第32話 評議会で、局長は最後に喋れと言われている
翌朝。
王都評議会の建物を見上げて、俺は思った。
これは人を威圧するために建てられている。
白い石の巨大な柱。
高すぎる扉。
やたら長い階段。
入口に並ぶ衛兵。
上から見下ろすような窓。
建築物なのに、「お前は小さい」と言ってくる。
「帰りたい」
思わず本音が漏れた。
隣のトマが即座に頷く。
「私もです」
「まだ入ってもないのに」
「入ったらもっと帰りたくなるので、今のうちに言いました」
気持ちは分かる。
エマは記録板を胸に抱き、顔をこわばらせている。
ニコはなぜか豆粉の袋を確認している。
ガルドとマイラは無言で周囲を見ている。
ミレーユだけは、いつも通り涼しい顔だった。
「皆様、手順を忘れずに」
ミレーユが小声で言う。
「最初に前へ出るのはガルド様。次に私。トマ様は記録。エマ様は三村の証言。レンジ様は最後です」
「俺、喋りそうになったら?」
「黙ってください」
「厳しい」
「必要です」
分かっている。
王都は、俺を個人として切り離したい。
異邦人。
特殊能力者。
認可外組織の責任者。
そういう形にしてしまえば、話は簡単になる。
俺を危険人物として扱い、配送局を停止し、資料を回収する。
だから、俺は最後。
配送局が街全体の仕組みだと見せた後に、補足するだけ。
……できるかな。
不安だ。
かなり不安だ。
◇
評議会の受付は、想像以上に面倒だった。
召喚状。
通行証。
商人組合の到着記録。
教会書簡。
騎士団代理証。
資料目録。
全部を一枚ずつ確認される。
そのたびに、トマが記録する。
「王都評議会受付、第一書記補佐、名は?」
「……クラウスだ」
「クラウス様。召喚状確認、時刻は朝三刻。資料目録の一部確認。開封なし」
「いちいち記録するのか」
「はい」
トマの声は静かだった。
強い。
胃は死んでいそうだが、声は強い。
受付の書記官は面倒そうな顔をしたが、こちらが記録していると無茶はしにくいらしい。
それだけで、来た意味がある。
いや、来たくはなかったが。
やがて、俺たちは広い待合室に通された。
天井が高く、壁には王国の歴代評議員らしき肖像画が並んでいる。
全員、こちらを見下ろしているように見える。
嫌な部屋だ。
しばらく待たされた後、扉が開いた。
「エルドベルク配送局代表団。入室を」
ついに来た。
俺は深呼吸した。
荷物は揃っている。
水と飯ではない。
紙と記録と証言。
王都へ届けるための荷物だ。
◇
評議会室は、半円形の広い部屋だった。
中央に立つ場所があり、その周囲を高い席が囲んでいる。
上から見下ろされる形だ。
正面の一段高い席に、年配の男が座っていた。
議長だろう。
その左右に評議員たち。
さらに端には、黒い法衣の男たちがいる。
魔導師ギルド。
見ただけで分かった。
黒霧の赤線が、そこへ細く絡んでいる。
全員が敵ではない。
でも、何かを隠している者がいる。
俺の背中に嫌な汗が流れた。
議長が口を開く。
「エルドベルク配送局責任者、レンジ」
いきなり俺の名だ。
来た。
前に出させるつもりだ。
だが、ガルドが一歩前に出た。
「エルドベルク騎士団副官、ガルド・レイヴァン。騎士団長リリアナ・ヴァレンシュタインの代理として参上した」
評議員の一人が眉をひそめる。
「我々はレンジを呼んだ。騎士団の報告は後でよい」
ガルドは表情を変えない。
「召喚状には、エルドベルク配送局に関する事情聴取とある。配送局は騎士団・教会・商会・住民代表による共同公益機関であり、責任者個人の証言だけでは不完全だ」
おお。
ガルド、めちゃくちゃちゃんと言っている。
昨日、ミレーユとトマが叩き込んでいた文言だ。
少し棒読みだが、迫力があるので問題ない。
ミレーユが続いて前へ出る。
「ミレーユ商会、エルドベルク支部代表ミレーユ・グランディアです。王都商人組合副書記オーウェン様の到着確認も得ています」
その名を聞いて、一部の評議員が反応した。
商人組合は効く。
やはり、王都では王都側の第三者が重要だ。
トマが一歩前に出る。
「配送局記録係、トマです。本日の発言と質疑は、配送局記録として保存します」
