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第17話 最後の三パーセントと、王都から来た封書

 七日後の崩壊まで、残り一日。


 成功率、九十七パーセント。


 普通なら、もう勝ったと言いたくなる数字だ。


 けれど俺は、九十七という数字を見ながら、まったく安心できなかった。


 配達で言えば、目的地のマンション前まで着いたのに、部屋番号が分からない状態である。


 あと少し。


 でも、その「あと少し」で普通に詰む。


 しかも今回の荷物は、弁当ではない。


 街の明日だ。


「レンジ、顔が死んでいるぞ」


 教会の中庭で、リリアナが言った。


「寝不足です」


「寝たのか?」


「横にはなりました」


「寝ていないな」


「リリアナさんも人のこと言えないでしょう」


「私は治療中だ」


「治療中の人が中庭まで歩いてくるな」


「……散歩だ」


「患者の言い訳」


 リリアナは少しだけ視線を逸らした。


 最近分かってきた。


 この人、強くて真面目で責任感があるけど、都合が悪くなると微妙に子どもっぽい。


 そこが少し面白い。


 そして困る。


 セラフィナに見つかったら、また静かに怒られるやつだ。


 俺は視界に浮かぶ線を見る。


 街中の赤線は、かなり減っていた。


 南区の井戸は封鎖されたまま。


 代替水の配送も続いている。


 西区避難所は安定し、バルロの炊事班が完全に住民の胃袋と心を掴んでいた。


 東門は半壊しているが、魔物残党への警戒線は維持されている。


 旧採石場も封鎖済み。


 黒霧の門番の残骸と霧核片は、教会地下で厳重保管。


 やるべきことは、だいぶ終わっている。


 それでも消えない赤線が一本。


 王都。


「やっぱり、あれが最後の三パーセントか」


 俺が呟くと、リリアナが表情を引き締めた。


「王都への線か」


「はい」


「今日中に何か来る可能性が高いな」


「たぶん」


 俺は東の空を見た。


 朝日が昇り、街を照らしている。


 こんな穏やかな空なのに、胸の奥だけがざわついていた。


   ◇


 午前中、街は復旧作業に追われていた。


 俺はガルド、ミレーユ、トマと一緒に、各所の確認に回った。


 まず南区。


 井戸の周囲には封印札が貼られ、騎士と修道女が見張っている。


 昨日まで反発していた住民たちも、今は勝手に水を汲もうとはしない。


 代わりに商会の水樽が定期的に届き、煮沸所で湯を沸かしている。


「重症者は?」


 俺が聞くと、修道女長が答えた。


「増えていません。昨日の薬草が効いています」


「よかった……」


 胸を撫で下ろす。


 南区の赤線が、さらに薄くなった。


【南区疫病拡大リスク:低下】


【都市崩壊回避成功率:九十七パーセント → 九十八パーセント】


「一パー上がった」


「まだ気にしているのか?」


 ガルドが言う。


「しますよ。残り二パーで死にたくないです」


「確かにな」


 次に西区避難所。


 倉庫の中には、以前より整った寝床が並んでいた。


 商会の布と、南区住民が持ち込んだ荷物。


 子どもたちは隅で遊び、老人たちは粥をすすっている。


 バルロは相変わらず大鍋の前にいた。


「おう、よそ者。今日も死に損なったか」


「挨拶が物騒なんですよ」


「生きてるなら食え」


「さっき食べました」


「足りん」


 器を押しつけられた。


 断れない。


 バルロの粥には、今日は豆が入っていた。


 昨日よりうまい。


 この人、避難所生活の質を普通に上げてきている。


「バルロさん、食糧は足りてますか?」


「今日明日は足りる。だが長引くなら足りん」


 即答だった。


「なら、次は長期備蓄ですね」


「お前、街が助かった途端に次の面倒を見る顔をしてるぞ」


「見えちゃうんで」


「なら見ておけ。腹が減った街は、勝っても荒れる」


 重い。


 料理番の言葉は、変に刺さる。


 俺の視界で、西区避難所の赤線も薄くなった。


【避難所混乱リスク:低下】


【都市崩壊回避成功率:九十八パーセント → 九十九パーセント】


「九十九……」


 あと一パー。


 あと一パーセント。


 だが、その瞬間だった。


 教会の鐘が、短く三度鳴った。


 緊急招集の合図。


 ガルドが顔を上げる。


「何だ?」


 俺の視界で、王都へ伸びる赤線が急に太くなった。


 来た。


 最後の荷物が。


   ◇


 街の中央門に、王都からの使者が到着していた。


 白い馬車。


 王都の紋章。


 護衛兵十数名。


 そして、馬車から降りたのは、細身の男だった。


 灰色の髪を後ろで束ね、黒い縁取りの礼服を着ている。


 年齢は三十代くらい。


 顔は整っているが、目が冷たい。


 人を見るというより、書類を見るような目だ。


「王都監察官、カシアン・ロウである」


 男は高圧的に名乗った。


「辺境都市エルドベルクにおける黒霧災害、および無許可の都市封鎖、物資徴発、民衆避難について、王都評議会の命により調査を行う」


 広場に集まった騎士たちがざわつく。


 リリアナは馬車に支えられて前へ出た。


「騎士団長リリアナ・ヴァレンシュタインだ。遠路ご苦労。だが、まずは街の被害状況を――」


「必要ない」


 カシアンは冷たく遮った。


「すでに報告は受けている。貴殿は正式な王命なく、都市機能を混乱させ、商会物資を動かし、貴族区管理の橋を改変し、さらに王都魔導師ギルドに属する可能性のある人物へ敵対行為を行った」


