第35話 帰り道には、行きで届けた信頼が落ちている
王都を出た瞬間、俺は少しだけ息がしやすくなった。
巨大な城壁。
高すぎる塔。
やたら偉そうな石造りの建物。
書類で人を殴ってくる評議会。
黒い指輪の魔導師ギルド。
あの全部が背中側へ遠ざかっていく。
もちろん、完全に逃げ切ったわけではない。
俺たちの馬車には、王都評議会の仮承認文書が積まれている。
つまり今、俺たちはこの旅で一番大事な荷物を運んでいる。
水樽より重い。
豆袋より面倒くさい。
黒霧核片より政治的に危ない。
紙なのに、めちゃくちゃ危険物だった。
【配送物:エルドベルク災害復旧配送局・仮承認文書】
【重要度:最高】
【紛失・改竄・破損時、配送局存続リスク上昇】
「紙にここまで圧を感じる日が来るとはな……」
俺が呟くと、向かいのトマが文書箱を抱えながら青い顔をした。
「やめてください。私の胃が反応します」
「もうずっと反応してません?」
「はい。王都に入ってから常時警報です」
トマの胃は、もはや王都探知機である。
ミレーユは涼しい顔で言った。
「文書箱は三重管理です。本書はレンジ様、写し一は私、写し二はガルド様。商人組合と教会連絡室にも控えがあります」
「それでも不安ですね」
「不安だから分散するのです」
正しい。
配送の基本だ。
大事な荷物ほど、一か所にまとめない。
同じ道を通さない。
同じ人間に預けすぎない。
王都で学んだことは、嫌になるほど現実的だった。
◇
帰り道は、行きより少しだけ楽だった。
少なくとも、門でいきなり俺だけ仕分けされそうになることはなかった。
王都商人組合の紹介状と仮承認文書の控えが効いている。
昨日まで「怪しい辺境集団」だった俺たちは、今日から一応「王都仮承認済みの災害復旧機関」だ。
肩書きって怖い。
紙一枚で、人の態度が変わる。
ラウゼン宿場に着くと、例の門番がすぐに駆け寄ってきた。
「エルドベルクの方々!」
「あ、妹さんの件ですね」
俺が言うと、門番の顔が一気にこわばった。
そうだった。
行きに、南区に嫁いだ妹の安否確認を頼まれていた。
まだエルドベルクには戻っていない。
だから本来なら答えはない。
だが、エマが前に出た。
「こちら、安否確認札の控えです」
彼女は白い札を差し出した。
そこには、門番の妹の名前、嫁ぎ先、確認依頼者の名前が記されている。
「エルドベルクに戻ったら、南区名簿と避難所名簿で確認します。次の宿場便で返事を出します」
門番は、その札を両手で受け取った。
「……本当に、調べてくれるのか」
「はい」
エマはまっすぐ頷いた。
「私も村から助けを求めに行った時、返事があるだけでどれだけ安心するか知っていますから」
門番は唇を噛み、深く頭を下げた。
「頼む」
俺の視界で、赤い線が少し薄くなった。
【ラウゼン宿場:エルドベルク流言不安、低下】
【安否確認札制度:有効】
小さな札一枚。
でも、それは人の不安を少しだけ受け止める。
水や飯だけじゃない。
返事も届けるべき荷物だ。
◇
ラウゼン宿場では、行きに豆粥を食べた人たちが俺たちを覚えていた。
「エルドベルクの配送局だ」
「本当に王都から戻ってきたぞ」
「街は無事なんだな?」
宿場の人々が集まってくる。
前回より、距離が近い。
警戒より好奇心が勝っている。
ニコがそれを見て、当然のように鍋を出そうとした。
「待って。毎回炊き出しする気?」
「バルロ爺なら、場を取るなら飯だって言います」
「言いそう」
ミレーユが笑顔で頷いた。
「少量なら構いません。王都仮承認の簡易告知と合わせましょう」
「告知?」
「はい。事実も一緒に配ります」
出た。
事実配達。
トマが小さな紙を何枚か取り出した。
【エルドベルク災害復旧配送局は、王都評議会より三か月の仮承認を受けました】
【南区・三村・南西街道への水・食糧・薬配送は継続されます】
【エルドベルクは復旧中です】
短い。
分かりやすい。
王都向けの硬い文書とは違う。
宿場の人が読んで理解できる言葉だ。
「これ、いつ作ったんですか?」
「王都を出る前です」
トマが疲れた顔で言う。
「帰路の流言対策用に」
「有能すぎる」
「褒めるなら休みをください」
「戻ったら相談しましょう」
「それは休みがない返事です……」
ニコの豆粥と、トマの簡易告知。
その二つは、思った以上に効いた。
宿場の掲示板に告知を貼ると、人々が集まって読む。
読めない人には、エマが説明する。
豆粥を受け取った商人が、隣の人へ話す。
噂が、少しずつ修正されていく。
エルドベルクは滅びていない。
配送局は王都に潰されていない。
水と飯と薬は、まだ届く。
ただそれだけの事実が、人の顔を少し変えた。
◇
だが、安心したのも束の間だった。
宿場を出ようとした時、ひとりの男が駆け込んできた。
息を切らし、肩で呼吸している。
服装は旅商人風。
だが、靴がやけに新しい。
手には封書。
「エルドベルク配送局の代表団か!」