評議員の一人が不快そうに言う。
「ここは評議会だ。記録はこちらで取る」
トマは一瞬だけ怯んだ。
だが、踏みとどまった。
「承知しております。こちらの控えとして記録します」
静かな火花。
紙の戦場だ。
トマ、負けるな。
◇
議長はしばらくこちらを見下ろしていた。
そして、低い声で言った。
「よかろう。だが確認する。エルドベルク配送局なる組織は、王都評議会の正式認可を受けていない」
「はい」
ミレーユが答えた。
「災害対応のため、現地緊急措置として設立されました」
「認可外組織が、水、食糧、薬草、馬車、人員を管理している。これは事実か」
「管理ではなく、調整です」
「言葉遊びだ」
別の評議員が冷たく言った。
「物資を動かす者は、人心を動かす。辺境都市で私的権力が生まれたと見ることもできる」
来た。
まさにそこだ。
俺の視界に赤線が走る。
【論点:私的支配】
ミレーユは怯まない。
「では、資料一を」
トマが紙束を差し出す。
評議会の書記が受け取る。
「配送局の運用構成です。騎士団、教会、商会、住民代表、農村連合、貴族協力者がそれぞれ署名しています。局長個人による私的支配ではありません」
別の評議員が言う。
「署名があるからといって、実態が伴うとは限らない」
「その通りです」
ミレーユは即答した。
「そのため、出納記録、護衛記録、治療記録、配給記録を添付しています」
トマが次々と資料を出す。
南区水配送。
西区避難所食糧配給。
三村定期便。
旧ハルク村労働登録。
南西街道補修。
紙の束が、評議会の机に積まれていく。
紙で殴る。
本当に紙で殴っている。
◇
次に、教会書簡が読み上げられた。
修道女長の代理文書だ。
南区の汚染井戸を封鎖し、水配送がなければ症状拡大が避けられなかったこと。
ミード村の水源汚染を確認し、黒霧核片を回収したこと。
治療と配送が連携しなければ死者が増えたこと。
議場の空気が少し変わった。
教会の言葉は重い。
特に、子どもと老人の救命記録は効いている。
次にエマが前へ出た。
顔は真っ青だ。
手も震えている。
でも、記録板を胸に抱いている。
「私は、ルッカ村、ファルネ村、ミード村の連絡役、エマです」
声が少し震えた。
評議員たちの視線が集まる。
俺は思わず前に出そうになった。
だが、ミレーユに袖をつままれた。
出るな。
そういうことだ。
エマは息を吸った。
「私は最初、助けを求めてエルドベルクへ行きました。村では水が濁って、薬もなくて、みんな倒れていました。でも、配送局が水と薬と食べ物を届けてくれました」
彼女は青札を掲げた。
「これは水が足りない時の札です」
次に赤札。
「これは病人が増えた時の札です」
黒札。
「これは魔物や危険がある時」
黄札。
「これは食べ物が足りない時」
議場の一部から、小さなどよめきが起きた。
分かりやすい。
文字より速い。
現場から生まれた仕組みは、言葉以上に強い。
「村には、字が読めない人もいます。でも札なら分かります。私たちは、これで助けを呼べます。次の配送で何が必要か伝えられます」
エマの声が少し強くなる。
「配送局が止まったら、村はまた水が足りなくなります。病人が増えても、次に何を頼めばいいか分からなくなります。だから……」
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
でも、逃げなかった。
「だから、止めないでください」
静かだった。
議場全体が、一瞬だけ静かになった。
俺は胸の奥が熱くなった。
エマはちゃんと届けた。
三村の声を、王都へ。
◇
しかし、そこで黒い法衣の男が立ち上がった。
魔導師ギルドの代表らしき男だ。
年齢は四十代くらい。
細い顔。
冷たい目。
指には黒い石の指輪。
俺の視界に赤線が絡む。
【注意対象:魔導師ギルド査問官ヴァイス】
名前まで出た。
嫌な相手だ。
「感動的な話だ」
ヴァイスは乾いた声で言った。
「だが、問題はそこではない。黒霧災害において、未登録の異邦人が特殊能力を使い、魔導師ギルドの調査対象である黒霧核片を勝手に回収・保管していることこそが問題だ」
