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第34話 受領印の一文字で、全部ひっくり返る

 翌朝。


 商人組合の客室で目を覚ました瞬間、俺は天井を見上げて思った。


 今日は絶対に胃に悪い。


 昨日は評議会。


 夜は証拠品泥棒。


 そして今日は、配送局の仮承認文書を受け取る日。


 普通なら、ここまで来たら勝ち確定と言いたい。


 だが、俺の視界には朝から赤い線がちらついていた。


【本日:仮承認文書受領】


【警告:条文改変リスク】


【警告:受領手続き上の拘束リスク】


【警告:証拠品管理条件のすり替えリスク】


「朝から三連警告はやめてくれ」


 思わず呟く。


 隣の部屋からトマの声がした。


「聞こえました。嫌な予感がします」


「トマさんも?」


「私の胃がそう言っています」


「その胃、もう予知スキルでは?」


 しばらくして食堂に降りると、代表団はすでに集まっていた。


 ミレーユは書類箱を確認している。


 ガルドは無言で剣を点検。


 マイラは扉と窓の位置を見ている。


 エマは連絡札の入った小箱を抱えている。


 ニコは豆粉入りの焼きパンを配っていた。


「朝は軽めにしました。緊張してると胃が重いので」


「有能」


「バルロ爺に、偉いやつらと話す日は腹を空にするなって言われてます」


「バルロさん、王都攻略まで飯で支えてくるなぁ」


 焼きパンをかじる。


 硬い。


 でも噛んでいると、豆の甘みが少し出てくる。


 王都の立派な食堂で食べるものとしては地味すぎる。


 だが、今の俺には高級料理よりありがたかった。


 ミレーユが口を開く。


「今日の手順を確認します」


 彼女は本当にブレない。


「一、文書の表題、発行者、印章を確認」


「二、仮承認の期間を確認」


「三、配送局の定義を確認」


「四、月次報告の提出先を確認」


「五、黒霧関連証拠の保管条件を確認」


「六、レンジ様個人への拘束・出頭・移送に関する文言がないか確認」


「七、正式控えを三部受領」


 トマが深く頷く。


「一文字でもおかしければ止めます」


「頼もしい」


「怖いだけです」


 怖くても止める。


 それはもう、強さだと思う。


   ◇


 王都評議会へ向かう道は、昨日より少し違って見えた。


 昨日は圧倒されていた。


 今日は、少しだけ街の流れが見える。


 評議会へ向かう貴族の馬車。


 商人組合へ荷を運ぶ荷車。


 魔導師ギルドの塔へ向かう黒い馬車。


 城門前で書類を抱えて待つ地方役人。


 王都は巨大だ。


 だが、巨大なだけに詰まりも多い。


 水も、飯も、薬も、書類も、人も。


 全部が流れているようで、どこかで詰まっている。


「王都にも配送局、必要なんじゃないですかね」


 俺がぼそっと言うと、ミレーユが横で小さく笑った。


「それを言うのは、今日はまだ早いですね」


「今日は?」


「将来的には商機です」


「商機にする気だ」


「当然です」


 この人、王都まで来ても平常運転だった。


   ◇


 評議会の受付に着くと、昨日とは違う書記官が待っていた。


 年配の女性。


 眼鏡。


 鋭い目。


 机の上には、分厚い文書束が置かれている。


「エルドベルク配送局代表団ですね」


 声は硬いが、昨日の受付ほど敵意はない。


 ミレーユが会釈する。


「はい。仮承認文書の受領に参りました」


「私は評議会第一書記、ヘレナです。本日の文書交付を担当します」


 トマがすぐに記録を始める。


「担当、評議会第一書記ヘレナ様。時刻、朝二刻半」


 ヘレナ書記はトマを見た。


「あなたが配送局の記録係ですか」


「はい」


「昨日の議事控え、拝見しました。良い記録です」


 トマが固まった。


「……ありがとうございます」


 褒められ慣れていない顔だ。


 ヘレナ書記は文書をこちらへ差し出した。


「こちらが、評議会仮決裁文書です。確認を」


 来た。


 俺は思わず一歩前へ出そうになったが、ミレーユが自然に前へ出た。


 トマが横につく。


 俺はその後ろ。


 順番を間違えるな。


 今回は、俺が前に出る場面じゃない。


   ◇


 文書確認は、想像以上に神経を使った。


 表題。


【エルドベルク災害復旧配送局に関する暫定認可書】


 ここは問題ない。


 発行者。


 王都評議会議長名。


 副印あり。


 商務局確認印あり。


 軍務局確認印あり。


 教会連絡印もある。


「印章は整っています」


 トマが小声で言う。


「次、期間」


 ミレーユが目を走らせる。


「三か月。起算日は本日。延長には月次報告と現地状況確認が必要」


「昨日の話通りですね」


「次、組織定義」


 文書にはこうあった。


