平凡な身に微かな光
平凡こそが佐藤悠真の人生そのものだった。
異世界エルステリア帝国に召喚された彼は、最底辺のE級勇者と宣告され、嘲笑を浴びていた。
彼はただ、穏やかに安心して過ごせる場所を求めていた。
そんな彼のもとへ、天使のような長皇女リゼロットが、微かな光をもたらしてくれる。
広場の風がそびえ立つ石柱をそっとなで、先ほどの喧騒と辛辣な嘲笑をさらっていった。
夜が深まり、冷たい白い月光が青い石畳に降り注ぎ、雄大だが冷たい王宮広場に柔らかい輝きを投げかけていた。
先ほどの刺々しい騒ぎは、ようやく穏やかに静まり返っていた
佐藤悠真は相変わらず群衆の最後尾に立ち、何度も使って少し傷んだリュックを両手で強く抱えていた。
中には東京から持ってきた教科書や問題集が入っており、それが故郷の世界とのわずかな繋がりだった。
彼は軽くうつむき、前髪で目元を隠し、心の動きを悟られないようにしていた。
輪郭はごく平凡で、まるで目立たない雑草のように、ひっそりと隅に佇み、できるだけ存在感を消そうとしていた。
周りの人々は、すでに先ほどの緊張した雰囲気を忘れ、それぞれ思いにふけっていた。
A級と判定された山下健太は、仲の良いクラスメイトに囲まれ、抑えきれない得意げな笑みを浮かべながら、時折隅の佐藤悠真を斜めに睨んでいた。
露骨ではないものの、軽蔑の眼差しははっきりと伝わってくる。
S級の落ち着いた男子は群衆の前に立ち、眉を少し寄せ、異世界での身の振り方を考えているようだった。
他の女子たちは肩を寄せ合って小さくすすり泣き、遠く離れた日本の家族を思い、瞳を赤く腫らしていた。
普段から内気な生徒も、同じくらいのランクの者たちと寄り添い、励まし合い、見知らぬ世界でわずかな安心を得ようとしていた。
誰一人、佐藤悠真に近づこうとはしない。
誰一人、彼に話しかけようともしない。
それが、かえって悠真にとっては都合の良い状況だった。
彼はもともと騒がしさが苦手で、嫌がらせのような視線や嘲笑の言葉にうんざりしていた。
東京の大学でもそうだった。
一人きりで、サークルに入ることもなく、群れることもなく、成績も平凡、見た目も平凡、人混みに紛れたらすぐに見つからなくなる存在。
そんな平凡な日々が、二十年間続いてきた。
剣と魔法の世界、勇者が求められるこの異世界に来ても、彼はただ目立たない存在でいたかった。
穏やかに面倒事に巻き込まれず、注目もされず、それだけで十分だった。
さっき、皆に囲まれて笑われ、山下健太に馬鹿にされた光景がまだ鮮明に脳裏に焼きついている
その言葉は細い針のように心に刺さるわけではないが、非常に心地悪かった。
だが彼はもうこんな扱いには慣れっこになっていた
学生の頃から、内気で無口なせいで周りから無視され、悪戯されることもあった。
彼は一度も反抗せず、ただ黙って耐え、誰もいない場所に隠れて気持ちを落ち着けてきた。
彼にとっては、争うくらいなら、弁明するくらいなら、静かにしていた方が、すべての面倒がなくなるのだ。
再び風が吹き、王宮の庭からほのかな花の香りが漂ってくる。
土と草木のにおいが混ざり、東京の車の排気ガスや人混みの騒がしさとはまったく違っていた。
ここの空気は清らかだが、あまりに見知らぬため、不安を覚えた。
佐藤悠真はそっと息を吸い、指をわずかに握りしめ、リュックの紐を強く握って、視線をそっと周りに巡らせた。
天まで届きそうな城の塔は夜空にそびえ、窓からは暖かい灯りが漏れ、夜空の星々と輝きを競っている。
銀の鎧をまとった騎士は槍を手に、石柱の脇にまっすぐ立っていた。
姿勢は凛々しく、目つきは厳かで、鎧は月光の下で冷たい金属光を放っている。
薄い灰色の従者服を着た召使いたちは、広場の片側に整列し頭を下げ、恭しく指示を待っていた。
ここはエルステリア帝国。
彼が一度も想像したことのない異世界だ。
