第十五話「噂は八尺の鬼になる」
風向きが変わったのは、種を蒔いた次の春だった。
……なんて言うと格好がつくが、種というのは要するに「噂」の話である。あの防衛戦のあと、田中の兵たちが持ち帰った俺の話は、冬のあいだ本土の港々で酒と一緒に転がり回り、春が来る頃にはとんでもない育ち方をして琉球に戻ってきた。
どれくらいとんでもないかというと、だ。
「——で、その『重名の魔人』ってのがよう、身の丈八尺の鬼でよう」
那覇の湊。春ももう仕舞いで、日差しに夏の先触れが混じる季節だ。船積みの合間に一服していた本土帰りの商人が荷の上にどっかり座って、集まった水主たちに語っている。
「八尺!?」
「おうよ。腕には紋が百も灯って、夜になると火の目でギョロリと辺りを照らす。斬られた奴は名前を喰われて、名無しになっちまうんだと」
「くわばらくわばら、、、」
「田中の二万の軍勢が、たった一晩で溶けたって話だぜ。琉球にゃあ、とんでもねぇ化生が棲んでるもんだ」
(八尺って、前世の単位で言うと二メートル四十だぞ。もう人間じゃなくて小屋の高さだ)
隣で聞いていた真鶴が腹を抱えてプルプル震えている。笑うな。堪えろ。
言っておくが、俺は身の丈五尺と少し——前世の物差しなら百五十五センチほどの十五歳である。紋は百どころか三つだし、夜に目が光ったことは一度もないし、人の名前を喰った覚えもない。むしろ誉めて回っている側だ。
念のため説明しておくと、この世界では七つになると腕に名字の紋が灯る。灯った数だけ、その家に伝わる力が使える。ふつうは一人にひとつだ。
俺は儀式で紋が一つも出なかった「空紋」で、十四になるまでずっと役立たず扱いだった。それが去年、他人の名を重ねて名乗る【重名】に目覚めて、いまは井上・尚・火嘉の三つ。
(三つでもこの世界じゃ規格外なんだが……百は、どう転んでも無理だ)
「兄さんたちも琉球の衆かい? 気をつけなよ、魔人様の機嫌を損ねたら――ってあれ、兄さん、どっかで、、、」
商人が俺の顔をじっと見る。真鶴の震えが限界に近い。
「……いや、人違いか。魔人様はもっとこう、でっけえ影みたいな御方らしいからな」
「らしいですね」
俺は真顔で頷いておいた。魔人様は今日も城下で豆腐を買って帰るのである。
「あー、苦しかった、、、あんた、影! でっけえ影なんだって!あっはっは!」
「五尺の影で悪かったな」
帰り道、坂の石畳で真鶴がまだ笑っている。ちなみに城下の連中は、噂と実物の両方を知っている数少ない民である。豆腐屋の婆さんなんか、俺の顔を見るたび「おや魔人様、今日はおまけしとくよ」と言って笑う。ありがたく受け取っている。魔人の威厳とは。
「でもさ。あんた、ちょっとは噂に近づいたよ」
「どこがだ」
「色。書庫の幽霊が、ちゃんと島の男の色になった」
言われて、自分の腕を見る。あの夏の海と防衛戦で灼けた肌は冬を越しても、もう白には戻らなかった。あの夏より前の俺を、この島で思い出せる奴は、たぶんもう少ない。
◇
噂に尾ひれがつくのは知っていたが、鰭どころか翼が生えて空を飛んでいた。
んで、笑ってばかりもいられない。噂が届いたということは、本土の四強が琉球を「見た」ということだ。
玄水の読みでは、佐藤は警戒し、鈴木は調べにかかり、山本は海の値踏みを始める。そして田中は――雪辱に来る。あの宗典が、次はもっと周到に来ると、あの浜で俺自身が読んだ通りだ。
座して待つか、打って出るか。
答えが出たのは、冬の玉座の間だった。
「守るだけでは、次で終わる」
上座で、父上——比嘉盛龍が言った。去年の秋まで、俺の顔をろくに見なかった人である。
