第十六話「見送りの浜、三つの想い」
出航前夜の首里城は、俺の記憶にある限り、いちばん明るかった。
畳敷きの大広間には城中の灯りが集められ、朱塗りの大盆——東道盆がずらりと並んでいた。泡盛でとろとろに炊いた豚の三枚肉、祝いの中身汁、豚の出汁が染みた炊き込みの飯、揚げた島豆腐、海の宝石みたいな海ぶどう。青畳の匂いに料理の湯気が重なって、それだけでもう祝いの匂いがした。城下からは樽やら反物やらの祝いの品が届き、三線の音が夜気に混ざる。広間の隅には泡盛の甕が、朝まで持つのか心配になる程転がっている。
名目は、出航の壮行の宴。それともうひとつ——俺の、元服の儀である。
この世界では十五で大人の仲間入りだ。七つの命名の儀で姓紋を授かり(俺は授からなかったが)、十五の元服で大人の名——諱を授かる。名前がすべてのこの世界で、人生に二度ある「名の儀式」。その二度目が、出航の前夜に重なった。
もっとも、儀そのものは昼のうちに御嶽で済ませてある。名の儀は神体の前でなければ成らない。この夜の広間のは、その披露目だ。
「では琉太。大人の名を授ける——と言いたいところだが」
玉座の前。盃を置いた父王が妙な間を取った。
「お前の名は、お前が選べ」
広間がざわりとした。諱は親か主君が授けるのが習わしだ。それを、選べときた。
「空紋のお前に、儂らは七つの日、何も授けてやれなんだ。だがお前は、空の器に自分で名を満たした。井上、尚、火嘉——どれも儂が与えた名ではない。今さら親の顔で名を押し付けるのも、な」
……この親父、防衛戦からこう、、ちょっとイケオジ路線に向かってない?
俺は少し考えて答えた。
「なら——琉太のままでいきます」
「幼名のままか。よいのか、大人の名を選べる好機ぞ」
「琉太って名前、気に入ってるんですよ。琉球の琉に、太い。島の名前を背負って、どっしり太く。……それに」
俺は、広間の連中に聞こえるように言った。
「これから名前を四十七も集めようって男が、自分の名前を取り替えてたら世話がないでしょう。芯の名前はひとつ。増やすのは、そこに重ねる名前だけです」
父王は一拍おいて破顔した。
「——名を選べと言われて、選ばぬ名を選んだか。それでこそ大人よ。琉太、元服、相成った!」
広間が沸いた。
「かりー!」
誰かが叫んで、盃がいっせいに上がった。かりー——嘉例。めでたい先例にあやかれ、という島の乾杯だ。俺も元服して最初の盃を呷る。御嶽に捧げた神酒のお下がりの泡盛が喉を焼いて腹の底で火になった。……大人の味というやつは、思ったより喉に効くな。
長兄の盛陽が獅子みたいに笑って俺の背中を叩き(痛い)、次兄の盛月は無言で盃を掲げた。母は最初から最後まで泣いていた。
やがて宴もたけなわ、三線の手が速弾きに変わった。とたん、広間の連中が両手を頭の上に上げていっせいに踊り出す。カチャーシーだ。「かき混ぜる」の名の通り、手のひらで夜気をかき混ぜる、島の祝いの踊り。
ピュイッ、と指笛が鳴った。見れば真鶴である。指二本で見事な高音を響かせて、踊りの輪のど真ん中で笑っている。盛陽は言わずもがな、あの盛月まで手だけは律儀に泳がせているし、母は泣きながら踊るという器用なことをしている。
「ほら琉太! 主役が踊らないでどうすんの!」
「俺は踊れな——おい、引っ張るな」
輪に引きずり込まれた。仕方なく見よう見まねで手をひらひらさせる。ふと隣を見ると、寧々が生真面目な顔で、指先まで揃えた優雅な手つきで踊っていた。目が合うと、ふいと逸らされた。……踊るんだ、あんたも。
宴の帰り際、その盛月がすっと寄ってきて俺の袖に重たい袋を落とした。中身は銭だ。それも佐藤銭、鈴木銭、田中銭、山本銭——本土四強の刻銭が几帳面に紐で分けてある。
「本土では、琉球の銭は割り引かれる。いちばん硬いのは田中銭。……使い分けろ」
