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第36話 帰還報告より先に、未帰還者を拾いに行く

 エルドベルクの西門が近づくにつれ、俺の胃は王都にいた時とは別の方向で重くなっていった。


 王都評議会の仮承認文書。


 それは、たしかに大事だ。


 配送局を止めさせないために、俺たちは王都まで行った。


 評議会で喋り、魔導師ギルドに噛みつかれ、夜中に証拠品を盗まれかけ、受領印の一文字まで確認して、ようやく持ち帰ってきた。


 なのに。


 西門の上には、緊急札が三つ掲げられている。


 青札。


 黄札。


 茶札。


【青札:南区水配送増便要請】


【黄札:西区避難所食糧不足警告】


【茶札:南西街道補修班、未帰還】


 王都で紙の戦争をしている間にも、現場は止まっていなかった。


 むしろ、俺たちがいないぶん、詰まりが出始めている。


「局長……」


 エマが青ざめた顔で札を見上げた。


「連絡札、ちゃんと使われてます」


「うん」


 ちゃんと使われている。


 それは成功だ。


 現場が自分で危険を知らせられるようになった。


 でも、内容が最悪だ。


 水不足。


 食糧不足。


 未帰還。


 配送局の仕事が、まとめてこちらに手を振っている。


「ガルドさん」


「分かっている」


 ガルドは馬上で短く答えた。


「まず局舎へ文書を届ける。次に未帰還班の確認だ」


「水と食料は?」


 トマが疲れた声で言う。


「文書届けた直後に同時対応です。南区は水馬車の増便、西区は備蓄確認。南西街道は捜索隊」


「帰った瞬間、三案件……」


「はい」


「王都より配送局の方が怖いです……」


 トマの言葉に、誰も反論できなかった。


   ◇


 西門を抜けると、街の空気が一気に懐かしく感じられた。


 石畳は王都ほど整っていない。


 建物も低い。


 ところどころ、まだ黒霧災害の爪痕が残っている。


 でも、こっちの方が息がしやすい。


 煙の匂い。


 鍋の匂い。


 荷馬車の音。


 人が怒鳴る声。


 水樽を転がす音。


 エルドベルクだ。


 帰ってきた。


 局舎の前には、すでに人が集まっていた。


 リリアナ。


 セラフィナ。


 バルロ。


 ロイ。


 商会員。


 修道女。


 そして、南区と避難所の代表者たち。


 馬車が止まる前に、リリアナが一歩前へ出た。


 顔色は前より良い。


 ただし、まだ完全ではない。


 隣にセラフィナがいるので、無茶な歩き方はしていない。


「戻ったか」


「ただいまです」


「文書は?」


「あります」


 俺は文書箱を抱えた。


 王都評議会の仮承認文書。


 商人組合の保管証。


 偽通達の証拠。


 夜間侵入事件の記録。


 全部、無事だ。


 トマがふらふらしながら帳簿を開く。


「王都便一号、帰着。仮承認文書、本書一、写し二、保管証、追加証拠封書、全て到着」


 その言葉を聞いた瞬間、局舎の前にいた人々の間から、どっと息が漏れた。


 拍手が起こる。


 歓声も少し。


 でも、派手なお祭りにはならない。


 みんな分かっているのだ。


 文書は勝利だ。


 だが、緊急札が出ている。


 今は祝っている時間がない。


 リリアナが文書を受け取り、印章を確認する。


 セラフィナも横から覗き込む。


 ミレーユが説明した。


「三か月の災害復旧特例機関として、正式に仮承認を得ました。月次報告義務あり。黒霧関連証拠は共同保管。魔導師ギルド単独調査は阻止しています」


 リリアナの表情が少しだけ緩んだ。


「よくやった」


「かなり胃に悪かったです」


「だろうな」


 セラフィナが俺たちを見た。


「皆さん、お疲れ様でした。本当なら、今すぐ休んでいただきたいのですが……」


 その目が、西門の緊急札へ向く。


 分かっている。


 聖女様も分かっている。


 俺たちが休めないことを。


「まず状況を聞かせてください」


 俺が言うと、リリアナが頷いた。


   ◇


 局舎の中庭に、すぐ臨時会議が開かれた。


 王都帰還報告会ではない。


 緊急対応会議だ。


 机の上には、仮承認文書ではなく、南区、西区、南西街道の簡易地図が広げられた。


 俺は局長席に座る暇もなく、地図の前に立った。


 リリアナが状況を説明する。


「まず南区。ここ二日、暑さと復旧作業で水の消費量が増えた。飲用水の管理はできているが、洗浄水が不足している」


「青札は飲用じゃなくて生活用水寄り?」


 俺が聞くと、セラフィナが頷いた。


「はい。病人は増えていません。ただ、清潔を保てないと再発リスクがあります」


 次にバルロが口を開く。


「西区避難所は豆と麦が減ってる。食う口が増えたからだ」


「旧ハルク村の人たち?」


「それもある。あと、三村から一時的に来た病人の付き添いもいる」


「食糧不足は今日明日で危険?」


「薄くすれば足りる」


 バルロの目が鋭くなる。


「だが、薄くしたら揉める」


「ですよね」


 そして、茶札。


 南西街道補修班、未帰還。


 ロイが前に出た。


 顔が険しい。


「昨日の朝、南西街道の倒木除去に出た。ダリオたち旧ハルク村の男六人、南区から二人、騎士一人。夕方には戻る予定だったが、戻らなかった」


「場所は?」


「旧製材小屋の先。豆馬車が通る予定の林道だ」


「連絡は?」


「なし。今日の朝、見に行こうとしたが、リリアナ団長に止められた」


 リリアナが静かに言う。


「捜索隊を軽率に出して二次遭難を出すわけにはいかない。お前たちの帰還を待った」


「正解です」


 俺は地図を見た。


 南西街道。


 旧製材小屋。


 倒木除去地点。


 さらに奥に、小さな谷。


 視界に赤い点が浮かぶ。


 魔物?


 盗賊?


 それとも崩落?


