第40話 エマの初便と、局長の我慢便
翌朝。
エマは、局舎の前で背筋を伸ばしていた。
手には新しい連絡札の箱。
青札、赤札、黄札、茶札、白線札、緑札。
それぞれに、丸、三角、ギザギザの緊急度印。
さらに発行者印の欄。
人数欄。
必要期限欄。
昨日までより、ずっと実務っぽくなっている。
「三村を回って、札の使い方を説明してきます」
エマはそう言った。
声は少し震えている。
でも、目は逃げていない。
最初に村から助けを求めてきた少女が、今度は村へ仕組みを届けに行く。
成長が早い。
早すぎて、局長の俺が置いていかれそうだ。
「同行は?」
「商会馬車一台、護衛騎士一名、修道女リナさん、あと記録補助に南区のカイさんです」
「カイ?」
後ろで、南区の若者が手を上げた。
「俺っす。字はまだ怪しいけど、札の絵なら分かるんで」
「頼もしい」
「ロイさんに、ちゃんと見てこいって言われました」
ロイ、すっかり現場監督みたいになっている。
配送局、自然に人材が増殖している。
俺は札箱を見る。
「エマ、無理しなくていい。説明して、分からないところは持ち帰ってくれればいいから」
「はい」
「揉めたら、その場で結論を出さない」
「はい」
「赤札が出ても、まず発行者印と人数確認」
「はい」
「道中で怪しい札があったら――」
言いかけたところで、トマが横から静かに言った。
「局長、過保護です」
「いや、でも」
「エマさんは手順書を持っています。こちらにも控えがあります。行かせましょう」
トマ先生、厳しい。
エマは少し笑った。
「大丈夫です。ちゃんと持っています」
彼女は小さな手順書を見せた。
表紙には、トマの字でこう書かれている。
【連絡札説明便・初回手順】
完全に研修資料である。
異世界の配送局、だんだん会社っぽくなってきた。
◇
エマたちの馬車が出発した後、俺は局長席に座った。
座った。
座ってしまった。
行かない。
俺は行かない。
エマの初便を見送り、俺は局舎で全体を見る。
そう決めた。
決めたのだが。
「落ち着かない」
「昨日も言っていました」
トマが帳簿を書きながら返す。
「今日も落ち着かない」
「明日もたぶん落ち着きません」
「慣れますかね?」
「慣れてください」
冷たい。
でも正しい。
局長が毎回現場へ飛び出していたら、局が育たない。
分かっている。
分かっているのだが、金色の線が三村方面へ伸びているのを見ると、足が勝手に動きそうになる。
俺は机を掴んで耐えた。
現場に行かない勇気。
今日も修行だ。
◇
昼前、一通目の報告が届いた。
ルッカ村からだった。
届けたのは商会の早馬係。
木板にはエマの字で、少し丸っこくこう書かれていた。
【ルッカ村】
【札説明完了】
【青札:通常】
【赤札:なし】
【緑札:三角】
【内容:湧き水路の野菜洗い利用が増加。飲用水との混用注意】
「緑札、野菜なのに水路問題も絡んでるのか」
俺が呟くと、トマがうなずいた。
「現場では分類が混ざります。札制度の限界ですね」
「対応は?」
木板の裏を見る。
【対応案:湧き水上流を飲用、下流を野菜洗いに分離。札で表示予定】
エマの判断だ。
いい。
かなりいい。
「そのまま実行許可。下流側には白線札も併用って返して」
「記録します」
トマがさらさら書く。
俺が現場にいなくても、報告が来て、判断して、返す。
これが局長業務か。
地味。
でも、悪くない。
◇
次の報告は、ファルネ村からだった。
これは少し重かった。
【ファルネ村】
【黄札:三角】
【茶札:三角】
【内容:避難民名簿更新。滞在希望者増。村人側から不満あり】
やっぱり来た。
ファルネ村の定住摩擦。
水や食料と違って、人の居場所の問題は簡単に解けない。
報告板には、エマの追記があった。
【提案:避難民を水運び・畑復旧・炊事補助に分ける。配給と労働記録を連動】
トマがそれを見て、少しだけ口元を緩めた。
「私の教え方がよかったですね」
「トマ先生、嬉しそう」
「少し」
素直になってきた。
俺は考えた。
エマの案は正しい。
ただし、配給と労働を強く結びつけすぎると、病人や子どもが不利になる。
「返答。労働記録は作る。ただし、子ども、老人、病人は配給減額対象にしない。働ける大人だけ、役割登録を進める」
「はい」
「あと、村人側にも記録を作る。避難民だけに記録をつけると不公平感が出る」
トマが頷いた。
「双方記録ですね」
「うん。村を支えた人もちゃんと残す」
記録は罰だけではない。
ちゃんと働いた証拠にもなる。
旧ハルク村の件で、それを学んだ。
◇
夕方前。
