第一話「空紋の三男、内心ガッツポーズ」
死因は、たぶん過労だな。
全然ブラックな会社じゃないのに趣味に睡眠時間を削った結果だろう。
転生前の俺は39歳独身彼女なし(童貞ではない)の広告代理店のしがない会社員だった。
趣味はただひとつ、名字の研究だ。
仕事終わりと休日は図書館で姓氏事典を読み、旅行先では墓地と電話帳(骨董品だ)を眺めてニヤニヤする。
同僚には「何が楽しいの?」と言われ続けたが、わかってないなと思っていた。
が、今考えれば39歳独身彼女無しでその趣味はかなり気持ち悪かっただろう。
ただ、名字は歴史であり土地の記憶だ。
佐藤がなぜ東北に多いのか?鈴木がなぜ関東と東海に固まっているのか?沖縄の比嘉、宮崎の黒木、香川の大西、都道府県別の名字ランキングには、千年分の人の営みが詰まっている。
んで、気づいたら死んでいて。
気づいたら、生まれ直していたわ。
琉球王家、比嘉家の三男末っ子として、、、
最初に思ったことを正直に言おう。
(比嘉ぁぁぁぁぁ!! 沖縄で一番多い名字ぃぃぃ!!)
産声の代わりに叫びたかった。
転生物の定番なら「ここはどこだ?」と混乱する場面だろう、だが名字マニアに限っては違う。名字がわかれば、場所がわかる。俺の脳内地図が高速で回転し答えを導き出していた。
「比嘉」の全国順位はそう高くないが、沖縄県内では堂々の一位だな。つまりここは沖縄で間違いない。以上、証明完了。
……まさかその知識が戦で役に立つとは、このときはまだ思っていなかったが。
◇
この世界の説明をしよう。なにせ俺は七年かけて、嫌というほど学ばされたんだからな。
ここは、俺の知る日本と同じ形をした島国で地図もほぼ同じ。ただし、国の数は四十七もある。
そして国の名前が、、、、、全部名字なのだ。
北の大地から東北一帯を束ねる最大勢力、佐藤連合。九カ国。
関東から東海道までを一直線に呑み込んだ軍事国家、鈴木帝国。八カ国。
都を擁して西を制する田中王国。九カ国。
海を支配する水軍の一族、山本一家。八カ国。
初めてこの世界の地図を見せられた日、俺は寝所で悶絶した。
(日本の都道府県別名字ランキングだこれーーー!!)
そう。この世界の勢力図は、前世で俺が読み倒したあのランキングと完全に一致している。青森の位置には工藤国。山梨の位置には渡辺国。岐阜の位置には加藤国。
何者かが名字ランキング片手に国を作ったとしか思えない。神様の中に同好の士がいるのかもしれない。今度会ったら握手しよう。
ついでに言っておくと——国の数は四十七だが、名字の種類はもっと少ない。佐藤ひとつで九カ国、鈴木で八カ国と数えていくと、国名になっている名字は十五ほどしかない。
それでもこの世界の理は、名を「四十七」で数える。名の帳簿は国ではなく「土地の座」で綴られていて、同じ佐藤でも、奥州の座の佐藤と、徳島の座の佐藤は、帳簿の上では別の名なのだ。連合というのは、同じ字を名乗る座同士が血盟で束なったもの——というのがこの世界の建て付けらしい。
名字マニアとしては、大いに頷ける。同じ名字でも、土地が違えば由来も血筋も別物。名前ってのは、土地に根を張って初めて名前なのである。
なぜ名字が国名なのか。この世界には、明確な理由がある。
——名力。
人は皆、名乗る姓から加護を得る。佐藤の民は藤の蔓を操り、鈴木の兵は雷鳴を纏う。そして名力の強さは、その姓を名乗る者の数で決まる。
名乗る者が多いほど、強い。
だから大国は戦で民を征服し、姓を強制的に改めさせる。名を増やし、加護を肥やすために。
なら、王様は自分の国の民も全員「比嘉」にしてしまえばいいのでは? と思うだろう。ところがどっこい、そうはいかない。
第一に、名力の質は「誇り」で決まる。無理やり名乗らされた名の加護は、紙みたいに薄い。名が馴染んで本物になるまで、だいたい三代かかると言われている。
第二に、姓にはそれぞれ固有の術がある。例えばこの国で金城家は鍛冶と楯、大城家は石垣と城。家臣の姓を潰して全部「比嘉」にしてしまえば、数は増えても、術がひとつしか残らない。