「相変わらず言葉が足りないなぁ、兄上は。つまり『道中気をつけろ』だろ、それ」
「……そうとも言う」
寡黙な次兄はそれだけ言って背を向けた。
銭の値打ちは、鋳った国の名力で動く。「硬い」ってのは、どこの市に持ち込んでも額面通りに使える、疑われない銭ってことだ。つまり田中銭は西日本ぜんぶの共通通貨。敵国の銭がいちばん硬いってのも皮肉な話だが——一貫あたり、前世感覚で十万。この重さ、いったい何貫あるんだ。過保護な一族め。
◇
宴のあと、月見台の近くで豪に捕まった。
「おい空紋。……いや」
豪は言い直した。
「琉太。島の壁は、俺が守っといてやる。だから安心して行け」
「頼りにしてる。城守がいれば、島は落ちない」
「っ、当たり前だ! ……次に帰ってくるまでに、俺はもっと強くなってるからな。首を洗って待ってろ」
それは待つ側の台詞じゃないと思うが、指摘しないでおいた。こいつのこういうところ、嫌いじゃなくなってきたから困る。
◇
翌朝、那覇の湊は見送りの民で埋まった。
腰には千代金丸。尚家の王剣は、あの防衛戦の日に寧々の手から俺の腰へ移って、そのまま帰らずにいる。「琉太様が佩いているのが、いちばん剣が静かですから」と持ち主が言うので、お言葉に甘えている。
「魔人様ー! 行ってらっしゃーい!」
「本土の連中に名前を喰われるんじゃないよー!」
「喰うのは俺の方だと思われてるんだよなぁ、向こうでは」
と、湊の石畳で太鼓の音がドンと揃って鳴り始めた。
城下の若衆たちだ。大太鼓をドォンと鳴らし、バチと小太鼓をくるりと回し、掛け声とともに足を踏み鳴らして勇壮に踊っている。エイサー——本来は盆の夜、帰ってくる御先祖の霊を太鼓で送り迎えする踊りだ。んで、この島では船出にも踊る。海の向こうの旅路まで、御先祖に道を照らしてもらうためだと言う。
腹に響く太鼓の音が背中を押した。いい見送りだ。
手を振り返しながら船に乗り込む。見送りの列の端に、腕を組んだ鉄心の姿が見えた。目が合うと、頷きひとつ。それだけだった。それでいい。
甲板の上、同行の面々はそれぞれの顔をしていた。
寧々は舳先近くに立って、帳面を胸に抱えていた。
「行くんですね、本土へ」
「あんたが行くって言ったんだろ」
「言いました。……尚の名は、この島で守られて残った名。でも、守られているだけでは、増えない。海の向こうで、わたくしは尚の名を名乗って、名乗って、名乗り続けます。それが復興の一歩目です」
凛とした横顔だった。んで、その横顔のまま、少し声が小さくなった。
「それに、、、あなたを一人で行かせたら、どうせ無茶をするでしょう」
「聞こえないな。波の音で」
「聞こえなくて結構です!」
真鶴は、といえば、長刀を背負って腕まくりの仁王立ちである。
「あたしの理由? そんなの決まってるでしょ。あんた、あたしが見てないとすーぐ無茶するじゃない」
「寧々と同じこと言ってるぞ、それ」
「え!?」
二人が同時にこっちを睨んだ。なんでだよ。
◇
そして玄水は——船尾にひとり、北の海を見ていた。
筑後の井上郷。この人の故郷は、田中領のど真ん中にある。老いた母親と幼い姪が、今もそこにいる。
「玄水。あんたの想いは聞かないでおくよ、まだ」
「……ほう。なぜじゃ」
「井上の水は、堰き止めるより流れる方が強い。想いも似たようなもんだろ。話したくなったら、勝手に流れてくるさ」
玄水はふっと笑った。三十年戦場にいた男の、静かな笑い方だった。
「十三年ぶりの故郷へ、敵として渡るか、味方として帰るか。——儂はそれを、この航海の間に決めるわい」
帆が風を掴んだ。琉球の島影がゆっくりと遠ざかっていく。
さらば、故郷。まずは中村——飯のうまい武の国からだ。
(第十六話・了)
次回、明日20時10分に更新します。




