第15話 十分間で、絶望を返送する
【黒霧の門、強制開放】
【発動時、魔物本隊が直接都市内へ転移】
【阻止制限時間:十分】
【現在成功率:二十一パーセント】
十分。
たった十分。
弁当を届けるには短すぎる。
街を救うには、冗談みたいに短すぎる。
だが、黒ローブの魔導師は待ってくれない。
旧採石場の地面に、黒い魔法陣が広がっていく。
霧が地面を這い、亀裂に染み込み、空間そのものを押し開こうとしていた。
魔法陣の中心に立つ魔導師が、杖を掲げる。
『門は開く。都市は捧げられる』
黒い霧の奥で、無数の赤い目が見えた。
魔物本隊。
あれが街の中に直接出たら終わりだ。
東門も、旧採石場の罠も、避難路も関係ない。
西区避難所。
南区の病人。
教会。
商会。
全部、内側から食い破られる。
「レンジ殿!」
ガルドが肩を押さえながら叫ぶ。
「道は見えるか!」
「見えてます!」
「勝てるか!」
「二十一パーです!」
「低いな!」
「知ってます!」
でも、ゼロじゃない。
金色の線は確かにある。
細い。
今にも切れそう。
だけど、魔導師へ向かって伸びている。
いや、正確には魔導師ではない。
魔法陣。
その中心。
さらに、黒霧の門番が落ちた大穴の底。
そこに砕けた霧核がある。
【推奨手順】
【一、黒霧の門番の霧核片を回収】
【二、魔法陣中心へ設置】
【三、聖女の浄化光で逆流起点を作成】
【四、騎士団長の聖銀剣で魔導師との接続線を切断】
【五、黒霧を発生源へ返送】
「……返送?」
思わず声が漏れた。
黒霧を消すんじゃない。
押し返す。
発生源へ返す。
配達で言えば、受取拒否。
住所違い。
差出人へ返送。
「ふざけたスキルだな……!」
でも、それが道ならやるしかない。
俺は叫んだ。
「門番の霧核片が必要です! 大穴の底!」
ガルドが大穴を見る。
黒霧が立ち上り、底はほとんど見えない。
「降りるのは無理だ!」
「降りなくていい! 引き上げる!」
「何でだ!」
「線がそう言ってる!」
もう説明している時間がない。
俺の視界では、大穴の縁に残った滑車と縄が金色に光っていた。
採石場に昔から残っていた荷上げ装置。
錆びている。
壊れかけている。
でも、使える。
「トマさん! 滑車の縄、まだ生きてますか!」
少し離れた場所でへたり込んでいたトマが、半泣きで図面を広げる。
「え、ええ!? 古いですが、荷上げ用なら一本だけ!」
「それを使って霧核片を引き上げます!」
「人間の仕事じゃありません!」
「今さらです!」
南区の若者たちが走った。
「縄を出せ!」
「滑車を回せ!」
「下が見えねぇぞ!」
ガルドが叫ぶ。
「弓兵、魔導師を牽制! 作業員に霧を近づけるな!」
矢が飛ぶ。
だが、魔導師の前で黒霧が壁になり、矢を飲み込んだ。
『無駄だ』
魔導師の声が響く。
『この都市は、すでに捧げ物として選ばれた』
「勝手に選ぶな!」
俺は怒鳴った。
「こっちはまだ配送完了してねぇんだよ!」
魔導師が、初めて俺へ顔を向けた。
『道を見る者。貴様だけは異物だ』
「俺もそう思ってますよ!」
金色の線が震える。
【残り八分】
時間がない。
大穴から滑車の縄が下ろされる。
だが、黒霧が邪魔して底まで届かない。
【浄化光必要】
「セラフィナ様!」
俺が叫ぶと、救護班に支えられていたセラフィナが顔を上げた。
明らかに限界だ。
それでも彼女は、一歩前に出た。
「縄に、光を通せばよいのですね」
「はい! でも無理は――」
「今は例外です」
「またそれ!」
セラフィナは両手を組み、祈る。
白い光が縄を包み込んだ。
黒霧がじゅう、と音を立てて退く。
縄が大穴の底へ落ちていく。
「引っかかった!」
南区の若者が叫ぶ。
「重いぞ!」
「全員で引け!」
騎士、作業員、商会員、南区の若者たちが一斉に縄を引いた。
街を救うために、立場も身分も関係なく、一本の縄を引いている。
