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TRUE♰LIE  作者: 410
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燻る苦み

 病院の屋上。


 重々しい扉のノブを回すと、夜の空気が肺に刺さった。


 柵にもたれ、ポケットから煙草を取り出す。


 火をつけて深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


 煙が風に流れて、闇に溶けていった。


 ひとまず、柚紀の容体は安定している。


 それは、確かに救いだった。


 だが、胸の奥にまだ消えないものがある。


(あの口ぶり)


 思い出すだけで、胃の底が冷える。


(中央裁定局も、一枚噛んでいたんだろうな)


 藍田さんがトップだった間、研究は黙認され、支援すら受けていた。


 だが、俺が証拠を揃えたことで、このまま肩を持てば――今度は自分たちが危うくなる。


 だから、切り捨てた。


 藍田さんを。

 

 現場を。


(結局、ブレーキを踏んだ理由は――倫理じゃない。損得だ)


 煙を吐き出す。


 いつもは味わい深く感じていた苦みも、今夜だけはそうは思えなかった。


「ここにいたんですね」


 振り向くと、橘が立っていた。


「橘」


「柚紀くんは?」


「……とりあえず、体調は大丈夫そうだった」

 

「それはよかった」


 橘は小さく頷いた。


 橘の視線を感じたが、目を合わせる気にはなれなかった。


 夜風が、煙を細く揺らす。


「……あなたの言った通りでしたね」


わずかに眉を寄せる。


「何がだ」


「スマートウォッチの保護措置です」


 橘は柵の向こうへ視線を向けた。


「作動したのは、数日前だったようです。ただ、施設内では通信が妨害されていた」


 煙草を口元から離す手が、止まった。


「……じゃあ、どうして届いた」


「一度だけ、通信の穴ができたのでしょうね」


「穴?」


「数秒にも満たないものです。その瞬間に、保留されていた緊急信号の一部が外へ抜けた」

 

 橘は淡々と続ける。


「完全な位置情報ではありませんでしたが、発信源はあなたが洗っていた候補区域と一致していた」


 橘は夜景から目を離さないまま、続けた。


「結局、最後は自分ひとりでやるつもりだったのでしょう?」


「確証が、なかったんだ」


 それ以上は何も言えなかった。


 少し前、保管棟の資料を整理していたときに見つけた、一部が焼け焦げた紙束。

 

 そこに残されていたのは、どこかの棟の図面と、施設一覧表のようなものだった。


 あの周辺に残っていた関連施設は、1つだけ。


「だから、あそこだと?」


「ええ。信号がなくても、いずれ辿り着いてはいたでしょう。ただ」


 橘はそこで言葉を区切った。


 不思議に思って横目で見ると、橘はわずかに唇を噛んでいた。


「間に合ったかどうかは、わかりません」

 

