第33話 証拠を盗みに来た奴を、証拠にする
王都評議会で、配送局はひとまず生き残った。
三か月の仮承認。
月次報告。
能力使用の記録義務。
黒霧証拠品の共同保管。
面倒な条件は山ほどついた。
だが、停止ではない。
俺の拘束でもない。
つまり勝ちだ。
普通なら、その夜は宿で倒れるように眠りたい。
できれば豆粥を食って、何も考えずに寝たい。
だが、現実はそう甘くなかった。
【警告:夜間接触リスク】
【対象:証拠品】
王都は、寝かせてくれない。
「証拠を盗みに来る者を、証拠にします」
ミレーユは、評議会室を出てすぐ、そう言った。
涼しい顔だった。
でも目が笑っていない。
この人が一番怖い時の顔だ。
「つまり、罠を張ると」
俺が言うと、彼女は頷いた。
「はい。相手が黒霧核片のサンプルを狙うなら、その行動自体が魔導師ギルド関与の証明になります」
「王都で罠とか、普通に危なくないですか?」
「危ないです」
「即答」
「ですが、向こうが動くなら、動かした方が有利です。こちらがただ守るだけでは、明日の正式文書交付前に何かをすり替えられる可能性があります」
すり替え。
その言葉に、背中が冷えた。
資料を盗まれるだけじゃない。
黒霧核片のサンプルを別物にされる。
あるいは、危険物を混ぜられる。
そして「エルドベルク代表団が王都で黒霧汚染を持ち込んだ」とでも言われたら最悪だ。
「……やりますか」
「やります」
ガルドが短く言った。
「俺は護衛に入る」
マイラも無言で頷く。
トマは顔を青くしていた。
「罠の記録も必要ですよね……」
「もちろんです」
ミレーユが微笑む。
「今回は、記録が命です」
「私の命も大事にしてください……」
トマの胃はもう限界かもしれない。
しかし、彼の帳簿がなければ罠は成立しない。
証拠を盗みに来た。
いつ。
どこで。
誰が。
何を。
どうしようとしたのか。
それを記録して初めて、王都で使える武器になる。
紙の戦争は、まだ終わっていなかった。
◇
商人組合の宿舎へ戻ると、オーウェン副書記が待っていた。
彼は俺たちの顔を見るなり、すべて察したようにため息をついた。
「何かありますな?」
ミレーユが答える。
「今夜、証拠品に接触される可能性があります」
「ふむ」
オーウェンは驚かなかった。
さすが王都商人。
揉め事への耐性が高い。
「商人組合として、客人の荷を守る義務があります。協力しましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、組合の施設内で騒ぎを起こすなら、確実な証拠が必要です」
「そのための罠です」
オーウェンの目が少し光った。
「よろしい。では、証人を置きましょう。組合側から私と警備主任を。さらに、王都外縁管理局ではなく、商人組合所属の公証書記を呼びます」
「公証書記?」
トマが反応した。
「正式な立会い記録を作れる人ですか?」
「その通り」
トマの目が少しだけ生き返った。
「それは助かります……。私だけの記録だと、王都側に弱いので」
「よく分かっておられる」
記録係同士、通じ合っている。
少し面白い。
でも、今は笑っている場合ではない。
俺は視界の線を見た。
証拠品箱。
宿舎二階の保管室。
廊下。
裏階段。
屋根裏。
赤い線は、正面ではなく裏側から伸びていた。
「相手は正面から来ません」
「当然ですな」
「裏階段、もしくは屋根裏から。狙いは黒霧核片サンプル」
オーウェンが警備主任を呼んだ。
大柄な男で、名前はボルツ。
無口そうだが、目が鋭い。
「裏階段は二つあります」
ボルツが言った。
「ひとつは使用人用。もうひとつは古い搬入口へ繋がる階段です」
金色の線は、古い搬入口側へ伸びている。
「古い搬入口です」
「では、そこを空けておきますか?」
ミレーユが微笑む。
「完全には閉じず、入れると思わせましょう」
「性格悪いですね」
「褒め言葉として受け取ります」
◇
罠の準備は、静かに進められた。
まず、本物の証拠品は移した。
