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第13話 燃やされる避難所と、鍋を守る老人

 西区避難所へ向かう道で、俺は何度も足をもつれさせた。


 眠っていない。


 走り続けている。


 叫び続けている。


 考え続けている。


 それでも、止まれなかった。


 視界の先で、赤い線が燃えるように揺れている。


【西区避難所に敵性反応】


【火災発生リスク】


【食糧倉庫焼失時、避難計画崩壊】


 最悪だった。


 東門を攻められるなら分かる。


 旧採石場の罠を妨害されるのも分かる。


 だが、避難所。


 病人や老人や子どもがいる場所。


 ようやく人々が「逃げた先にも飯がある」と信じ始めた場所。


 そこを燃やす。


 敵は、こちらの急所を分かっている。


 壁ではない。


 剣ではない。


 人の心だ。


「レンジ殿、先に行きすぎるな!」


 後ろからガルドの声が飛ぶ。


「でも!」


「お前が先に刺されたら終わる!」


 正論だった。


 悔しいが、正論だった。


 俺は速度を少し落とし、ガルドと騎士たちを前に出す。


 ミレーユも馬車で追いついてきた。


 顔には焦りがある。


 商人らしい余裕が消えていた。


「避難所には食糧と水樽が集まっています。あそこを焼かれると、南区の避難が止まります」


「分かってます」


「それに、避難民が一度混乱すれば、二度目の誘導は難しくなります」


「分かってますって」


 分かっている。


 嫌というほど。


 避難所は、ただの倉庫じゃない。


 あそこは今、この街で一番壊れやすい信頼の置き場だ。


 水がある。


 飯がある。


 寝床がある。


 守られている。


 そう信じた人たちが集まっている。


 そこが燃えれば、信頼も燃える。


 もう誰も、こちらの誘導を信じなくなる。


 金色の線が、避難所の裏手へ伸びていた。


「正面じゃない。裏です!」


「裏口か?」


「はい。炊事場の薪置き場。そこから火をつける気です!」


 ガルドの顔が険しくなる。


「騎士二名は正面へ! 避難民を外に出すな! 混乱させるな! 残りは裏へ回る!」


「はっ!」


 俺たちは倉庫の裏路地へ駆け込んだ。


 焦げた匂いがした。


 まだ煙は薄い。


 間に合う。


 たぶん、まだ。


   ◇


 西区避難所の裏手には、薪と空き樽が積まれていた。


 その影に、黒い外套の男が三人。


 一人が火打石を手にしている。


 もう一人は油壺。


 最後の一人は、倉庫の壁際に何かを撒いていた。


 黒い粉。


 見た瞬間、嫌な予感がした。


【可燃粉】


【着火時、急速延焼】


「止めて!」


 俺が叫ぶより早く、ガルドが飛び込んだ。


「騎士団だ! 動くな!」


 黒外套たちは振り返りもせず、油壺を投げた。


 地面に油が広がる。


 火打石が鳴る。


 まずい。


【三秒後、着火】


「水! 水樽を!」


「間に合わん!」


 ガルドが火打石の男へ斬りかかる。


 だが、別の男が短剣で受けた。


 火花が散る。


 その火花が、油へ落ちる。


 金色の線が、俺の足元から右の空き樽へ伸びた。


【空き樽を倒せ】


 俺は全力で樽に体当たりした。


 中身が空のはずなのに、重い。


「ぐっ……!」


 樽が倒れ、油の流れを遮る。


 火は樽の手前で小さく燃え上がったが、壁までは届かなかった。


「レンジ!」


 倉庫の中から、バルロの怒鳴り声が響いた。


「何やってやがる!」


「火つけられそうです!」


「見りゃ分かる!」


 バルロが巨大な鍋を担いで出てきた。


 いや、正確には鍋いっぱいの水だ。


 どういう筋力だ。


「どけ!」


「はい!」


 バルロは鍋の水を、燃えかけた油へぶちまけた。


 じゅうう、と白い煙が上がる。


 火が消える。


 助かった。


 が、黒外套の一人が舌打ちし、今度は懐から小さな黒い玉を取り出した。


 俺の視界に真っ赤な表示が走る。


【黒霧火種】


【投擲時、倉庫内部で発火】


「投げ物! 止めて!」


 ガルドが動く。


 しかし距離がある。


 間に合わない。


 黒外套が黒い玉を振りかぶる。


 その瞬間、横から飛んできた木杓子が男の手首に直撃した。


「ぐあっ!」


 黒い玉が地面に落ちる。


 バルロだった。


「俺の炊事場で火遊びしてんじゃねぇぞ、小僧ども!」


 料理番、強い。


 普通に強い。


 黒外套がバルロへ短剣を向ける。


「邪魔だ、老人!」


「老人をなめるな」


 バルロは木杓子を構えた。


 いや、それ武器じゃない。


 でも、妙に迫力がある。