その光景に、胸が熱くなった。
でも、感動している暇はない。
【残り七分】
霧核片が、黒い煙をまといながら引き上げられた。
人の頭ほどの黒い石。
ひび割れ、内部で赤黒い光が脈打っている。
近くにいるだけで気分が悪くなる。
【危険物】
【直接接触不可】
「触るな! 布で包んで!」
ミレーユが即座に指示する。
「厚布を! 油のついていないもの!」
商会員が布を投げる。
ガルドが片手で霧核片を包み、俺の方へ押し出した。
「次は?」
「魔法陣の中心に置きます」
「誰が行く」
沈黙。
魔法陣の中心は、魔導師のすぐ近くだ。
黒霧が渦巻き、近づくだけで危険。
ガルドは肩を負傷している。
リリアナは立っているのもやっと。
セラフィナは魔力切れ寸前。
俺は足を痛めている。
でも、金色の線は俺へ伸びていた。
やっぱりか。
配達先は、俺が行くしかない。
「俺が――」
「却下だ」
ガルドの声。
「駄目だ」
リリアナの声。
「駄目です」
セラフィナの声。
三方向から止められた。
「いや、でも」
その時、ミレーユが静かに言った。
「レンジ様が持つ必要はありません」
「え?」
「届け先が分かるなら、運ぶ方法はいくらでもあります」
ミレーユは壊れた荷車を指さした。
「投げ込むのではなく、滑らせます。荷車の板を使って、魔法陣中心まで一直線に」
金色の線が変わった。
俺の手元から、木板。
木板から、魔法陣の中心。
荷物を人が運ばないルート。
そうか。
配達は、手で持つだけじゃない。
台車も、バイクも、馬車も、全部配送手段だ。
「いけます!」
俺は叫んだ。
「板を斜めに組んで、霧核を滑らせます! でも角度が大事! 少しでもずれたら魔法陣から外れる!」
「角度を言え!」
ガルドが叫ぶ。
俺は金色の線を見る。
「右へ二歩! 板の先端を石の溝に合わせて! 高さは腰くらい!」
「聞いたな! 動け!」
騎士たちと作業員が板を組む。
黒霧がそれを邪魔しようと伸びる。
セラフィナが白い光で押し返す。
魔導師が杖を振る。
『させぬ』
黒霧が槍となって、板を支える作業員へ飛ぶ。
その前に、リリアナが立った。
傷だらけの体で、聖銀の剣を構える。
「この先へは通さん」
黒霧の槍を、リリアナの剣が弾いた。
だが、その衝撃で彼女の傷が開いたのか、脇腹に血が滲む。
「リリアナさん!」
「叫ぶ暇があれば、道を見ろ!」
強い。
無茶苦茶だ。
でも、その背中が騎士たちを奮い立たせた。
「団長を守れ!」
「板を固定しろ!」
「霧核を乗せろ!」
【残り五分】
霧核片が布に包まれたまま、木板の上に置かれる。
俺は呼吸を止めた。
角度。
風。
板の歪み。
石の転がり。
全部を見る。
金色の線は、魔法陣中心へ細く伸びている。
「今!」
霧核片が押し出された。
ごろ、と転がる。
木板の上を滑る。
一瞬、左に逸れかけた。
「右の板を叩いて!」
作業員が板を叩く。
振動で軌道が戻る。
霧核片が魔法陣へ入る。
中心へ。
あと少し。
黒霧が伸び、霧核片を弾こうとする。
「セラフィナ様!」
「はい!」
白い光が走る。
霧が割れる。
霧核片は、魔法陣の中心で止まった。
【設置完了】
【逆流起点作成可能】
「置けた!」
歓声が上がる。
でも、まだ終わりじゃない。
【三、聖女の浄化光で逆流起点を作成】
セラフィナが前に出る。
足元がふらつく。
「セラフィナ様、無理です!」
修道女が止める。
だが、彼女は首を振った。
「これだけは、私がやります」
彼女は両手を霧核片へ向けた。
白い光が放たれる。
黒い霧核が、ギシギシと嫌な音を立てる。
魔導師が叫んだ。
『聖女ごときが、黒霧の門に触れるな』
黒霧がセラフィナへ殺到する。
ガルドが前に立つ。
リリアナも剣を構える。
騎士たちが盾を並べる。
ミレーユが商会員へ叫ぶ。
「聖女様の前へ布を! 濡らして壁にしなさい!」
