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第37話 局長が寝ている間に、配送局は勝手に走る

 目が覚めた時、俺はまず天井を見た。


 知らない天井ではない。


 教会の客室の天井だ。


 つまり、ちゃんと帰ってきて、ちゃんと寝たらしい。


 問題は、窓の外が妙に明るいことだった。


「……朝?」


 いや。


 違う。


 これは昼だ。


 完全に昼だ。


 俺は飛び起きた。


「やばっ!」


 王都便の報告。


 南区の水増便。


 西区の食糧不足。


 南西街道の迂回路確認。


 補修班の負傷者。


 月次報告。


 やることが多すぎる。


 寝ている場合ではない。


 慌てて靴を履こうとした瞬間、扉が開いた。


 セラフィナだった。


「おはようございます、レンジ様」


「すみません! 寝過ごしました!」


「はい。寝かせました」


「寝かせた?」


「起こそうとした方々を、私が止めました」


 聖女様、強い。


「でも、仕事が」


「進んでいます」


「え?」


「配送局は、レンジ様が眠っている間も動いていました」


 その言葉に、俺は固まった。


 配送局が、俺なしで動いていた。


 それは本来、目指すべきことだ。


 でも実際に言われると、少し変な感じがした。


 嬉しいような。


 寂しいような。


 いや、寂しがっている場合ではない。


「状況は?」


 俺が聞くと、セラフィナは薬草茶を差し出した。


「まず飲んでください」


「先に報告を」


「飲んでください」


「はい」


 圧に負けた。


 薬草茶を飲む。


 苦い。


 でも体に染みた。


 セラフィナは微笑んでから、報告を始めた。


「南区の水増便は、エマさんと商会馬車が対応しました。飲用水ではなく洗浄用水が不足していたため、西区浅井戸の水を煮沸して分離運用しています」


「エマが?」


「はい。青札の横に、洗浄用の白線札を追加したそうです」


 すごい。


 もう俺より札制度を使いこなしている。


「西区避難所の食糧は?」


「バルロ様が配給量を調整しました。薄い粥にはしていません」


「そこ大事」


「はい。豆を細かく砕いて、量を増やしたように見せつつ腹持ちを維持したそうです」


 料理番、強い。


「南西街道は?」


「ガルド様、ロイさん、ダリオさんが西農道の確認へ向かっています。マイラさんも同行しています」


「俺なしで?」


「はい」


 セラフィナは静かに言った。


「レンジ様が昨日、役割を渡したからです」


 胸の奥が少し熱くなった。


 そうか。


 ちゃんと渡せていたのか。


   ◇


 昼過ぎ、俺は局舎へ向かった。


 中庭に入ると、いつもの光景が広がっていた。


 馬車。


 水樽。


 豆袋。


 帳簿。


 鍋。


 修道女。


 商会員。


 南区の若者。


 旧ハルク村の労働班。


 そして局長席。


 そこには、俺ではなくトマが座っていた。


 いや、座っているというより、書類に埋もれていた。


「トマさん」


「局長……起きてしまいましたか」


「起きてしまったって何ですか」


「もう少し寝ていていただいても、仕事は減りませんでした」


「それは慰めですか?」


「現実です」


 いつものトマだ。


 少し安心した。


 机の上には、整理された報告書が並んでいた。


【南区水増便対応済】


【西区食糧再配分済】


【南西街道迂回路調査中】


【王都仮承認文書保管済】


【月次報告準備項目一覧】


「月次報告、もう準備してるんですか?」


「やらないと後で死にます」


「説得力がすごい」


「あと、エマさんに簡易報告書の書式を教えています。三村分は彼女が一次記録を作れます」


「おお」


「私の負担が少し減ります」


「それが一番嬉しそう」


「はい」


 正直でよろしい。


 その時、エマが駆け寄ってきた。


「局長! 起きたんですね!」


「うん。南区の水、ありがとう」


「うまくいきました! 飲む水と洗う水を分けたら、列の混乱が減りました。あと、白線札を作りました」


 彼女は小さな札を見せてくれた。


 青札は飲用水。


 白線札は洗浄用水。


 赤札は病気。


 黄札は食料。


 茶札は人手・治安問題。


 どんどん増えている。


「いいね。すごく分かりやすい」


 エマは嬉しそうに笑った。


「あと、ラウゼン宿場の門番さんの妹さんも確認しました。南区の避難者名簿にいました。無事です」


「早い!」


「次の宿場便で返事を出します」


 情報配送まで動いている。


 俺が寝ている間に。


 ちゃんと。


   ◇


 夕方前、ガルドたちが戻ってきた。


 泥まみれだった。


 だが、顔は悪くない。


 ロイとダリオが並んで歩いている。


 以前なら考えられない光景だった。


「西農道、使えそうですか?」


 俺が聞くと、ガルドが頷いた。


「使える。ただし、荷馬車を通すには二か所広げる必要がある」


 ダリオが続ける。


「倒木は少ない。地盤も林道よりマシだ。ただ、古い石橋が一つある。補強しないと豆馬車は危ない」


 ロイが地図に印をつける。


「あと、途中に牧場の柵がある。通るなら持ち主と話が必要だ」


「牧場?」


「グレン牧場だ。頑固な爺さんがやってる」


 新しい問題が出た。


 当然だ。


 迂回路には迂回路の持ち主がいる。


【西農道迂回路:通行可能】


【障害:グレン牧場の私有地通過】


【推奨:通行協定】


 俺は頭を抱えた。


「今度は通行協定か」


 ミレーユが横でにっこり笑った。


「契約の出番ですね」


「嬉しそう」


「とても」


 商人、こういう時だけ元気が増す。


   ◇


