甘い味の至福と無粋な男
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八神一紀はたぶん、俺のことが何も分からないと嘆いている。理解したいと思っていることも分かっている。だけど、俺はそれに答える気は無い。
ああ、ホント、あの子が俺のような人間じゃなくてよかった――。
昼食が終わってから、景は奥のデスクで抹茶ケーキと紅茶を楽しむ。
今回のケーキは、以前のものの改良版だ。ふわりとした生クリームが抹茶の味とマッチする。紅茶とも合う絶妙な甘さで、現実のことを忘れてゆっくりしたくなる。
「用事はいいのか?」
横から、現実に遠慮なく戻してくる声がした。無粋な男だ。
紫音の声が聞こえないから、おおかた昼寝でもしているのだろう。
「たいしてないからね」
「性格悪ィな」
「そうかなぁ」
仁と目を合わせず、最後の一欠片を口に入れる。
彼が狂いなく真意に気づいていると、景は分かっていた。
「まあ、そろそろ奥で資料の整理をしたいと思ってたしね。あ、あとで買い物には出かけるから、ご心配なく」
「心配なんかしねえよ。本当に性格悪ぃ」
「はは、ありがとう?」
左の方から溜息が聞こえたが、まあ珍しいことではない。
「……あいつの手伝いはおめぇが言い出したのか?」
「そうだね。せっかくの機会だからと思って」
「そうかよ」
なんだかんだ気になっているようだが、一紀を心配する言葉は発しなかった。手伝いをしていることに、何の心配もないらしい。おそらく、仁も気づいている。
ゆかりの店で頼まれているだろう仕事は、包装とセットメニュー出しだ。色札を使って、注文の指示出しをする。味噌汁付きのセットAは赤、おかず付きのセットBは青、定食のセットCは黄色など、目で分かるものだ。そういう類いの仕事なら、一紀も大丈夫だろう。
電話番を任されてすぐ、失敗したことや改善すべきことを紙に書き出していた。そのうち、メモしておこうと思った項目までも書き留めていたことには驚いたが。
ふと時計を見ると、十二時半だった。店もだいぶ混む時間だろう。
「そろそろ、買い物行っちゃおうかな。欲しいものある?」
「じゃあ、卵」
「他にはいいの? 何か作りたい物とかない?」
「今日の夕飯は景だろ」
「もちろん、明日のだよ」
「……豚バラ肉とキャベツを買っといてくれ。あと、麺」
「了解。食器とかよろしくね」
颯爽と出かけていく背中を見送り、ぎりぎり彼の耳に入る距離で仁は溜息を吐く。
奴は「食器とかよろしく」などと言っていたが、実際はあの話を黙っていて欲しいだけだ。そんな面倒なことはされなくても、言いはしないのだが……ここ数週間で信頼度でも落ちたのだろうか。
まあ、絶大な信頼とか絶対的な信頼とか、彼ら二人にとってはなかなかに笑える話なのだが。特に、景にとっては縁遠いものだ。会った当初からそうなので、仁ももう気にしてはいない。上手くいっているから、それで十分だった。
そんな環境で、一紀だけが違うために少しばかりは影響があるのかもしれない。
「んなこたぁねえか」
自身に対して鼻で笑い、仁は食器を片付ける。スープの残った鍋だけは、蓋をして冷蔵庫に入れた。
一紀はまだ帰ってこないだろう。つまり、見られたくない人はいない。
使い古した手袋を外し、食器を洗い始める。慣れた手つきのため、五分ほどで全てが終わった。
「ん~、にゃむにだすし……」
「……なんつったんだ……」
紫音の謎めいた呟きに、自然と頬が緩む。ソファの近くに腰を下ろし、横になっている女の子の頭を撫でた。
「そっくりだな、あの人にも」
今は亡き彼女の父親の姿を思い出す。彼はそれこそ、だいぶお節介な男だった。
一紀もいつかその存在に気づくだろう。
いや、ゆかりのことだから、今日にでも話しているかもしれない。




