第十一話「空紋、玉座の間に再び立つ」
那覇の湊に飛び込んだ俺たちを待っていたのは、半鐘の音と、恐慌寸前の湊町だった。
無理もない。海の民である琉球人が朝起きたら、水平線に敵の大艦隊と、海に浮かぶ謎の田んぼが見えたのだ。恐慌を起こすなというほうが無理だ。
那覇から首里へ、一里の坂道を馬で駆け上がりながら、俺は叫ぶように頭を整理した。
敵は一万二千。琉球が動員できる兵は、かき集めて六千。倍の差。
ただし敵は海を渡ってきた。浮地の「道」が首里の浜に届くまで、おそらく一日半。
一日半で、二十万人の国の命運を決める準備をする。
……よし。社畜時代の納期に比べれば、まだ人道的だ。
◇
玉座の間は、七年間で一番騒がしかった。
徹底抗戦、籠城、講和、いっそ降伏——重臣たちの声が飛び交う中、俺は真正面から進み出た。汐と埃にまみれた旅装のまま。
「父上。使者の任、只今戻りました」
ざわめきが引いた。厄介払いのはずの三男が、敵より早く、敵の全容を掴んで帰ってきたのだ。
「敵は田中王国南征軍一万二千。大将は田中宗典。狙いは琉球二十万の民の改姓。——そして俺は、奴らの手の内と、勝ち筋を持って帰りました」
「……申せ」
父上の声は、七年前と同じ低さで。けれど今度は、目が合っていた。
「敵の渡海は二段構え。深い外海は船で渡り、琉球の浅瀬に入った所で、船から浮地を実らせて浜まで『道』を作り、歩いて上陸します。浮地は浅い海でしか安定しないゆえ、逆に言えば、港のない浜からでも軍を上げられる。……ですが、あれの弱点は二つ。第一に、浮地は『実り』の術ゆえ、育ちきるまで人の重さに耐えない。つまり敵の進軍速度は田の育つ速さに縛られる。第二に——」
俺は袖をまくった。
「浮いた田は、根を張る先がない。水脈さえ握れば、崩せます」
蒼い井桁の紋が、玉座の間の灯りにさらされた。
悲鳴に近いどよめきが起きた。空紋の三男の腕に、姓紋がある。しかも比嘉の陽紋ではなく、見たこともない蒼い紋が。
「琉太……その紋は」
「拾いました。旅先で」
「拾——」
説明すると長いので割愛したが、後日ちゃんと説明しろと怒られた。
「——お待ちを」
声を上げたのは、大城豪だった。大城家当主の隣で、俺の腕の紋を睨みつけている。
「拾った紋、などと。そのような紋、聞いたこともない。得体の知れぬまやかしで軍議を惑わす気か。空紋が急に紋を得たなどと、誰が信じる」
「信じなくていい」
俺は腕をおろした。
「信じる信じないは、あんたの勝手だ。だが敵は明日には来る。まやかしかどうか、浜で試せばいい。俺の紋が偽物なら、その時こそ存分に嗤えばいい」
今まで見たことのない俺の気迫に、豪は何か言い返そうとしてたが、言葉を探して見つけられずに黙った。
ともあれ、議論の流れは変わった。「紋も持たぬ者の言葉」は、もう誰にも言えない。加えて金城家当主——金城鉄心、真鶴の親父さんにして俺の内緒の師匠が、進み出て膝をついた。
「王よ。金城家は琉太様の策を支持いたします。娘が申しました。『中村の戦、琉太様の絵図に狂いは一つもなかった』と」
——あの体術も儂が仕込んだ、とは言わない。何食わぬ顔で膝をつく師匠と、一瞬だけ目が合った。……この人の秘密の握り方、ほんとうに堅い。
大城家がそれに続いた——苦い顔で押し黙る嫡男の隣で、当主が静かに頭を下げたのだ。両重臣家の支持。実績。そして紋。
父上は長いこと俺を見ていた。それから、静かに言った。
「……軍配は兄たちに預ける。されど琉太、お前は本陣にて献策せよ。お前の目に映るものを、余すことなく申せ」
玉座の間で、初めてもらった役目だった。
◇
それからの一日半は、記憶が飛ぶほど働いた。
どれくらいかというと、飯を食った記憶がない。正確には、食わせてもらった記憶ならある。両手が絵図と算盤で塞がった俺の口へ、真鶴が無言でにぎり飯を突っ込んでいくのだ。三度目に「自分で食える」と抗議したら、「手ぇ止めたら殴る」と返ってきた。介護なのか脅迫なのか、どっちかにしてくれ。
まず防衛線。敵の上陸地点は絞れる。浮地は水深の浅い海でしか安定しない——玄水の証言だ。首里近郊で条件に合う浜は三つ。そのうち二つは崖と暗礁で兵が展開できない。よって本命は、北の遠浅の大浜。ここに全戦力を集中する。
次に役割分担。
大城家の名力は「大いなる楯」——土と岩を積み上げ、一夜で城壁を築く術。これで大浜の後背に三重の壁を作る。
金城家の名力は「金の護」——鋼の楯と武具を鍛え上げ、兵の防御を固める術。壁の間を金の楯衾で埋める。
比嘉本家の陽紋は、兵の傷を癒し、士気を灯す太陽の加護。兄たち二人が各陣に散る。
ここで大事なのが、六千の兵の中身だ。武門の金城・大城は一握り。残りの大半は、漁師や百姓から駆り集めた庶民兵で、姓もてんでバラバラ——比嘉が一番多いが、我如古も、瀬長も、玉城もいる。庶民の姓紋は「潮目を読む」「稲がよく実る」程度の、戦には一銭の役にも立たない生業の加護だ。
だからこそ、王家の陽紋がいる。兄たちの陽紋が全軍を癒し、倒れても立たせ、心を折れさせない。個々は弱くても、束ねれば厚い壁になる。六千の名を、王家の一紋で下支えする——それが琉球の守りの形だった。
守りは、それでいい。問題は、決め手だ。
六千で一万二千を「追い返す」ことはできても、「諦めさせる」ことができない。損害が軽ければ、田中は来年また来る。再来年も来る。国力が倍違うというのは、そういうことだ。
一発、骨身に染みる負けを刻む必要がある。
そのための札は、俺の頭の中に、一枚だけあった。……ただしその札は、俺一人では切れない。
夜、俺は城の一角にいる寧々を訪ねた。東翁と一緒に、祝詞の紙束を読み解いている最中だった。
「寧々殿。頼みがある——んだが、その前に、確認したいことがある」
「なんですか、改まって」
「尚家の言祝ぎは、人に『名』を祝福する術だな。名を寿いで、その名の力を高める。……なら、聞く。言祝ぎってのは、どのくらいの人数まで、いっぺんに祝福できるものなんだ?」
寧々は俺の顔をじっと見て、それから紙束の一枚を差し出した。
古い祝詞の題は、こうだった。
——『国誉』。
「かつて尚の王は、いくさの前にこれを謡いました。国じゅうの名を、一晩でまとめて」
……あった。決め手の札。
「ただし」と寧々は続けた。「言祝ぎは、謡い手の格に応じます。王亡き今、わたくし一人の声では、六千の名は……とても」
「一人なら、な」
俺は自分の右腕を見た。井桁の紋と、その周りに並ぶ、まだ空白の枠を。
「なあ寧々殿。ここからは相談じゃなくて、口説き文句なんだが——」
窓の外、水平線の浮地が、月明かりに白く光っていた。
敵の道は、あと半日で浜に届く。
玉座の間、再び。決戦が近づいてきました。ブックマーク・☆評価が励みになります!