空気が冷えた。
来た。
黒霧核片。
魔導師ギルドが欲しがっている証拠。
「黒霧核片は危険物です」
ミレーユが言う。
「教会封印の上、現地保管しています」
「魔導師ギルドの許可なく?」
「緊急対応です」
「素人が危険物を扱えば二次災害を招く」
ヴァイスは俺を見る。
「そもそも、道を見るなどという能力が本当に存在するのか。黒霧と何らかの共鳴をしている可能性はないのか。異邦人レンジを正式に魔導師ギルドへ引き渡し、検査するべきだ」
議場がざわついた。
来た。
俺を切り離す本命。
魔導師ギルドへの引き渡し。
俺の背筋が冷える。
ガルドが一歩動こうとする。
マイラも剣の柄に手を添える。
だが、ミレーユが先に口を開いた。
「検査の必要性を主張されるなら、まず確認したいことがあります」
「何だ」
「黒霧を操った魔導師について、ギルド側の調査報告はどこにありますか?」
ヴァイスの目が細くなる。
「何?」
「エルドベルクでは、黒霧を操る魔導師と交戦しています。王都系の魔導師ギルドで使用される糸、黒霧契約印、霧核操作の痕跡を確認しています」
トマが資料を差し出す。
「関連証拠の目録です」
ヴァイスの顔がわずかに歪む。
「それらは未確認情報だ」
「だから確認したいのです」
ミレーユは微笑んだ。
「ギルドは、その魔導師を把握していないのですか?」
鋭い。
突き方が鋭すぎる。
知らないなら管理不備。
知っているなら関与疑惑。
どちらにしても、ヴァイスは答えにくい。
議長が重い声で言った。
「ヴァイス査問官。その件について、魔導師ギルドからの正式報告は?」
ヴァイスは一瞬だけ黙った。
「現在調査中です」
「では、黒霧核片を直ちに引き渡せという主張は、調査中の案件に関する証拠品を一方の当事者が単独管理したい、という意味になりますね」
ミレーユの声は柔らかい。
だが、内容は刃物だ。
オーウェン商人組合副書記が、傍聴席から静かに言った。
「証拠品の単独移管は、商人組合としても危険と見ます。第三者立会いの保管が妥当かと」
来た。
商人組合の援護。
議場の空気がまた揺れた。
【魔導師ギルドによる単独押収を阻止】
【王都対応成功率:六十六パーセント → 七十三パーセント】
よし。
だが、ヴァイスはまだ引かない。
「では、異邦人レンジ本人の能力についてはどう説明する。彼の能力が街を救ったというなら、同時に危険性もある。王都管理下に置くのは当然だ」
ついに来た。
俺自身。
ここは、俺が話すしかない。
ミレーユが一瞬だけ俺を見る。
トマも。
エマも。
ガルドも。
ここだ。
最後に喋る場面。
俺は一歩前に出た。
◇
「俺の能力は、道を見ることです」
声は思ったより落ち着いていた。
「危険がないとは言いません。実際、俺もまだ全部を理解できていません」
議場が静かになる。
「でも、俺一人では何もできません」
俺はエマの札を見た。
トマの帳簿を見た。
ミレーユの資料を見た。
ガルドの剣を見た。
「俺は水を生み出せない。薬を作れない。魔物を倒せない。飯も炊けない。帳簿も苦手です」
トマが小さく頷いた。
頷かなくていい。
「俺ができるのは、どこで詰まっているかを見ることだけです」
南区の井戸。
東門。
薬草。
避難路。
三村の水源。
南西街道の盗賊。
全部、思い出す。
「水が届かない場所に水を。薬が届かない場所に薬を。飯が届かない場所に飯を。情報が届かない場所に情報を。そうやって、必要な人へ必要な役割を渡しただけです」
ヴァイスが冷たく言う。
「だから危険なのだ。人を動かす力を持つ者は、支配者になり得る」
「そうですね」
俺は素直に認めた。
議場が少しざわつく。
「だから記録を作りました。だから共同運用にしました。だから俺一人で決めない仕組みにしました」
俺は資料の束を指した。
「配送局は、俺を強くするための組織じゃありません。俺がいなくても、水と飯と薬が届くようにするための組織です」
これは本音だった。
俺一人が走り回る仕組みでは駄目だ。
それでは、俺が倒れた瞬間に終わる。
「エルドベルクでは、みんなが別々に耐えていました。騎士団は戦って、教会は癒して、商会は物を持っていて、南区は我慢して、村は助けを待っていました」
