第39話 札は便利だが、嘘も運んでしまう
翌朝。
局舎の入口に、本当に看板が掛かっていた。
【エルドベルク災害復旧配送局】
【必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で届ける】
「……でかいな」
俺は看板を見上げながら呟いた。
昨日、トマが「もう看板にも入っています」と言っていたが、まさかここまで立派なものだとは思わなかった。
木板は厚く、文字は深く彫られている。
しかも、端に水滴、麦穂、薬草、馬車の絵まで入っている。
完全に公共機関の顔になっていた。
「誰が作ったんですか?」
隣のエマに聞くと、彼女は少し得意げに答えた。
「南区の木工職人さんです。ダリオさんたちが木を削って、ロイさんが運んでくれました」
「いつの間に」
「局長が寝ている間です」
「俺、寝てる間にどんどん置いていかれるな……」
だが、悪い気はしなかった。
看板を見た住民たちが、立ち止まっている。
「配送局だ」
「ここに言えば水のこと分かるんだろ?」
「食料の札もここか?」
看板があるだけで、人が場所を認識する。
名前があるだけで、相談先になる。
それは良いことだ。
良いことなのだが――。
局長席へ行くと、机の上に札が山積みになっていた。
「……何これ」
青札。
赤札。
黄札。
茶札。
白線札。
さらに、見たことのない緑札まである。
トマが死んだ目で言った。
「看板効果です」
「看板効果」
「皆さん、困ったら札を持ってくるようになりました」
「良いことでは?」
「良いことです。ただし、処理できる数なら」
机の上の札を見て、俺は固まった。
多い。
多すぎる。
水が足りない。
薪が足りない。
薬草が欲しい。
寝具が欲しい。
人手が足りない。
鍋が足りない。
山羊乳を増やしてほしい。
避難所の子どもが甘いものを食べたい。
最後のやつ、緊急なのか?
「これ全部、今日の申請?」
「はい」
「札制度、便利すぎて詰まってる」
「その通りです」
トマは帳簿を開いた。
「連絡札は本来、緊急情報のために作りました。しかし、分かりやすいので、通常要望まで札で来ています」
「つまり、情報の道が渋滞した」
「はい」
便利な道を作ると、人が集まる。
人が集まると、詰まる。
街道も情報も同じだった。
◇
午前の会議は、札の仕分けから始まった。
俺、トマ、エマ、ミレーユ、バルロ、セラフィナ。
リリアナは騎士団詰所から参加予定だったが、セラフィナに「長時間会議は控えめに」と言われ、後半だけ来ることになっていた。
まず、机に札を並べる。
青札は水。
赤札は病気。
黄札は食料。
茶札は治安・人手。
白線札は生活用水。
緑札は――。
「これ何?」
俺が聞くと、エマが少し困った顔をした。
「たぶん、野菜です」
「野菜札、勝手に増えた?」
「西区避難所の方が、黄札だと食料全般になってしまうので、野菜だけ分けたかったみたいです」
現場発の改善。
悪くない。
悪くないが、勝手に増えると管理できない。
バルロは緑札を見て頷いた。
「野菜は分けろ。豆と麦だけじゃ体がもたん」
「食糧支援統括が言うと重いですね」
「実際重い」
ミレーユが札を一枚持ち上げる。
「問題は、緊急度が分からないことですね」
「緊急度?」
「同じ黄札でも、『今日食料が切れる』と『明後日には減りそう』では違います」
たしかに。
今の札は種類だけを示している。
水か、病気か、食料か。
だが、いつまでに必要かが分からない。
配送で一番大事なやつだ。
「じゃあ、札に緊急度を足す?」
俺が言うと、トマが即座に紙へ書いた。
「三段階が限界です。細かすぎると現場が使えません」
エマが指を立てる。
「赤い紐を一本なら急ぎ、二本なら今日中、三本なら今すぐ……とか?」
「逆に混乱しそう」
トマが考え込む。
「形で分けましょう。丸が通常、三角が注意、ギザギザが緊急」
「ギザギザ?」
「見ただけで危なそうなので」
「いいね」
エマがすぐに札へ絵を描く。
丸印。
三角印。
ギザギザ印。
文字が読めなくても分かる。
セラフィナが微笑んだ。
「病人の札には、人数を書く欄も必要ですね。ひとりなのか、十人なのかで薬の量が変わります」
バルロも言う。
「食料札には食う人数だ。大人十人と子ども十人じゃ量が違う」
ミレーユが続ける。
「商会としては、次回配送までの日数もほしいです」
トマが頭を抱える。
「項目が増えます……」
「でも必要です」
「分かっています……」
こうして、札制度は第二版へ進化することになった。
【連絡札改訂案】
・種類:水、病気、食料、治安、人手、生活用水、野菜
・緊急度:丸=通常、三角=注意、ギザギザ=即時