【エルドベルク災害復旧配送局は、騎士団・教会・商会・住民代表・周辺村落代表の共同運用による災害復旧特例機関とする】


 よし。


 俺個人の組織ではない。


 大事なところだ。


「次、責任者」


 トマが読み上げる。


【現地調整責任者としてレンジを置く。ただし、当該責任者の権限は共同運用委員会の承認範囲に限る】


「悪くないですね」


 俺が小声で言うと、ミレーユが頷く。


「むしろ良いです。独裁ではない証明になります」


 そして、次。


 月次報告。


【月次報告は、王都評議会災害復旧部門、商務局、教会連絡室へ同一内容を提出する】


「提出先が三つ」


 トマの顔が少し死んだ。


「仕事が三倍……」


「でも、一か所で握り潰されにくい」


「分かっています……分かっていますが……」


 頑張れ、トマ。


 次が問題だった。


 黒霧関連証拠。


 ミレーユとトマが同時に目を細める。


【黒霧関連証拠品は、魔導師ギルドの調査対象とし、必要に応じて王都へ移送する】


 赤線が走った。


【警告:条文改変】


「止めて」


 俺が言うより早く、トマが紙を押さえた。


「この条文は、昨日の合意と異なります」


 ヘレナ書記の眉が動く。


「どの箇所ですか」


「昨日の議長発言では、黒霧関連証拠は教会・騎士団・商人組合立会いのもと共同保管。魔導師ギルドの単独調査は認めない、でした」


 トマの声ははっきりしていた。


 ミレーユが続ける。


「この文言では、魔導師ギルドが必要と判断すれば単独移送できる余地があります」


 ヘレナ書記は文書を受け取り、該当箇所を確認した。


 その顔が、わずかに硬くなる。


「……確かに、議事録案と違います」


 来た。


 やっぱり混ぜてきた。


 誰かが、正式文書に毒を入れた。


 俺の視界に赤線が伸びる。


 評議会書庫。


 夜間修正。


 黒い指輪。


【改変関与候補:魔導師ギルド査問官ヴァイス】


 やっぱりあいつか。


 ガルドの空気が冷える。


「書記殿。この文書は誰が清書した」


 ヘレナ書記は少しだけ目を細めた。


「評議会文書課です。ただし、黒霧関連条項については、魔導師ギルド側から専門文言の差し込みがありました」


「差し込み」


 ミレーユの声が冷たくなる。


「昨夜、商人組合宿舎で証拠品への不正接触がありました。侵入者は『査問官へ渡す前に確認する』と発言しています」


 ヘレナ書記の表情が変わった。


「その記録は?」


「あります」


 トマが即座に別紙を出した。


 公証書記の証明。


 商人組合副書記オーウェンの署名。


 警備主任ボルツの証言。


 ガルドとマイラの証言。


 香粉の追跡記録。


 口封じ術式の一時封印報告。


 全部、揃っている。


 ヘレナ書記はそれを読み、深く息を吐いた。


「……これは、評議会として無視できません」


「では、修正をお願いします」


 ミレーユは微笑んでいる。


 でも圧がすごい。


「昨日の合意通り、魔導師ギルド単独での調査・移送を認めない文言へ」


 ヘレナ書記は頷いた。


「議長確認を取ります。少々お待ちください」


   ◇


 待合室で待つ時間は、昨日より胃に悪かった。


 あと一文。


 その一文で、全部ひっくり返る。


 もしトマが見逃していたら。


 もしミレーユが気づく前に受領印を押していたら。


 黒霧核片は魔導師ギルドへ持っていかれていたかもしれない。


 そして、二度と戻らない。


 証拠も、真相も。


 俺はトマを見た。


「本当に助かりました」


 トマは椅子に座ったまま、力なく笑った。


「私も、自分の目の下にできた隈の意味が報われました……」


「寝ましょう、帰ったら」


「月次報告が……」


「忘れてた」


「忘れさせてください……」


 エマが小さく言った。


「記録って、怖いですね」


「怖い?」


「書いてあるだけで、人を助けることもあるし、逆に奪うこともある」


 その通りだった。


 水と同じだ。


 きれいなら命を繋ぐ。


 汚れれば人を倒す。


 書類も同じ。


 正しく書かれれば守る。


 悪く書かれれば奪う。


 王都は、書類でできている。


 なら俺たちは、書類の水質検査も覚えなければいけない。


   ◇


 一刻ほどして、ヘレナ書記が戻ってきた。


 その後ろには、議長本人ではなく、昨日評議会にいた中年の評議員が一人。


 名前はたしか、ラグナ卿。


 昨日はほとんど喋らなかったが、配送局停止には慎重な顔をしていた人物だ。


「待たせた」


 ラグナ卿は文書を机に置いた。


「該当条文を修正した。確認せよ」


 トマとミレーユが同時に覗き込む。


 俺も後ろから見る。


【黒霧関連証拠品は、教会・エルドベルク騎士団・王都商人組合・評議会指定書記の立会いのもと共同保管とする。魔導師ギルドによる調査は、上記立会人の同席を条件とし、単独での移送・開封・処分を認めない】


