第41話 白札一枚で、人は泣く
翌朝。
局舎の入口に置いた新しい札箱は、さっそく仕事をしていた。
青札。
黄札。
白線札。
緑札。
そして、白札。
「……白札?」
俺は見慣れない札を手に取った。
白い板に、小さく家の絵が描かれている。
発行者印あり。
緊急度は丸。
人数欄は一。
期限欄には「次の宿場便まで」と書かれていた。
トマが横から覗き込む。
「安否確認札ですね」
「ああ、ラウゼン宿場の門番さんの妹さん」
「はい。エマさんが正式分類に追加しました」
「いつの間に」
「昨日の夜です」
また俺が知らないうちに増えている。
配送局、成長速度が早すぎる。
札の裏には、エマの字でこうあった。
【確認対象:ミラ・南区避難者名簿にあり】
【状態:無事】
【現在地:西区第二避難所】
【返信希望:ラウゼン宿場門番・兄ダン】
「無事だったんだ」
胸の奥が少し軽くなった。
ラウゼン宿場で、妹の安否を心配していた門番。
彼の顔が浮かぶ。
黒霧の噂。
エルドベルクは滅びたという流言。
それに怯えていた男へ、ようやく返事を届けられる。
「これ、今日出せる?」
「商会の宿場便が昼に出ます」
トマが帳簿を開く。
「白札返信便として記録します」
「情報配送、正式業務になったね」
「なりました」
「また仕事増えた?」
「増えました」
トマはため息をついた。
だが、嫌そうな顔ではなかった。
「でも、これは必要な仕事です」
その言葉が、妙に嬉しかった。
トマ先生、本当に変わったな。
◇
白札の返事を書くため、俺は西区第二避難所へ向かった。
同行はエマ。
彼女が確認した本人から、直接一言もらいたいという。
避難所では、バルロの弟子たちが朝粥を配っていた。
今日は山羊乳を少し混ぜた病人用と、豆多めの作業員用で鍋が分かれている。
完全に給食センターみたいになってきた。
「局長!」
子どもたちが手を振ってくる。
「局長じゃなくて――」
と言いかけて、もう諦めた。
「おはよう」
子どもたちは笑った。
避難所の奥に、ミラという女性がいた。
年は三十前後。
少し痩せているが、顔色は悪くない。
隣には小さな男の子。
エマが声をかける。
「ミラさん。ラウゼン宿場のお兄さんから、安否確認が来ています」
ミラは一瞬、何を言われたのか分からない顔をした。
「兄さん……?」
「はい。ダンさんです」
その名前を聞いた瞬間、ミラの目が大きく開いた。
そして、唇が震えた。
「兄さん、生きてるの……?」
「はい。宿場で門番をされています。エルドベルクが滅びたって噂を聞いて、心配されていました」
ミラは両手で口元を押さえた。
涙がこぼれる。
隣の男の子が不安そうに母親を見上げる。
「お母さん?」
「大丈夫……大丈夫よ」
ミラは泣きながら笑った。
「兄さんに、伝えてください。私は無事です。この子も無事です。水も、食べ物も、届いていますって」
俺は頷いた。
「必ず届けます」
エマが白札の裏に、丁寧に書き込んでいく。
【私は無事です。子どもも無事です。西区第二避難所にいます。水と食事は届いています。心配しないで。ミラ】
短い。
でも、重い。
この数行を受け取ったら、あの門番はきっと泣くだろう。
俺はその時、はっきり分かった。
安否確認は、ただの情報じゃない。
不安で止まっていた心を、もう一度動かす荷物だ。
◇
局舎へ戻ると、白札返信便の準備が始まっていた。
商会の小型馬車に、ラウゼン宿場宛ての荷物を積む。
ついでに、王都帰路で貼った簡易告知の追加分。
それから、宿場向けの小さな豆粉袋。
ニコが真顔で言った。
「返事だけより、少し食べ物があった方が場が落ち着くと思います」
「バルロさん化してきたなぁ」
「褒め言葉ですか?」
「かなり」
ニコは嬉しそうだった。
バルロの弟子たちは、飯で場を取る思想を確実に受け継いでいる。
トマが白札返信便の記録を読み上げる。
「宛先、ラウゼン宿場門番ダン。内容、妹ミラの安否確認返答。添付、避難所所在情報、簡易復旧告知、豆粉小袋」
「豆粉小袋まで記録するんだ」
「荷物ですので」
「そうでした」
エマが白札を布袋に入れる。
その手つきは慎重だった。