 金色の線は、南西街道へ伸びている。


【目的:南西街道補修班の未帰還原因を確認】


【推奨:少人数・救助装備・食糧持参】


【危険:土砂崩れ、黒霧残滓、敵性不明】


「土砂崩れ……黒霧残滓……敵性不明」


 俺が呟くと、場の空気が重くなった。


 ロイが拳を握る。


「あいつら、サボってるんじゃないのか?」


「今の表示だと、その可能性は低い」


「そうか……」


 ロイは悔しそうに唇を噛んだ。


 彼はまだ旧ハルク村の人々を完全には信用していない。


 でも、初日に一緒に道を直し、働いているのを見た。


 未帰還と聞いて、怒りより不安が勝っている顔だった。


   ◇


「対応を分けます」


 俺は地図に三本の線を引いた。


「一つ目、南区の水。北井戸からの飲用水馬車はそのまま。洗浄用に西区浅井戸の水を煮沸して回す。飲用と混ぜない」


 エマがすぐ記録する。


「青札対応、生活用水増便」


「二つ目、西区食糧。豆と麦を今日中に追加。南西農村連合からの豆便が遅れているなら、商会備蓄を先に出す」


 ミレーユが頷く。


「可能です。ただし、補修班未帰還の原因次第では豆便そのものが止まります」


「だから三つ目」


 俺は南西街道を指した。


「未帰還班の確認に出ます」


 リリアナが即座に言う。


「お前は戻ったばかりだ」


「でも道が見えるのは俺です」


「分かっている。だから止めにくい」


「止めないでください」


 セラフィナの視線が刺さる。


「レンジ様」


「はい」


「無理をしないでください」


「努力します」


「努力ではなく、約束を」


 聖女様の圧。


 王都より怖い。


「……危険なら引き返します」


「本当に?」


「本当に」


 たぶん。


 いや、ここは本当にしないと駄目だ。


 王都帰りで体も頭も疲れている。


 無理をすれば、判断を誤る。


 リリアナが言った。


「同行はガルド、マイラ、ロイ、修道女一名。荷車は一台。救助用の縄、担架、浄化布、食料、水」


「ニコも連れて行きます」


 俺が言うと、バルロが頷いた。


「食わせる必要があるなら、飯係がいる」


 ニコは鍋を抱えたまま真剣な顔をした。


「薄くしません」


「それは本当に大事」


 トマが恐る恐る手を上げた。


「私は……」


「休んでください」


 俺が即答すると、トマの目に一瞬だけ光が戻った。


「本当ですか」


「本当です。王都便の記録を整理して、仮承認文書を保管して、月次報告の準備が必要なので、現地には来なくていいです」


「……それは休みではないのでは?」


「室内です」


「室内というだけで、少し救われます」


 基準が壊れている。


 でも今は、トマを外に連れ回す余裕はない。


 文書の管理は最重要だ。


   ◇


 出発前に、王都仮承認文書を局舎の奥へ運んだ。


 保管箱に入れる。


 立会いは、リリアナ、セラフィナ、ミレーユ、トマ。


 トマが記録する。


「王都仮承認文書、本書、配送局保管箱へ。写し一、ミレーユ商会。写し二、騎士団。教会控えは明日作成」


「これで王都便は完了?」


 エマが聞いた。


 俺は保管箱を見る。


 そして、頭の中の表示を待った。


【王都便一号:仮承認文書をエルドベルク配送局へ納品】


【配達完了】


【エルドベルク配送局:災害復旧特例機関として仮運用開始】


「完了です」


 その瞬間、ほんの少しだけ胸が軽くなった。


 本当に少しだけ。


 でも、配達完了だ。


 王都便一号。


 完了。


 トマが帳簿に書いた。


【王都便一号、完了】


 ペン先が紙を走る音が、やけに心地よかった。