だから賢い王は、家臣の名を守る。数を稼ぐ王家の姓と、術を担う家臣たちの姓。名前の生態系、というわけだ。
……そしてこの「三代かかる」という理屈が、後々、俺の生命線になる。それはまた別の話。
この世界の戦争は、土地の奪い合いじゃない。
名前の、奪い合いだ。
人呼んで——The Name War。
いや、誰もそうは呼んでいない、俺が呼んでいるだけだ。語感がいいだろ。
ちなみに我が国の正式な国号は「比嘉国」。王家の姓がそのまま国の名になる。だがこの島を、民は誰も彼も、昔ながらに「琉球」と呼ぶ。
名前が奪い合われるこの世界で、土地の名前だけは、誰にも奪えないからだ。
——この事実の本当の重さを、俺は後に思い知ることになる。
◇
さて、ここまで聞くと「王家の三男とか勝ち組では?」と思うかもしれない。
甘い。サーターアンダギーより甘い。
この世界の人間は、七つになると「命名の儀」を受ける。神前で姓を正式に授かり、体のどこかに姓紋——加護の紋様が浮かび上がる。紋が濃いほど、名力が強い。
七年前。俺の命名の儀は、王都の御嶽で盛大に執り行われた。
兄二人は、ともに鮮やかな太陽のような陽紋を出した。
長兄・盛陽は、俺より八つ上の二十二。胸の真ん中に朝日みたいな真円の陽紋。鍛え上げられた肉体は岩、笑い声は獅子、民からは「太陽の申し子」と呼ばれる、申し分のない跡取りだ。ついでに顔もいい。
次兄・盛月は、俺より五つ上の十九。右手の甲に三日月の形に輝く陽紋。剣も書も算盤もそつなくこなす切れ者で、めったに笑わないくせに、女官たちの人気は長兄と二分している。
というわけで、ハードルは上がりきっていた。
で、俺の番。
……何も、出なかった。
腕にも背にも額にも、紋のひとつも浮かばない。神官が青ざめ、二度目の祈祷。無反応。三度目。無風。念のための四度目で、神官のほうが倒れた。
王家始まって以来の、姓紋なし。
人々は俺をこう呼んだ。——空紋の三男、と。
母は泣いた。父である国王は険しい顔で黙り込んだ。居並ぶ重臣、名家である金城家も大城家も、通夜みたいな空気になった。
そんな中、当の七歳児が何を思っていたかというと。
(継承権、実質消滅! 期待値ゼロ! 監視もなし!)
内心、全力でガッツポーズをキメていた。
いやだって、考えてもみてほしい。上に兄が二人いる王家の末っ子なんて、放っておいても政争の駒にされる運命だ。それが「空紋」の烙印ひとつで、駒としての価値もなくなる。
城の隅で好きに生きていい、ということだ。前世は過労で死んだ身としては、これ以上ない再就職先である。
——それに。
俺にはひとつ、確信があった。
姓紋が出ない理由なんて、考えるまでもない。俺の魂は異界産だ。この世界の「姓の理」の帳簿に、俺は載っていないんだろう。
帳簿の外にいる人間に、判子が押せるわけがないのだ。
ここは大事なところなので、自分でも念を押しておく。俺は「前世の記憶を持って生まれ変わった、この島の子」ではない。もしそれなら、魂はこの世界の産で、帳簿にちゃんと名前が載り、人並みの姓紋が出ていたはずだ。記憶が余分にあるだけの、ただの器用な琉球人。
だが俺は違う。魂ごと、まるっと余所から来た。科学技術が発達し、魔法や術なんてない現代日本から、この名字だらけの異世界へ。器も理も、丸ごと外部の人間だ。だからこそ帳簿は俺を弾いた。——空紋は、呪いじゃない。異物である証明だ。
そしてもし——帳簿の外にいる俺が、この世界の「名」を手に入れたら、どうなる?
一人一姓というこの世界のルールは、俺にも適用されるのか?
その答えを探していかなければと思う。
——のちに俺は、八千の軍勢の前でいくつもの名を重ねて名乗り、その答えを知ることになる。
だが、それはまだ先の話。まずは城の書庫からだ。
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