第二話「茶殻の若様、目を覚ます」
命名の儀から七年。俺は十四になった。
ちなみに俺の見た目の話をしておくと、琉球育ちのくせに色は白い。書庫にこもって十年、日焼けする暇がなかったからだ。健康的な島の男たちの中で、俺だけ幽霊みたいに白い。
癖のある黒髪は適当に結ってあるだけで、だいたい寝癖が残っている。しかも癖毛だ。顔立ちは悪くないらしい——王家の血だ——が、いかんせん覇気がないので、城下での評判は「茶殻の若様」である。なんだよ茶殻って。……いや、まあ。茶殻ってのは二煎目からが本番だと思えば、あながち外れてもいないんだが。
あと目つき。兄二人が太陽みたいに明るい目をしているのに対して、俺の目は「夜の海みたいで何を考えているかわからない」と幼馴染に言われる。失敬な。だいたい名字と歴史のことを考えているわ。
服装は、色褪せた紺の芭蕉布を着流しで、帯は緩め。王族なら紅型の派手なやつを着るのが決まりだが、そういうのは兄たちに任せている。動きやすさと、目立たなさが一番だ。空紋の若様に、晴れ着の出番なんてそうそう無い。
——ただ。ぐうたらに見えて、俺は俺なりに、この七年を無駄にはしていない。
名力は無い。なら、名力に頼らない部分を鍛えるしかない。単純な理屈だ。
毎朝、夜明け前の誰も来ない裏庭で——実は俺には、師匠がいる。
金城鉄心。真鶴の親父さんにして、金城家の当主その人である。
七年前、紋が出なかった俺が、それでも独りで木剣を振っているのを、あの人はどこかで見ていたらしい。ある朝ふらりと現れて、一言だけ言った。「紋は神が選ぶ。だが武は、人が選べる」——以来、毎朝だ。体さばきと受けを、骨の髄まで叩き込まれた。前世で観た剣術の動画やら護身術の記憶やらを混ぜた俺の変な動きも、「面白い」と笑って型に組み込んでくれた。
ただしこの稽古、完全な内緒である。重臣家の当主が空紋の三男に肩入れしていると知れたら、城の力関係に妙な波風が立つ。だから夜明け前。だから誰にも言わない。真鶴すら知らない。娘に隠し事をしている後ろめたさは、あるらしい。稽古の帰り際、毎回ちょっと目が泳いでいる。
なので日中、俺が裏庭でひとり復習っていると、「若様、また変な動きしてる」と給仕の童に笑われる。いいんだ、変な動きで。その変な動きの出どころが金城家の当主だと知ったら、この城の連中は白目を剥くだろう。
書庫にこもっていたのも、伊達じゃない。名字の本ばかり読んでいたわけじゃない。兵法、地理、医術、農書——城中の書物は、たぶん俺が一番読んでいる。空紋で暇だからこそ、時間だけはいくらでもあった。
それに——これは自慢に聞こえるかもしれないが。
首里の城下は、坂の街だ。海からは一里ほど内に入った丘の上に、赤瓦と白漆喰の首里城——琉球ではグスクと呼ぶ、曲線を描く石灰岩の石垣に抱かれた城——がそびえ、その裾に、赤瓦の家並みと石畳の坂道が段々に連なっている。市場には泡盛の甕が並び、島豆腐と豚肉の匂い、紅型の反物、どこからか三線の音。坂を西へ下りきった先は、外港の那覇。交易と漁の船がひしめく、琉球の海の玄関口だ。丘の上の王都と、海辺の湊町。首里と那覇、ふたつでひとつの都である。
その坂を歩くと、皆が声をかけてくる。魚売りの婆さん、野菜売りの爺さん、鍛冶場の親方、寺子屋の子どもたち。「若様、字を教えてくれ」「腹を壊した、薬草の名を知らんか」——姓紋なしの王子なんて、権威も何もない。だからかえって、民は俺に気安かった。俺のほうも、身分でふんぞり返る理由がないから、誰とでも同じ目線で喋る。
紋のない王子は、城の中では厄介者だ。だが城の外では、案外、悪くない立場だった。
……まあ、当の家族には、そんな地道な部分はてんで伝わっていないのだが。ぐうたらの評判だけが独り歩きしている。心外である。
今日も今日とて城の書庫に入り浸り、本土の地図を眺めては(福岡と熊本が田中領……相変わらずランキング通りで安心する)とにやけていた所に、幼馴染が乗り込んできた。
「琉太! また書庫にいた!」
金城家の一人娘、真鶴。沖縄で二番目に多い名字——じゃなくて、王家を支える武門の重臣家の娘だ。右の二の腕には、金城の姓紋。城壁を思わせる四角い枠の中に、金塊みたいな菱が三つ重なった意匠で、力を込めると溶けた黄金みたいにとろりと輝く。守りを鍛える金城の紋だ。同年代では最強の姫武者である。
日に灼けた小麦色の肌に、高く結い上げた黒髪。夏の日差しみたいな大きな目に、笑うとちらりと覗く八重歯。黙って立っていれば絶世の美少女、と城下でも評判だ。残念ながら胸はないが。
なお、こいつが黙って立っているところを、俺は十年で三回しか見たことがない。
「いたら悪いか。俺と書庫、もう十年来の親友なんだが」
「本と親友になるな! ……それどころじゃないの。今、城が大騒ぎになってる」
真鶴の顔は、いつになく強張っていた。
「本土から早船が着いた。——中村国が、田中王国に攻められてる」
ぴく、と本をめくる指が止まった。
中村国。九州の最南端、前世で言う鹿児島の位置にある武の国。琉球と本土の間に立つ、最後の壁。
脳内の地図に、赤い矢印がすっと引かれる。福岡・熊本の田中領から、南へ。中村を落とせば、九州は南端まで田中のものだ。
そして鹿児島の先に何があるか、名字マニアは知っている。というか地図を見れば誰でもわかる。
海を挟んで——沖縄だ。
「父上たちはなんて?」
「『海の向こうの戦だ、琉球には関わりない』って……。琉太はどう思う?」
どう思うも何もない。
中村が落ちれば、次は琉球。比嘉も金城も大城も、まとめて「田中」に改姓させられる未来しかない。俺が田中の当主でもそうする。名乗る者、約束された数十万人分の加護の上乗せだ。よだれが出るほど美味い。
——とうとう来た、か。
七年間ぬるま湯に浸かってきた空紋の三男は、静かに書庫の椅子から立ち上がった。
「真鶴。父上に謁見を申し込む。……ついでに聞くが、お前、船酔いはしないか?」
「は!? 酔わないけどなんで!?」
なんで、と聞かれれば答えはひとつだ。
この世界の誰も知らないことを、俺だけが知っている。
この戦乱の世の「攻略本」は、きっと俺の頭の中にある。
——名字マニアを、なめるなよ。
The Name War。名と名が争う乱世に、帳簿の外の男が打って出る。
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