電車も、スマホも慣れた教室も単調だけど安らかな日常も、もうどこにもない。
あるのは魔法と、城と、魔物と、いわゆる勇者としての宿命だけ。
そして彼は、この世界で最も底辺のE級勇者。
誰からも、お荷物だと見なされている存在。
「勇者の皆様、こちらから宿舎へご案内いたします」
厳かで恭しい声が広場の静寂を破り、従者の長が一歩前に出て頭を下げた。
穏やかな声が、人々のそれぞれの思いに水を差した。
見知らぬ土地で身を落ち着けられる場所が、今は誰もが一番望んでいたことだった。
従者はゆっくりと、部屋の割り振りをはっきりと告げた。
声は広場の隅々まで響き、完全にこの世界の実力主義のルールに従っていた。
「S級、A級の皆様は東側の貴賓室へご案内します。
設備は完備し、環境も静かで、専属の従者がお供します。
B級、C級の皆様は南側の一般客室へ。
部屋は広々としており、必要なものはすべて用意してあります。
それ以外の方は西側の簡易客室にお入りください。
豪華ではありませんが、清潔で整っています」
ルールが告げ終わると、群衆は一斉に動き出した。
S級とA級の者たちは、当然のように誇らしげに従者に従って進み、広場の東側、柔らかい絨毯が敷かれた通路へ向かった。
沿道の騎士たちは一斉に頭を下げ、まったく異なる扱いを受けている。
B級、C級の者たちも続いて、談笑しながら南側へ向かい、表情はずいぶんと安心していた。
残りの十数人は、ランクは高くないものの、とりあえず身を落ち着ける場所ができ、従者に続いて西側へと進んでいった。
やがて広場には、ほとんど人がいなくなった。
佐藤悠真は立ち去っていく人々を眺め、足を少し動かして、最後の集団について西側の簡易客室へ向かおうとした。
彼は今は何も望まない。ただ身を落ち着けられる場所がほしい。
穏やかに住まい、心地の悪い視線を避けられれば、それだけで十分だった。
彼は柱に沿って、できるだけ目立たず歩こうとした。
その瞬間――
「少々お待ちください」
月光が流れるように柔らかく、春風が湖面を掠めるような声が、ゆっくりと響いた。
わざと大きくすることもなく、威圧感も一切ないのに、不思議と透き通るような力があり、
今にも動き出そうとしていた人々を、一瞬で止めた。
先ほどまでざわついていた通路は、一瞬にして針の音も落ちるほど静かになった。
誰もが思わず振り返り、声のする方向を見上げた。
壇の上から、白い姿がゆっくりと歩みを進め、階段を下りてくる。
リゼロット。
エルステリア帝国の長皇女で、天使のように美しい少女だ。
彼女は従者を一人も従えず、ただ一人で高い階段を降りてくる。
雪のように白い髪は闇の中で柔らかな光を放ち、風になびく幾筋かの髪が、透き通るように白い肌を撫でる。
薄い白のドレスは裾が幾重にも重なり、足を運ぶたびにゆっくりと揺れ、まるで月光が降り注いでいるかのように、
一歩一歩が軽やかで優雅だ。まるで夢のような美しさに、人は思わず息を飲み、邪魔をしてはいけないと感じさせる。
薄い瑠璃色の瞳は澄み切って清らかで、まるで山の奥の泉のように、
王家の傲慢さもよそよそしさも一切なく、穏やかな視線をゆっくりと人々に巡らせ、
最終的に、群衆の一番後ろで、こっそりと逃げようとしていた姿に、ぴったりと注がれた。
佐藤悠真のことだ。
一瞬にして、会場中の視線が一斉に悠真に集まった。
先ほどまで散っていた注目が、再びすべて彼に向けられる。
好奇心、疑い、軽蔑、傍観者の目線が、まるで一つの網のように彼を包み込んだ。
佐藤悠真の体は、一瞬で硬直してしまった。
もう一歩も足が動かない。手のひらには冷や汗がにじみ、リュックの紐を強く握りしめた指が、わずかに青白くなった。
心拍数は抑えきれずに上がり、ドキドキという音が、静まり返った広場にも聞こえてきそうだった。
どうして……どうしてまた、私だけを見ているの?
