気になること
二人が朝食を終えると、本当に三人で床に座って話は始まった。
「それで、夢のことだが……一紀、エマの夢は見てねえよな?」
「いえ、たぶん見ています。昨日の帰り、車の中で寝てしまったときに……内容は覚えていないんですが、ずっと味気なさのような感覚が残っているんです」
「味気なさか。つまり、味覚だな。それなら、今までに知らなかったのも無理ねえな」
うむ、と仁は腕を組んで納得した声を漏らす。その一方で、景が顎に指を当てながら、ふっと小気味悪く笑った。
「おもしろいね。印を見たことが引き金となって、感覚に関する夢を持ち主に見せ、それが共有されている八神一紀という存在――」
「今はそっちじゃねえだろ」
「分かってるよ。続けて」
分かっている上で敢えてそう言っているあたり、裏切らないなと一紀は思う。今はそうでなくとも、いつしか問題になりそうなことだ。放っておけるものではないだろう。
「一紀、おまえの気になるところはどこだ?」
「そうですね……」
今、何を言うべきか考える。
気になるところはいくつかある。だが、景が「敢えて」言ったこと、今話しているのが夢についてであることを踏まえると……。
「なぜ、仁さんもその夢を見る必要があったのか。ということでしょうか」
「確かにな。一紀に代償についてを見せてぇっつうなら、別に俺が見る必要はねえ」
「仁を通すことで何が出来るかと言えば、より鮮明な夢を見せられるってことくらいだろうけど……実際はどうなの?」
「その線が一番濃いな。あの人のことを一紀が見ていたとしても、ゆかりの持っている白黒の写真がせいぜいだろう。だが、茶髪かと尋ねたら頷いたな?」
「はい。茶髪ということは知りませんでした」
「記憶への干渉か、それとも感情への干渉か。そこに関しては?」
「俺からすると、記憶の一部が繋がっていた夢だったな」
「自分は……仁さんが見ている記憶を、仁さんの感情とともに追体験でもしているような感じでしたね」
「うん。結っ構、嫌な感じなんだろうなってことがよく分かったよ」
「笑顔で言うなバカ」
「あ、はははは……」
とことん調子を崩され、一紀はとりあえず笑った。一人だけ纏っている空気が絶妙に違っている。状況を分かってくれているのだろうか、と怪しくなった。
「で、あと一点……同じ時間にエマも夢を見ていたのかってこともあるね?」
「そうですね。車で寝てた時間となると……あのときは少し暗くなった夕方でしたし、同じ状況かどうかは──」
「エマちゃんが昼寝していたって考えると、なんだかかわいいね」
「景……っ! いい加減にしてくれ……」
いい指摘をしてくるのだが、話を微妙に逸らしている。おそらく、めちゃくちゃに機嫌がいいのだろう。とてつもなく、厄介である。
「はぁ。オメェ、ゆかりの店の手伝いはいいのか?」
「ああ、そうだね。まだ時間に余裕あるけど、仁がもう行けって顔してるから行こうかな。それより仁……事務所に休みの札、掛けなくていいの?」
「……掛けてくる」
頭を抱えながら、仁が部屋を出て行った。完全に、いつも以上に振り回されている。
「さて、準備しようかな。後片付けは任せるよ?」
「はい、やっておきます。あの、一つ聞いてもいいですか?」
「えー、どうしようかな」
なぜ彼に許可を取ろうとしたのだろうか、と一紀は悔いる。しかし、上げかけた腰を下ろしてくれたので、気にしないように言葉を続ける。
「……後で、仁さんにも聞こうと思っていることで。昨夜、仁さんは『どういうわけかダメージは来ていない』と言ってましたよね……自分がこっちの世界に来たことは、向こうに十分な干渉をしたと言えるはずなのに。その矛盾がどうしても気になります」
仁がそのような嘘をつくことはないだろうと思うが、どうしても気になる。おまえがいなくなっても世界に影響しない──などと言われたら、消えてしまいたくなるが。
「君の失踪で影響がないとか、そういう矛盾の正し方はないと思うよ?」
「こ、心読みましたか?」
「さて?」
「……そうじゃないとは、まあ思ってます。自分には家族がいますし、学校にも通っているので影響がゼロではないですから。たぶん」
「じゃあ、聞きたいことは?」
「仁さんが嘘をついているのか。それとも、何か他の可能性があるのか。他の可能性があるとしたら、何が考えられるのか。です」
「うん。いいんじゃない」
「な、何がでしょうか」
「それは自分で考えてみたら?」
言う気が全くないらしい。こういうときは本当に無駄だ。まともにとり合ってはいけない。