・人数欄
・必要期限欄
・発行者印
「発行者印?」
俺が聞くと、ミレーユが真顔で言った。
「必要です。誰が出した札か分からないと、偽札が出ます」
「偽札……」
嫌な響きだった。
だが、そうだ。
情報の道が価値を持てば、悪用する者が出る。
王都で嫌というほど学んだことだった。
◇
その嫌な予感は、昼前に的中した。
局舎へ、赤札が持ち込まれた。
ギザギザ印つき。
つまり、即時対応。
持ってきたのは、見知らぬ商人風の男だった。
「急病人だ! 薬草をすぐ回してほしい!」
男はやけに大声だった。
中庭にいた人々の視線が集まる。
赤札。
ギザギザ。
急病人。
普通なら、最優先で動く。
セラフィナもすぐ反応した。
「場所は?」
「南市場の倉庫だ! 作業員が倒れた!」
トマが記録を取り始める。
エマが薬草箱を取りに走ろうとする。
だが、俺の視界に赤線が浮かんだ。
赤札から、南市場倉庫へ。
さらに、その奥の荷物。
高級香辛料の箱。
【警告:優先配送枠の不正利用】
俺は手を上げた。
「待って」
エマが止まる。
セラフィナもこちらを見る。
男は苛立った声を上げた。
「何を待つんだ! 病人がいるんだぞ!」
「病人の名前は?」
「な、名前?」
「人数は?」
「一人だ!」
「症状は?」
「倒れたんだ!」
「発行者印がないですね」
トマが札を確認して言った。
男の顔が一瞬歪む。
「急いでいたからだ!」
「誰が札を作りました?」
「倉庫の者だ!」
「その倉庫の責任者は?」
「……俺だ」
怪しい。
かなり怪しい。
ミレーユが静かに前へ出た。
「南市場のどちらの倉庫でしょうか」
「三番倉庫だ」
「三番倉庫は、昨日から香辛料商の荷が入っているはずですね」
男の額に汗が浮いた。
「それが何だ」
「薬草ではなく、香辛料を優先的に運ばせたいのでは?」
男の顔が赤くなる。
「失礼な!」
その時、外から本物の赤札が飛び込んできた。
持ってきたのは南区の少年。
息を切らし、顔面蒼白。
「局長! 南区の煮沸所で子どもが二人倒れた! 修道女さんが赤札を!」
札には、ちゃんと修道女の印。
赤札。
三角ではなく、ギザギザ。
人数欄に「子ども二」。
症状欄に「高熱・嘔吐」。
これは本物だ。
俺の視界に金色の線が走る。
【優先:南区煮沸所】
【対応遅延危険】
セラフィナの顔が変わった。
「薬草箱、南区へ。リナを同行させます」
俺は頷いた。
「エマ、青札も確認。水の再汚染かもしれない。飲用桶と洗浄桶の混用チェック」
「はい!」
ミレーユが商人風の男を見る。
「あなたの件は後です」
男は後ずさった。
「いや、俺は……」
ガルドがいつの間にか入口に立っていた。
「逃げるな」
低い声。
男は固まった。
◇
南区煮沸所の対応は早かった。
エマと修道女リナが先行。
薬草箱を持った商会馬車が続く。
飲用桶と洗浄桶の配置を確認。
原因は、子どもが封鎖中の古い水桶に触れたことだった。
幸い、早期対応で重症化は避けられた。
戻ってきたエマは、額に汗を浮かべながら報告した。
「二人とも処置できました。飲ませた水ではなく、遊んでいた時に古い桶の水に触ったみたいです。古い桶は撤去しました」
セラフィナが安堵の息を吐く。
「よかったです」
俺も深く息を吐いた。
だが、同時に背筋が冷えた。
もし、偽の赤札に薬草を回していたら。
南区への対応が遅れていた。
子ども二人が危なかった。
「札の優先順位、今すぐ整えないと駄目ですね」
俺が言うと、トマが重く頷いた。
「はい。札は便利ですが、偽札が混ざると命に関わります」
商人風の男は、局舎の一角でガルドに見張られていた。
ミレーユの調べでは、男は南市場の小商人で、王都から仕入れた香辛料を早く貴族区へ運びたかったらしい。
だが、配送局の優先枠は災害対応用。
商売荷は後回し。
そこで、赤札を使えば優先されると思った。
浅い。
でも、危険だった。
◇
夕方、局舎前で簡易告知が行われた。
リリアナ、セラフィナ、ミレーユ、俺、トマ、エマ。
そして、南区、避難所、市場、商会、農村連合の代表たち。
偽赤札を出した男も、前に立たされた。
顔は真っ青だった。
リリアナが静かに言った。
「連絡札は、命に関わる情報を届けるためのものだ。虚偽の札は、人の命を奪う行為に等しい」
広場が静まり返る。
セラフィナが続ける。
「今日、南区で本当に子どもが倒れました。偽の赤札対応に薬草が回っていれば、処置が遅れていたかもしれません」
男は肩を震わせた。
ミレーユが一枚の紙を掲げる。
「今後、虚偽の緊急札を出した者は、配送局の優先利用を一定期間停止します。また、商売上の荷を災害救援枠に偽装した場合、商会取引記録に残します」