 あれは的場に依頼して、柚紀の端末へ密かに組み込ませた機能だった。


 普段は何も記録しない。


 ただし、生命の危機に近い異常を検知したときだけ、事前に登録された相手へ情報を送る。


 本人の同意は、得ていない。



『守るためとはいえ、本人に黙って仕込むのか』


 かつての的場の声が、脳裏をよぎる。


 そして、言い返した言葉もいまだに覚えている。


『あいつは、危険だと分かっていても誰かに助けを求めない』


 だから、黙って持たせた。


 正しいとは思っていなかった。


 ただ、必要になる日が来ないことを願っていた。


「ログも残っています。心拍、神経波形、音声。裁定局へ提出したものも証拠として採用されました」


「……そうか」


「藍田さんの罪を立証するには、十分でしょう」


 返す言葉が見つからず、逃げるように眼下の暗がりへ視線を落とした。


 証拠として十分だった。


 それはつまり、柚紀が十分に壊されかけたということでもある。


「ここまで計算していたんですか?」


「いや」


 首を横に振る。


「あれは保険だ。使わずに済むなら、その方がよかった」


 あと数分遅れていたら。


 考えた瞬間、胃の奥が固く縮んだ。


 新たな犠牲をもってしてはじめて、過去の犠牲を証明してしまった。


 何かを掴もうとして、結局、何も掴めていない手を見つめる。


「橘」


「はい」


「……俺は、本当に正しいことをしたんだろうか」


 橘は少しも迷わなかった。


「知りませんよ」


 あまりにきっぱりとした返答に、思わず顔を上げる。


「あなたがやると言ったから、私はついてきただけです」


 橘は一歩近づいた。


「今は、あなたがトップなんですから。しっかりしてください」


 慰める気など、微塵もない。


 背中を押すというより、立ち止まることを許さない声だった。


 短く息を吐く。


「……そうだな」


 煙草を灰皿へ押しつけ、柵から身体を離した。


「正しいかどうかは分からなくても、進むしかない」


「そういうことです」


 夜風が、二人の間を通り抜ける。


 藍田さんは、法の下に裁かれる。


 例の研究も、ここまでくれば終止符を打たざるを得ないだろう。


 だが、裁かれなかったものは、まだ中央に残っている。


「例の件は、話したんですか」


 橘の問いに、すぐには答えられなかった。


 病室の窓に映った、あの青ざめた顔を思い出す。


 あの日見たであろう、両親の事故の真相を、柚紀は忘れてしまっているようだ。


 そして、俺も話さなかった。


「……今は、まだ無理だ」


「ですが、いずれ気づきますよ」


「分かっている」


 柚紀は、真実を知れば止まらない。


 自分が傷つくと分かっていても、過去へ手を伸ばす。


 それが、あいつだ。


「だから、その前に」


 背後に煙草の残り香を残し、屋上の扉へ手をかける。


「俺たちで全部、清算するぞ」


 静かに音を立て、扉を閉じる。


 残された夜の中で、消えきらない煙だけが揺れていた。


 

「ところで、きちんと謝りました?」


 階段をくだりながら、背後から橘の声が降ってきた。


「あ? なにがだ」


「柚紀くんに、同意もなく情報を得たことですよ」


「……言えるわけないだろう」


「へぇ。まるで、どこかの隠蔽体質のようですね」


「なっ」


「どんな背景があろうと良くないことは、良くないことです」


「それはそうだが……」


「私は、信じています」


「は?」


 思わず足を止めて、振り返る。

 

 一方の橘は、躊躇いもなく俺の横を追い越し、背を向けたまま足を止めた。


「あなたが誠実に、対等に向かい合える人であること。そして、柚紀くんも」


 いつもの厳しい声色とは違う、諭すような声のトーンがあまりに予想外で、しばらく言葉を失った。


「ま、受け入れて貰えるかは別問題ですがね」

 

          ◇ ◇ ◇


 

「そう、だったんですか……」


「黙っていて、すまなかった」


 櫻井さんは気まずそうに終始目線を逸らしながらも、ゆっくりと話してくれた。


 藍田さんのことまでは予期していなかったが、特殊捜査員の立場としても、いずれ危険な目に合う可能性が高いと判断したためらしい。

 

 (あの時明滅したのは、それだったか)


「まあおかげで助けて貰ったわけですし、俺は別にいいですよ。正しいかどうかはわからないけど、きっと」


 そこで、はっと息をのんだ。


 感謝しているのも嘘ではない。 だけど、やはり正しかったとも思えない。


 両立していたがんじがらめの想いが、少し解けた気がした。


「……"必要"だったんだと思います」


「そう、か……」


 櫻井さんはその言葉を噛み締めるように、もう一度呟いた。


「そうか」


 その表情は、どこかやっと答えを見つけたような気の抜けた顔をしていた。


 じっと見つめる視線に気づいたのか、すぐにしかめっ面を取り繕っては、不満げにこう吐き捨てる。


「お前が正面から守らせてくれるなら有難いんだがな」


「げっ。勘弁してくださいよ」


「ほらみろ、橘」


「まあまあ。って、あれ?そういえば、葉月ちゃんは?」


 視線をぶつけ合う俺たちをなだめようとした橘さんが、ふと葉月の姿がないことに気づいた。


「あ、葉月なら――……」

 

「柚紀くーん!」


 答えるよりも先に、病室の扉が勢いよく開く。


 そこには、お見舞いの品々を抱えて目を潤ませた花枝さんと、その勢いに押されてたじたじになっている葉月がいた。


 先ほど病棟内で迷っていると連絡がきたので、葉月に迎えへいってもらったが、無事合流できたようで何よりだ。


「は、花枝さん。病室なのでもう少し静かに……」


「そうだった。それはそうと、大丈夫!?」


「はい。結局、書類提出できてなくてすみません」


「ん?何の話だ?」


 久しぶりに花枝さんの顔を見て、気が抜けたのか。


 うっかり休暇中に受けてしまった仕事を櫻井さんの前で、口にしてしまった。


 すかさず切り込んできた櫻井さんの鋭い指摘に、花枝さんと揃って目をそらす。


「えと、花枝さん忙しそうだったので、お手伝いを」


「花枝。あとで執務室に」


「はい……」


 がっくりと肩を落とす花枝さんに、葉月が優しく肩を撫でる。


「すみません。俺から櫻井さんに話すつもりで、言えてなくて」


「柚紀、お前もだ。休暇中は仕事をするなと言ったよな」


「すみません」


「東雲さん。そろそろ面会終了のお時間です」


 賑やかな病室の空気を破るように、点滴台を引いた看護師さんの声がした。


 いつの間にか人で溢れていた室内から、皆が連れ立って出ていく。


「じゃあまたね柚紀くん、お大事に!」


「ゆず、私もまた来るね」


「無理せず、退院の連絡きたら迎えに来るからね」


「はい、ありがとうございます」


 そして、最後に櫻井さんがドアの前で少し立ち止まった。


「約束を破った罰」


「え?」


「用意して待ってるからな」


 それだけ言うと、こちらを見ることも無く部屋を後にした。


(早く治して帰ってこい、とは言えないんだよなあ……あの人)

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