第十七話「武の国は二度目の飯がうまい」
二度目の中村行きの船は、一度目とはずいぶん心持ちが違った。
一度目は、厄介払いの使者だった。頼りは古海図と口上だけ、相手にされるかどうかは着いてみるまでわからない、名もなき空紋の三男の船出だった。
二度目の今は同盟を結びに行く琉球の名代である。港には出迎えの列まで見える。人生わからんもんだな。
海から見る中村国は、白かった。
シラス台地——火山の灰が降り積もってできた白い断崖が、海際にずっと連なっている。その上に照葉樹の濃い緑が乗り、さらに奥、南の空に薄く火山の影。ときおり風に乗って細かい灰がぱらぱらと甲板に落ちてくる。琉球の、白い砂と青が層になった海とはまるで違う。同じ南の国でも、こうも景色が違うものか。
んで、その港が近づいてきたところで、俺の腹が正直に鳴った。緊張が抜けたわけじゃない。単純にここが、腹の減る国なのだ。
「よう来た、琉球の! ——いや、重名の魔人殿、とお呼びすべきかな?」
波止場のど真ん中で、中村義親が仁王みたいに笑っていた。相変わらず声がでかい。腰の太刀・波平行安ごと、体全部で歓迎してくる御仁である。
「その呼び名はやめてくれ。八尺の鬼が来ると思われてたら、この身長で申し訳が立たない」
「がっはっは! 噂より三尺近くも小さいのに、中身は噂より大きい男よ。——ようこそ中村へ。借りを返すときが来たようだ」
と、義親の目が俺の後ろでぴたりと止まった。玄水である。
「よもや井上玄水まで連れて来るとはな」
「……塩地では、世話になり申した」
「なに、良い戦であった。恨みは膳で流すのが武の国の流儀よ。今夜は逃がさんぞ!」
敵将だった男を宴で歓迎すると言い切るあたり、この御仁の器は本当に底が見えない。
◇
その夜は当然のように宴になった。
中村の宴は琉球とはまた違う。板張りの広間に猪鍋がどんと据えられ、黒豚の丸焼きが回り、芋の焼酎が湯呑みで注がれる。武の国の飯は量と勢いで殴ってくる。
……こういう脂の乗った夜は、キンキンに冷えたビールが欲しくなるなぁ。無いんだ、この世界には。麦もホップも、あの泡の立つ喉越しも、どこにも無い。前世、仕事終わりの缶ビール一本を楽しみに生きていた男としては、これだけが異世界の欠陥である。
とにかくこの国の飯はうまい。うまいんだが——名字マニアならぬ名物マニアの俺としては、どうしても気づいてしまった。
この国、魚のすり身を揚げる文化がない。
鹿児島といえば、だろう。あれだけ港に魚が揚がっていて、油もあって、なんで誰も揚げないんだ。前世の記憶が疼く。甘めのすり身を菜種油でからりと揚げた、あの飯泥棒。おでんに入れても最強だった、前世の好物のひとつ。ないなら——作るしかないだろう。
「義親公。台所と、獲れたての魚と、油を借りたい」
「なんだ藪から棒に。……ほう、琉球の若様が自ら包丁を握るか。面白い!」
地魚のすり身に、島から持ってきた黒糖をひとつまみ、豆腐と酒を混ぜて練る。あとは油の温度だ。ここで火嘉の出番である。火脈を読む力は鍋の中の油の対流まで読める。強すぎず弱すぎず、狐色の一歩手前——覚醒した名力を揚げ物の温度管理に使う男は、たぶんこの世界で俺だけだろうな。調理チート万歳だ。
さぁ食べてみろ、、飛ぶぞ。
「——なんだこれはぁ!?」
ひと口食った義親が吠えた。広間がざわつく。
「外はさくさく、中はふわふわ、噛めば魚が甘い! 酒が進んで仕方ないわ! 琉太殿、この飯、名は何と言う!」
来た。名付けの時間だ。
俺はちょっとだけ勿体をつけて広間を見回した。
「この土地の古い名は、薩摩。——王家の名がどう変わっても、土地の名は誰にも奪えない。なら、この土地の飯の名前は、家の名じゃなく土地の名からもらうのが筋ってもんでしょう」
義親の眉がぴくりと動いた。
「『薩摩揚げ』。それがこの飯の名前です」
一拍おいて、義親は湯呑みを置き、それはもう深く笑った。
「……中村揚げ、ではなくか」
「中村の家が万一途絶えても、薩摩の名とこの飯は残る。そういう名前にしておけば、この飯は千年もちますよ」
「がっはっは! 名を誉める男は、名の付け方まで違うわ! 気に入った、今日からこの国の祝いの膳には薩摩揚げを載せる!」
ちなみにその薩摩揚げ、真鶴が皿ごと抱えて十個食った。寧々は黒糖の甘みに気づいたらしく、無言で三個目に手を伸ばしていた。玄水は「すり身の水気が綺麗に抜けておる。だから、からりと揚がるのじゃ」と、うまいの一言で済むところを水の理屈で褒めた。さすがは利き水の男である。
周りが楽しんでいるのを眺めていると、すっと寧々がどこかに行こうとしているのを見つけた。
◇
宴を抜け出した寧々を追う。月明かりの坂道を半分も行かないうちに、前をゆく足がぴたりと止まった。
「……いつから、ついてきているんですか」
「宴を抜けたあたりから」