黒霧核片サンプルは、教会の浄化布に包んだまま、商人組合の地下金庫へ。
立会いは、オーウェン、トマ、ガルド、ミレーユ。
移した時刻も記録。
封印状態も記録。
箱の重さも記録。
トマは真剣な顔で書き続けている。
「ここまで記録するんですか?」
俺が聞くと、彼は即答した。
「すり替えを疑われないためです。重量、封印紐、封蝋、立会人、時刻。全部必要です」
「プロだ……」
「なりたくてなったわけではありません……」
次に、囮の箱を用意した。
外見は本物と同じ。
中には、黒く染めた石と、少量の浄化布の切れ端。
さらに、ミレーユが用意した細工が入っている。
「何ですか、これ」
「香粉です」
「香粉?」
「箱を開けると、特殊な香りが衣服につきます。王都の香料商でも扱いが少ないものなので、追跡に使えます」
怖い。
本当に怖い。
「商人って、そんなこともするんですか?」
「高額商品の盗難対策です」
「物流の闇を見た気がする」
「光です。商品を守るための」
言い方で誤魔化しているが、かなりえげつない。
ただ、今回は助かる。
囮箱は保管室へ戻した。
扉には普通に鍵をかける。
ただし、鍵は少しだけ古いものに替えた。
破れる。
でも破るには少し時間がかかる。
その間に、相手の動きを記録できる。
ガルドとマイラは廊下の影へ。
ボルツは裏階段の下へ。
俺とミレーユ、トマ、エマは隣室で待機。
エマもいる。
正直、部屋に残したかったが、彼女は首を横に振った。
「私は記録補助です。見届けます」
強くなったな、本当に。
ただし、危険なら即座に下がる約束はさせた。
ニコは厨房にいた。
「俺は何をすれば?」
「騒ぎになったら、宿舎の人たちに温かいものを出して落ち着かせて」
「分かりました。豆粉を溶きます」
ここでも飯。
でも、割と正しい。
夜中に騒ぎが起きた時、温かい飲み物や粥があると人は落ち着く。
バルロ教育、恐るべし。
◇
夜は、やけに長かった。
王都の夜は明るい。
だが、商人組合の宿舎の裏側は暗い。
時折、遠くの馬車の音が聞こえる。
人の笑い声。
酒場の音。
警備兵の靴音。
そして、沈黙。
俺は隣室の椅子に座り、金色の線を見続けていた。
目が疲れる。
頭も痛い。
でも、赤線は確かに近づいていた。
【接触予測:間もなく】
「来ます」
俺が小声で言うと、全員が動きを止めた。
トマが筆を握る。
エマが息を呑む。
ミレーユは静かに目を細めた。
廊下の向こうで、かすかな音。
きしり。
古い木が鳴る音。
裏階段だ。
足音はほとんどない。
相手は慣れている。
泥棒か、暗部か、魔導師ギルドの使いか。
いずれにせよ素人ではない。
保管室の扉の前で、音が止まった。
金具に何かを差し込む音。
鍵が、ゆっくり動く。
時間が長く感じた。
カチリ。
開いた。
扉がわずかに軋む。
黒い影が一つ、室内へ入る。
さらにもう一つ。
二人。
【侵入者:二名】
【目的:囮箱】
予定通り。
だが、ここで飛び出してはいけない。
箱を開けさせる。
接触させる。
言い逃れできない状態にする。
俺は拳を握った。
保管室の中で、布が擦れる音。
箱を持ち上げる音。
小さな声。
「……これだ」
「封印を確認しろ」
男の声だ。
聞き覚えはない。
だが、次の言葉で空気が変わった。
「査問官へ渡す前に、中を確かめる」
査問官。
ヴァイスだ。
魔導師ギルド査問官ヴァイス。
赤線が一気に太くなる。
【魔導師ギルド査問官ヴァイスとの関連発言を確認】
トマが震える手で記録する。
エマの顔が青くなる。
ミレーユが静かに指を立てた。
まだ。
箱が開く。
ふわりと、香粉の匂いが隣室まで届いた。
甘く、少し苦い香り。
侵入者が小さく咳き込む。
「何だ、この匂い」
「構わん。中身を――」
「そこまでだ」
ガルドの声が廊下に響いた。
同時に扉が開く。
マイラが退路を塞ぎ、ボルツが裏階段側から上がってくる。
侵入者二人が動く。
速い。
一人は窓へ。
一人は煙玉のようなものを取り出した。
