第3話 銀髪の女騎士と、逃走ルート
背中の女騎士は、想像以上に重かった。
いや、本人が重いわけじゃない。
鎧だ。
白銀の胸当て、肩当て、腰の金具、剣、マント。
全部合わせると、もはや人間というより家具である。
「ぐっ……!」
「下ろせ……」
女騎士が、かすれた声で言った。
「お前まで……死ぬぞ……」
「今それ言われても困るんですよ」
「なぜ……」
「走り出した後にキャンセルするの、配達員として一番気持ち悪いんで」
「何を……言っている……?」
「俺にも分かりません!」
背後から男たちの怒号が近づく。
「いたぞ! 路地に入った!」
「逃がすな!」
「傷は深い! 遠くへは行けん!」
俺は舌打ちした。
その通りだ。
遠くへは行けない。
普通に走れば、すぐ追いつかれる。
俺は戦えない。
剣もろくに使えない。
魔法も撃てない。
背中には瀕死の女騎士。
条件だけ見れば、完全に詰みだった。
だが、俺の視界には金色の線がある。
【目的:対象を生存させ、安全圏へ搬送】
【現在成功率:三十一パーセント】
「さっきより高いな」
「何が……?」
「こっちの話です」
金色の線は、大通りではなく、細い裏路地へ伸びていた。
俺は迷わず曲がる。
濡れた石畳。
積まれた木箱。
吊るされた洗濯物。
生活臭のある細道を、俺は女騎士を背負ったまま駆け抜ける。
【五歩先、右側の木箱を倒す】
俺は指示通り、肩で木箱を押した。
ガラガラガラッ!
木箱が崩れ、路地をふさぐ。
直後、追手の足音が止まった。
「くそっ!」
「どかせ!」
時間を稼げた。
だが、数秒だけだ。
【左手の軒下を通過。頭部を下げる】
「頭下げて!」
「え……?」
女騎士の頭を無理やり押さえる。
直後、低い物干し竿が俺たちの頭上をかすめた。
普通なら引っかかって転んでいた。
金色の線は、ただの地図じゃない。
障害物も、危険も、時間も含めた「到達手順」そのものだ。
使えば使うほど分かってくる。
このスキルは、派手なチートじゃない。
けれど、生き残ることに関しては異常に強い。
「お前……何者だ……?」
背中の女騎士がつぶやく。
「元配達員です」
「ハイタツ……?」
「荷物を届ける仕事です」
「私は……荷物ではない……」
「今は荷物みたいなもんです。大事なやつですけどね」
女騎士は何か言い返そうとしたらしい。
だが、痛みで声を詰まらせた。
血が俺の肩口に染み込んでくる。
まずい。
本当に時間がない。
【対象の生命維持限界:十二分】
「十二分か……!」
近い教会までは、普通に行けば十五分。
薬屋を経由して止血材を取るなら、さらに遠い。
だが、金色の線は別の道を示していた。
正面の古い建物。
人の家ではない。
閉店したパン屋のような場所。
その裏口へ線が伸びている。
「まさか……」
俺は息を切らしながら、その裏口へ突っ込んだ。
鍵がかかっている。
【右下の石を拾う】
「ごめんなさい!」
俺は石で窓の端を割った。
犯罪である。
異世界でもたぶん犯罪である。
だが、命がかかっている。
俺は内側に手を伸ばし、かんぬきを外した。
女騎士を背負ったまま中へ入る。
埃っぽい。
古い小麦の匂い。
使われていない調理台。
その奥に、地下へ続く階段があった。
「地下道……?」
「この街は……古い防衛都市だ……」
女騎士が苦しげに言う。
「昔の避難路が……残っている……」
「詳しいですね」
「私は……この街の騎士団長だ……」
「騎士団長?」
思わず足が止まりかけた。
この人、想像以上に偉い。
いや、今は偉いとか偉くないとか関係ない。
血まみれで背中に乗っている時点で、偉さはだいぶ失われている。
「名前は?」
「……リリアナ」
「リリアナさんですね。俺はレンジです」
「レンジ……」
「はい。絶対に死なせません」
自分で言ってから、少し驚いた。
絶対。
そんな言葉を、俺は現代ではあまり使わなかった。
できないことをできると言うのは嫌いだった。
けれど今は、言わなきゃいけない気がした。
背中の彼女に。
