ)が、逆さに突き立っていた。


 柄を天に、穂先を岩に。人の背丈の倍はある。錆びているのか、青銅の肌が緑と黒にまだらに沈んで、それでも夕日を受けた輪郭だけが、燃えるように光っていた。


「天逆鉾(あまのさかほこ)」


 日高翁が、静かに言った。


「国生みの神が、海をかき回して島々を作った鉾にございます。役目を終えた鉾は、ここに逆さに立てられた。——二度と、国を作り直さぬように」


 寧々が息を呑むのがわかった。祝の家系の姫にとって、これは書物の中の代物だろう。


「黒木の当主は、代替わりの日にここへ登ります」


 千歩が、鉾を見上げたまま言った。


「この鉾の前で誓うのです。名を、絶やさぬと。三百年、ひとりも欠かさず。——わたくしが火の字に替えたのも、ここでした」


 夕日が姫の横顔を照らしていた。三百年ぶんの当主の誓いが染みた場所で、この人は戦う名を選んだわけだ。……あの崖道と同じだ。この国は、どこを切っても「守る」でできている。


「国を生んだ神々は、次に山と川に名を付け、草木に名を付け——最後に、四十七の名を配ったと伝わります。名は神々の配りもの。ゆえに黒木の社では、名を粗末にする者を最も恐れまする」


 名を、配った。


 この世界の根っこの話を、俺は今、初めて土地の伝承として聞いている。名字マニアの魂が震えた——はず、なんだが。


 ……おかしい。


 震えよりも先に、来たものがある。懐かしさだ。


 初めて登った山だ。初めて見る鉾だ。なのに、夕日に灼けた雲海と逆さの鉾の影を、俺はどこかで見た気がする。前世の記憶を漁った。高千穂には行ったことがある。観光でだが、霧島にも。だけど違う、この既視感は「行った場所」の顔をしていない。かなり古い。そしてとても深い。


「日高翁。この鉾の伝承に……続きは、あるのか」

「ほう、よくお訊きくだされた」


 翁は皺の奥の目を細めた。


「古謡に、一節だけ。——『名は神々の配りもの。されどいにしえ、配られぬまま数多(あまた)の名を重ねし神ありき。その神、帳(ちょう)の外より来たれり』」


 名を重ねた神。帳の外から来た。


 背中を、冷たい指ですっと撫でられた気がした。


「どういう意味だ、それ」

「わかりませぬ。千年、誰にもわからぬまま歌われております」


 翁はあっさりそう言って、それきりその話は終わった。終わってくれたのは、正直ありがたかった。それ以上続いていたら、俺は顔に何か出していたと思う。


 ◇


 山を下りかけたその時だった。背負ってる荷の底で何かが、火傷しそうなほど熱くなった。


 慌てて荷を下ろして探る。出てきたのは布の包みだった。出航の朝から荷の底に入っていて、開けそびれていたやつだ。解くと、手のひらに乗る石の獅子が出てきた。シーサー。琉球の魔除けだ。包み紙の裏に見慣れた筆で一行。


『異国の魔(まじむん)から、身を守るように、母』


(銭だけじゃなかったのか。過保護な一族め)


 だが笑いかけて、止まった。石が、脈打っていた。


 握った手のひらの中で、とくり、とくりと確かに鼓動がある。石の冷たさじゃない。生き物の熱だ。彫られた鬣(たてがみ)の溝に沿って、うっすらと光の筋が走っては消える。——見覚えのある光だった。俺の腕で井上の井桁が、尚の字が灯る時と、同じ色。


「日高翁。これ……」

「なんと」


 翁は覗き込み、それから、その場に膝をついた。冗談でも作法でもない。神官長が、手のひらの置物に本気で頭を垂れたのだ。


「神域の気に当てられ、器が開いておりまする。魔除けの獅子——じゃが銘が入っておらぬ。器だけができて、名を待っておる」

「名を、待ってる」

「名は神々の配りもの、と申し上げた。ならば名付けとは、配りものの続きを人がやることにございます。……入れて差し上げなされ。名を。神域の気が満ちておる今なら、入りまする」


 名を、入れる。


 言われて、気づいたら心臓が早くなっていた。


 七つの命名の儀で、俺は名を貰えなかった男だ。空の器のまま七年、他人の名を誉めて、重ねて、ここまで来た。その俺が——今度は、やる側に回る。生まれて初めて、誰かに名前を与える側に。


 ……責任重大じゃないか、これ。世の親はみんな、こんな大仕事をやってたのか。


 息を吸って、獅子と目を合わせる。まだ開いていない、彫りかけの目だ。名前の意味どおりの力が宿る。この世界の、由来のルール。


 大層な名前を背負わせるのは、やめた。こいつはまだ手のひらの子どもだ。ならば、この世界の童(わらべ)の名の付け方がいい。岩のように堅く、丸のつく童の名。


「お前は——岩丸(がんまる)だ。堅くて丸い、俺の相棒候補だな」


 言い終えた瞬間、腕の紋が三つ、同時に灯った。


 名力が指先から吸われていく。ごっそりだ。膝が笑いそうになるくらい持っていかれて——その全部が、手のひらの石に流れ込んだ。鬣の溝という溝に光が満ち、閉じていた瞼(まぶた)の彫りが、ぱきりと音を立てて割れる。


 石の目が、開いた。


 中に灯っていたのは、篝火(かがりび)みたいな金色だった。獅子はぐるりと首を回し——石が首を回すな——俺を見上げて、口を開けた。


「がう」


 鳴いた。石の獅子が鳴いた。その一声に千歩の不知火がふわりと寄ってきて、獅子の周りをひと回りした。挨拶、らしい。日高翁は頭を垂れたまま「名付けの瞬間に立ち会えるとは」と震えているし、寧々は反射だろう、小さく言祝ぎの節を口ずさんでいる。


 岩丸は短い足でのしのしと俺の腕を登り、肩の上に定位置を決めると、香箱を組んで動かなくなった。石のくせに、あったかいし何故か軽い。


「まあ! ちょっと、可愛いじゃない!」

「琉太様、あとで銘の由来を帳面に記させてください」


 真鶴と寧々が両側から覗き込んでくる。岩丸は「がう」ともう一声鳴いて、心なしか胸を張った。愛想のいい魔除けである。


 ——名を配ると、力が宿る。


 四十七の名を集める旅の途中で、俺は配る側の理屈を、手のひらの上で初めて見た。


 三日後、田中の使者が戻ってくる。判か、誉めか。名前の戦の、二回戦だ。


 肩の上で、岩丸が「がう」と鳴いた。頼もしいんだか呑気なんだか、わからない返事だった。


(第二十一話・了)

次回、明日20時10分に更新します。

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