彼は心の中でつぶやき、頭をさらに低くして、地面に穴が開いて隠れたいと思った。
ただ静かにそこを離れたいだけなのに。
ただ、質素な部屋に隠れて、異世界の初めての夜を過ごしたいだけなのに。
もう注目されたくない、陰口を叩かれたくない、息苦しい視線を浴びたくない。
だが、姫君はどういうわけか、彼だけを見ていた。
リゼロットはゆっくりと階段を下り、軽やかな足取りで佐藤悠真の方へ近づいてくる。
道中の騎士と従者たちは一斉に片膝をつき、敬いの気持ちを込めて一礼する。
「リゼロット殿下!」
彼女は軽く頷いて立ち上がらせ、視線を一度も悠真から逸らすことなく、穏やかに、しかし優しく見つめていた。
嫌悪も軽蔑も一切なく、ただ純粋な優しさだけが宿っていた。
やがて、彼女は悠真のすぐ前まで来て、足を止めた。
二人の距離は、わずか一歩分しかない。
佐藤悠真には、彼女の身にまとう柔らかい花の香りがはっきりと感じられた。
清らかで上品で、とても心地が良い。
彼は、白いドレスの裾にある細やかな金色の模様が、月光に照らされて細かく輝いているのが見えた。
そして、彼女の瑠璃色の瞳に映る自分の姿が、極めてちっぽけで、平凡な姿であることまで、はっきりとわかった。
彼は緊張して上を向くことができず、彼女の視線を避け、ただじっと地面を見つめていた。
耳たぶからは思わず熱がこみ上げ、顔全体がわずかに赤く染まってくる。
周りからは、再びひそひそとした囁き声が上がった。
「どういうこと?殿下はなぜあいつだけを呼び止めたんだ?」
「E級のくせに、何の価値もない男に、殿下が自らお出になるなんて」
「もしかしたら、ランクが低すぎて追い出すつもりだとか?」
「きっと部屋すら与える気がないんだ。だって、あいつはただのお荷物だもの」
細々とした嘲笑と疑いの声が耳に届き、細い針のように再び心を刺す。
佐藤悠真の指はわずかに震えたが、それでも唇を噛み締めて、黙って耐えていた。
リゼロットは軽く眉を顰め、瑠璃色の瞳を周りに一瞬だけ動かした。
そのわずかな動作だけで、ざわついていた声は一瞬で消え失せた。
誰もが口を噤み、二度と声を出すものはいなくなった。
見た目は柔らかいこの姫君が、帝国の中で非常に高い威望を持っていることがはっきりとわかった。
彼女の言葉には、誰も逆らうことができないのだ。
それからリゼロットは少し頭を下げ、声を限りなく小さく、柔らかく、
まるで羽根が耳元に触れるかのように、ゆっくりと話しかけた。
「佐藤様、申し訳ありません。お暇を取らせてしまいました」
佐藤悠真は一瞬、呆気にとられ、まさか彼女から謝られるとは思わなかった。
慌てて頭を振り、蚊の鳴くような小さな声で答える。
「い、いえ……殿下、とんでもございません」
「本日は突然皆様をお呼びしたため、準備が及ばず、王宮の客室は予想以上に満室になってしまいました」
リゼロットの声は相変わらず穏やかで、わずかに申し訳なさを込め、目元を優しく閉じ、誠実に語りかける。
「西側の簡易客室は、すべて埋まってしまい、用意できなくなってしまいました。
どうか、お休みになる場所がなく、お困らせしてしまい、申し訳ありません」
この言葉を聞いて、周りの人々の視線はさらに複雑になった。
やっぱり、E級のあいつには部屋を与えないのだ。
何の価値もない勇者なんて、いらない存在なのだ。
佐藤悠真自身は、少しも不満に思っていなかった。むしろ、自分が邪魔をしているように感じて、慌てて手を振った。
「大丈夫です!殿下、本当に大丈夫です!