【煙幕】
「煙!」
俺が叫ぶ。
直後、白い煙が広がった。
だが、ミレーユが即座に布を口元へ当てる。
「想定済みです」
マイラが煙の中へ飛び込む。
剣の柄で、窓へ向かった男の足を払った。
鈍い音。
男が倒れる。
もう一人は裏階段へ走るが、ボルツの巨体に塞がれた。
ガルドが左手で剣を抜き、男の首元へ突きつける。
「動くな」
短い。
だが効く。
煙が薄れていく。
侵入者二人は、どちらも黒い布で顔を隠していた。
ボルツが覆面を剥ぐ。
一人は若い男。
もう一人は中年。
どちらも首元に小さな黒い刺青がある。
黒霧の契約印ではない。
だが、魔導師ギルドの下働きが使う識別印に似ているらしい。
ミレーユが目を細めた。
「魔導師ギルドの外部協力者ですね」
男の一人が叫ぶ。
「違う! 俺たちはただ雇われただけだ!」
「誰に?」
ガルドが問う。
男は口をつぐんだ。
その瞬間、俺の視界に赤い線が走った。
【口封じ術式】
「離れて!」
俺が叫ぶ。
ガルドが男から距離を取る。
首元の印が黒く光る。
前に見た。
西区避難所を燃やそうとした黒外套たちと同じ流れだ。
だが今回は、準備がある。
「浄化布!」
エマが即座に布包みを投げた。
セラフィナから預かった浄化布。
俺がそれを男の首元へ押し当てる。
黒い光がじゅう、と音を立てる。
男が苦しげに呻いた。
修道女ではない俺が扱うには無理がある。
だが、布に込められた祈りが術式を焼いている。
ガルドが男を押さえ、マイラがもう一人にも布を巻く。
数秒後。
黒い印は、完全には消えないものの、光を失った。
【口封じ術式:一時封印】
助かった。
今度は死なせなかった。
男たちは荒い息を吐きながら床に転がっている。
トマが震える声で言った。
「記録……侵入者二名、証拠品囮箱を開封。査問官への引き渡し前確認と発言。口封じ術式発動、一時封印……」
書いている。
ちゃんと書いている。
すごい。
この状況で記録しているトマ、普通に英雄では?
◇
オーウェン副書記と公証書記が入ってきた。
公証書記は状況を確認し、侵入者、囮箱、香粉、封印状態、発言記録を順番に確認した。
商人組合警備主任ボルツも証言。
ガルドも証言。
マイラも証言。
ミレーユが淡々と説明する。
「本物の証拠品は、立会いのもと地下金庫へ移しております。侵入者が接触したのは囮箱です」
公証書記が頷く。
「よく準備されている」
「盗まれる予測がありましたので」
「なぜ予測できたのです?」
視線が俺へ来る。
少し迷ったが、答える。
「道が見えました」
公証書記は少しだけ目を細めた。
「なるほど。記録しておきます」
何でも記録される。
王都怖い。
だが、今回はそれが武器だ。
オーウェンが侵入者の服の袖を確認した。
そこには香粉がしっかり付いている。
「この香りは、組合認定香料商三店しか扱っていません。追跡できます」
ミレーユが微笑んだ。
「お願いできますか?」
「もちろん。組合施設内での侵入ですからな。商人組合としても黙ってはいられません」
ありがたい。
王都で味方を作っておいて、本当によかった。
侵入者の一人が、苦しげに言った。
「俺たちは……命令されただけだ……」
ガルドが膝をつく。
「誰に」
男は震えた。
「名前は知らない……ただ、黒い指輪の男だ……」
黒い指輪。
ヴァイス。
評議会で見た、あの指輪。
全員の視線が重なる。
ミレーユが静かに言った。
「明日の正式文書受領前に、良い追加資料ができましたね」
「良い、の意味が怖い」
「非常に良いです」
トマは天を仰いだ。
「追加資料……」
そう。
仕事は増える。
確実に増える。
◇
その後、侵入者二人は商人組合の警備室へ移された。
王都衛兵に渡す前に、商人組合、公証書記、騎士団代理の三者で証言を取る。
口封じ術式を防げたことで、最低限の証言は取れそうだった。
ただし、油断はできない。
ヴァイス本人まで届くかは分からない。
彼はしらを切るだろう。
黒い指輪の男など知らない、と。