商人たちの顔が変わった。
取引記録に残る。
それは商人にとって、かなり重い罰らしい。
バルロが後ろからぼそっと言う。
「飯の列で嘘つく奴も薄い粥だ」
「そこも徹底なんですね」
だが、効果はあった。
笑いは起きなかったが、場の空気が少しだけ緩んだ。
俺は前に出た。
「札は、早く届けるための道です」
皆がこちらを見る。
「でも、嘘が混ざると、本当に必要な人への道が詰まります。だから、札には発行者印を入れます。緊急度もつけます。嘘があったら記録します」
俺は机に並べた新しい札を見せた。
「その代わり、本当に困った時は遠慮しないでください。水が足りない。病人がいる。食料が切れる。人手が足りない。そういう声は、ちゃんと届けてください」
エマが青札と赤札を掲げる。
「文字が書けない人は、絵と印だけでも大丈夫です。近くの修道女さん、商会員さん、配送局員に伝えてください」
トマが疲れた顔で言う。
「記録は、こちらで補助します」
頼もしい。
かなり頼もしい。
◇
偽赤札の男には、罰が下された。
配送局の優先配送枠を一か月使用停止。
ただし、通常商会便は利用可。
さらに、南区煮沸所の古桶撤去作業へ三日間参加。
男は最初こそ不満そうだったが、子ども二人が危なかったと聞いて、最後は頭を下げた。
「……申し訳なかった」
南区の母親が睨んでいた。
簡単に許されるわけではない。
でも、記録され、働いて返す。
配送局式の落としどころだった。
ロイがそれを見て言った。
「盗賊の次は、嘘札商人か」
「配送局、人の問題が多すぎますね」
「人に届けるんだから当たり前だろ」
ロイに正論を言われた。
強くなったな、この人も。
◇
夜。
局長席で、新しい札制度の記録をまとめた。
【連絡札制度・第二版】
・発行者印必須
・緊急度印を追加
・人数・期限欄を追加
・虚偽札は記録対象
・通常要望札と緊急札を分離
・市場商業便は災害救援枠と分ける
書き終えると、頭の中に表示が浮かんだ。
【連絡札制度:改訂】
【情報混雑リスク:低下】
【虚偽情報リスク:監視可能】
【配送局運用安定度:上昇】
「よし……」
小さく息を吐く。
水の道。
飯の道。
薬の道。
人の道。
そして、情報の道。
どの道も、作っただけでは終わらない。
詰まる。
壊れる。
悪用される。
だから整備がいる。
監視がいる。
記録がいる。
配送局の仕事は、本当に終わらない。
そこへ、エマがやってきた。
「局長」
「どうしたの?」
「今日、私……偽札に気づけませんでした」
彼女は悔しそうだった。
「薬草箱を持って走ろうとしてしまいました」
「俺も線が見えなかったら、危なかった」
「でも、次は気づきたいです」
エマは新しい札を握る。
「本当に困ってる人の声を、嘘で潰されたくないです」
強い目だった。
最初に助けを求めてきた少女が、今は情報の道を守ろうとしている。
「一緒に仕組みを作ろう」
「はい」
「エマは、札担当の責任者になってもらおうかな」
「私が?」
「うん。連絡札管理係」
エマの目が丸くなる。
それから、少しずつ輝いた。
「やります」
「トマ先生に記録の書式を教えてもらって」
奥でトマが反応した。
「また仕事が増える気配がしました」
「弟子が増えます」
「それは……悪くありません」
トマ先生、満更でもない。
◇
その夜、俺は看板を見に外へ出た。
【必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で届ける】
必要なもの。
それは物だけではない。
正しい情報も必要だ。
そして、正しく届けるには、嘘を見分ける仕組みも必要だ。
王都で書類の怖さを知った。
今日は札の怖さを知った。
便利なものは、人を救う。
同時に、悪用される。
だから育てないといけない。
道も、札も、人も。
看板の下で、エマが新しい札箱を置いた。
青札、赤札、黄札、茶札、白線札、緑札。
それぞれに、丸、三角、ギザギザの印をつける場所がある。
配送局はまた少し、局らしくなった。
「局長」
エマが言う。
「明日から、札の説明に三村を回ってきます」
「俺も――」
と言いかけて、止まった。
行きたい。
でも、これはエマの仕事だ。
彼女が届けるべきものだ。
「お願い」
俺がそう言うと、エマは嬉しそうに頷いた。
「はい!」
現場に行かない勇気。
昨日覚えたばかりなのに、もう試されている。
でも、少しだけできた気がした。
俺は局舎へ戻りながら、今日の一文を心の中で記録した。
札は便利だ。
でも、嘘も運んでしまう。
だから配送局は、正しい声がちゃんと届くように、道を整え続けなければならない。