廊下で一晩過ごしても構いませんし、どこか隅で休ませてもらえれば、それだけで十分です。
どうか、ご心配なさらないでください!」
彼は、自分がこの場で面倒を引き起こし、優しい姫君を困らせたくない一心で、必死に弁明した。
彼はもともと目立たない普通の人間だ。
王宮の一角でも、休ませてもらえれば、それだけで十分満足だ。
自分のせいで、誰も困るなんて、絶対に嫌だった。
だがリゼロットは、優しく頭を振り、真剣な眼差しで彼を見つめ、
穏やかだが、断りがたい優しさで語った。
「それはいけません」
「佐藤様は、異世界から遠く来てくださったお客様であり、第三章 平凡な身に、微かな光
広場の風がそびえ立つ石柱をそっとなで、先ほどの喧騒と辛辣な嘲笑をさらっていった。
夜が深まり、冷たい白い月光が青い石畳に降り注ぎ、雄大だが冷たい王宮広場に柔らかい輝きを投げかけていた。
先ほどの刺々しい騒ぎは、ようやく穏やかに静まり返っていた。
佐藤悠真は相変わらず群衆の最後尾に立ち、何度も使って少し傷んだリュックを両手で強く抱えていた。
中には東京から持ってきた教科書や問題集が入っており、それが故郷の世界とのわずかな繋がりだった。
彼は軽くうつむき、前髪で目元を隠し、心の動きを悟られないようにしていた。
輪郭はごく平凡で、まるで目立たない雑草のように、ひっそりと隅に佇み、できるだけ存在感を消そうとしていた。
周りの人々は、すでに先ほどの緊張した雰囲気を忘れ、それぞれ思いにふけっていた。
A級と判定された山下健太は、仲の良いクラスメイトに囲まれ、抑えきれない得意げな笑みを浮かべながら、時折隅の佐藤悠真を斜めに睨んでいた。
露骨ではないものの、軽蔑の眼差しははっきりと伝わってくる。
S級の落ち着いた男子は群衆の前に立ち、眉を少し寄せ、異世界での身の振り方を考えているようだった。
他の女子たちは肩を寄せ合って小さくすすり泣き、遠く離れた日本の家族を思い、瞳を赤く腫らしていた。
普段から内気な生徒も、同じくらいのランクの者たちと寄り添い、励まし合い、見知らぬ世界でわずかな安心を得ようとしていた。
誰一人、佐藤悠真に近づこうとはしない。
誰一人、彼に話しかけようともしない。
それが、かえって悠真にとっては都合の良い状況だった。
彼はもともと騒がしさが苦手で、嫌がらせのような視線や嘲笑の言葉にうんざりしていた。
東京の大学でもそうだった。
一人きりで、サークルに入ることもなく、群れることもなく、成績も平凡、見た目も平凡、人混みに紛れたらすぐに見つからなくなる存在。
そんな平凡な日々が、二十年間続いてきた。
剣と魔法の世界、勇者が求められるこの異世界に来ても、彼はただ目立たない存在でいたかった。
穏やかに、面倒事に巻き込まれず、注目もされず、それだけで十分だった。
さっき、皆に囲まれて笑われ、山下健太に馬鹿にされた光景が、まだ鮮明に脳裏に焼きついている。
その言葉は細い針のように心に刺さるわけではないが、非常に心地悪かった。
だが彼は、もうこんな扱いには慣れっこになっていた。
学生の頃から、内気で無口なせいで周りから無視され、悪戯されることもあった。
彼は一度も反抗せず、ただ黙って耐え、誰もいない場所に隠れて気持ちを落ち着けてきた。
彼にとっては、争うくらいなら、弁明するくらいなら、静かにしていた方が、すべての面倒がなくなるのだ。
再び風が吹き、王宮の庭からほのかな花の香りが漂ってくる。
土と草木のにおいが混ざり、東京の車の排気ガスや人混みの騒がしさとはまったく違っていた。
ここの空気は清らかだが、あまりに見知らぬため、不安を覚えた。
佐藤悠真はそっと息を吸い、指をわずかに握りしめ、リュックの紐を強く握って、視線をそっと周りに巡らせた。
天まで届きそうな城の塔は夜空にそびえ、窓からは暖かい灯りが漏れ、夜空の星々と輝きを競っている。
銀の鎧をまとった騎士は槍を手に、石柱の脇にまっすぐ立っていた。
姿勢は凛々しく、目つきは厳かで、鎧は月光の下で冷たい金属光を放っている。
