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第43話 塩は軽そうに見えて、信用より重い

 翌朝。


 局長席の上には、豆ではなく塩の袋が置かれていた。


 小さな袋だ。


 手のひらより少し大きいくらい。


 だが、俺にはそれが王都評議会の仮承認文書と同じくらい重く見えた。


【新規任務:南西農村へ塩・農具を優先配送】


【期限:塩七日以内、農具十日以内】


【失敗時:豆類優先供給協定の信用低下】


「塩七日、農具十日……」


 俺が呟くと、トマが帳簿をめくりながら言った。


「配送局が自分で約束した期限です」


「言い方が刺さる」


「刺すために言いました」


「トマさん、最近ほんと強いな」


「局長の無茶に鍛えられました」


 反論できない。


 昨日、リーベル商会の金貨攻撃をかわすために、俺たちは農村連合へ約束した。


 配送局が塩と農具を早く届ける。


 その代わり、豆の災害復旧枠を守る。


 つまり今日から、塩と農具はただの商品ではない。


 豆の道を守るための信用そのものだ。


 ミレーユが地図を広げる。


「塩は商会備蓄から出せます。ただし量が問題です」


「足りない?」


「南西農村全体へ十分な保存用を出すなら、今の在庫では五割ほどです」


「半分か……」


「七日以内に残りを確保する必要があります」


 金色の線を見る。


 エルドベルク商会倉庫。


 北の塩商人。


 東の旧市場倉庫。


 そして、貴族区の備蓄庫。


 嫌な予感がした。


「貴族区にありますね」


 ミレーユが微笑む。


「あります」


「また名誉ポイントですか?」


「今回は少し違います。塩は保存食に関わるため、貴族区も簡単には出し渋れません。ただし、対価は求めるでしょう」


「何を?」


 ミレーユはさらっと言った。


「配送局の正式支援者として、王都月次報告に名前を載せること」


「やっぱり名誉ポイントじゃないですか」


「貴族は名誉で動きます。商人は利益で動きます。料理人は飯で動きます」


 その瞬間、外からバルロの声が飛んできた。


「飯で動かん奴の方が危ない!」


「聞こえてるんだ……」


 配送局の壁は、相変わらず薄い。


   ◇


 農具の方は、もっと厄介だった。


 鍬、鋸、斧、鎌、荷車の部品。


 南西農村が今欲しがっているのは、見た目より幅広い。


 ただ「農具」と言っても、畑用、修繕用、収穫用、街道補修用で全然違う。


「全部新品で揃えるのは無理です」


 トマが数字を見ながら言った。


「費用も、納期も、職人の手も足りません」


「じゃあ中古修理?」


 俺が聞くと、ガルドが頷いた。


「騎士団の古い工具庫に使える物がある。刃が欠けた斧、柄の折れた鍬、古い鋸などだ」


「修理できれば使える?」


「できる」


「誰が?」


 場が一瞬止まった。


 そこへ、ダリオが手を上げた。


「俺たち旧ハルク村の連中なら、柄の交換くらいはできる。木こりやってた奴もいるしな」


 ロイが横から言う。


「南区にも鍛冶場の手伝いしてた奴がいる。刃は鍛冶屋に出すとして、木部ならこっちで直せる」


 来た。


 金色の線が太くなる。


【農具修理案】


【材料:騎士団古工具、南区廃材、旧ハルク村木工技術】


【不足:鍛冶屋の刃研ぎ・金具補修】


「鍛冶屋は?」


 俺が聞くと、ミレーユが少し顔をしかめた。


「エルドベルク東鍛冶組合があります。ただ……」


「ただ?」


「黒霧災害後、東門修理と馬車部品の依頼が殺到しています。今、非常に機嫌が悪いです」


「鍛冶屋が機嫌悪いの、怖いな」


 バルロが遠くから言った。


「腹減ってるんじゃねぇか!」


「全部飯に戻すなぁ」


 でも、案外当たっているかもしれない。


 忙しくて飯が雑になっている職人は、だいたい機嫌が悪い。


   ◇


 俺たちは三つに担当を分けた。


 塩の確保はミレーユと俺。


 貴族区と商会倉庫を回る。


 農具の回収はガルド、ロイ、ダリオ。


 騎士団工具庫と南区廃材置き場へ。


 鍛冶屋交渉は――。


「俺ですか?」


 ニコが目を丸くした。


「俺、飯係ですよ?」


 バルロが腕を組む。


「鍛冶屋は腹が減ってる。飯を持っていけ」


「本当にその作戦なんですか」


「職人は腹と手を止めると話を聞く」


 妙に説得力があった。


 結局、鍛冶屋交渉はニコとエマが行くことになった。


 エマは連絡札と依頼書を持つ。


 ニコは鍋を持つ。


 何の交渉団なのか分からない。


 だが、配送局ではだいたいこういう編成が一番強い。


