第38話 局長、現場に行かない勇気を覚える
翌朝。
俺は局長席に座っていた。
座っている。
走っていない。
馬車に乗っていない。
谷底にもいない。
王都の評議会にもいない。
ただ、机の前に座っている。
「……落ち着かない」
思わず呟くと、隣でトマが帳簿をめくりながら言った。
「それが普通の局長業務です」
「普通の局長って何?」
「少なくとも、毎回現場に突撃する人ではありません」
「耳が痛い」
「痛めてください」
トマ、最近かなり強い。
昔の半泣き帳簿係はどこへ行ったのか。
いや、今も半泣きではある。
ただし、言うことは言う半泣きになっている。
成長が著しい。
机の上には、今日の作業予定が並んでいた。
【西農道迂回路整備】
・石橋確認:ガルド、マイラ
・柵補修:ダリオ班、ロイ班
・グレン牧場通行協定:ミレーユ
・病人用乳製品試験配送:バルロ、教会
・三村定期便調整:エマ
・記録統括:トマ
・局長:全体確認、緊急時判断
最後の一行が、妙に落ち着かない。
全体確認。
緊急時判断。
つまり、現場に行かず、情報を待つ。
これが難しい。
ものすごく難しい。
俺のスキルは、道を見る。
だから、現場へ行きたくなる。
自分の目で赤線を見て、金色の線を追って、指示を出したくなる。
でも、それを毎回やっていたら、配送局は俺の足に依存する。
俺が倒れれば終わる。
王都で何度も言われた。
仕組みにしろ。
人に渡せ。
記録に残せ。
なら今日は、その練習だ。
「局長」
エマが小走りでやってきた。
手には札の束。
「三村定期便、出発準備できました。今日はルッカ村の水樽を一つ減らして、その分をファルネ村へ回します」
「理由は?」
「ルッカ村の湧き水運用が安定してきたからです。ファルネ村は避難民名簿を作ったら人数が前回より多かったので、水と豆を増やします」
完璧だった。
「いい判断」
俺が言うと、エマの顔が明るくなった。
「本当ですか?」
「うん。記録も残して」
「はい!」
トマが横から言う。
「判断理由も書いてください。ただ『増やした』ではなく、『名簿更新により必要量増』と」
「はい、トマ先生!」
トマ先生。
その呼び方を聞いた瞬間、トマの筆が止まった。
「……先生」
「嫌ですか?」
「いえ……胃が少し温かくなりました」
「それ嬉しいってことですよね?」
「たぶん」
よかったな、トマ先生。
◇
午前中、最初の報告が来た。
西農道へ向かった作業班からだ。
持ってきたのは、南区の若者だった。
息を切らせながら、茶札と白札を差し出す。
「局長! グレン牧場の柵補修、始まりました!」
「状況は?」
「ダリオたちが木柵を直してます。ロイも一緒です。グレン爺さんは腕組んで見てます」
「怒ってる?」
「ずっと怒った顔です。でも、山羊が逃げなかったから少しだけ頷いてました」
それはたぶん、かなりの進展だ。
頑固な牧場主が頷いたなら、半分勝ちである。
俺は茶札の裏を見る。
エマが作った簡易欄に、現場の状況が書かれている。
【柵補修中】
【家畜異常なし】
【追加木材必要:小】
【昼まで作業継続】
「いいですね。木材を小型荷車で追加。あと、昼食用に豆粥を運んで」
トマが即座に記録する。
「西農道作業班へ木材小、昼食便」
バルロが遠くから怒鳴った。
「粥は薄くするな!」
「聞こえてます!」
もう合言葉だ。
◇
二つ目の報告は、ガルドからだった。
マイラが直接戻ってきた。
相変わらず無言で、俺の前に木板を差し出す。
そこには短く書かれていた。
【石橋:通行不可ではない】
【問題:中央部の沈み】
【補強材必要】
【重馬車は一台ずつ】
字がきれいだった。
マイラ、無口だけど字が上手い。
「補強材はどのくらい?」
俺が聞くと、マイラは指を三本立てた。
「木材三束?」
頷く。
「石材は?」
首を横に振る。
「木で足りる?」
頷く。
「作業時間は?」
マイラは少し考え、指を二本。
「二刻?」
頷く。
会話できている。
できているけど、なぜか難易度が高い。
トマが感心したように言った。
