第12話 罠を作るには、人を信じるしかない
都市崩壊回避成功率、七十四パーセント。
数字だけ見れば、かなり勝ちに近づいた。
けれど、俺の胃はまったく軽くならなかった。
理由は簡単だ。
敵が、人間だったからだ。
魔物の群れなら、まだ分かりやすい。
来る。
壊す。
襲う。
止める。
でも、人間は違う。
こちらの動きを見る。
こちらの弱点を探す。
準備を潰しに来る。
南区の井戸。
東門の偽装補修。
消えた薬草。
旧西門橋の封鎖。
そして、黒霧の魔物を操る謎の魔導師。
全部が、ひとつの線で繋がっている。
街を壊すための配送ルート。
そんな嫌な言葉が、頭に浮かんだ。
「レンジ様」
ミレーユが、旧採石場の中央を見ながら言った。
「ここを罠にするなら、作業は今夜から始めるべきです」
「ですよね」
「明日からでは遅いです。大型個体用の誘導路、崩落地点の補強、退避路、作業員の安全管理、資材運搬。全部、同時に進めなければ間に合いません」
彼女の言葉は冷静だった。
でも内容は地獄だった。
四日後に来る本隊。
その前に、旧採石場を巨大な罠へ変える。
必要なのは、荷車二十台。
木材百本。
縄。
杭。
石材。
作業員五十人以上。
騎士の護衛。
商会の手配。
南区からの人手。
さらに、黒霧の魔導師に妨害される可能性あり。
「……普通に無理では?」
俺が呟くと、ミレーユはにっこり笑った。
「普通なら無理ですね」
「ですよね」
「ですが、普通ではない方がここにいますので」
「俺に振らないでください」
「最短経路が見えるのでしょう?」
「見えるだけです。資材が勝手に走ってくるわけじゃない」
「だから、人を走らせるのです」
商人らしい、ひどく現実的な答えだった。
でも、その通りだった。
俺のスキルは万能じゃない。
荷物を生み出せない。
壁を直せない。
魔物を倒せない。
でも、誰に何を頼めばいいかは見える。
どこで詰まるかも見える。
なら、やるしかない。
俺は旧採石場を見渡した。
大穴。
崖。
古い作業道。
滑車。
崩れかけの足場。
そのすべてに、金色の線と赤い線が走っている。
「まず、作業場所を三つに分けます」
俺は地面に枝で簡単な図を描いた。
「一つ目は、誘導路。黒霧の門番を東門から北へ流して、ここへ連れてくる道」
線を引く。
「二つ目は、崩落罠。ここ、大穴の手前に安全そうに見える足場を残して、左右を塞ぐ」
もう一本、線を引く。
「三つ目は、退避路。こっちが逃げる道です。これが一番大事」
ガルドが頷いた。
「罠を仕掛けても、味方が逃げ遅れれば意味がない」
「はい。だから作業員は罠本体に近づけすぎない。最後の調整は騎士と俺たちだけでやる」
「お前も入っているのか」
「入れないで済むなら、俺が一番嬉しいです」
「なら、後方で――」
「でも、最後の線は俺が見ないとたぶん無理です」
ガルドは苦い顔をした。
「そう言うと思った」
「俺も言いたくなかったです」
ミレーユはすでに帳簿係のトマへ指示を出していた。
「トマ。資材一覧を作成。東門の余剰木材、旧西門橋の解体家具、北倉庫の空き荷車、全部数えて」
「はい……」
「それと、南区のバルロ様へ連絡。炊事班とは別に、力仕事ができる者を集められるか確認して」
「はい……」
「貴族区へも使いを。橋で名誉を得た方々に、追加の名誉の機会があると伝えて」
「それは怒られませんか?」
「言い方の問題です」
「お嬢様の言い方はだいたい攻撃です……」
トマは泣きそうな顔で走っていった。
最近、彼が一番かわいそうな気がしてきた。
◇
旧採石場から戻る頃には、夕方になっていた。
街は、もう以前とはまったく違っていた。
南区から西区への避難は続いている。
旧西門橋は、橋上が馬車、橋下が歩行者という形で流れを作っていた。
東門では、半壊した門を完全防衛用ではなく、誘導用の囮として組み直している。
教会と商会は、薬草と食糧を分配している。
騎士団は、オルデン派の残党を拘束しながらも防衛準備に追われている。
街が一つの巨大な機械みたいに動いていた。
壊れかけている。
でも、まだ動いている。
俺はその中を歩きながら、金色の線を見ていた。
線は太くなっている。
最初の頃のような、今にも切れそうな細い糸ではない。
だけど、赤い線も増えていた。
人が動けば、摩擦が生まれる。
物資を動かせば、不満が出る。
避難させれば、誰かが置いていかれたと感じる。
罠を作れば、危険な作業に人を出さなければならない。