 空気が凍った。


 こいつ。


 最初からこちらを責める気で来ている。


 リリアナの目が鋭くなる。


「敵対行為? 黒霧の門を開こうとした魔導師を止めたことがか」


「それは未確認だ」


「証拠はある」


「その証拠を確認するため、黒霧関連物、霧核片、拘束した補給部長、関係書類、ならびに関係者を王都へ移送する」


「関係者?」


 カシアンの視線が、俺に向いた。


「異邦の男。名はレンジと言ったか」


 嫌な汗が背中を流れた。


「貴様の能力についても聴取する。場合によっては、王都魔導師ギルドにて保護観察となる」


「保護観察……」


 言葉は柔らかい。


 でも意味は分かる。


 連れて行く、ということだ。


 リリアナが一歩前に出る。


「彼はこの街の功労者だ。犯罪者ではない」


「それも王都が判断する」


 カシアンは封書を取り出した。


 王都の印章が押されている。


「これは王都評議会代理命令である。エルドベルク騎士団は、証拠品と関係者を速やかに引き渡せ」


 広場に沈黙が落ちた。


 王都の命令。


 地方都市にとっては重い。


 逆らえば、反逆扱いされる可能性すらある。


 リリアナも、すぐには動けなかった。


 その時、俺の視界に金色の線が浮かんだ。


 封書。


 印章。


 カシアンの手袋。


 護衛馬車の荷台。


 そして、ミレーユの帳簿。


【目的:王都監察官による証拠隠滅を阻止】


【現在成功率:四十六パーセント】


 証拠隠滅。


 やっぱりだ。


 この男は調査しに来たんじゃない。


 回収しに来た。


 霧核も、帳簿も、俺も。


 全部、王都へ持ち帰って消す気だ。


「ミレーユさん」


 俺は小声で言った。


「封書、怪しいです」


「偽造ですか?」


「たぶん完全な偽造じゃない。でも、命令の使い方がおかしい。あの封書じゃなくて、護衛馬車の荷台に何かあります」


 ミレーユの目が細くなる。


「トマ」


「はい」


「王都命令書の形式、分かる?」


「商会取引で何度か見ています。正式な緊急徴発命令なら、評議会印に加えて財務局か軍務局の副印が必要です」


「今の封書には?」


「遠目ですが……副印が見えません」


 来た。


 線が太くなる。


 ミレーユが一歩前に出た。


「監察官殿。恐れながら、その命令書を確認させていただいても?」


 カシアンの目が冷たくなる。


「商人風情が王都命令を検分するつもりか」


「この街の物資徴発および証拠品移送には、当商会の保管物も含まれております。正式な副印の確認は商会権利として当然かと」


「黙れ」


「黙りません」


 ミレーユは微笑んでいる。


 だが、声は硬い。


「副印がない命令書では、商会物資および帳簿の引き渡しはできません」


 カシアンの顔がわずかに歪んだ。


「貴様、王都に逆らう気か」


「いいえ。王都の正式手続きに従っております」


 強い。


 書類の戦闘力が高すぎる。


 カシアンが護衛兵へ目配せした。


 赤線が走る。


【強制押収】


「ガルドさん、来ます!」


 俺が言うと同時に、護衛兵が前に出た。


 ガルドも騎士たちを動かす。


「抜剣するな! だが通すな!」


 騎士たちが盾で道を塞ぐ。


 広場の空気が一気に張り詰めた。


 ここで剣が抜かれれば、王都との衝突になる。


 それだけは避けないといけない。


 金色の線は、俺から広場の民衆へ伸びていた。


 違う。


 戦うんじゃない。


 見せるんだ。


「カシアン監察官」


 俺は前に出た。


 怖い。


 普通に怖い。