三通目の報告が来るはずの時間を過ぎても、ミード村からの報告が来なかった。
俺は局長席で、机を指で叩いていた。
トマがちらりと見る。
「局長」
「分かってる。まだ焦る時間じゃない」
「はい」
「でも遅い」
「はい」
金色の線は切れていない。
赤線も強くない。
ただ、少し揺れている。
遅延。
何かが詰まっている。
「行ってきます」
「駄目です」
トマが即答した。
「まだ何も」
「顔に書いてあります」
みんな俺の顔を読みすぎ問題。
その時、局舎の入口に馬の音がした。
戻ってきたのは、護衛騎士だった。
顔は険しい。
だが、血相を変えているほどではない。
「報告! ミード村からの帰路で、道に倒木。エマ殿たちは無事です。ただ、馬車が通れず、現地で処理中」
「倒木?」
「はい。黒霧残滓ではなく、普通の倒木です」
普通の倒木。
それだけで少し安心するあたり、俺たちはだいぶ毒されている。
「怪我人は?」
「なし」
「札説明は?」
「完了。ミード村では赤札三角が出ました。ユル殿の体調がまだ不安定とのこと」
ユル。
助けを呼びに行って倒れていた若者だ。
俺はすぐに指示を出す。
「教会へ連絡。明日の三村便に滋養用の山羊乳粥材料と薬草を追加。赤札三角対応」
「承知しました」
騎士が戻っていく。
俺は息を吐いた。
現場に行かなくても、情報は届いた。
対応も出せた。
できる。
たぶん、できる。
◇
日が落ちる頃、エマたちが戻ってきた。
馬車は泥だらけ。
札箱も少し傷だらけ。
でも全員無事だった。
エマは局舎へ入るなり、深く頭を下げた。
「ただいま戻りました!」
「おかえり。よくやった」
俺が言うと、彼女の顔がぱっと明るくなった。
「三村とも、札の説明はできました。ルッカ村は水の分離、ファルネ村は避難民名簿、ミード村は病人札の使い方が課題です」
「すごい。完璧な報告」
「トマ先生に、結論から言えって教わったので」
トマが眼鏡を押し上げる。
「良い報告でした」
「ありがとうございます!」
エマは本当に嬉しそうだった。
その姿を見て、俺は思った。
役割を渡すと、人は育つ。
そして、人が育つと、俺が見えなかった道まで見えるようになる。
俺ひとりの金色の線より、みんなの足跡の方が、ずっと広いのかもしれない。
◇
夜。
局長席で、エマの初便報告書をまとめた。
【連絡札説明便一号】
【対象:ルッカ村・ファルネ村・ミード村】
【結果:説明完了】
【追加課題:水利用分離、避難民名簿、病人継続観察】
【担当:エマ】
最後の担当欄を見て、エマは少し照れた。
「私の名前が報告書に……」
「正式な担当だからね」
「怖いけど、嬉しいです」
分かる。
役割は重い。
でも、役割があると立てる。
俺もそうだった。
外れスキルだと言われ、荷物持ち扱いされていた俺が、局長なんて木札を背負っている。
人生、何が届くか分からない。
そこへトマが言った。
「次からは、エマさんが三村札管理の一次判断をしてください」
「え、私が?」
「はい。局長に上げるのは、緊急度ギザギザと、判断に迷うものだけでいいです」
俺は思わずトマを見た。
「それ、すごく大事な改善」
「局長の仕事を減らさないと、月次報告が進みません」
「理由が現実的」
「現実です」
その通りだった。
全部が俺のところに来ると、また詰まる。
情報の道にも中継所が必要だ。
エマが三村札の中継所になる。
これで、配送局はまた一段階進む。
【三村連絡札:一次判断者エマを設定】
【局長依存度:低下】
【情報処理速度:上昇】
よし。
良い表示だ。
◇
その日の最後。
局舎の入口にある札箱に、新しい木板がかけられた。
【連絡札の使い方】
一、種類を選ぶ
二、緊急度をつける
三、人数を書く
四、いつまでに必要かを書く
五、発行者印を押す
六、嘘は絶対に書かない
最後の一文だけ、バルロが勝手に書き足した。
【嘘をついたら薄い粥】
「これ、公的な説明板に入れていいんですか?」
俺が聞くと、エマは真剣に頷いた。
「分かりやすいです」
トマも頷いた。
「抑止力があります」
ミレーユまで微笑む。
「非常に配送局らしいです」
そうなのか。
配送局らしいのか。
俺は少し笑った。
まあ、いいか。
この街では、薄い粥はかなり強い罰だ。
夜風が看板を揺らす。
水、飯、薬、情報。
今日もいくつものものが届いた。
そして、俺は現場へ行かなかった。
行かなかったけれど、届いた。
それが今日の一番大きな成果だった。
局長が我慢すると、誰かが走る。
誰かが走ると、その人の道ができる。
エマの初便は、無事に配達完了。
配送局はまた少し、俺の足から離れて、自分の足で走り始めた。