 だが、その直後に新しい表示が浮かぶ。


【緊急任務:南西街道補修班の救助】


【推奨出発:即時】


「はいはい」


 俺はため息をついた。


「余韻、短すぎる」


 ミレーユが少し笑った。


「配送局らしいですね」


「嬉しくないなぁ」


   ◇


 南西街道へ向かう救助隊は、すぐに出発した。


 俺。


 ガルド。


 マイラ。


 ロイ。


 修道女のリナ。


 ニコ。


 そして、荷車一台。


 積み荷は、水樽二つ、豆粉、麦、包帯、浄化布、縄、担架、工具、松明。


 完全に救助便だ。


 王都便の豪華な紙束とは違う。


 こっちは命を拾いに行く荷物。


 馬車が南西街道へ進むと、街の喧騒が遠ざかっていく。


 ロイはずっと黙っていた。


「心配ですか?」


 俺が聞くと、彼はぶっきらぼうに答えた。


「別に」


「本当?」


「……あいつらが逃げたって言われるのが嫌なだけだ」


「逃げてないと思いますよ」


「何で分かる」


「赤線の出方が違う」


「何だそれ」


「俺にも説明しにくい」


 ロイは少しだけ鼻を鳴らした。


「変な局長だな」


「もう否定する気力もないです」


   ◇


 旧製材小屋に着くと、そこは無人だった。


 以前、旧ハルク村の避難民たちがいた場所。


 今は火も消え、子どもたちの声もない。


 ただ、作業道具が壁際にまとめられている。


 整然としている。


 逃げた感じではない。


 俺の視界に金色の線が、さらに奥へ伸びる。


「この先です」


 ガルドが周囲を確認する。


「足跡がある。補修班のものだろう」


 マイラが地面に膝をつき、無言で頷いた。


 彼女は本当に喋らない。


 でも、見ている場所が正確だ。


 林道へ入ると、空気が湿ってきた。


 昨日、雨が降ったらしい。


 地面がぬかるんでいる。


 倒木除去の跡がある。


 木の枝が切られ、道幅が少し広がっている。


 作業は進んでいた。


 つまり、サボってはいない。


 ロイの表情が少し変わった。


「ちゃんとやってたんだな」


「ですね」


 さらに進むと、赤線が濃くなった。


【危険:地盤崩落】


「止まって!」


 俺が叫ぶと、全員が足を止めた。


 目の前の道は、一見普通に見えた。


 だが、地面の下が赤い。


 空洞。


 雨で削られたのか。


 黒霧の影響か。


 俺は棒で地面を突いた。


 ずぼり、と沈む。


「道の下が抜けてます」


 ガルドが眉をひそめる。


「補修班は?」


 金色の線は、崩落箇所の先、左側の谷へ伸びている。


「谷側に落ちた可能性があります」


 ロイが顔色を変えた。


「おい……」


「声を出して」


 ガルドが低く言う。


「ダリオ! ロイだ! 聞こえるか!」


 ロイが叫ぶ。


「ダリオ! 返事しろ!」


 数秒。


 風の音。


 水の音。


 そして、かすかな声。


「……おい……!」


 ロイが目を見開いた。


「聞こえた!」


 谷の下だ。


 生きている。


 俺の視界に表示が浮かぶ。


【未帰還補修班:生存者あり】


【負傷者複数】


【黒霧残滓濃度:低〜中】


「生きてます!」


 全員の空気が変わった。


 ガルドが即座に指示を出す。


「縄を用意! マイラ、固定点を探せ! ロイ、声をかけ続けろ! レンジ殿、下りられる場所は?」


 金色の線を見る。


 直接崖を下りるのは危険。


 少し戻った場所に、斜めに降りられる獣道がある。


「十歩戻って右。獣道があります。担架を下ろすならそこ」


「了解」


   ◇


 谷底に下りると、補修班は倒木と崩れた土砂の間にいた。