 ガルドが一人を斬り伏せ、騎士たちがもう一人を押さえる。


 残る一人が、地面の黒霧火種へ手を伸ばした。


【火種破壊不可】


【水では消えない】


 水では消えない。


 じゃあどうする。


 金色の線が、倉庫の中へ伸びる。


 粥の鍋。


 違う。


 さらに奥。


 塩袋。


「塩!」


 俺は叫んだ。


「塩を持ってきて!」


 バルロが一瞬で反応した。


「塩袋だ! 早くしろ!」


 炊事班の若者が大きな塩袋を抱えて走ってくる。


 黒外套が火種を拾い上げようとする。


 俺は近くの木箱を蹴った。


 箱が滑り、男の足元に当たる。


 体勢が崩れた。


「今!」


 若者が塩袋を投げた。


 袋が破れ、白い塩が黒い玉を覆う。


 黒霧がじゅっと音を立てて縮んだ。


【黒霧火種:不活性化】


「よし!」


 ガルドが最後の黒外套を取り押さえた。


 裏手に静寂が戻る。


 焦げた匂い。


 こぼれた油。


 白い塩。


 倒れた樽。


 縛られる黒外套たち。


 そして、木杓子を握りしめたバルロ。


「……また死ぬかと思った」


 俺が呟くと、バルロが鼻を鳴らした。


「避難所で勝手に死ぬな。飯がまずくなる」


「そこなんですね」


「そこだ」


 ガルドが捕らえた男の覆面を剥ぐ。


 若い男だった。


 目が虚ろで、口元に黒い紋様が浮かんでいる。


 人間。


 でも、普通じゃない。


 ミレーユが近づき、男の首元を見る。


「これは……契約印ですね」


「契約印?」


「魔導師が下位の協力者を縛る時に使う印です。裏切り防止、あるいは口封じのために」


 嫌な言葉だった。


 男はうめき声を漏らす。


「黒霧は……門を開く……街は……捧げられる……」


 ガルドが眉をひそめる。


「誰に命じられた」


 男は笑った。


 虚ろな目で、空を見る。


「王都の……黒衣の先生……」


 次の瞬間、男の首元の紋様が黒く光った。


「離れて!」


 俺が叫ぶ。


 ガルドが即座に男を突き放す。


 黒い煙が男の口から噴き出し、体が糸の切れた人形のように崩れた。


 死んだ。


 口封じ。


 残りの二人も同じように、黒い煙を吐いて動かなくなった。


 誰も声を出せなかった。


 バルロでさえ、黙っていた。


 ミレーユが拳を握る。


「かなり厄介ですね。証言を残させる気がない」


 俺は倒れた男たちを見た。


 敵は、使い捨てにしている。


 街の人間を。


 協力者さえ。


 道具として。


 使い終われば、捨てる。


 そのやり方に、胸の奥が冷たくなった。


   ◇


 幸い、避難所の火災は防げた。


 避難民には「薪置き場で小火が起きたが消火済み」と説明した。


 完全に隠すことはできない。


 だが、ガルドが正面を抑え、バルロが炊事場を止めずに粥を配り続けたおかげで、パニックにはならなかった。


 バルロは大鍋の前に立ち、いつもより大きな声で怒鳴っていた。


「並べ! 飯は逃げん! だが横入りしたやつには薄い粥を食わせるぞ!」


 避難民たちが少し笑った。


 その笑いが、場を落ち着かせる。


 飯と怒鳴り声。


 それだけで、人は「いつも通り」を感じられる。


 バルロは本当に、この避難所の柱だった。


「バルロさん」


「何だ」


「助かりました」


「礼はいい。塩を無駄にした」


「そこ?」


「貴重なんだぞ、塩は」


「請求はミレーユ商会へ」


 横にいたミレーユが即座に微笑む。


「記録しておきます。緊急消火用塩、避難所防衛費として」


「本当に請求処理するんですね」


「当然です。街が生き残った後、帳簿が合わないと困ります」


 ブレない。


 この人もまた、この人なりに街を支えている。


 俺の頭に表示が浮かんだ。


【西区避難所への放火工作を阻止】


【食糧倉庫維持】


【避難民の混乱抑制】


【都市崩壊回避成功率:七十九パーセント → 八十三パーセント】


「八十三……」


 上がった。


 でも、俺は素直に喜べなかった。


 敵は避難所を狙ってきた。


 つまり、こちらの動きが見えている。


 旧採石場の罠も、当然見られている可能性が高い。


 ガルドも同じことを考えていた。


「レンジ殿。罠は読まれていると見るべきだ」


「はい」


「なら、罠の罠が必要だ」


 罠の罠。


 言葉にするとややこしい。


 でも、金色の線が反応した。


 旧採石場の大穴。


 誘導路。


 そして、別の細い道。


 敵が罠を避けるなら、その避け道に第二の仕掛けを置く。


【追加推奨:偽退避路の設定】


【黒霧の門番が罠を回避した場合の第二誘導線を構築】


「第二誘導線……」


 俺は地面にしゃがみ、簡単な図を描いた。