水樽でも薬草箱でもない。
でも、大切な荷物だと分かっている手つきだった。
「エマ」
「はい」
「これ、君が制度化してくれてよかった」
彼女は少し驚いた顔をした。
「私が?」
「うん。俺なら、ただ返事を書いて終わってたかもしれない。でも白札にしたから、次からも使える」
エマは白札箱を見た。
「私、助けを待っている時、返事が来ないのが一番怖かったんです」
「うん」
「だから、誰かの『無事』がちゃんと届くようにしたいです」
強い。
本当に強い。
「白札担当、頼むね」
「はい!」
こうして、ラウゼン宿場への白札返信便が出発した。
【白札返信便一号:出発】
【情報配送分類:安否確認】
【流言不安低下見込み】
◇
しかし、良い話だけで一日が終わるほど、配送局は甘くなかった。
昼過ぎ。
南西農村連合のマルタが、局舎へやってきた。
顔が険しい。
手には黄札。
緊急度は三角。
「局長、豆の件だ」
「また何か?」
「王都商人が買い上げに来た」
ミレーユの目が細くなった。
「買い上げ?」
「ああ。相場より高い値で、うちの豆をまとめて買いたいと言ってきた」
「それ自体は商売では?」
「問題は量だ。今ある余剰分を全部だよ」
それはまずい。
南西農村の豆は、西区避難所、三村、南西街道補修班の食糧安定に直結している。
高値で全部買われたら、配送局の豆が消える。
「誰が?」
マルタは木札を机に置いた。
王都の商会印。
俺は詳しくないが、ミレーユは見た瞬間に表情を変えた。
「リーベル商会ですね」
「知ってるんですか?」
「王都で香辛料と穀物を扱う大商会です。魔導師ギルドとも取引があります」
嫌な名前が絡んできた。
俺の視界に赤線が走る。
【警告:食糧網への市場干渉】
【目的候補:配送局の食糧安定度を下げる】
「豆を買い占めて、配送局の食糧網を詰まらせる気か」
俺が呟くと、ミレーユが頷いた。
「直接潰せないなら、仕入れを潰す。王都らしいやり方です」
「でも、高く買うなら農村側は得では?」
マルタは腕を組んだ。
「短期ではね。でも全部売ったら、こっちの冬越し分と配送局分がなくなる。高値につられて売る村も出そうで困ってる」
金で道を曲げに来た。
力ずくより厄介だ。
誰かを悪者にしにくい。
農村が高く売りたいのは当然だ。
商人が買いたいのも当然。
でも、必要な量まで抜かれると、避難所の粥が薄くなる。
そして薄い粥は、治安を悪くする。
バルロが遠くから来て、話を聞くなり低く言った。
「豆を全部持っていかれたら、腹が荒れる」
「腹が荒れる」
「人も荒れる」
食糧支援統括の言葉は重い。
◇
緊急会議が開かれた。
参加者は俺、ミレーユ、マルタ、バルロ、トマ、エマ。
議題は、豆の買い占め対策。
ミレーユがまず整理する。
「買い占めを力で止めることはできません。農村側には売る自由があります」
「ですよね」
「ですが、配送局が必要最低量を事前契約で確保することはできます」
マルタが頷く。
「農村連合としても、全部売りは危ない。だが、高値を逃すなって声もある」
「じゃあ、全部止めるのではなく、分ける」
俺は地図を見る。
南西農村。
配送局。
王都商会。
冬越し備蓄。
金色の線が、三分割に伸びる。
「一つは農村の冬越し備蓄。これは売らない」
マルタが頷く。
「当然だね」
「二つ目は配送局の災害復旧枠。避難所、三村、補修班に必要な量。これも先に契約」
ミレーユが書く。
「優先供給契約ですね」
「三つ目が余剰商業枠。そこは王都商会へ売ってもいい」
マルタの表情が少し動いた。
「全部を止めないってことかい」
「はい。農村も稼がないと続かない。でも命綱まで売ると、後でみんな困る」
バルロが言う。
「種豆も残せ。来年食えなくなる」
「種豆」
大事だ。
今食う豆だけじゃない。
次の収穫の豆。
未来の粥。
そこまで見ないといけない。
トマが表にする。
【豆配分案】
・冬越し備蓄
・種豆
・配送局災害復旧枠
・農村自家消費
・商業販売余剰枠
「項目が多いですね」
俺が言うと、トマは真顔で返した。
「命の項目です」
「はい」
反論できない。
◇
問題は、王都商会が納得するかだった。