「あはは。じゃあ、答えようか。まず仁だけど、彼は嘘をついていない。だから、答えは一択──君の読み通り、他の可能性を考えていることになる。それについては、前から仁と話していたよ。なぜ、負荷がかかってこないのか。そして、出た結論は一つ。『誰か、向こうの世界にこっちを知っている人物がいる』ということ」
「誰か、勝手を分かっている人物の存在──ですか」
「そう。たとえば、『話を作り上げるなりして、大きな干渉を世界に与えないようにする』とか。世界への干渉は基本的にアウト。逆に言えば、それさえセーフになれば、代償は来ないと考えられるってことだよ」
「でも、それはそれで変な話ですよね。その人の存在自体も、ある意味では矛盾のような」
「普段は普通に過ごしているけど、重大な秘密を隠している怪しいヤツってことだね」
「…………」
疑いの視線を向けざるを得なかった。
「どっかの誰かさんの話か?」
声がして、一紀はその方を見上げる。いつの間にか戻ってきた仁が、腕を組んだまま見下ろしていた。
「おかえり、仁」
「ただいま。おまえ、行くんじゃなかったのか? いろいろ話し始めちまうぞ」
「行くよ。じゃあ、あとはよろしくね」
静かに立ち上がる景と入れ替わりに、今度は仁が座る。景は軽く手をひらりと振って、さっさと部屋を出て行った。
「来てねぇダメージについての話だな? その人物については、いくつかの仮説を立てちゃいるが、謎が多すぎる。第一、調べようがねえ」
「広いですもんね」
「ああ。それに、こんなことがなけりゃ、その存在についてを疑いもしねえ。本当にいたとして、そいつと話して何が出来るってことだな。で、まだ気になることはあんだろ?」
「あ、はい。やっぱり、代償のことが気になります。エマさんはあちらの世界に干渉するたび、感覚を徐々に失っていくと言っていたのですが……夢で見た限り、仁さんは突然に感覚を無くしたような気がするんです」
「そうだな。俺はいきなりだった。これは……昔の話をしねえとな」
「聞きたいです! 仁さんがよろしければ」
「そのつもりだ。だから、今日は事務所を休みにした。俺のことは、全部話してやるよ。その前に、俺も一つ聞いてもいいか?」
「なんですか?」
「俺達のどっちかが鍵を持っていると確信しているようだった、と聞いたが?」
「あー、それですか。それは──」
出会ってすぐ説明してくれたから。
初めて見たとき、扉のことを口にしていたから。
守らなきゃいけないと保護してくれたから。
一言で言い切れるようなことはいくつか浮かぶ。だが、それは違う気がした。
感じていることを見つめてみる。どんな感覚だろうかと。
「探偵事務所が中心的な存在だと、たぶん心の底で思っていて、だから……大げさに言えば、主人公のように、自分が世界の中心にいるみたいな感覚で……」
探偵たちにとっては、そうしなきゃいけないことだった。説明しなければ、保護しなければならなかった。だが、それが結果的に根拠のない確信に繋がった。そう考えるのが一番しっくりくる。
「仁さんたちがしてくれたことが、根拠はないですけど、確信に繋がったというか。そんな気がするというか」
「ほう。なかなか、いい勘じゃねえか」
「分かりにくくないですか?」
「そういうもんだろ。俺はいいと思うぜ」
大きな手で一紀の頭を撫でる。やっぱり、仁の手は温かい。
「子ども扱いしないでください……なんか、照れます」
「ガキだろ。どんどん悩んで、前に進んでいけ」
「……はい。頼らせてもらいますよ」
「生意気だな。いいじゃねえか。構えといてやるよ」
彼はふっと笑う。たまに、こういう自然な笑顔が出てくるのが、彼らしいところだ。とても安心する。
「おっと……昔話の前に、コーヒー淹れてもいいか? ついでに、後片付けもしておく」
「ありがとうございます。じゃあ……自分はその間に、環境でも作っておきますね」
「俺の部屋に小せえ机がある。必要なら出してくれ」
生活感のない部屋は、話すのには適していない。カーペットは敷いてあるが、もし可能なら座布団がほしい。
「あっ……あった」
仁の部屋にお邪魔すると、折り畳まれた小さな机のほかに座布団を発見した。同じ色で同じ柄のものが三つある。弟妹が来たとき用のものだろうか。その姿を想像すると、自然と笑みが溢れるほどに微笑ましい兄妹である。
「おーい、おまえは何飲むんだ?」
「いま行きます!」
机と座布団を持って、リビングに戻る。
「……なんで、座布団三つも持ってんだ?」
「抱えられるかなって」
「茉莉かよ」
「茉莉さん、抱えるんですか」
「犠牲者は海斗だな」
「想像できちゃいますね」
机を広げ、座布団を並べる。
ワインレッドの座布団。灰色の布団を中心とした、色のない部屋に差す唯一のカラー。失われた彼の色は、彼の記憶にどれほど残っているのだろうか。