「マイラ様用の報告書式を作るべきですね。丸をつけるだけの」
マイラが無言で親指を立てた。
気に入ったらしい。
「作りましょう」
俺は即決した。
これも仕組みだ。
話すのが得意な人もいれば、短く書く方が得意な人もいる。
報告の形を人に合わせる。
それだけで情報の流れは良くなる。
【報告様式改善案:担当者別簡易報告板】
【配送局運用安定度:微上昇】
小さい。
でもいい。
こういう改善の積み重ねが、たぶん局を強くする。
◇
昼前、ミレーユが戻ってきた。
顔にはいつもの余裕。
手には契約書。
つまり、勝った顔だ。
「グレン牧場との試験通行協定、まとまりました」
「早い」
「条件は三つです」
彼女は契約書を机に置いた。
「一つ、西農道の通行は当面、配送局管理便に限定。勝手な商人馬車は通さない」
「牧場側の不安対策ですね」
「二つ、通行による柵・道の損傷は配送局補修班が修理」
「ダリオ班とロイ班ですね」
「三つ、グレン牧場の乳とチーズを、教会および西区避難所向けに定期購入」
「かなり良い条件では?」
「はい。向こうにも売り先が必要でしたので」
ミレーユは少し笑う。
「ただし、グレン様から一言ありました」
「何です?」
「『あの木こり上がりは、柵の直し方を知っている』と」
「ダリオさんのこと?」
「おそらく」
すごい。
頑固爺さんからの高評価だ。
ロイが聞いたら、また素直じゃない顔をしそうだ。
俺の視界に表示が浮かぶ。
【グレン牧場:試験通行協定成立】
【西農道迂回路開通率:七十二パーセント → 八十六パーセント】
「八十六」
あと少し。
石橋補強が終われば、豆馬車が通れる。
西区避難所の食糧不足も少し楽になる。
病人用の乳製品も入る。
一本の迂回路が、いくつもの問題を解く。
やはり道は強い。
◇
昼食は、局舎の中庭で豆粥だった。
王都から戻ってから、俺は何回豆粥を食べているのだろう。
でも飽きない。
いや、少し飽きている。
ただ、うまい。
バルロが味を変えているのだ。
今日はグレン牧場から試験的に届いた山羊乳が少し入っていた。
粥にほんのり甘みとコクがある。
「うま……」
俺が呟くと、バルロが鼻を鳴らした。
「病人用に薄めても栄養が取れる」
「ついに粥が進化した」
「粥は元から偉い」
名言なのか何なのか分からない。
だが、西区避難所の子どもたちが喜びそうな味だった。
セラフィナも器を持って頷く。
「弱った方にもよさそうです。胃に優しいですね」
「教会向けに優先しますか?」
「はい。ただし、量はまだ限られます」
ミレーユがすぐに言った。
「初回は教会治療所、次に西区避難所の病人、余れば子ども向けですね」
バルロが木杓子で鍋を叩く。
「順番を間違えるな。元気な大人は後だ」
こうして、山羊乳粥の配給順まで決まった。
王都で仮承認を取った翌日に、山羊乳粥の配給順を決めている。
これが配送局である。
◇
午後。
石橋補強の完了報告が来た。
今度はガルド本人だった。
肩の傷はかなり良くなっているらしいが、セラフィナの視線を受けると微妙に姿勢が良くなる。
「石橋は補強完了。軽馬車は通れる。豆馬車は一台ずつ、速度を落として通せば問題ない」
「重馬車は?」
「まだ不可だ。追加補強が必要」
「十分です。まず豆便を通せればいい」
ロイとダリオも戻ってきた。
二人とも泥だらけ。
だが、険悪な感じは薄い。
「柵は?」
俺が聞くと、ロイが答えた。
「直した」
ダリオが補足する。
「明日もう一回確認する。山羊が押したら弱い場所が一つある」
「丁寧ですね」
ロイがそっぽを向く。
「グレン爺に文句言われたくねぇだけだ」
ダリオが笑う。
「俺もだ」
この二人、だいぶ距離が縮まっている。
まだ友達ではない。
でも、同じ相手に文句を言われたくないという共通目標ができている。
大事だ。
【西農道迂回路:軽馬車通行可能】
【豆類試験配送:実施可能】
【西農道迂回路開通率:八十六パーセント → 九十五パーセント】
「九十五」
あと五パー。
何が足りない?