そして、俺自身に。
◇
地下道は暗かった。
壁には苔。
床には水たまり。
ところどころ天井が崩れている。
普通なら、ここを背負った人間と進むのは無理だ。
でも金色の線は、通れる場所だけを選んでいる。
【右壁沿いに進行】
【三歩後、床の崩落あり。左足から跳躍】
「跳躍って簡単に言うな!」
俺は文句を言いながら飛んだ。
着地の衝撃で膝が笑う。
背中のリリアナが小さくうめいた。
「悪い!」
「いい……続けろ……」
彼女の声は弱い。
だが、芯がある。
さすが騎士団長というべきか。
痛みに負けていない。
いや、負けかけているのに、必死で踏ん張っている。
【対象の出血量増加】
【応急処置推奨】
「ここで止まるのか?」
金色の線は、地下道の脇にある小部屋へ伸びた。
俺は扉を蹴るようにして開ける。
中には、古い布袋と木箱があった。
【布袋を裂き、圧迫止血】
「リリアナさん、少し下ろします」
「……構わん」
俺は彼女を壁際に座らせた。
鎧の隙間から、血が流れている。
腹部の傷だ。
見た瞬間、胃が縮んだ。
現代なら救急車案件。
こっちの世界なら、回復魔法が必要なレベル。
俺は震える手で布袋を裂いた。
「痛いですよ」
「慣れている」
「俺は慣れてません」
「なら……見るな」
「見ないと処置できないでしょうが」
軽口を叩きながら、俺は布を傷口に押し当てた。
リリアナの体が跳ねる。
「っ……!」
「ごめん!」
「謝るな……続けろ……」
すごい女だ。
普通なら叫んでいる。
俺なら泣いている。
いや、たぶん叫びながら泣いている。
俺は布を強く押さえた。
【圧迫位置:やや上】
「ここか」
指示通りに位置を変えると、出血が少し弱まった。
【生命維持限界:十六分へ延長】
「よし……!」
たった四分。
でも、その四分が命をつなぐ。
俺はリリアナを再び背負った。
「行きます」
「レンジ……」
「何ですか」
「なぜ……そこまでしてくれる」
さっきも似たようなことを聞かれた。
勇者にも聞かれた。
なぜ助けるのか。
なぜ見捨てないのか。
正直、俺にもよく分からない。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
「俺、たぶん悔しかったんですよ」
「悔しい……?」
「誰かにとっては、ただの荷物。誰かにとっては、ただの道案内。使い終わったら捨てていい存在。そう思われるのが」
地下道を進みながら、俺は言った。
「でも配達って、そんな仕事じゃないんです」
誰かが待っている。
だから届ける。
温かいものを、温かいうちに。
必要なものを、必要な時に。
「たぶん俺は、届けることだけは馬鹿にされたくないんです」
背中で、リリアナが黙った。
少しして、彼女は小さく言った。
「変な男だな」
「よく言われます」
「だが……嫌いではない」
「それ、死にそうな時に言うやつじゃないですよ」
「なら……生きてから、もう一度言う」
「約束です」
俺は足を速めた。
◇
地下道の出口は、教会の裏庭につながっていた。
古びた石扉を押し開けると、夜風が頬を打つ。
見上げれば、尖塔。
ステンドグラスから漏れる光。
祈りの歌が、かすかに聞こえる。
たどり着いた。
だが、まだ終わりじゃない。
「誰か! 助けてください!」
俺は教会の裏口を叩いた。
すぐに若い修道女が顔を出す。
俺たちの姿を見て、悲鳴を上げかけた。
「怪我人です! 回復術師はいますか!」
「こ、こちらへ!」
修道女に案内され、俺はリリアナを礼拝堂の奥へ運んだ。
白い寝台に彼女を下ろす。
その瞬間、膝から力が抜けた。
体が限界だった。
腕が震える。
肺が焼ける。
喉が血の味を覚えている。
だが、リリアナはまだ息をしている。
老いた神官が駆け寄り、彼女の傷を見た。
「これは……深い。すぐに治癒を始める」
淡い光が、リリアナの体を包む。
傷口の血がゆっくりと止まっていく。
俺はそれを見て、ようやく息を吐いた。
「間に合った……」
その時、礼拝堂の扉が乱暴に開いた。