 その日のうちに、俺たちはグレン牧場へ向かった。


 同行は俺、ミレーユ、ロイ、ダリオ、そしてガルド。


 牧場は西農道の途中にあり、古い木柵の向こうに牛と山羊がいた。


 出てきた牧場主グレンは、白髪の頑固そうな老人だった。


 腕を組み、俺たちを見るなり言った。


「通さん」


 早い。


「まだ何も言ってません」


「言わんでも分かる。街の連中が、うちの道を通りたいんだろう」


「はい」


「通さん。荷馬車が増えれば柵が壊れる。家畜が怯える。道が荒れる。誰が直す?」


 正論だ。


 かなり正論だ。


 俺の視界に赤線が出ている。


 無理に押せば反発。


 金で押しても短期的。


 金色の線は、牧場の裏手にある水桶と、避難所の乳製品不足へ伸びていた。


「グレンさん。牧場の乳やチーズ、今はどこへ卸していますか?」


 老人の眉が動いた。


「王都行きの商人だ。だが黒霧騒ぎで便が減った」


「売り先が詰まってる?」


「……少しな」


 当たりだ。


 ミレーユの目が光った。


「配送局が西農道を通る代わりに、牧場の乳製品を西区避難所と教会へ定期購入する契約ではいかがでしょう」


 グレンの顔が変わる。


「避難所に?」


「はい。病人と子ども向けに使えます。もちろん相場より買い叩くつもりはありません。ただし、通行協力費と道の補修協力を含めた価格設定にします」


 老人は黙った。


 金色の線が少し太くなる。


「道が荒れたら?」


「配送局の補修班が直します」


 ダリオが一歩前に出た。


「俺たちがやる。木柵の補修もできる」


 グレンはダリオを見る。


「お前ら、旧ハルク村の連中か」


「そうだ」


「盗賊だったと聞いた」


 場が少し冷えた。


 ダリオは逃げなかった。


「荷を奪った。今は働いて返してる」


「ふん」


 グレンはしばらくダリオを見ていた。


「柵を直せるのか」


「直せる」


「雑なら通さん」


「雑にはしない」


 老人は鼻を鳴らした。


「なら一度だけ見てやる」


 通った。


 完全ではないが、道ができた。


【グレン牧場:試験通行を承諾】


【条件:乳製品定期購入、柵・道補修、家畜保護】


【西農道迂回路開通率:七十二パーセント】


「七十二……」


 あと少し。


 石橋補強と柵補修が必要だ。


 でも、道は見えた。


   ◇


 帰り道、ロイがダリオにぼそっと言った。


「お前、逃げずによく言ったな」


「事実だからな」


「俺なら言いたくない」


「俺も言いたくない」


 二人は少し黙った。


 そしてロイが言った。


「柵、俺も手伝う」


 ダリオが目を向ける。


「いいのか」


「雑にやられたら南区まで文句言われる」


「そうか」


「そうだ」


 素直じゃない。


 でも、確実に距離は縮んでいる。


 俺はそれを見ながら思った。


 信用は、綺麗な言葉ではなく、同じ柵を直すところから始まるのかもしれない。


   ◇


 夜。


 局舎へ戻ると、バルロが濃い豆粥を用意していた。


「今日は薄くない」


「毎日それ言ってますね」


「大事だからな」


 グレン牧場との話を報告すると、バルロが目を細めた。


「乳が入るなら、病人用の粥が良くなる」


「やっぱり食で評価する」


「当たり前だ。弱った人間は、うまいものより吸収できるものがいる」


 なるほど。


 牧場との契約は、豆の道だけでなく、病人食にも繋がる。


 道は一本開くと、別の用途が生まれる。


 局長席に座ると、机の上にトマの書いた新しい表が置かれていた。


【西農道迂回路整備計画】


【担当】

・石橋確認:ガルド、マイラ

・柵補修:ダリオ班、ロイ班

・契約:ミレーユ

・病人用乳製品配分:バルロ、教会

・記録:トマ、エマ


「もう組んでる」


 俺が呟くと、トマが遠くから言った。


「局長が寝ても回るようにするためです」


 胸に来た。


 かなり来た。


「ありがとう」


「いえ。私も寝たいので」


 理由はそれか。


 でも、いい。


 動機は何でもいい。


 仕組みが回れば、それでいい。


 俺の頭に表示が浮かぶ。


【エルドベルク配送局:担当分散が進行】


【局長依存度:低下】


【運用安定度:上昇】


 局長依存度、低下。


 普通なら寂しい表示かもしれない。


 でも今の俺には、勝利表示に見えた。


 俺が寝ても、配送局が走る。


 俺が王都にいても、札が出る。


 俺がいなくても、誰かが水を運び、誰かが飯を作り、誰かが記録する。


 それでいい。


 それがいい。


   ◇


 その夜、俺は久しぶりに局長席で長く考え込んだ。


 王都仮承認。


 三か月。


 月次報告。


 南区の水。


 西区の食糧。


 三村定期便。


 南西街道。


 グレン牧場。


 旧ハルク村労働班。


 配送局の線は、確実に広がっている。


 そして広がるほど、俺一人では見きれなくなる。


 だから、役割を渡す。


 情報を札にする。


 記録を残す。


 道を人に任せる。


 俺は羽ペンを取り、明日の予定表に書いた。


【局長業務:全案件を自分で抱えない】


 書いた瞬間、少し笑ってしまった。


 小学生の反省文みたいだ。


 でも、今の俺には必要な一文だった。


 外では、補修班の男たちが明日の工具を確認している。


 バルロの鍋の音がする。


 エマがトマに数字を教わっている声がする。


 リリアナとガルドが警備配置を話している。


 セラフィナが治療所で誰かに優しく声をかけている。


 配送局は動いている。


 俺が全部を運ばなくても。


 それが、今日一番の配達完了だった。

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