視界を追う。
西農道。
石橋。
牧場。
柵。
豆馬車。
そして、グレン牧場の入口に立つ看板。
【推奨:通行ルール掲示】
「看板です」
「看板?」
ロイが聞き返す。
「勝手に通る馬車が出ると揉めます。配送局管理便だけ、一台ずつ、速度を落として、家畜優先。これを入口に書く」
トマが頷く。
「通行規則ですね」
「エマ、絵で作れる?」
「はい! 馬車一台ずつ、ゆっくり、山羊に注意、ですね」
「完璧」
ロイがぼそっと言った。
「山羊に注意の札、ちょっと見たいな」
俺も見たい。
◇
夕方、最初の豆試験便が出た。
南西農村連合から、豆袋五つ。
干し野菜二袋。
グレン牧場から、山羊乳の小樽一つ。
西農道を通って、エルドベルクへ。
護衛はマイラ。
補修班からダリオとロイ。
商会から荷馬車係。
俺は行かない。
行きたい。
かなり行きたい。
でも、行かない。
局長席で待つ。
胃に悪い。
めちゃくちゃ胃に悪い。
「落ち着きませんね」
エマが横で言った。
「落ち着かない」
「でも、みんな行けます」
「うん」
「局長が道を作ったからです」
その言葉に、少し黙った。
俺が作った。
いや、俺だけではない。
でも、道はできた。
そして今、その道を俺以外の人たちが走っている。
金色の線は、西農道から街へ伸びていた。
途中で赤くならない。
少し揺れるが、切れない。
やがて、日が落ちる前に馬車が戻ってきた。
豆袋。
干し野菜。
山羊乳。
無事。
中庭に歓声が上がった。
バルロが豆袋を見て、満足そうに頷く。
「これで粥が薄くならん」
グレン牧場の山羊乳を見て、セラフィナも微笑む。
「病人の食事が良くなります」
トマが記録する。
【西農道迂回路・豆試験便成功】
【豆袋五、干し野菜二、山羊乳小樽一、到着】
【通行障害なし】
俺の頭に表示が浮かぶ。
【西農道迂回路:試験配送成功】
【豆類配送路:再開】
【西区避難所食糧不足リスク:低下】
【エルドベルク配送局運用安定度:上昇】
よし。
王都便の翌日。
ちゃんと現場も戻した。
◇
夜。
局舎の中庭では、小さな試食会のようなものが始まっていた。
豆入り粥。
干し野菜入りの薄焼き。
山羊乳を少し混ぜた病人用粥。
バルロが真剣な顔で味を見ている。
ニコは横でメモを取っている。
いつの間にか料理の記録まで始まっている。
「配送局、レシピ管理までやるんですか?」
俺が聞くと、バルロが当然のように言った。
「同じ材料でも作り方で腹持ちが変わる。記録しろ」
トマが遠くで頭を抱えた。
「記録対象がまた増えました……」
でも、エマが笑って言った。
「食事札も作りましょうか? 病人用、子ども用、作業員用」
バルロが少し考え、頷いた。
「いるな」
「いるんだ……」
配送局は、水から始まって、薬、豆、乳、記録、そしてレシピまで広がっている。
もう何の組織か分からない。
でも、全部繋がっている。
命を繋ぐための道だ。
◇
その夜、俺は局長席で今日の記録を確認していた。
南区水増便、安定。
西区食糧不足、低下。
三村定期便、継続。
西農道迂回路、試験成功。
グレン牧場、試験協定成立。
旧ハルク村労働班、信用改善。
王都仮承認文書、保管済。
月次報告、準備開始。
多い。
だが、不思議と昨日ほど圧倒されなかった。
それぞれに担当がいるからだ。
俺が全部を抱えていないからだ。
そこへリリアナがやってきた。
今日は杖なしで歩いている。
ただし、セラフィナに見つかると怒られるのか、少しだけ周囲を気にしていた。
「見つかりますよ」
「何のことだ」
「歩きすぎ」
「……短距離だ」
言い訳が弱い。
リリアナは机の上の報告を見た。
「回っているな」
「俺が寝てても、回ってました」
「良いことだ」
「少し寂しいような気もしました」
「それも良いことだ」
「そうですか?」
「ああ。人に任せるには、少し寂しさがいる」
不思議な言葉だった。
でも、なんとなく分かる。
自分がやった方が早い。
自分が見た方が確実。
そう思うことを、人に渡す。
それは少し寂しい。
でも、渡さないと大きくならない。
「配送局、俺なしでも少しずつ動き始めてます」
「なら、お前は次の道を見ればいい」
「次の道?」
リリアナは王都仮承認文書を見た。
「三か月後、正式承認を取る。その前に、配送局が必要だと王都に思わせるだけの実績を作る」
「また王都かぁ」
「避けて通れない」
「ですよね」
俺は視界を見る。
エルドベルク。
三村。
南西農村。
グレン牧場。
ラウゼン宿場。
王都。
金色の線が少しずつ広がっている。
その先に、まだ赤い線もある。
でも、以前ほど怖くはなかった。
道は一人で走るものじゃない。
それを、ようやく少し覚えたからかもしれない。
◇
寝る前、トマが月次報告の表紙案を持ってきた。
【エルドベルク災害復旧配送局・第一月次報告】
「早くないですか?」
「早く始めないと死にます」
「その言い方、多いですね」
「実感です」
表紙の下には、小さくこう書かれていた。
【水・食糧・医療・情報・街道復旧の状況】
俺はそれを見て、少し笑った。
「情報、入ったんですね」
「入ります。安否確認札も、流言訂正も、王都文書も、全部配送局の業務になっています」
「増えたなぁ」
「局長が増やしました」
「はい」
もう否定しない。
増えた。
でも、必要だった。
俺は表紙に一文を書き足した。
【必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で届ける】
トマがそれを見て頷いた。
「局の方針ですね」
「はい」
「では、表紙に入れます」
「ちょっと恥ずかしいけど」
「もう看板にも入っています」
「いつの間に!?」
知らない間に、局舎の入口に刻まれていたらしい。
寝ている間に配送局が走るどころか、看板まで進化していた。
油断ならない。
俺はため息をつき、それから笑った。
まあ、いいか。
配送局は今日も走った。
俺が全部を運ばなくても。
明日もたぶん、何かが足りなくなる。
誰かが札を出す。
誰かが走る。
誰かが記録する。
そして俺は、次の道を見る。
局長業務。
思ったより地味で、思ったより重くて、思ったより悪くない。