武装した男たちが入ってくる。
さっきの追手だ。
黒い革鎧。
顔を隠す布。
人数は五人。
「その女を渡せ」
先頭の男が低い声で言った。
神官が顔色を変える。
「ここは教会ですぞ。武器を持って踏み込むなど――」
「黙れ。反逆者を匿えば、教会も同罪だ」
反逆者。
その言葉に、リリアナが薄く目を開けた。
「違う……反逆者は……貴様らの主だ……」
男たちの目が鋭くなる。
「まだ喋る力があったか」
先頭の男が剣を抜いた。
教会内に、冷たい金属音が響く。
俺は立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
無理だ。
逃げるだけならともかく、ここで戦うなんてできない。
金色の線はどうだ。
俺は必死に視界を探る。
【目的:リリアナを守る】
【現在成功率:十二パーセント】
「低すぎる……!」
だが、ゼロじゃない。
線は、俺の足元から礼拝堂の中央へ伸びていた。
そして、さらに奥。
祭壇の横に置かれた鐘。
古い大鐘の紐へ続いている。
【鐘を鳴らす】
俺は息を吸った。
そして、男たちに背を向けて走った。
「逃げる気か!」
違う。
逃げるんじゃない。
届けるんだ。
この教会の外へ。
助けを呼ぶ音を。
俺は鐘の紐を掴み、全体重をかけて引いた。
ゴォォォン――!
夜の街に、教会の鐘が鳴り響く。
一度。
二度。
三度。
修道女たちが顔を上げる。
外の通りで、人々が足を止める気配がした。
先頭の男が怒鳴る。
「止めろ!」
俺はさらに紐を引いた。
ゴォォォン――!
その瞬間、教会の正面扉が開いた。
入ってきたのは、白い法衣をまとった少女だった。
淡い金色の髪。
透き通るような瞳。
そして、胸元に輝く聖印。
周囲の修道女たちが一斉に膝をつく。
「聖女セラフィナ様……!」
少女――セラフィナは、礼拝堂の状況を一目で見た。
血まみれの女騎士。
剣を抜いた男たち。
鐘の紐を握ったままの俺。
そして彼女は、静かに言った。
「神の家で剣を抜く者に、祝福はありません」
その声と同時に、礼拝堂を白い光が満たした。
男たちの剣が、床に落ちる。
カラン、カラン、と乾いた音が響いた。
俺はその場にへたり込んだ。
金色の線が、ゆっくりと消えていく。
【目的達成】
【対象:リリアナ・ヴァレンシュタイン、生存】
セラフィナが俺の前に歩いてくる。
そして、少しだけ首を傾げた。
「あなたが、この方をここまで運んだのですか?」
「はい……まあ……たまたま通りかかって」
「たまたまで、騎士団長を救い、暗殺者を教会まで誘導し、鐘で街に異変を知らせたのですか?」
「言われると、だいぶ怪しいですね」
セラフィナは、ふっと微笑んだ。
「あなたのお名前を伺っても?」
「レンジです」
「レンジ様」
聖女は、俺に向かって深く頭を下げた。
「リリアナ様を救ってくださり、ありがとうございます」
その瞬間、礼拝堂にいた全員の視線が俺に集まった。
やめてほしい。
俺はただ、線に従って走っただけだ。
けれど、リリアナが寝台の上でかすかに笑った。
「言っただろう……変な男だと」
俺は床に座り込んだまま、天井を見上げた。
異世界に来て三ヶ月。
荷物持ちとして追放され、迷宮で死にかけ、女騎士を背負って街を逃げ回り、今度は聖女に頭を下げられている。
「……配達員って、こんな仕事だったっけ?」
誰も答えてくれなかった。
ただ、頭の中に新しい表示が浮かんだ。
【特殊達成条件を満たしました】
【称号:命を届ける者を獲得】
【新たな目的候補が発生しました】
【辺境都市崩壊まで、残り七日】
俺は思わず固まった。
「……は?」
金色の線が、今度は街全体へ広がっていく。
道。
市場。
兵舎。
倉庫。
教会。
商会。
そして、遠くの闇。
この街そのものが、巨大な配送先のように見えた。
届けなければならないものがある。
救わなければならない人がいる。
七日後、この街は崩壊する。
俺は、乾いた笑いを漏らした。
「異世界の配達、ブラックすぎるだろ……」