 でも、ここで黙っていれば全部持っていかれる。


「あなたは証拠品を王都へ移送すると言いました」


「そうだ」


「でも、証拠はもうこの街全体に分散しています」


 カシアンの眉が動く。


「何?」


 俺は指を折って数えた。


「補給部長オルデンの裏帳簿は、ミレーユ商会、騎士団、教会で写しを保管しています」


 ミレーユが頷く。


「当然です」


「南区の井戸汚染と薬草横流しは、教会の治療記録と住民証言があります」


 セラフィナが静かに前へ出る。


「教会名義で記録済みです」


「旧西門橋の封鎖と避難路改修は、貴族の提供証明と商会記録があります」


 少し離れた場所にいた例の太った貴族が、気まずそうに咳払いした。


「我が家の名誉ある貢献として記録されている」


 ちゃんと乗ってきた。


 名誉、便利。


「旧採石場の黒霧戦闘は、騎士団、商会、南区作業員、教会救護班、全員が見ています」


 広場の民衆がざわつく。


 俺は続けた。


「つまり、あなたが霧核片を持ち去っても、俺を連れて行っても、証拠は消えません」


 カシアンの顔から表情が消えた。


 当たりだ。


 こいつは証拠を一か所に集めて消すつもりだった。


 だが、もう遅い。


 この街では、皆が少しずつ証拠を持っている。


 街そのものが、記録になっている。


 トマが小さな声で言った。


「帳簿の写し、三部ではなく五部あります……怖かったので」


「トマさん最高」


「怖くて増やしただけです……」


 その怖がりが、今は強い。


 カシアンが低く言う。


「貴様らは、自分たちが何をしているか分かっているのか」


 リリアナが答えた。


「分かっている。この街を守った」


「王都に逆らえば、ただでは済まんぞ」


 その瞬間、バルロの怒鳴り声が広場に響いた。


「王都だか何だか知らねぇが、うちの子どもらに水も飯も出さなかった連中が、今さら偉そうにすんじゃねぇ!」


 南区の住民たちが声を上げる。


「そうだ!」


「こっちは死にかけたんだぞ!」


「レンジたちが水を運んでくれた!」


 次に商会員たち。


「薬草を取り戻したのもこの人たちだ!」


「帳簿は本物だ!」


 騎士たちも盾を鳴らした。


 修道女たちも前に出た。


 広場全体が、静かな圧力になっていく。


 カシアンの護衛兵たちが動揺している。


 彼らも分かっているのだ。


 この場で強引に押収すれば、民衆全体を敵に回す。


 それは王都監察としてもまずい。


 ミレーユが最後に微笑んだ。


「監察官殿。正式な副印付き命令書をお持ちください。その際は、こちらも正式な写し一式を添えて対応いたします」


 カシアンはしばらく黙っていた。


 そして、冷たい目で俺を見た。


「道を見る者。覚えておけ」


「何をです?」


「王都には、貴様のような異物を嫌う者が多い」


「それは困りますね」


「いずれ迎えが来る」


「その時は、正式な配達伝票を持ってきてください」


 何を言っているんだ俺は。


 だが、広場の何人かが笑った。


 カシアンは顔を歪め、馬車へ戻った。


 護衛兵たちも引いていく。


 王都の馬車が去っていくと、視界の赤線が薄くなった。


【王都監察官による証拠隠滅を阻止】


【証拠分散保管体制を確立】


【都市崩壊回避成功率:九十九パーセント → 百パーセント】


 百。


 ついに。


 百パーセント。


 その数字が浮かんだ瞬間、膝から力が抜けた。


「レンジ!」


 リリアナが支えようとするが、彼女も患者なので危ない。


 ガルドが俺の肩を掴んだ。


「どうした」


「百です」


「百?」


