第九話「検証回は転生者のたしなみ」
転生者には、やらねばならないことがある。
能力の検証だ。
貰った力を検証もせずに実戦投入するのは、説明書を読まずに家電を使うのと同じ。前世の俺は説明書を熟読する側の人間だった。異世界でその習性を曲げる理由はない。
というわけで翌日、中村城の裏手の浜を借りて、検証開始である。立会人は真鶴、寧々、東翁、そして——
「なぜ捕虜の儂が、貴様の稽古に付き合っておるのだ」
「井上の先達だからだよ。ほら先輩、ご指導ご鞭撻」
「先輩じゃないわい」
井上玄水、本日より技術顧問(捕虜)。嫌そうな顔をしつつ律儀に付き合ってくれるあたり、根が真面目なのだ、この人は。
ちなみにこの日、俺が「よう先輩、水壁のコツって何だ」と聞くたびに、玄水は「知らん」と即答した。そのくせ三秒後には「……手首で水を折るな。手のひらから肩までを一体化しろ」と早口の解説が始まる。答えてしまってから、毎回ものすごく嫌そうな顔をする。この人、教え魔だ。
半日かけて、わかったことは以下の通り。
一つ。俺が使えるのは井上の「術式」そのもの。水脈を読む、水を動かす、水の形を組む。型は玄水と同じものが使える。
二つ。ただし「数の加護」は乗らない。井上姓は九州に何万人といて、玄水の術にはその総量の後押しがある。俺の井上は、名乗っているのが俺一人。いわば会員一名の同好会だ。出力はどうしても本家より細い。
三つ。それでも術の出力が上がる瞬間がある。水を「動かす」のは細いのに、水を「守る」動き——飛んでくる矢から人を庇う水壁みたいな使い方をした時だけ、玄水が目を剥く程の出力が出た。
「……ありえん。今の水壁、儂のより厚いぞ」
「たぶん、由来に沿ってるからだ」
俺は濡れた腕の井桁紋を見ながら言った。
「井上は水を守る姓だって、俺は本気で信じて名乗ってる。名の由来ってのは、たぶん術式の設計図なんだ。設計図通りに使えば、一人分の名でも芯が通る。——なあ、玄水。どの姓にも、表の綴りの裏に、もっと古い"本当の綴り"が眠ってるって話、聞いたことないか」
「……真名、のことか。宗家しか知らぬ、名の奥の名。だが、あんなものは眉唾の言い伝えよ」
「どうかな。俺は、あると思ってる」
東翁の祝詞の裏にあった、朱の書き込み。あれが頭から離れない。名の由来が術式の設計図なら、その一番奥に、たぶん"真名"って表題がある。設計図の、原本の名だ。
「——真名ってのは、きっと、この延長線上にある」
玄水は黙り込んだ。それから小さく「水を守る姓、か」と繰り返した。昨日の崖っぷち名字談義、思ったより深く刺さっているらしい。
そして四つ目。これが一番の収穫で、一番の問題だった。
「琉太。それ、なんか余白がない?」
真鶴の問いに、俺は右腕を見た。井桁の紋の周りに、うっすらと、空白の輪郭がいくつも見える。まるで、まだ何も書かれていない帳面の枠のように。
「……確かに。他に枠があるみたいだな」
四十七、という数字が頭をよぎった。
(まさか、もっと重ねられるのか……)
◇
検証の締めは、質疑応答だった。相手は技術顧問(捕虜)である。
軍議の間。義親と重臣の前で、玄水は存外あっさりと口を開いた。武人として敗北の作法を心得ている、というのもある。だがそれ以上に——
「先に言うておく。儂が話すのは、貴様らのためではない。……南征軍のやり方が、性に合わんだけだ」
玄水が語った内容は、俺の背筋を凍らせた。
田中王国南征軍、総大将・田中宗典。兵力八千——ではない。八千は、中村攻めに割いた数に過ぎない。
後詰めとして、田中本国から新たに一万二千が下ってきている。そしてその一万二千は、中村国攻めには参加していない。港に留まり、船を集め、浮地の術者を温存している。
「船で行くのか? それとも浮地で?」
「両方よ。浮地は浅い海でしか安定せん。深い外海には根の張りようがないゆえな。——だから南征軍の渡海は二段構えだ。外海は船で渡り、狙う岸の浅瀬に入った途端、船から田を撒いて『道』を実らせる。港など要らん。守りの薄い浜を選んで、どこからでも一万の軍を上げられる。それが浮地の、真に恐ろしいところよ」
「……おい、まさか」
「中村攻めは、目隠しよ」
玄水は静かに言った。
「宗典公の本命は、初めから琉球。中村を騒がせて琉球の目を九州に釘付けにし、その隙に主力が海を渡る。狙いは琉球二十万の民の——改姓」
軍議の間が、水を打ったように静まった。
二十万人の改姓。田中の名力への、史上最大の上乗せ。それが成れば、四大勢力の均衡は崩れ、田中王国は天下に王手をかける。
俺は膝の上で拳を握った。
読めていたはずだ。田中は琉球に来る、と。だから俺はここに来た。……だが「中村攻め自体が陽動」までは読めていなかった。攻略本を持っていても、敵の指し手まで書いてあるわけじゃない。
「……もうひとつ、言い添えておく」
玄水の声が、一段低くなった。
「宗典公には、切り札がある。田の名力の、秘儀よ。儂も現物は一度、遠目に見たきりだ——九州の小国がひとつ、一夜で地図から消えた。名は『千種実』とだけ聞いておる。だが、どういう術理で、どう出すのかは、儂ら先鋒には明かされん。宗家の最高機密ゆえな」
「見た、とは言うんだな」
「遠くの丘から、一度きり。詳しいことは何も知らん。……ただ、あれが出たら、小僧。お前の小賢しい水読みでは、たぶん足りんぞ」
覚えておく。宗典の、切り札。名前だけを、頭の帳面に書きつけた。中身は空欄のまま。埋まるのは、たぶん最悪の場面だ。
「出航はいつだ」
「知らん。だが船と術者の集まり具合からして——次の大潮、というところであろうな」
次の大潮。十日後。
首里まで、順風で五日。
◇
その夜のうちに、方針は決まった。
義親は本国の防衛で動けない。だが「琉球が落ちれば次は挟み撃ちで中村が死ぬ」ことを正確に理解していた。だから、出せる限りのものを出してくれた。
最速の関船が一隻。水と兵糧。北の戦線から引き抜いた腕利きの水主たち。
「小僧。……いや、比嘉琉太殿」
出航の桟橋で、義親は初めて俺を名前で呼んだ。
「塩地の一件、そして此度の報せ。中村は貴殿に二度、借りができた。——琉球を守り切れ。さすれば次は、儂が借りを返す番よ」
「利子をつけて取り立てに来ます」
「はっはっは! 言うわ!」
船に乗り込む。真鶴、寧々、東翁——祝詞の紙束と一緒に、琉球へ帰ると言って聞かなかった——そして。
「……なぜ儂も乗せられておるのだ」
「技術顧問だろ。あと井上先輩、田中の水軍の手の内、船の上で全部聞かせてもらうからな」
「先輩言うなと言うておろうが」
帆が上がる。関船が黒潮に乗る。
十日後の大潮まで、あと九日。
俺たちの琉球への競争が、始まった。
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