「っ、堂々と言うことですか、それ」
振り向いた寧々は怒った顔を作りそこねていた。気づかなかった自分が悔しいのと、気づいてもらえたのがたぶん少し嬉しいのと、その二つが顔の上で喧嘩している。わかりやすくなったなぁ、この姫も。
「東翁のところだろ。俺も爺様の顔が見たい。……それに、夜道に姫ひとりで歩かせたと知れたら、あとで真鶴に俺が叱られる」
「……勝手にしなさい」
勝手についてきた男に勝手にしろとは、許しなのか何なのか。ともあれ寧々の行き先は思った通り、城下外れの小さな庵だった。
東翁。尚家の旧臣の孫にして、三代かけて言祝ぎの祝詞を守り抜いた爺様である。防衛戦のあとは琉球へ渡って寧々と紙束を読んでいたが、冬の前に「祖父の代の控えが中村の庵に残っておる」と言って、海を渡り直していた。それきり半年——久しぶりに会う寧々の顔を見て、爺様は皺だらけの顔をさらに皺だらけにした。
「姫様。よくぞ、ご無事で……おお、若君も」
再会の涙をひとしきり済ませたあと、東翁は奥から古い写本を出してきた。祝詞の写し——その行間に細かい朱書きがびっしり入っている。
「祖父の代からの書き込みにございます。声に出すことを禁じられた祝詞ほど、朱が濃い」
「……この朱、綴りが違う」
寧々が行灯に写本を寄せた。目が真剣だ。
「表の祝詞と同じ言葉なのに、朱の綴りだけ古い字で書き直されている。まるで——言葉の、裏の顔」
裏の名。古い綴り。琉球へ持ち出した束にも朱はあったが、この控えは桁違いに濃い。爺様が海を渡り直しただけのことはある——真名の理屈に、また一歩近づく手がかりだ。
寧々はその夜、写本を借り受けた。船の上でも読むという。没落王家の姫の帳面に、新しい研究がひとつ増えた。こいつの「言祝ぎ」がこの先どこまで化けるか、名字マニアとしては楽しみで仕方ない。
◇
翌日の軍議で、義親は絵図を広げた。九州の全図だ。
「琉太殿の言う『誉める天下取り』、乗った。中村は琉球と結ぶ。——だが九州は、見ての通りの草刈り場よ」
太い指が絵図の上を順に突く。
北の福岡と熊本には、田中の九州二座。西の佐賀・長崎には、南蛮貿易で肥えた海の山口家。東の宮崎には、秘境の小国・黒木。そして北東の大分は——佐藤の飛び地だ。北の巨人の指先が、九州にも一本だけ刺さっている。
……福岡、か。俺はあの土地の、後の世の名物を知っている。豚の骨を白く濁るまで炊き上げた、魂の汁。よりにもよって敵地のど真ん中に、前世の好物筆頭が眠っているのである。名字の勢力図は完璧に覚えてきたのに、飯の勢力図がこの仕打ちだ。
「黒木は今、瀬戸際だ。田中の使者が三度入って、三度とも改姓の判を迫った。当主の姫が突っぱねておるが、あの小国、長くはもたん」
「兵は、多くて千かそこらでござろう」
玄水が帳面をめくった。
「儂の頭の帳面が正しければ、黒木の武士団は三百。かき集めて八百。……八千が谷の入口に立った日に、それは終わりまする」
「三度、ですか」
寧々が眉を寄せた。
「使者の作法では、三度断られた家には四度目を出しませぬ。四度目に来るのは、使者ではなく——」
「軍ね」
真鶴が長刀の柄を指で叩いた。
「じゃあ急ぐしかないじゃない。あたし、山越えでも構わないわよ」
「姫?」
「先代が急に死んでな。娘が継いだ。——不知火の使い手よ。夜の海に立つ怪火を従える、九州でいちばん静かで、いちばん苛烈な姫だ」
不知火の姫、か。名字マニアの記憶が言っている。黒木は宮崎の一位。希少で、古くて、いい名字だ。誉め甲斐がある。
「決めた。次は黒木に行く」
「ほう。山口のほうが実入りは大きいぞ。南蛮の銭も、珍しい武具もある」
「山口はまだ落ちません。海と商いで食ってる国は、攻められても粘れる。——けど黒木は違う。三度の使者を突っぱねたなら、次に来るのは軍です。間に合わなかったら、そこで終わりだ」
義親が太い眉を上げた。
「それに、黒木が田中領になったら、この中村は北と東の両方から挟まれます。義親公の寝覚めも悪くなるでしょう」
「がっはっは! 道理だ!」
……ただ、本音を言えば、もうひとつある。
中村と結べたのは、借りがあったからだ。俺が助けて、義親が返す。筋の通った取引でしかない。
だが黒木は縁もゆかりもない。会ったこともない、遠くの小国だ。そこで「名を誉める」やり方が通じるかどうか——それが本当に天下を取れる道なのか、俺はまだ確かめていない。
試すなら、早いほうがいい。
「——だが急げよ、琉太殿」
義親の声が一段低くなった。
「都から、嫌な噂が届いておる。緋色の陣羽織が、新しい軍を集め直しているそうだ」
宗典。やっぱり、来るか。
窓の外、中村の夜空は静かなもんだった。この静けさが、いつまで持つか。……せめてもう二、三日は、薩摩揚げを揚げる余裕があるといいんだが。
(第十七話・了)
次回、明日20時10分に更新します。