バルロの炊事班から運ばれた水桶が使われ、濡れ布が黒霧をわずかに防ぐ。
全部が繋がっている。
水。
布。
飯。
剣。
祈り。
帳簿。
作業。
道。
何か一つ欠けても、ここまで来られなかった。
【残り三分】
霧核片が白く光り始める。
【逆流起点作成】
【四、聖銀剣で魔導師との接続線を切断】
最後は、リリアナだ。
俺の視界に、魔導師と魔法陣を繋ぐ黒い線が見えた。
太い。
禍々しい。
それを切れば、黒霧は制御を失い、霧核片を通じて逆流する。
だが、距離がある。
リリアナは走れない。
ガルドは負傷。
俺も無理。
どうする。
金色の線が、リリアナの剣から――ガルドへ伸びた。
「ガルドさん!」
俺は叫んだ。
「リリアナさんの剣を!」
リリアナが即座に理解した。
自分の聖銀剣をガルドへ投げる。
「ガルド!」
「はっ!」
ガルドが左手で剣を受け取る。
右肩は負傷している。
利き腕ではない。
それでも、彼は走った。
魔導師との接続線へ。
『愚か者が』
魔導師が杖を向ける。
黒霧の刃がガルドへ飛ぶ。
俺は線を見る。
「二歩右! 次、低く!」
ガルドが動く。
霧の刃が空を切る。
「跳んで!」
ガルドが跳ぶ。
黒い槍が足元を貫く。
「今、左!」
彼は左手の聖銀剣を振った。
銀の光が走る。
見えないはずの黒い接続線が、リリアナの剣によって断ち切られた。
魔導師の体が大きく揺れる。
『な……』
【接続線切断】
【黒霧逆流開始】
魔法陣の中心に置かれた霧核片が、白黒の光を放った。
黒霧が渦を巻く。
街へ開こうとしていた門が、逆向きにねじれる。
霧の流れが変わった。
外へ。
森へ。
魔導師へ。
『馬鹿な、門が……私に……!』
魔導師の声に、初めて恐怖が混じった。
黒霧が彼へ巻き戻る。
自分が開こうとした門に、自分が吸い込まれ始めている。
「返送完了だ、黒ローブ」
俺は息を切らしながら言った。
「住所違いだ。持ち帰れ」
魔導師がこちらを見た。
フードがめくれ、顔が一瞬だけ見えた。
若くも老いてもいない、青白い顔。
その額には、王都魔導師ギルドの紋章。
そして、首元には黒い鎖の刺青。
『これで終わると思うな……王都は……すでに……』
言葉は最後まで続かなかった。
黒霧が魔導師を飲み込み、魔法陣ごと森の奥へ引きずり戻していく。
地面が激しく揺れた。
魔物たちが統制を失い、悲鳴のような声を上げる。
黒霧の門は、内側から潰れるように閉じていった。
【黒霧の門:開放阻止】
【魔物本隊の都市内転移を阻止】
【黒霧を操る魔導師:撤退または消失】
【都市崩壊回避成功率:八十七パーセント → 九十四パーセント】
「九十四……!」
勝った。
いや、まだ完全ではない。
魔物の残党はいる。
街の被害もある。
敵の言葉も気になる。
王都はすでに――何だ?
でも、少なくとも今。
街は飲まれなかった。
黒霧の門は開かなかった。
俺はその場にへたり込んだ。
足が震えて、もう立てなかった。
周囲から歓声が上がる。
騎士たちが叫ぶ。
作業員たちが抱き合う。
トマが泣いている。
ミレーユが珍しく安堵した顔をしている。
セラフィナは修道女に支えられながら微笑んでいる。
リリアナは血を流しながら、それでも誇らしげに立っていた。
ガルドが聖銀剣を地面に突き、荒い息を吐く。
「レンジ殿」
「はい……」
「今のは、何という作戦だ?」
俺は少し考えた。
「受取拒否作戦ですかね」
「締まらんな」
「俺もそう思います」
ガルドは笑った。
リリアナも笑った。
セラフィナも、ミレーユも、近くの南区の若者たちも笑った。
その笑い声が、黒霧の晴れ始めた採石場に広がっていく。
七日後の崩壊まで、残り二日。
最大の危機は越えた。
けれど、俺の視界にはまだ一本だけ、細い赤線が残っていた。
王都へ続く線。
黒幕の、さらに奥。
この街を殺そうとした理由は、まだ届いていない。




