アンティークな220
5
翌日、例の時計台の前に、約束の十時よりも五分以上も早く着いた。アイザックの姿はまだ見えない。
「やっぱ、少し早かったな」
「まあ、大丈夫ですよ。人通りも少なくはないし、あと五分くらいなら……」
「やめとけ。事務所のあるとこは、日本地域と呼ばれている場所だ。おまえにとっても、そこならホームだろ。だが、ここ中心街はイギリス地域だ。一人で外国を出歩かねえだろ」
「そ、そう言われると、そうですねとしか……ていうか、そんな呼び方あるんですね」
「言ってなかったか」
「はい」
「まあ、いいだろ。とにかく、ずっとこうしちゃいられねえから、とりあえずアイザックの家でも行け」
「えぇ~……。それが、とりあえずなんですか?」
「ああ。アイツのことだから、ゆったり準備してんだろ。迷惑とか思う奴でもねえから、遠慮なく頼っとけ。この道を真っ直ぐ行って、四つ目の階段を上ったとこにある。部屋番は、220だ」
「分かりました」
「じゃ、行ってこい。帰りは送ってくれるだろうから」
「はい。送ってくれて、ありがとうございます」
人差し指と中指を立てて「あいよ」と無言の返事をすると、仁は車を走らせていった。
「…………」
一紀は不安な気持ちをなんとか押さえ、言われた通りにアイザックの部屋を目指す。
数段の階段を上ってみると、確かに220の札が付いた部屋があった。インターホン――はないらしい。だが、ドアに何か金具が付いている。これは確か、ノッカーといったような。
「ふー……よし!」
金具の取っ手を打ち付けて、音を鳴らしてみる。少し待つと、中から伸びやかな声が聞こえてきた。
「はーい」
そして、ドアが開かれる。そこには、寝癖の直りきっていないアイザックの姿があった。前髪がいつも以上に跳ね上がっており、右目の下に泣きぼくろを発見する。
「あれ、イツキ? おはよう」
「おはよう、ございます」
一紀は苦笑を浮かべる。待ち合わせまであと五分だというのに、まるで準備ができていない様子だった。とりあえず寝間着からシャツに着替え、朝食を終えた後だろう。
「早いね?」
「少し早く着いてしまって……仁さんが訪ねろって」
あと五分ですけど、という言葉は飲み込んでおく。仁が予想した「ゆったり準備してんだろ」は当たっていたようだ。なんともアイザックらしい。
「あー、なるほど。じゃあ、少しゆっくりして行こ。紅茶飲む?」
「あ、はい。いただきます!」
「どーぞ」
家の中に入ろうとして、心の内であっと気づく。そうだ、ここはイギリス……当然、玄関で靴を脱ぐ文化はない。
どこか落ち着かない感覚を抱えつつ、家の中に足を踏み入れる。
「おじゃまします」
「うん。こっち」
扉を閉めると、アイザックは左側の部屋に入っていった。カチャッと食器の音が聞こえる。
彼の後を追っていくと、ダイニングルームらしき部屋に迎えられた。奥の方がキッチンであるようで、アイザックはテキパキと紅茶を用意してくれている。
「ねえ、砂糖とミルクはどうする?」
「うーん、アイザックのオススメの量でお願いします」
「わかった。そこ、座ってて」
「はい」
漂い始める紅茶の香りを感じつつ、部屋の中心にあるテーブルの椅子に座る。室内を見回してみると、アンティークな棚が目に留まった。そこには、これまたアンティークなアイテムが多く置いてある。時計、燭台、大きい本、砂時計、ガレオン船の模型――とても、夢を感じる気がした。
想像したことのあるイギリスの雰囲気が、こうして目の前にあるのだ。
「ハイ、紅茶」
湯気の立つティーカップがテーブルに置かれた。一紀の前で、茶葉の香りがふわりと舞っている。
「ミルクティーですね! ありがとうございます。いただきます」
「めしあがれ。俺、準備してくるね」
笑顔を浮かべたアイザックだが、部屋を出て行く背中はとても眠そうだ。動きもゆったりとしていて、どこか微笑ましかった。
「ん、あっつ……ふーっ」
顔に湯気と香りがむわっとかかる。少し行儀が悪いが、待ちきれなくて啜ってみた。
「おいしい」
まろやかさが先に通り、ほんのりと甘みが続いてくる。もう少し冷まして、今度はしっかりと口に含んだ。まろやかさも甘みも温かさも、口全体に広がって染みていく。気づけば、ぐいぐいと飲み干していた。
朝から紅茶を飲み、アンティークな家具を眺めていると、本当にイギリスで過ごしているような気持ちになってくる。
まだ本番前なのに、気分がどんどん高揚してきた。