薄い灰色の従者服を着た召使いたちは、広場の片側に整列し、頭を下げ、恭しく指示を待っていた。
ここはエルステリア帝国。
彼が一度も想像したことのない異世界だ。
電車も、スマホも、慣れた教室も、単調だけど安らかな日常も、もうどこにもない。
あるのは魔法と、城と、魔物と、いわゆる勇者としての宿命だけ。
そして彼は、この世界で最も底辺のE級勇者。
誰からも、お荷物だと見なされている存在。
「勇者の皆様、こちらから宿舎へご案内いたします」
厳かで恭しい声が広場の静寂を破り、従者の長が一歩前に出て頭を下げた。
穏やかな声が、人々のそれぞれの思いに水を差した。
見知らぬ土地で身を落ち着けられる場所が、今は誰もが一番望んでいたことだった。
従者はゆっくりと、部屋の割り振りをはっきりと告げた。
声は広場の隅々まで響き、完全にこの世界の実力主義のルールに従っていた。
「S級、A級の皆様は東側の貴賓室へご案内します。
設備は完備し、環境も静かで、専属の従者がお供します。
B級、C級の皆様は南側の一般客室へ。
部屋は広々としており、必要なものはすべて用意してあります。
それ以外の方は西側の簡易客室にお入りください。
豪華ではありませんが、清潔で整っています」
ルールが告げ終わると、群衆は一斉に動き出した。
S級とA級の者たちは、当然のように誇らしげに従者に従って進み、広場の東側、柔らかい絨毯が敷かれた通路へ向かった。
沿道の騎士たちは一斉に頭を下げ、まったく異なる扱いを受けている。
B級、C級の者たちも続いて、談笑しながら南側へ向かい、表情はずいぶんと安心していた。
残りの十数人は、ランクは高くないものの、とりあえず身を落ち着ける場所ができ、従者に続いて西側へと進んでいった。
やがて広場には、ほとんど人がいなくなった。
佐藤悠真は立ち去っていく人々を眺め、足を少し動かして、最後の集団について西側の簡易客室へ向かおうとした。
彼は今は何も望まない。ただ身を落ち着けられる場所がほしい。
穏やかに住まい、心地の悪い視線を避けられれば、それだけで十分だった。
彼は柱に沿って、できるだけ目立たず歩こうとした。
その瞬間――
「少々お待ちください」
月光が流れるように柔らかく、春風が湖面を掠めるような声が、ゆっくりと響いた。
わざと大きくすることもなく、威圧感も一切ないのに、不思議と透き通るような力があり、
今にも動き出そうとしていた人々を、一瞬で止めた。
先ほどまでざわついていた通路は、一瞬にして針の音も落ちるほど静かになった。
誰もが思わず振り返り、声のする方向を見上げた。
壇の上から、白い姿がゆっくりと歩みを進め、階段を下りてくる。
リゼロット。
エルステリア帝国の長皇女で、天使のように美しい少女だ。
彼女は従者を一人も従えず、ただ一人で高い階段を降りてくる。
雪のように白い髪は闇の中で柔らかな光を放ち、風になびく幾筋かの髪が、透き通るように白い肌を撫でる。
薄い白のドレスは裾が幾重にも重なり、足を運ぶたびにゆっくりと揺れ、まるで月光が降り注いでいるかのように、
一歩一歩が軽やかで優雅だ。まるで夢のような美しさに、人は思わず息を飲み、邪魔をしてはいけないと感じさせる。
薄い瑠璃色の瞳は澄み切って清らかで、まるで山の奥の泉のように、
王家の傲慢さもよそよそしさも一切なく、穏やかな視線をゆっくりと人々に巡らせ、
最終的に、群衆の一番後ろで、こっそりと逃げようとしていた姿に、ぴったりと注がれた。
佐藤悠真のことだ。
一瞬にして、会場中の視線が一斉に悠真に集まった。
先ほどまで散っていた注目が、再びすべて彼に向けられる。
好奇心、疑い、軽蔑、傍観者の目線が、まるで一つの網のように彼を包み込んだ。
佐藤悠真の体は、一瞬で硬直してしまった。
もう一歩も足が動かない。手のひらには冷や汗がにじみ、リュックの紐を強く握りしめた指が、わずかに青白くなった。
心拍数は抑えきれずに上がり、ドキドキという音が、静まり返った広場にも聞こえてきそうだった。
どうして……どうしてまた、私だけを見ているの?