成功率が上がるほど、今度は別の失敗が見えてくる。
「レンジ殿」
ガルドが隣で言った。
「少し休め」
「今ですか?」
「今だ」
「でも、まだ罠の作業が」
「倒れたら終わる」
それは、俺がセラフィナに言った言葉だった。
返ってくると、なかなか効く。
「……一時間だけ」
「二時間だ」
「一時間半で」
「二時間だ」
「ガルドさん、交渉下手ですね」
「交渉ではない。命令だ」
副官、強い。
結局、俺は教会の一室に押し込まれた。
簡素な寝台。
薄い毛布。
小さな窓。
横になった瞬間、体が鉛みたいに重くなった。
自分がどれだけ疲れていたか、そこで初めて分かった。
目を閉じる。
でも、眠れない。
頭の中で線が動く。
東門。
南区。
西区倉庫。
旧西門橋。
旧採石場。
黒霧の森。
あっちへ木材。
こっちへ薬草。
あの人を休ませる。
この道を塞ぐ。
あの橋を開ける。
次から次へと配送指示が鳴る。
まるで、ピークタイムが終わらない配達アプリだ。
「……ブラックすぎる」
呟いた時、扉が軽く叩かれた。
「レンジ様、起きていますか?」
セラフィナの声だった。
「起きてます」
「失礼します」
扉が開き、セラフィナが入ってきた。
手には湯気の立つカップ。
薬草茶らしい。
「眠れないと思いまして」
「顔に出てました?」
「はい。かなり」
「マジか」
彼女は椅子に座り、カップを差し出した。
「飲んでください。少し眠りやすくなります」
「ありがとうございます」
一口飲む。
苦い。
でも、体が少し温まった。
セラフィナは静かに俺を見ていた。
「怖いですか?」
「怖いです」
即答だった。
もう格好つける余裕はなかった。
「魔物も怖いですけど、人が怖いです。誰かがこの街を壊そうとしてる。こっちが道を作るたびに、向こうも壊す道を作ってくる」
「はい」
「俺の判断で、人が動く。間違えたら、誰かが死ぬ」
言葉にした瞬間、胸が重くなった。
「俺、そんな責任を持てる人間じゃないんですよ。ただの配達員で、毎日走ってただけで」
セラフィナは、しばらく黙っていた。
そして、柔らかく言った。
「だからこそ、あなたは届けることの重さを知っているのではありませんか」
「重さ?」
「届かない時の悔しさも、待っている人のことも、間に合った時の安堵も。あなたは知っている」
彼女の声は静かだった。
「剣を持つ者は、時に倒すことばかり考えます。商人は、得ることを考えます。聖職者は、救うことを考えます。でも、あなたは繋ぐことを考える」
「繋ぐ……」
「だから、皆が動けるのです」
セラフィナは微笑んだ。
「あなたが一人で街を背負っているのではありません。あなたは、背負うべき人へ荷物を渡しているだけです」
その言葉は、すとんと胸に落ちた。
俺が全部やるんじゃない。
リリアナには騎士団を。
ガルドには前線を。
ミレーユには物資を。
セラフィナには治療を。
バルロには飯を。
トマには帳簿を。
そして俺は、それを繋ぐ。
そう考えると、少しだけ呼吸が楽になった。
「ありがとうございます」
「いいえ。これは、私からあなたへの配送です」
「何を届けてくれたんですか?」
「少しの安心を」
ずるい。
聖女、普通にいいことを言う。
俺は薬草茶を飲み干した。
「眠れそうです」
「よかった」
「セラフィナ様も休んでくださいね」
「はい。レンジ様が眠ったら」
「それ、俺が寝るまで見張るやつでは?」
「はい」
「聖女様、意外と圧が強い」
セラフィナはにこりと笑った。
俺は諦めて目を閉じた。
今度は、少しだけ眠れた。
◇
目を覚ました時、外は夜だった。
きっちり二時間。
ガルドの命令通りだ。
教会を出ると、街は夜でも動いていた。
松明の列。
馬車の音。
作業員の声。
遠くでバルロの怒鳴り声まで聞こえる。
「鍋を傾けるな! 飯は戦力だと言っただろうが!」
もう完全に軍の補給担当みたいになっている。
俺は思わず笑った。
西区倉庫へ向かうと、そこには予想以上の人が集まっていた。
南区の若者たち。
商会の作業員。
騎士団の工兵。
貴族の護衛らしき者たちまでいる。
ミレーユが中心で指示を出していた。
「木材は採石場の東側へ。縄と杭は別の馬車に。荷車は壊れてもいいものを選んでください。新品は最後の手段です」
リリアナもいた。
馬車に座ったままだが、地図を広げて騎士たちへ指示を出している。
「団長、また無理してますね」
俺が言うと、リリアナは平然と答えた。
「寝ているより役に立つ」