外部協力者が勝手にやった、と。
でも、これで少なくとも、魔導師ギルド側が証拠品へ不正接触しようとした疑いは作れる。
明日の正式文書交付で、こちらは一つ強い札を持てる。
【夜間証拠品接触を阻止】
【侵入者二名を確保】
【魔導師ギルド査問官との関連疑惑を獲得】
【王都対応成功率:九十二パーセント → 九十六パーセント】
「九十六……」
かなり来た。
でも、百ではない。
正式文書を受け取るまで。
そして、エルドベルクへ持ち帰るまで。
配送は完了しない。
◇
深夜。
ようやく宿舎の食堂に戻ると、ニコが温かい豆粥を出してくれた。
「煙くさかったので、生姜も入れました」
「有能すぎる」
器を受け取る。
湯気が立つ。
王都の商人組合の食堂で、エルドベルク式の豆粥を食べることになるとは思わなかった。
でも、うまい。
疲れた体に染みる。
トマは器を抱えながら、半分泣きそうだった。
「温かい……」
「生き返りますね」
「でも、食べたら追加記録です……」
「今だけ忘れましょう」
「忘れたい……」
エマも小さな器を持って座っていた。
顔色はまだ悪いが、目はしっかりしている。
「口封じ、前にもあったんですか?」
「西区避難所の放火犯も同じような感じだった」
「ひどいですね」
「うん」
「命令した人は、安全な場所にいて、使われた人だけ死ぬんですね」
エマの声には怒りがあった。
静かな怒り。
「だから、記録するんですね」
トマが顔を上げた。
「はい。記録しないと、なかったことにされます」
エマは頷いた。
「私、もっとちゃんと書けるようになります」
「教えます」
トマが即答した。
この二人もまた、道を作っている。
文字の道。
記録の道。
誰かが消そうとするものを、残すための道。
◇
食事を終えて、俺は一人で廊下に出た。
王都の夜はまだ明るい。
でも、窓の外に見える空は暗い。
遠くに評議会の建物が見える。
そのさらに奥に、魔導師ギルドの塔らしき黒い影。
赤線は、まだそこから伸びている。
ただ、少し細くなった。
こちらの金色の線は、明日の評議会へ向かっている。
【明朝:仮承認文書受領】
【警告:最終妨害の可能性】
やっぱりまだ来るか。
でも、ここまで来た。
評議会で話し、商人組合を味方につけ、夜間の証拠品接触も押さえた。
証拠はさらに増えた。
配送局の存在証明は、紙束だけじゃなくなった。
王都の中で、実際に不正を防いだ記録まで加わった。
「受け取り拒否は、もう厳しいんじゃないですかね」
独り言のつもりだった。
だが、背後から声がした。
「油断は禁物です」
ミレーユだった。
「また寝てない」
「お互い様です」
「たしかに」
彼女は隣に立つ。
「明日、ヴァイス査問官は追い込まれます。追い込まれた相手は、時に雑な手を打ちます」
「例えば?」
「正式文書の条文に、こちらに不利な一文を紛れ込ませる。受領場所を変更する。王都衛兵を使って拘束を試みる。あるいは、評議会の決裁そのものを延期させる」
「全部嫌ですね」
「はい。全部嫌です」
ミレーユは静かに笑った。
「ですから、明日は細かい文字まで見ます。トマ様に頑張っていただきましょう」
「トマさんの胃が本当に終わる」
「終わらせません。必要ですから」
人材管理が商人すぎる。
でも、その通り。
明日は、最後の配送確認。
受領書に変な一文が入っていないか。
宛先は合っているか。
条件はすり替わっていないか。
配送業で言うなら、荷物を渡す直前の最終確認だ。
そこを怠ると、全部が台無しになる。
「明日で終わらせましょう」
俺が言うと、ミレーユは頷いた。
「ええ。王都便一号、必ず配達完了にしましょう」
俺は窓の外を見た。
王都の夜に、細い金色の線が伸びている。
配送局を守るための道。
あと少し。
だが、その「あと少し」が一番事故りやすい。
俺は深呼吸した。
明日、正式文書を受け取る。
そして、エルドベルクへ帰る。
そのために、今夜だけは少しでも眠るべきだ。
……眠れるかは別として。