   ◇


 貴族区へ行くと、例のグレイ伯爵家の代理人が待っていた。


 昨日のうちにミレーユが話を通していたらしい。


 根回しが速い。


 怖い。


「塩の提供について、伯爵家は前向きです」


 代理人はそう言った。


「ただし、条件があります」


「月次報告ですか?」


 俺が聞くと、代理人は少し驚いた顔をした。


「話が早い」


「慣れてきました」


「グレイ伯爵家が、南西農村への食糧保存支援に貢献したことを明記していただきたい」


 ミレーユが優雅に頷く。


「もちろんです。ただし、提供量と日付も記録します」


「日付?」


「期限内に届けることが信用に関わりますので」


 代理人は少し考えた後、頷いた。


「よろしい。塩袋二十を出しましょう」


 十分ではない。


 だが大きい。


 金色の線が少し明るくなる。


【塩必要量:五割 → 七割確保】


「あと三割」


 俺が呟くと、ミレーユが言った。


「東市場の古い塩倉庫へ向かいましょう」


「そこ、使えるんですか?」


「古いので品質確認が必要です」


「嫌な予感」


「私もです」


   ◇


 東市場の塩倉庫は、思った以上に古かった。


 木の扉は歪み、屋根の一部は修理跡だらけ。


 中に入ると、湿った匂いがした。


 塩には最悪の匂いだ。


 倉庫番の老人が申し訳なさそうに頭を下げる。


「黒霧騒ぎで換気が止まりましてな。奥の袋は湿っているかもしれません」


 ミレーユが袋を開け、少し指で確認する。


 塩は固まっていた。


 完全に駄目ではない。


 だが、このままでは農村に渡せない。


「乾燥させれば使える分があります」


 彼女は判断した。


「全量は無理ですね」


 俺の視界に、金色の線が倉庫の中で分かれる。


 使える塩。


 使えない塩。


 再乾燥可能な塩。


「奥の三列は駄目です。右側の五袋は乾燥すればいける。手前の八袋はそのまま使えます」


 倉庫番が目を丸くする。


「見ただけで分かるのですか?」


「なんとなくです」


 ミレーユは即座に商会員へ指示した。


「手前八袋を確保。右側五袋は乾燥場へ。奥三列は食用不可として工業用に回します」


「食用不可も使うんですか?」


 俺が聞くと、ミレーユは頷く。


「皮革処理や道の凍結対策など、用途はあります。捨てません」


 さすが商人。


 無駄にしない。


【塩必要量:七割 → 九割確保】


「あと一割」


「商会備蓄から追加で出せます」


 ミレーユが言った。


「ただし、街の保存食用が少し薄くなります」


「それは危ない」


 俺は考える。


 塩を農村へ出しすぎて、エルドベルクの保存が弱くなったら本末転倒だ。


 必要な分を守る。


 昨日、豆で学んだことだ。


「街の最低備蓄は削らない。足りない一割は、分納でいいかマルタさんに相談しましょう」


 ミレーユが微笑んだ。


「良い判断です」


「褒められた」


「少し局長らしくなってきましたね」


「それは褒めてる?」


「半分は」


「もう半分は?」


「まだ危なっかしいです」


 安定の評価だった。


   ◇


 局舎へ戻ると、農具班も戻ってきていた。


 中庭には、古い農具が山のように積まれている。


 柄の折れた鍬。


 刃こぼれした斧。


 錆びた鎌。


 歪んだ荷車の金具。


 見た目はガラクタだ。


 だが、ダリオの目は真剣だった。


「直せる物は多い」


 ロイも頷く。


「木材があれば柄は作れる。問題は刃だな」


「鍛冶屋次第か」


 その時、ちょうどエマとニコが戻ってきた。


 なぜか鍛冶職人を三人連れている。


 全員、腕が太く、顔が怖い。


 だが、手には器を持っていた。


 豆粥の器だ。


「……成功?」


 俺が聞くと、エマが満面の笑みで言った。


「成功です!」


 ニコが胸を張る。


「鍛冶場の皆さん、お昼を食べてなかったので」


 バルロ作戦、また成功した。


 鍛冶職人の親方らしき男が、器を空にして言った。


「農具の刃研ぎくらいなら夜に回せる。ただし、東門修理を止めるわけにはいかねぇ」


「もちろんです」


「それと、刃を直すなら柄もちゃんとしろ。悪い柄につけるとすぐ折れる」


 ダリオが前へ出る。


「柄は俺たちが作る」


 鍛冶親方はダリオを見た。


「木が分かる顔だな」


「少しは」


「なら、半端なもん持ってくるなよ」


「持ってこない」


 職人同士、謎の会話が成立している。


 金色の線が太くなる。


【農具修理体制:成立】


【鍛冶組合:夜間刃研ぎ協力】