俺は息を吸う。
「配送局は、それを繋いだだけです」
評議員たちの顔を見る。
届いているかは分からない。
でも、届けるしかない。
「王都から見れば、認可外で怪しいかもしれません。でも、現場では水が必要でした。薬が必要でした。飯が必要でした。命令を待っていたら、間に合わない人がいました」
エマが小さく記録板を握りしめる。
「俺たちは、王都に逆らうために配送局を作ったんじゃありません」
俺ははっきり言った。
「間に合わない命を、間に合わせるために作りました」
沈黙。
長い沈黙だった。
議長が俺を見ている。
ヴァイスは表情を消している。
ミレーユは何も言わない。
ガルドも動かない。
やがて、議長が口を開いた。
「……配送局の即時停止は、現地の復旧に支障をきたす可能性がある」
来た。
流れが変わった。
「ただし、王都として認可外組織を放置することもできぬ」
まあ、そう来るよね。
議長は資料を見た。
「よって、暫定措置を提案する。エルドベルク配送局を、三か月の期限付きで災害復旧特例機関として仮承認する。その間、月次報告を王都へ提出。黒霧関連証拠は教会・騎士団・商人組合立会いのもと共同保管。異邦人レンジの王都拘束は行わないが、能力使用について記録義務を課す」
議場がざわついた。
仮承認。
三か月。
月次報告。
面倒くさい。
めちゃくちゃ面倒くさい。
でも、停止ではない。
拘束でもない。
配送局は生き残る。
【王都評議会:配送局の災害復旧特例機関としての仮承認案】
【成功条件達成率:八十六パーセント】
まだ確定ではない。
でも、大きい。
ヴァイスが低く言った。
「魔導師ギルドとしては異議がある」
議長が見る。
「述べよ」
「黒霧核片と異邦人の能力を、魔導師ギルドの調査対象とする権限は残すべきだ」
嫌な一文を差し込もうとしている。
ミレーユがすぐ動いた。
「調査は拒みません。ただし、単独調査ではなく、教会・商人組合・騎士団立会いを条件としてください」
オーウェンも頷く。
「商人組合としても同意します」
ガルドが低く言う。
「騎士団も立ち会う」
議長は少し考えた。
「よかろう。単独調査は認めない」
ヴァイスの目が細くなる。
だが、今度はそれ以上押せなかった。
【魔導師ギルド単独調査権を阻止】
【王都対応成功率:八十六パーセント → 九十二パーセント】
九十二。
あと少し。
議長が最後に言った。
「本件は本日中に仮決裁とする。正式文書は明朝交付する。代表団は王都に一泊し、明日受領せよ」
一泊。
まだ終わりではない。
正式文書を受け取るまでが配送だ。
途中でひっくり返される可能性もある。
だが、今日の評議会は越えた。
◇
評議会室を出た瞬間、トマが壁に手をついた。
「胃が……」
「よく耐えました」
「もう二度とやりたくありません」
「たぶん月次報告あります」
「胃が……」
ごめん。
それは本当にごめん。
エマは力が抜けたように座り込みそうになった。
マイラが無言で支える。
「わ、私、喋れましたか?」
「完璧でした」
俺が言うと、エマの目に涙が浮かんだ。
「村のこと、届きましたか?」
「届いたよ」
本当に届いた。
三村の声は、王都の評議会室まで届いた。
ミレーユはまだ表情を崩していない。
「安心するのは明日、正式文書を受け取ってからです」
「ですよね」
「今夜、何か仕掛けてくる可能性があります」
「やっぱり?」
「はい。特に魔導師ギルド側」
その瞬間、俺の視界に赤い線が走った。
王都の夜。
商人組合の宿舎。
資料箱。
黒霧核片サンプル。
【警告:夜間接触リスク】
【対象:証拠品】
「……今夜、来ますね」
ガルドが即座に剣へ手を置いた。
「場所は?」
「たぶん商人組合の宿舎。狙いは証拠品」
ミレーユが静かに息を吐いた。
「では、罠を張りましょう」
「王都で罠ですか」
「証拠を盗みに来る者を、証拠にします」
怖い。
でも正しい。
評議会では勝ち筋を作った。
だが、夜はまだ長い。
俺たちは配送局を守るため、今度は王都で証拠品配送の防衛戦をすることになりそうだった。