「都市崩壊回避成功率、百パーセント」


 一瞬、誰も声を出さなかった。


 そして、リリアナが静かに息を吐いた。


「そうか」


 セラフィナが両手を組み、目を閉じる。


「よかった……」


 ミレーユは珍しく、計算ではない笑みを浮かべた。


「投資成功ですね」


 トマはその場にへたり込んだ。


「ようやく帳簿を書くだけの仕事に戻れますか……?」


「たぶん無理です」


「そんな……」


 広場に歓声が広がっていく。


 今度こそ、本当に。


 この街は、崩壊を回避した。


   ◇


 その夜。


 エルドベルクの街には、久しぶりに穏やかな灯りがともった。


 避難所では粥ではなく、少し具の多いスープが配られた。


 バルロいわく「勝った日の飯が薄いと縁起が悪い」らしい。


 教会では負傷者の治療が続き、商会では物資の棚卸しが始まった。


 騎士団は東門の仮封鎖と残党警戒に当たっている。


 終わったわけではない。


 復旧はこれからだ。


 王都の赤線も、完全に消えたわけではない。


 ただ、都市崩壊という最悪の未来は消えた。


 俺は教会の屋上で、街を見下ろしていた。


 隣にはリリアナ。


 少し離れてセラフィナ。


 下の広場では、ミレーユが商会員に何かを指示し、ガルドが騎士たちを叱り、バルロが鍋の前で怒鳴っている。


「レンジ」


 リリアナが言った。


「この街は、お前に借りができた」


「みんなで返済してもらうことになりますね」


「何を望む?」


 俺は少し考えた。


 金。


 家。


 地位。


 そういうものを言えば、たぶん何かはもらえる。


 でも、今一番欲しいものは違った。


「配送網を作りたいです」


 リリアナが瞬きをした。


「配送網?」


「水、食糧、薬草、避難路、商会、教会、騎士団、南区。全部がバラバラだったから、今回ここまで危なかった」


 俺は街を見た。


「次に何か起きた時、誰かが走り回らなくても物が届く仕組みを作りたい。南区にも、東門にも、避難所にも、必要なものがちゃんと届くように」


 セラフィナが微笑む。


「レンジ様らしい願いですね」


 リリアナも笑った。


「なら、騎士団として協力する」


 下からミレーユの声が飛んだ。


「商会としても、利益が出る形なら全面協力します」


「聞いてたんですか!」


「商機の匂いがしましたので」


 怖い。


 でも頼もしい。


 俺は笑った。


 異世界に来て、ずっと流されていた。


 使われ、捨てられ、走り回って、気づけば街を救っていた。


 でも今、初めて自分で次の目的地を決めた気がした。


【目的更新】


【辺境都市エルドベルクに物流網を構築する】


【第一段階:南区・教会・商会・騎士団の定期配送路を作成】


【推奨開始日:明日】


「明日からかよ……」


 思わず呟く。


 リリアナが笑う。


「忙しくなるな」


「少し休ませてほしいです」


「休めばいい」


「本当に?」


「ああ。半日くらいは」


「短い」


 セラフィナがくすりと笑った。


 街の灯りが、夜風に揺れている。


 もう崩壊までの表示は出ていない。


 代わりに、いくつもの金色の線が街中に伸びていた。


 水を届ける線。


 飯を届ける線。


 薬を届ける線。


 人を繋ぐ線。


 俺はそれを見て、ゆっくり息を吐いた。


 配達完了。


 そして、新しい配達開始。


 この街の明日は、まだまだ遠い。


 でも今度は、少しだけ楽しみだった。

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