「敵が大穴を避けるなら、たぶんこっちの横道へ流れる」


 ガルドが覗き込む。


「そこは採石場の古い搬出路だな」


「はい。そこを逃げ道に見せて、実際には狭い崖道へ誘導する。大型個体は通れるけど、後続の群れは詰まる」


「分断か」


「そうです。黒霧の門番と群れを切り離せれば、勝ち目が上がる」


 ミレーユが指を顎に当てて考える。


「必要資材は?」


 金色の線を見る。


「木材は少なめでいいです。でも、布と黒い油が必要。偽の焦げ跡を作って、危険に見える道と安全に見える道を逆にする」


 バルロが横から言った。


「なら厨房の廃油が使える」


「え?」


「古い油がある。食えんが、焦げ跡を作るには使える」


「バルロさん、何でも出てきますね」


「炊事場は戦場だ」


 名言っぽく言うな。


 でも助かる。


 ミレーユが即座に商会員へ指示を出す。


「廃油を回収。布は破れた袋で構いません。黒い染料も少量用意して」


「はい!」


 ガルドは騎士へ命じる。


「採石場へ伝令。作業班を二つに分けろ。第一罠はそのまま。第二誘導線の準備に入る」


 人が動く。


 避難所を守った直後なのに、すぐ次の準備へ移る。


 もう誰も、俺の言葉を疑っていなかった。


 それが少し怖かった。


 信じてもらえるのはありがたい。


 でも、外せない重さが増えている。


 俺は深く息を吸った。


 セラフィナの言葉を思い出す。


 全部を背負うんじゃない。


 背負うべき人に、荷物を渡す。


 今の俺の仕事は、廃油と布と偽の道を、必要な場所へ届けることだ。


   ◇


 深夜。


 旧採石場では、第二誘導線の作業が始まった。


 廃油を染み込ませた布を岩にこすりつけ、焦げたような痕跡を作る。


 一見危険そうに見える道。


 逆に、通れそうに見える崖道。


 そこへ黒霧の門番を流す。


 敵が大穴を警戒して避けても、次の道で後続を分断する。


 作業は繊細だった。


 やりすぎると不自然。


 足りないと誘導できない。


 俺は金色の線を見ながら、一つずつ配置を直した。


「その布は見えすぎです。半分だけ隠して」


「ここの油跡はもっと薄く。わざとらしい」


「この岩は動かさないでください。大型個体が足を置く目印になります」


 作業員たちは疲れ切っている。


 騎士たちも眠そうだ。


 それでも、誰も手を抜かなかった。


 南区の若者がぼそっと言う。


「こんなことで本当に魔物が引っかかるのかよ」


 俺は答えた。


「分かりません」


「おい」


「でも、やらないより成功率は上がります」


「どのくらい?」


 表示を見る。


【大型個体対応成功率:五十六パーセント → 六十八パーセント】


「六十八パーセント」


「微妙だな」


「俺もそう思います」


 若者は少し笑った。


「正直でいいじゃねぇか」


「嘘ついてもしょうがないので」


「なら、残り三十二パーを俺らの根性で埋めるか」


 そう言って、彼はまた木材を運び始めた。


 根性。


 精神論は嫌いだ。


 でも、最後の数パーセントを埋めるのは、案外そういうものなのかもしれない。


   ◇


 夜明け前。


 第二誘導線が完成した。


 体は限界。


 頭もぼんやりする。


 それでも表示は確かに変わった。


【旧採石場誘導罠:二重構造化完了】


【大型個体対応成功率:六十八パーセント】


【都市崩壊回避成功率:八十三パーセント → 八十七パーセント】


「八十七……」


 かなり高い。


 だが、百ではない。


 そして、敵はまだ姿を見せていない。


 その時、東の空が薄く白み始めた。


 黒霧の森の方角から、低い音が響く。


 地鳴りのような。


 太鼓のような。


 心臓の鼓動のような。


 ガルドが剣を抜いた。


「来るか」


 俺は森を見る。


 黒い霧が、木々の間から溢れ出していた。


 その奥で、巨大な影が動いている。


 黒霧の門番。


 本隊の先頭。


 しかし、それだけではなかった。


 霧の中に、人影が立っている。


 黒いローブ。


 細い杖。


 顔は見えない。


 だが、こちらを見ているのは分かった。


 俺の視界に、真っ赤な表示が浮かぶ。


【黒幕候補接近】


【黒霧を操る魔導師】


【敵目的:旧採石場罠の無効化】


「……やっぱり来た」


 敵も本気だ。


 罠を作ったなら、罠を壊しに来る。


 道を作ったなら、道を消しに来る。


 街を救う最短経路と、街を壊す最短経路。


 その二つが、ついに同じ場所でぶつかる。


 七日後の崩壊まで、残り二日。


 決戦は、もう目の前だった。

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