 ダリオ。


 旧ハルク村の男たち。


 南区の若者。


 騎士一人。


 全員、泥まみれ。


 数人は足や腕を負傷している。


 騎士は肩を押さえて座り込んでいた。


 だが、全員生きていた。


 ロイが駆け寄る。


「お前ら!」


 ダリオが顔を上げる。


「……遅ぇぞ」


「ふざけんな。心配させやがって」


「心配したのか」


「してねぇ!」


 している。


 めちゃくちゃしている。


 でも、今はそのやり取りだけで十分だった。


 修道女リナが負傷者を見て回る。


「骨折一名、捻挫二名、打撲多数。脱水もあります」


 ニコがすぐ水を配る。


「少しずつ飲んでください。粥も作ります」


 バルロの弟子、現場判断が早い。


 俺は周囲を見る。


 崩落した道。


 谷底の黒い水たまり。


 低い黒霧。


 補修班が落ちた原因は、地盤崩落で間違いない。


 ただし、黒霧残滓が地面を脆くしている。


【原因:黒霧残滓による地盤劣化+雨水浸食】


「この道、今のままじゃ使えません」


 ガルドが頷く。


「封鎖だな」


「でも豆の道が止まります」


「迂回路は?」


 金色の線を見る。


 林道のさらに西側。


 古い農道。


 少し遠回りだが、地盤は安定している。


「西の古い農道が使えます。ただ、草が伸びてる。荷馬車なら整備が必要」


 ダリオが泥だらけの顔で笑った。


「仕事が増えたな」


「怪我してる人が言う台詞じゃない」


「でも、道はあるんだろ?」


「あります」


「なら直す」


 その声に、旧ハルク村の男たちが頷いた。


 ロイも、少しだけ口元を緩めた。


「その前に上がれ。働くのは飯食ってからだ」


 ダリオが笑う。


「南区の奴に飯の心配されるとはな」


「うるせぇ。倒れられると面倒なんだよ」


 赤線がまた少し薄くなった。


 信用は、こうやって少しずつ積まれるのかもしれない。


   ◇


 救助は時間がかかった。


 骨折した男を担架に乗せ、縄で慎重に引き上げる。


 騎士の肩を固定する。


 水を飲ませる。


 泥で冷えた体を布で包む。


 ニコが谷底で粥を作った。


 小さな火。


 薄くない粥。


 それを見て、ダリオがぼそっと言った。


「生き返るな」


 ニコは真面目な顔で答えた。


「バルロ爺の粥ですから」


「本人じゃないだろ」


「教えです」


 バルロ教、広がっている。


 でも、温かい粥は本当に効いた。


 補修班の顔に少し血色が戻る。


 王都の評議会室では、紙と印章が人を動かした。


 谷底では、粥と水が人を戻す。


 どちらも配送局の仕事だ。


   ◇


 夕方までに、全員を地上へ引き上げた。


 荷車に負傷者を乗せる。


 歩ける者は支え合う。


 帰路は慎重に進んだ。


 崩落地点には、黒札と茶札を合わせた警告札を立てる。


【通行禁止】


【地盤崩落】


【西農道へ迂回】


 エマが見たら、もっと分かりやすい絵札にしてくれるだろう。


 今は応急だ。


 俺の頭に表示が浮かぶ。


【南西街道補修班:全員救助】


【崩落原因確認】


【西農道迂回案を設定】


【豆類配送路:一時迂回により維持可能】


「よし……」


 王都から帰ってすぐの救助任務。


 なんとか完了。


 でも、街へ戻ったら水と食糧の対応が待っている。


 配送局の仕事は終わらない。


   ◇


 エルドベルクに戻る頃には、空は暗くなっていた。


 局舎前には、また人が集まっていた。


 今度は、補修班の家族たち。


 旧ハルク村の子ども。


 南区の若者。