「セラフィナ様に言いつけますよ」
「それは卑怯だ」
「効くんですね」
リリアナは少しだけ視線を逸らした。
強い人ほど、止める人が必要なのかもしれない。
俺は地図の前に立った。
そこには旧採石場までの作業計画が書き込まれている。
ミレーユが言う。
「資材は八割確保できました。残りは貴族区から出させます」
「出してくれます?」
「名誉、発言権、復興利権。この三つを並べれば、大抵の貴族は動きます」
「怖いなぁ」
「褒め言葉として受け取ります」
ガルドが報告する。
「作業員は七十名。騎士団から護衛二十。交代制で夜通し作業する」
「南区からも来てくれたんですね」
俺が見ると、南区の若者たちは少し気まずそうにしていた。
その中の一人が口を開く。
「バルロ爺が行けって言ったんだ」
「俺たちの家族を逃がす道を作るなら、手ぐらい貸せって」
「騎士団は嫌いだけど、飯と水は本当に来たしな」
疑いはまだある。
でも、協力してくれている。
それだけで十分だった。
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、若者たちは慌てた。
「やめろよ、気持ち悪い」
「別にお前のためじゃねぇし」
「俺らのためだし」
「それでいいです」
本当に、それでいい。
人は綺麗な理由だけで動くわけじゃない。
家族を守りたい。
飯を食いたい。
損したくない。
名誉が欲しい。
怒られたくない。
そういう理由が全部集まって、街を救う力になる。
金色の線が、旧採石場へ太く伸びていく。
◇
作業は夜通し続いた。
俺は採石場に入り、線を見ながら配置を指示した。
「この荷車はもっと左。黒霧の門番が正面を避けるなら、ここで道を絞る」
「木材を縦に立てないでください。ぶつかったら折れます。斜めに噛ませて」
「この足場は壊さない。安全そうに見せるために残す」
「でも、本当に安全だと思って作業員が乗ると危ないので、印をつけてください」
「退避路はここ。絶対に荷物を置かないで」
騎士団の工兵は、最初こそ半信半疑だった。
だが、何度か俺の指示通りに補強した場所がうまく噛み合うと、だんだん目つきが変わった。
「この配置、確かに獣の進路を絞れるぞ」
「崩落点も読みやすい」
「何なんだ、あの男のスキルは」
聞こえている。
でも今は気にしない。
トマは地形図に必死で書き込み、ミレーユは資材の消費を管理し、ガルドは護衛を配置していた。
途中、森の方から何度か黒い気配が近づいた。
だが、騎士たちが松明を増やし、見張りを厚くすると、すぐに引いていった。
敵も見ている。
こちらが罠を作っていることを、おそらく知っている。
それでも作るしかない。
夜明け前、ようやく罠の骨格ができた。
旧採石場の中央へ向かう誘導路。
左右を塞ぐ荷車と木材。
大穴の手前に残された偽の足場。
その奥に隠した崩落用の切り込み。
そして、味方が逃げるための退避路。
完璧ではない。
でも、形にはなった。
俺の頭に表示が浮かぶ。
【旧採石場誘導罠:基礎構築完了】
【大型個体対応成功率:三十一パーセント → 五十六パーセント】
【都市崩壊回避成功率:七十四パーセント → 七十九パーセント】
「七十九……」
かなり来た。
でも、まだ足りない。
あと一押し。
あと何かが必要だ。
その時、森の奥から鳥が一斉に飛び立った。
ガルドが剣に手をかける。
「また偵察か」
俺は金色の線を見る。
いや、違う。
赤線は森からではなく、街の内側から伸びていた。
西区。
避難所。
そこに赤い点が集まっている。
俺の血の気が引いた。
【緊急警告】
【西区避難所に敵性反応】
【目的:避難民の混乱誘発】
「西区避難所……!」
ミレーユの顔色が変わる。
「避難所を狙われた?」
ガルドが叫ぶ。
「部隊を戻す!」
俺の視界に、さらに表示が重なる。
【火災発生リスク】
【食糧倉庫焼失時、避難計画崩壊】
バルロの炊事場。
避難民。
水と飯。
やっと作った安心の場所。
そこを燃やされる。
「まずい」
俺は走り出した。
体は重い。
喉も痛い。
でも、足は止まらなかった。
街を壊す敵は、正面からだけ来ない。
こちらが罠を作っている間に、避難所を狙ってきた。
人がようやく信じ始めた場所を燃やせば、避難は崩れる。
金色の線が西区へ伸びる。
赤い線が、その先で燃えるように揺れている。
七日後の崩壊まで、残り三日。
罠はでき始めた。
だが敵は、俺たちの背中に火をつけようとしていた。