高値で全部買いたい相手に、「余剰分だけです」と言って引くか。
普通は引かない。
ミレーユは静かに言った。
「こちらから先に契約書を作ります。王都仮承認文書を根拠に、災害復旧特例機関への優先供給枠として」
「王都の文書を盾にする?」
「はい。王都が仮承認した配送局への供給を、王都商会が妨害している形にできます」
怖い。
紙で殴り返す技術が上がっている。
マルタがニヤリと笑った。
「いいね。王都の紙を王都商人に見せるわけだ」
「さらに、農村側には最低価格保証をつけます」
ミレーユが続ける。
「配送局枠は王都商会の高値より安くても、長期契約で安定購入する。農村は収入の見通しが立ちます」
「短期の高値より、長期の安定か」
俺は頷いた。
「配送局らしいですね」
「ええ。流行り値に振り回されると、道が壊れます」
それ、投資にも通じるなと思ったが、今は言わないでおいた。
◇
夕方。
南西農村連合との契約書が作られた。
【豆類優先供給協定】
一、農村連合は冬越し備蓄・種豆を確保する。
二、配送局は災害復旧枠として一定量を定期購入する。
三、災害復旧枠は避難所、三村、補修班、教会病人食に優先配分する。
四、余剰分は農村側が自由に販売できる。
五、王都商会との取引は、災害復旧枠を侵害しない範囲で行う。
マルタは契約書を読み、深く頷いた。
「これなら、村々も納得させやすい」
「王都商会が圧をかけてきたら?」
俺が聞くと、ミレーユが微笑む。
「王都仮承認文書の写しを見せます」
「強い」
「さらに、王都商人組合のオーウェン様にも写しを送ります。リーベル商会が災害復旧枠を侵害している可能性がある、と」
「外堀を埋めるのが早い」
「商売ですので」
その時、頭の中に表示が浮かぶ。
【豆類優先供給協定:成立見込み】
【食糧網買い占めリスク:低下】
【西区避難所食糧安定度:上昇】
よし。
買い占め対策、ひとまず道が見えた。
◇
夜。
白札返信便が戻ってきた。
いや、正確にはラウゼン宿場まではまだ行っていない。
途中の宿場便乗り継ぎ地点まで届けた商会員が、受領確認を持ち帰ったのだ。
【白札返信便一号】
【ラウゼン方面宿場便へ引渡済】
【受領者印あり】
エマはそれを見て、ほっと息を吐いた。
「届きますね」
「うん」
「ダンさん、安心しますね」
「たぶん泣くね」
「泣きますか?」
「泣くと思う」
エマは少し笑った。
その笑顔を見て、俺は思った。
今日一日で、配送局はまた二つの道を作った。
一つは白札。
離れた家族へ「無事」を届ける道。
もう一つは豆の優先供給協定。
人の腹と冬を守る道。
どちらも派手じゃない。
魔物も倒していない。
王都で大演説もしていない。
でも、たぶんこういう地味な道が、街を本当に生かしていく。
◇
局長席で今日の記録を書く。
【白札返信便一号、ラウゼン方面へ引渡】
【豆類優先供給協定、南西農村連合と合意】
【王都商会による買い占めリスク、監視開始】
最後に、俺は少し考えて一行を足した。
【高く売れる物ほど、必要な分を先に守る】
バルロが横から覗き込み、頷いた。
「飯の基本だ」
「商売の話でもありますね」
ミレーユが言う。
「配送の基本でもあります」
トマが続ける。
「帳簿の基本でもあります」
エマが札箱を抱えながら笑った。
「札の基本でもありますね。必要な声を先に守る」
みんな、それぞれの言葉で同じことを言っている。
必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で届ける。
看板の言葉は、今日も少しだけ重くなった。
俺は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
明日、王都商会の使者が来るかもしれない。
豆の値段で揉めるかもしれない。
白札の返事がさらに増えるかもしれない。
月次報告は、まだ白紙に近い。
でも、道はある。
そして今は、俺一人で走らなくてもいい。
エマが札を運び、トマが記録し、ミレーユが契約し、バルロが飯を守る。
配送局は、今日もちゃんと配送局だった。