 リリアナ。


 セラフィナ。


 バルロ。


 荷車が到着し、負傷者が降ろされると、安堵の声が広がった。


 旧ハルク村の子どもがダリオに飛びつく。


 ダリオは痛そうにしながらも、その子の頭を撫でた。


 ロイは黙ってそれを見ていた。


 そして、ぽつりと言った。


「逃げてなかったな」


 俺は頷いた。


「働いてました」


「そうだな」


 それだけ。


 でも、十分だった。


 セラフィナと修道女たちが負傷者を治療所へ運ぶ。


 バルロは鍋を叩いた。


「働いて戻った奴から食え! 怪我人は先だ! 横入りしたら薄い粥だ!」


 久しぶりに聞いた気がする。


 やっぱりこの声があると、エルドベルクへ帰ってきた実感がある。


   ◇


 夜。


 ようやく局長席に座った。


 机の上には、王都仮承認文書の写し。


 南区水増便の対応表。


 西区食糧配給表。


 南西街道崩落報告。


 迂回路案。


 負傷者リスト。


 月次報告の白紙。


 多い。


 多すぎる。


 だが、俺は文句を言う気力もなく、羽ペンを取った。


 まず一行。


【王都便一号、完了】


 次に。


【南西街道補修班、全員救助】


 さらに。


【西農道迂回路、明日確認】


 書いたところで、力が抜けた。


 そこへ、リリアナがやってきた。


 今日は歩き方がかなり安定している。


 セラフィナの監視は、少し離れた場所にいた。


「休め」


「今、それ言います?」


「言う。今だからだ」


「水と食糧と迂回路が」


「担当に振れ」


「……それが局長の仕事?」


「そうだ」


 リリアナは机の上の書類を見た。


「お前が全部運ぶな。役割を運べ」


 その言葉に、はっとした。


 王都でも同じことを言われた。


 仕組みにしろ。


 人に渡せ。


 記録に残せ。


 俺が全部走れば、一時的には速い。


 でも、俺が倒れたら終わる。


「南区水はエマと商会馬車へ。食糧はバルロさんとミレーユさん。迂回路はガルドさんとロイとダリオさん。治療はセラフィナ様。記録はトマさん」


 俺が言うと、リリアナは頷いた。


「それでいい」


「俺は?」


「寝ろ」


「局長の役割が睡眠」


「今のお前には最重要だ」


 セラフィナが遠くから静かに頷いた。


 逃げ場なし。


 俺は観念した。


「分かりました。寝ます」


 リリアナの表情が少し柔らかくなる。


「王都から戻ってきて、すぐ救助に出て、よくやった」


「配達先が次々出るんで」


「明日も出る」


「知ってます」


「だから寝ろ」


「はい」


 俺は羽ペンを置いた。


 局長席の木札を見た。


【局長 レンジ】


 まだ慣れない。


 でも、少しだけ分かってきた。


 局長の仕事は、自分が全部届けることではない。


 誰が何を届けるか、道を作ること。


 役割を渡すこと。


 そして、時々ちゃんと寝ること。


 たぶん。


 俺は立ち上がり、ふらふらと客室へ向かった。


 外では、バルロの鍋の音がする。


 治療所では、セラフィナの声。


 中庭では、トマがまだ記録を書いている気配。


 エルドベルク配送局は、夜でも動いている。


 でも今夜だけは、俺が動かなくても、きっと回る。


 そう思えたことが、少しだけ嬉しかった。


 王都便一号は完了。


 補修班も救助した。


 明日は迂回路作りと水増便と食糧再配分。


 仕事は山ほどある。


 でも、とりあえず。


 今日の配達は、ここまでだ。

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