 よし。


 強い。


 かなり強い。


 ミレーユが頷いた。


「昨日の合意通りです」


 トマも確認する。


「問題ありません」


 ラグナ卿は俺を見る。


「昨夜の件もあり、評議会内でも意見が変わった。魔導師ギルドに一任するのは危険だとな」


「ありがとうございます」


「礼はまだ早い」


 ラグナ卿は静かに続けた。


「王都は、配送局を完全に信用したわけではない。だが、現地で必要な仕組みを、机上の規則だけで止める愚は避けるべきだという判断だ」


「それで十分です」


「三か月だ。その間に、結果を出せ」


 厳しい。


 でも、公平な厳しさだった。


「はい」


「月次報告は遅れるな。遅れた瞬間、停止派が騒ぐ」


 トマの顔がまた青くなった。


「遅れません……たぶん」


「そこは断言してください」


 俺が小声で言うと、トマは遠い目をした。


「努力します……」


 ラグナ卿はさらに言う。


「それと、レンジ」


「はい」


「お前の能力は有用だ。だが、有用な能力ほど利用される。王都にも、地方にもな」


 その目は、敵意ではなかった。


 警告だ。


「配送局を、お前個人の力にしすぎるな。仕組みにしろ。人に渡せ。記録に残せ」


 リリアナと同じことを言っている。


 やはり、ここが急所なのだ。


 俺が倒れても、配送局が残ること。


 俺がいなくても、水と飯と薬が届くこと。


「分かりました」


「ならよい」


 ラグナ卿は文書へ視線を戻した。


「受領印を」


 ついに。


 受領の時だ。


 配送局の仮承認文書。


 王都便一号の荷物。


 ここで受け取る。


 トマが受領欄を確認する。


 ミレーユが印章を確認する。


 ガルドが周囲を見る。


 エマが息を止めている。


 俺は羽ペンを持った。


 手が少し震えている。


 でも、書いた。


【エルドベルク災害復旧配送局 現地調整責任者 レンジ】


 その横に、ミレーユ、ガルド、教会代理、トマが控え確認の署名をする。


 ヘレナ書記が印を押した。


 重い音が響く。


 どん、と。


 まるで、配達完了ボタンよりも重い音だった。


【王都評議会:エルドベルク配送局を災害復旧特例機関として仮承認】


【配送局停止リスク:大幅低下】


【王都対応成功率:九十六パーセント → 百パーセント】


「……百」


 声が漏れた。


 百パーセント。


 王都便、受領成功。


 配送局は、生き残った。


   ◇


 評議会を出た瞬間、エマが泣いた。


「よかった……本当に、止まらないんですね」


「止まらないよ」


 俺が言うと、彼女は記録板を抱きしめた。


「村に、水が届きますね」


「うん」


「薬も」


「うん」


「豆も」


「豆も」


 そこはなぜか少し笑ってしまった。


 でも、大事だ。


 豆も届く。


 粥が濃くなる。


 夜の揉め事が減る。


 人が少し眠れる。


 それも全部、配送局の仕事だ。


 トマはその場に座り込みそうになった。


 マイラが無言で支える。


「ありがとうございます……」


「いえ」


 マイラはほとんど喋らない。


 でも、かなり面倒見がいい。


 ガルドが文書箱を見て言った。


「これをエルドベルクへ届けて、完了だな」


「そうですね」


 受け取っただけでは終わらない。


 持ち帰るまでが配送。


 エルドベルクの局長席に、この文書を置くまで。


 南区に、三村に、バルロに、リリアナに、セラフィナに。


 ちゃんと届けるまで。


 俺は文書箱に手を置いた。


「帰りましょう」


 ミレーユが頷く。


「その前に、商人組合へ写しを預けます」