「宗典は畑の理で来る。実らぬと見た田には、二度と種を蒔かぬ男だ。……裏を返せば、実ると見たら何度でも蒔く」
「儂も同じ読みにござる」
玄水が帳面を開いた。
「南征軍の兵は九州で集められまする。九州の小国が一つ残らず田中に呑まれれば、次に来るのは二万では済みませぬ」
「なら、呑まれる前に行けばいい」
俺が言うと、広間が静かになった。
「九州には、田中に喘いでる小さな座がいくつもある。武の国・中村。霧に隠れた黒木。南蛮の銭が行き交う山口。——先にこっちが手を結べば、九州はひとかたまりになる。四強の次、南の第五の勢力だ。そうなれば田中は、九州を素通りできない」
「兵は出せぬぞ」
大城の長老が、渋い顔をした。
「防衛戦で六千のうち三百十七を失うたばかりじゃ。海の向こうへ出す兵など、この国にはない」
「兵は要りません」
寧々が、静かに前へ出た。
「名代がひとり参ればよいのです。……名を賭けずに結ぶ盟であれば、兵の数は関わりませぬ」
「あたしがついて行くわ」
真鶴が即答した。
「一人にしたら、この子は行った先の書庫で干からびるもの」
「……否定できないのが腹立つな」
父上が、初めて笑った。
「——比嘉盛龍の名代として、琉太を九州へ遣わす。琉太。何をしに行く」
俺は少し考えて、答えた。
「奪いに行くんじゃありません。——誉めに行きます」
誰も、笑わなかった。
◇
ただし、冬の海は渡れない。船と兵糧の支度に春いっぱいかかって、出航は夏の入り口になった。
出航は三日後。前の晩には壮行の宴——ついでに俺の元服の儀まで詰め込まれているらしい。忙しない。同行は寧々(ねね)、真鶴、玄水、ほか選りすぐりの少数精鋭スタイル。それぞれの想いは、まぁ、出航前に語ってもらおう。
◇
出航前だろうと、夜明け前の稽古は休みじゃなかった。
誰もいない裏庭。木剣の素振りの音だけが白み始めた空に吸われていく。
「腰が浮いた。船に何日も乗る男の腰か、それは」
「師匠、餞別に説教はやめてくれ」
「説教が餞別よ。ほれ、もう一本」
金城鉄心。真鶴の親父さんにして、俺の秘密の師匠は、この八年、一度も俺に手加減をしなかった。
打ち込む。受けられる。返しを躱して、足を割り込ませ、懐へ。——八年前は木剣ごと吹っ飛ばされた間合いに、今は半歩だけ入れる。
夜明けの一番鶏が鳴くまで打ち合って、鉄心はふいに木剣を下ろした。
「よし。――金城の型、免許皆伝とする」
「……え、今?」
「今だ。皆伝に儀式などいらん。教えることを教え終わった、それだけのことよ」
あんまりあっさり言うものだから、ありがたみが三拍遅れてやってきた。八年。紋のない俺に、この人だけが最初から何かを教え続けてくれた。その総仕上げが、出航三日前の説教つき稽古ときた。……この人らしい、と思う。
「型は餞別だ。持っていけ。だがな、琉太」
鉄心は木剣を担いで白み切らない空を見上げた。
「儂がお主に教えたことは、まだ半分だ」
「半分? 皆伝って今言ったばかりだろ」
「型は皆伝よ。だが、残りの半分は型ではない。――儂がなぜ、八年前、空紋のお主に型を授ける気になったか。その理由だ」
「聞いておきたいね。海の向こうは長くなりそうだ」
「今は言わん」
即答だった。ちょっとくらい迷え。
「いつか、これをお主に話すべき日が来る。たぶんその日は――真鶴が、お主の型に気づく日になるだろうな」
師匠はそれだけ言うと、いつも通り朝日が届く前に裏庭から消えた。
残された俺は木剣を握ったまま、しばらく突っ立っていた。
……真鶴が、気づく日?
名字の由来なら初見で当てる俺が、師匠の言葉の由来だけはさっぱり読めなかった。
(第十五話・了)
次回、明日20時10分に更新します。




