夏便り、海より(三)
それからしばらく、三人は小聿が海蘭で過ごした日々についてや、二人が過ごした夏について語り合った。
話がひと区切りついたところで、小聿は手にしていた茶杯を静かに卓へ戻した。何かを言おうとして一度口を開き、けれど結局何も言わず、庭へと視線を逸らす。
その不自然な様子を、美瑚は目敏く見つけた。
「どうしたの、小聿?」
「……いや」
「何か言いたそう」
「…………」
小聿はしばらく黙っていたが、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「実は、二人に少し聞きたいことがある」
「何?」
美瑚が身を乗り出し、星那も不思議そうに小首を傾げる。
小聿は立ち上がると、奥の棚に置いてある細長い小箱を持って卓へ戻ってきた。二人の手巾を包んでいたものより、ずっと小さく、上等な作りの箱だった。
「海蘭で、ある人への礼にと思って求めたものなのだが……」
小聿は小箱を卓上へ置いたものの、すぐには蓋を開こうとしなかった。
「娘御へ、このようなものを贈るのは……やはり、不自然だろうか」
「娘御?」
美瑚の瞳が、途端に好奇心で輝いた。
「誰にあげるの?」
「……誰でもよいだろう。そなたには関係ない。私が尋ねているのは、贈り物として相応しいかどうかだ」
「中身も見ていないのに、分からないよ」
「それは、そうだが……」
小聿はしばし躊躇った末、観念したように小箱の蓋を開いた。
中には、白銀の細工に深い緑の翡翠を嵌め込んだ髪留めが収められていた。銀の蔓が細やかに絡み合い、その中央で、磨き上げられた翡翠が海蘭の深い森を閉じ込めたように静かな光を湛えている。
「わぁ……綺麗」
美瑚が感嘆の声を漏らす。
対して、星那は驚いたように目を見開いた。
「小聿さま。こちらを、その……娘御へお贈りになるのですか?」
「ああ。旅立つ前に背中を押してくれた、その礼としてね。だが、髪飾りは伴侶や、特別に思う相手へ贈ることが多いだろう。だから、妙な意味に受け取られはしないかと思って……」
「受け取られると思います」
星那は迷うことなく答えた。
「やはり、そうか……」
「わたくしでしたら、親しくしている殿方からこのように美しい髪留めをいただけば、自分は特別な相手として思われているのだろうかと考えてしまいます」
「美瑚もそう思う。お土産っていうより、『好きです』って渡すものに見えるよ」
「……そこまでか」
小聿は深刻そうな面持ちで、箱に収まる翡翠を見つめた。
「でも、とても綺麗。きっと、その人に似合うと思って選んだんでしょう?」
「ああ。それは間違いないと思う」
「どんな髪色なの?」
「なぜ、それを聞く」
「だって、この緑が本当に似合うか考えるのに、髪の色は大事でしょう?」
もっともらしい美瑚の言葉に、小聿は小箱へ視線を落とした。深い緑の翡翠。その色を潮洋の店先で見つけた瞬間、脳裏に浮かんだのは、鮮やかな赤い髪だった。
「……赤」
答えた直後、小聿は、はっと顔を上げた。
「あ……」
「赤い髪?」
美瑚がぱちぱちと目を瞬かせる。
「赤い髪の女の子って……」
星那も何かに気づいたらしく、小聿と髪留めを交互に見つめた。
「待ってほしい。違う」
「赤じゃないの?」
「…………赤だが……」
「ふぅん」
小さく声を漏らし、美瑚はその梔子色の瞳を輝かせた。
「赤い髪で、小聿と仲のいい女の子なんだね」
「私は、その娘御と親しいとは一言も言っていない」
「親しくない人に、こんな髪留めをあげるの?」
「親しくないとも言っていない」
「じゃあ、親しいんでしょう?」
「……そなたは、なぜそう極端なのだ」
小聿は困ったように眉を寄せる。
「そもそも、そなたが私の交友関係をすべて把握しているわけではないだろう。赤い髪の娘御など、聖都にはほかにも大勢いる」
「小聿が、その人に似合う髪留めを選ぶくらい仲のいい子も?」
「いるかもしれない」
「誰?」
「なぜ、それをそなたに教えねばならない」
「本当にいるの?」
「……可能性の話をしているのだ。今は特定の誰かがいるかどうかを論じているのではない」
「でも、この髪留めを渡す相手はいるんでしょう?」
「…………」
美瑚の問いに、小聿は黙り込んだ。
「美瑚が知っている赤い髪の女の子で、小聿と仲がいいのは、あの二人くらいだけどなぁ」
美瑚は考えるように首を傾げた。
「どっち?」
「…………」
「お姉ちゃんの方?妹の方?」
「どちらであるとも言っていない」
「露華ちゃん?」
「違う」
反射的に答えてから、小聿は、はっと息を呑んだ。
美瑚の顔に、満面の笑みが広がっていく。
「じゃあ、水織ちゃんだ!」
「…………」
「水織ちゃんにあげるんでしょう?」
「……今の問いは、二者択一として成立していない。露ちゃんではないからといって、もう一方が水織どのだと決まるわけではないだろう」
「でも、水織ちゃんなんでしょう?」
「私が言っているのは、推論の過程に不備があるということだ」
「そういう難しいこと言われても、美瑚はわかんない。ねぇ、当たり?」
「……そなたは、少し黙っていられないのか」
「当たってるんだ!」
「黙りなさい」
小聿は逃げるように茉莉花茶の杯へ手を伸ばした。
「星那ちゃん。水織ちゃんだって」
「そのようですね」
「星那どのまで……」
星那は口元へ手を添え、困ったように、けれどどこか楽しそうに微笑んでいる。
小聿は冷たい茶を一口含み、火照った頬をどうにか鎮めようとした。だが、杯を持つ指先までわずかに落ち着きを失っていることに、美瑚はとうに気づいていた。




