幕間五「文を書く」(金城鉄心視点)
夜の書院で、金城鉄心は筆を執っていた。
書きかけの文が一枚。宛名は海の向こうの娘である。
『真鶴へ。息災か。父は変わりない。』
そこから先が、四半刻、進んでいない。
武人の文というのは難しいものだ。斬り込む間合いなら半瞬で測れるのに、娘への二行目が測れない。書きたいことは決まっている。決まっているからこそ書けない。
——今ごろはもう、気づいておるだろうな。
鉄心は筆を置き、庭の闇を見た。
あの小僧の型は儂の型だ。受けて、流して、焦れさせて、伸びた剣を殺す。八年、夜明け前の裏庭で叩き込んだ。癖まで移っておる。手首を返す前に肘で殺す、あの癖——あれは隠せん。隠せんことは、教えた儂が一番よく知っておる。
本土に渡れば、小僧は必ずどこかで剣を抜く。抜けば、真鶴は必ず気づく。何万回も見てきた父の癖を、あの娘が見逃すはずがないのだ。
だから皆伝をくれてやった朝、小僧にはこう言っておいた。真鶴が、お主の型に気づく日が来る、と。
◇
なぜ空紋の小僧に型を授けたのか。
真鶴に問われたら——いや、真鶴はまっすぐ訊いてくるだろう。父上、なぜと。あの娘は昔から、斬り込みだけは誰よりまっすぐだ。
答えの半分は、簡単に言える。
命名の儀で紋が出なかった日の翌朝、儂は独りで木剣を振る七つの童を見た。誰に習ったわけでもない、めちゃくちゃな素振りだった。ただ、振るのをやめなかった。城じゅうが「気の毒に」と囁くのをやめなかったあの七日間、童は素振りをやめなかった。
紋は神が選ぶ。だが武は人が選べる。
選べるものを選ばずに腐る者を、儂は武人として好かん。選べるものに手を伸ばした七つの童を、見捨てる法があるか。——ここまでは、いつでも話せる。真鶴にも、小僧にも、誰にでもだ。
だが、残りの半分。
◇
鉄心は新しい紙を出し、筆に墨を含ませた。
『儂が空紋のお主に賭けたわけは』
と書いて、手が止まった。
しばらくその一行を睨み、それから鉄心は、紙をゆっくりと二つに折り、さらに四つに折って、行灯の火にかざした。
紙は端から橙に燃えて、灰になった。
——まだだ。
まだ、書く時ではない。これは文で伝えることではないし、今、伝えることでもない。あの小僧が、あと幾つか名を重ねて、あの海の向こうで嫌でも知ることになる何かの前に、儂の口から言うべきことだ。約束通りいつか、この口でな。
◇
結局その夜、娘への文に書き足されたのは、二行だけだった。
『琉太と稽古をする時は、朝のうちにせよ。あれは朝が一番よく伸びる。』
『それから、型の名で呼び合うな。金城の型は外では隠せ。』
我ながら、色気も何もない文である。息災を祈るとか、無理はするなとか、そういう言葉はどうにも筆が受け付けなかった。武人の文とは、そういうものだ。
だが封をする段になって、鉄心はもう一度だけ封を開け、隅に小さく、一行を足した。
『——弟弟子の面倒、頼んだぞ。姉弟子どの。』
海の向こうで娘がこれを読んで、どんな顔をするか。
それを思い浮かべたら、少しだけ、笑えた。
(幕間五・了)
次回、明日20時10分に更新します。