【旧ハルク村・南区:柄作成】


【農具納期:十日以内達成見込み】


「よし……!」


 思わず声が出た。


 塩は九割確保。


 農具は修理体制ができた。


 かなり進んだ。


   ◇


 だが、ここで新しい問題が出た。


 鍛冶親方が言った。


「鉄材が足りねぇ」


「鉄材?」


「農具の刃を直す分には何とかなる。だが、荷車金具と石橋補強もやるなら、鉄材がいる」


 石橋補強。


 西農道の豆の道。


 また繋がった。


 俺の視界に線が伸びる。


 東門修理。


 農具修理。


 石橋補強。


 すべて鉄材を食っている。


【資材競合:鉄材】


【放置時:東門修理・農具納品・西農道補強のいずれかが遅延】


「資材の奪い合いか……」


 トマが頭を抱えた。


「今度は鉄材台帳ですか……」


「必要ですね」


「分かっています……」


 バルロが横から言った。


「鉄は食えんが、飯を作る鍋にはいる」


「食糧支援統括、鉄材にも参戦?」


「鍋が壊れたら飯が止まる」


「それは大問題だ」


 笑い話ではない。


 鍋、農具、橋、門。


 全部が鉄に繋がっている。


 配送局が扱う物資の範囲が、また広がった。


   ◇


 夜の会議で、鉄材の優先順位を決めることになった。


 参加者は、リリアナ、ガルド、鍛冶親方、ミレーユ、トマ、バルロ、俺。


 議題は鉄材配分。


 王都の評議会より地味だ。


 でも、下手すると生活が止まる。


 リリアナが言った。


「東門修理は防衛上、削れない」


 鍛冶親方が続ける。


「農具は最低限なら少ない鉄で済む。全部新品みたいにする必要はねぇ」


 ミレーユが言う。


「西農道の石橋補強は、豆の道に関わります。ここも必要です」


 バルロが腕を組む。


「鍋の補修分は残せ」


 トマが表を作る。


「東門、石橋、農具、鍋。四分類ですね」


「また分類」


「分類しないと争います」


 もう本当にその通りだ。


 俺は金色の線を見る。


 全部を満点にはできない。


 必要最低限を守る配分。


「東門は安全ラインまで。石橋は軽馬車維持に必要な分。農具は刃研ぎ優先で、金具交換は緊急分だけ。鍋は予備鉄材を小口で確保」


 鍛冶親方が顎を撫でた。


「現実的だな」


 リリアナも頷く。


「防衛は最低限維持できる」


 ミレーユが微笑む。


「豆の道も止まりません」


 バルロが言う。


「飯も止まらん」


 トマが書く。


【鉄材配分・第一版】


 また新しい台帳が生まれた。


 トマの胃に悪いが、配送局には必要だ。


   ◇


 会議が終わった後、俺は局長席で一人、今日の記録を見返した。


【塩:九割確保、残り一割は分納交渉】


【農具:修理体制成立】


【鍛冶組合:夜間協力】


【鉄材:配分管理開始】


 一つ届けるために、別のものが見えてくる。


 豆を守るために塩が必要。


 塩を届けるために倉庫の品質確認が必要。


 農具を届けるために鍛冶屋が必要。


 鍛冶屋を動かすには飯が必要。


 農具と橋と門を直すには鉄が必要。


 全部、繋がっている。


 配送局の仕事は、物を運ぶことだけじゃない。


 繋がりの詰まりを見つけること。


 それを誰かに渡し、記録し、少しずつ流すこと。


 俺は羽ペンを取り、今日の一文を書いた。


【塩は信用、農具は未来、鉄は全部の骨】


 少し厨二っぽい。


 でも、今の実感としては正しい。


 トマが後ろから覗き込んで言った。


「月次報告の見出しにはしないでくださいね」


「駄目ですか?」


「少し詩的すぎます」


「じゃあ局長メモで」


「それなら」


 許可が出た。


 局長メモ。


 なんだそれ。


   ◇


 外では、ダリオたちが農具の柄を削っている。


 鍛冶場からは、夜でも鉄を打つ音が聞こえる。


 バルロの弟子たちは、鍛冶屋向けの夜食を用意している。


 ミレーユは塩の分納交渉の手紙を書いている。


 エマは札箱に「資材札」を追加するか悩んでいる。


 配送局は、また勝手に広がっている。


 俺は少し笑った。


 明日は、塩の第一便を南西農村へ出す。


 農具修理も始まる。


 鉄材台帳も動く。


 そしてたぶん、また何かが足りなくなる。


 でも、今日のところは。


 豆の約束を守るための道が、ちゃんと見え始めた。


 塩七日。


 農具十日。


 締切はまだ生きている。


 そして配送局も、まだ走れる。

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