彼は心の中でつぶやき、頭をさらに低くして、地面に穴が開いて隠れたいと思った。
ただ静かにそこを離れたいだけなのに。
ただ、質素な部屋に隠れて、異世界の初めての夜を過ごしたいだけなのに。
もう注目されたくない、陰口を叩かれたくない、息苦しい視線を浴びたくない。
だが、姫君はどういうわけか、彼だけを見ていた。
リゼロットはゆっくりと階段を下り、軽やかな足取りで佐藤悠真の方へ近づいてくる。
道中の騎士と従者たちは一斉に片膝をつき、敬いの気持ちを込めて一礼する。
「リゼロット殿下!」
彼女は軽く頷いて立ち上がらせ、視線を一度も悠真から逸らすことなく、穏やかに、しかし優しく見つめていた。
嫌悪も軽蔑も一切なく、ただ純粋な優しさだけが宿っていた。
やがて、彼女は悠真のすぐ前まで来て、足を止めた。
二人の距離は、わずか一歩分しかない。
佐藤悠真には、彼女の身にまとう柔らかい花の香りがはっきりと感じられた。
清らかで上品で、とても心地が良い。
彼は、白いドレスの裾にある細やかな金色の模様が、月光に照らされて細かく輝いているのが見えた。
そして、彼女の瑠璃色の瞳に映る自分の姿が、極めてちっぽけで、平凡な姿であることまで、はっきりとわかった。
彼は緊張して上を向くことができず、彼女の視線を避け、ただじっと地面を見つめていた。
耳たぶからは思わず熱がこみ上げ、顔全体がわずかに赤く染まってくる。
周りからは、再びひそひそとした囁き声が上がった。
「どういうこと?殿下はなぜあいつだけを呼び止めたんだ?」
「E級のくせに、何の価値もない男に、殿下が自らお出になるなんて」
「もしかしたら、ランクが低すぎて追い出すつもりだとか?」
「きっと部屋すら与える気がないんだ。だって、あいつはただのお荷物だもの」
細々とした嘲笑と疑いの声が耳に届き、細い針のように再び心を刺す。
佐藤悠真の指はわずかに震えたが、それでも唇を噛み締めて、黙って耐えていた。
リゼロットは軽く眉を顰め、瑠璃色の瞳を周りに一瞬だけ動かした。
そのわずかな動作だけで、ざわついていた声は一瞬で消え失せた。
誰もが口を噤み、二度と声を出すものはいなくなった。
見た目は柔らかいこの姫君が、帝国の中で非常に高い威望を持っていることがはっきりとわかった。
彼女の言葉には、誰も逆らうことができないのだ。
それからリゼロットは少し頭を下げ、声を限りなく小さく、柔らかく、
まるで羽根が耳元に触れるかのように、ゆっくりと話しかけた。
「佐藤様、申し訳ありません。お暇を取らせてしまいました」
佐藤悠真は一瞬、呆気にとられ、まさか彼女から謝られるとは思わなかった。
慌てて頭を振り、蚊の鳴くような小さな声で答える。
「い、いえ……殿下、とんでもございません」
「本日は突然皆様をお呼びしたため、準備が及ばず、王宮の客室は予想以上に満室になってしまいました」
リゼロットの声は相変わらず穏やかで、わずかに申し訳なさを込め、目元を優しく閉じ、誠実に語りかける。
「西側の簡易客室は、すべて埋まってしまい、用意できなくなってしまいました。
どうか、お休みになる場所がなく、お困らせしてしまい、申し訳ありません」
この言葉を聞いて、周りの人々の視線はさらに複雑になった。
やっぱり、E級のあいつには部屋を与えないのだ。
何の価値もない勇者なんて、いらない存在なのだ。
佐藤悠真自身は、少しも不満に思っていなかった。むしろ、自分が邪魔をしているように感じて、慌てて手を振った。
「大丈夫です!殿下、本当に大丈夫です!
廊下で一晩過ごしても構いませんし、どこか隅で休ませてもらえれば、それだけで十分です。
どうか、ご心配なさらないでください!」
彼は、自分がこの場で面倒を引き起こし、優しい姫君を困らせたくない一心で、必死に弁明した。
彼はもともと目立たない普通の人間だ。
王宮の一角でも、休ませてもらえれば、それだけで十分満足だ。
自分のせいで、誰も困るなんて、絶対に嫌だった。
だがリゼロットは、優しく頭を振り、真剣な眼差しで彼を見つめ、
穏やかだが、断りがたい優しさで語った。
「それはいけません」
「佐藤様、
遙か遠き異世界よりこの国へお越しくださいました
貴方は私共の大切な御客様であり、
魔物の脅威から人々を護るための英雄でいらっしゃいます
どうぞ御気遣いなさらず、安心してお過ごしください。
異世界に召喚され、E級と笑われた佐藤悠真。
彼はただ穏やかに暮らせる場所を求めていた。
長皇女リゼロットは、彼を等級ではかることなく優しく迎え入れ、自らの寝殿の隣に泊めてくれる。
平凡でも、誰もが大切にされていい。
そんな想いを込めて、この物語を書きました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