「そうだった」


「さらに、教会連絡室にも写しを」


「まだ回るんですね」


「配送は複数宛先です」


 この人、最後まで仕事を増やす。


 でも、それが正しい。


 文書は一か所に置かない。


 分散保管。


 王都でも、エルドベルクでも。


   ◇


 商人組合へ戻ると、オーウェン副書記が拍手で迎えてくれた。


「おめでとうございます。まずは仮承認ですな」


「ありがとうございます。組合のおかげです」


「こちらも、面白い仕組みを見せていただいた」


 彼は文書の写しを受け取り、正式に組合保管印を押した。


「エルドベルク配送局の記録は、王都商人組合にも残します。万が一、評議会内で文書が消えても、こちらに控えがあります」


「心強いです」


「その代わり、月次報告の写しもいただきたい」


 トマが小さく呻いた。


「写しが……また増えた……」


「信頼とは、写しの枚数です」


 オーウェンがにこりと言った。


 いやな名言だ。


 でも、本当にその通りだった。


 ニコは組合の厨房で、最後に豆粉の焼き菓子もどきを作っていた。


 組合の職員たちが興味津々で食べている。


「素朴だが、悪くない」


「保存食に向くな」


「災害用の配給に使えるかもしれん」


 ニコが真顔で言った。


「薄くしないのが大事です」


 バルロの教え、王都商人組合にまで届いている。


 これも配送かもしれない。


   ◇


 夕方。


 王都を発つ準備が整った。


 行きより荷物は増えていた。


 仮承認文書。


 商人組合の保管証。


 評議会文書の写し。


 公証書記の夜間侵入事件記録。


 王都商人組合の紹介状追加版。


 ラウゼン宿場の安否確認依頼控え。


 そして、王都で仕入れた少量の薬草と紙。


 紙。


 トマが欲しがった。


「月次報告に必要です」


 つらい理由だ。


 王都の西門を出る前、俺は振り返った。


 高い城壁。


 巨大な門。


 黒い魔導師ギルドの塔。


 王都は大きい。


 怖い。


 面倒くさい。


 でも、完全な敵ではなかった。


 ヘレナ書記。


 ラグナ卿。


 オーウェン副書記。


 ベルナール商会。


 門番。


 王都にも、繋がる道はあった。


 敵だけじゃない。


 味方になり得る人もいる。


 それは今回の大きな収穫だった。


「局長」


 エマが馬車の中から呼んだ。


「出発です」


「はいはい」


 もう局長呼びに突っ込む力もない。


 俺は馬車に乗り込んだ。


 トマが帳簿に書く。


【王都便一号、仮承認文書受領。帰路出発】


 ミレーユが窓の外を見ながら言った。


「これで、エルドベルク配送局は王都に名前を刻みました」


「良い意味で?」


「今のところは」


「怖いなぁ」


 ガルドが短く言う。


「帰るまで油断するな」


「もちろんです」


 王都からエルドベルクへ伸びる金色の線を見る。


 帰り道にも、まだ赤い点はある。


 でも、行きよりは太い。


 道中で作った信頼。


 商人組合の記録。


 宿場の安否確認。


 馬車修理の礼。


 そういう小さな荷物が、帰り道を少しだけ強くしている。


 俺は文書箱に手を置いた。


「王都便、復路開始」


 配達完了まで、あと半分。


 この文書を、エルドベルクへ届ける。


 リリアナへ。


 セラフィナへ。


 バルロへ。


 南区へ。


 三村へ。


 豆を待っている避難所へ。


 配送局は止まらない。


 その証明を、持って帰る。

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