ガルドが即座に前に出る。
「何者だ」
「王都評議会からの追加通達だ! 至急確認を!」
男は封書を差し出した。
俺の視界に赤線が走る。
【警告:偽通達の可能性】
【目的:帰路遅延】
やっぱり来たか。
最後まで素直に帰らせてくれない。
ミレーユが静かに言った。
「封書を置いて、一歩下がってください」
「急ぎだ! 今すぐ責任者に――」
「一歩、下がってください」
声は柔らかい。
でも、怖い。
男は渋々封書を机に置き、下がった。
トマが印章を見る。
ミレーユが紙質を見る。
ガルドが男を見る。
エマは宿場の人々を少し後ろへ下げる。
俺は金色の線を確認する。
封書。
印章。
蝋。
差出人。
そして、男の靴。
やはり赤い。
「トマさん」
「はい」
「印、どうですか?」
「王都評議会の印に似ていますが、副印がありません。それに、昨日受け取った仮承認文書の印章と微妙に輪郭が違います」
ミレーユが封書を開かずに言う。
「紙も評議会用ではありません。王都外縁の安価な公文書紙です」
男の顔がわずかに動いた。
当たりだ。
「中を見ないのか!」
「正式な通達でない可能性があります」
ミレーユが言う。
「偽造文書を開封すると、こちらが受領したと主張される場合がありますので」
怖い。
紙の罠、まだあるのか。
俺は男を見た。
「誰に頼まれました?」
「俺はただの使いだ!」
「誰から?」
「知らない! 宿場の手前で渡されて、届ければ銀貨を――」
言いかけて、男は口を押さえた。
言った。
完全に言った。
トマがすぐ記録する。
「自称王都評議会追加通達、印章不一致、副印なし。持参者は宿場手前で依頼され、銀貨報酬と発言」
「書くの早い」
「こういうのは鮮度が命です」
記録係、強くなりすぎでは?
ガルドが男へ近づく。
「依頼した者の特徴は」
「黒い外套……顔は見えなかった。声は男。指輪をしていた」
「指輪?」
「黒い石の……」
またか。
黒い指輪。
ヴァイス本人か、関係者か。
どちらにせよ、しつこい。
ミレーユが封書を布で包む。
「開封せず、偽通達疑いとして保存します」
「これも証拠?」
俺が聞くと、彼女は当然のように頷いた。
「もちろんです」
トマが天を仰いだ。
「証拠箱が増えます……」
そうだね。
王都便、帰り荷がまた増えた。
【偽追加通達による帰路遅延策を阻止】
【証拠品:未開封偽封書を確保】
【帰路安全度:上昇】
これでまたひとつ、王都側の不正の証拠が増えた。
嬉しくはない。
でも、使える。
◇
宿場を出る時、門番が俺たちに言った。
「このことも宿場の記録に残しておく」
「助かります」
「行きに豆粥をもらった借りがあるからな」
「豆粥、強いな……」
ニコが少し誇らしげだった。
「薄くしなかったので」
「本当に大事なんだね、そこ」
行きで届けた豆粥。
行きで受けた安否確認。
行きで直した商人の馬車。
そういう小さなことが、帰り道の助けになっている。
配送は、一方通行じゃない。
届けたものは、別の形で戻ってくる。
信頼として。
証言として。
道の安全として。
◇
夕方、エルドベルクへ近づく頃には、全員かなり疲れていた。
王都で神経を削られ、帰路でも偽通達。
馬車の揺れが眠気を誘う。
トマは帳簿を抱えたまま半分寝ている。
エマも記録板を膝に置いてうとうとしている。
ニコは鍋を抱えて寝ている。
なぜ鍋を抱くのかは分からない。
ガルドとマイラだけは、まだ警戒を緩めない。
騎士、すごい。
俺も文書箱を抱えたまま、うとうとしかけた。
その時だった。
視界に金色の線が強く走った。
エルドベルク。
西門。
そして、門の上に掲げられた札。
青札。
黄札。
茶札。
水。
食料。
盗賊、または人の問題。
「……え?」
眠気が吹き飛んだ。
【エルドベルク西門:緊急札掲示】
【青札:南区水配送増便要請】
【黄札:西区避難所食糧不足警告】
【茶札:南西街道補修班、未帰還】
「未帰還……?」
思わず声が漏れる。
ガルドがこちらを見る。
「どうした」
「南西街道補修班が戻ってない」
馬車の中の空気が一気に変わった。
南西街道補修班。
旧ハルク村のダリオたち。
南区代表のロイ。
騎士の監視役。
豆の道を守るために出した労働班。
その帰還が遅れている。
しかも、西区は食糧不足。
南区は水増便。
俺たちが王都で配送局を守っている間も、現場は待ってくれなかった。
当然だ。
配送局は生き物だ。
一日止まれば、どこかが詰まる。
文書箱を見下ろす。
王都仮承認。
これを届ければ、配送局は正式に動ける。
だが、その瞬間から次の仕事が始まる。
俺は深く息を吸った。
「急ぎましょう」
ガルドが頷く。
「西門へ直行する」
馬車が速度を上げる。
夕暮れの中、エルドベルクの城壁が見えてきた。
帰ってきた。
でも、休む暇はなさそうだ。
王都便一号。
配達完了まであと少し。
そして、完了ボタンを押す前から、次の緊急配送が点滅していた。




