真実
目が覚めると、見慣れない天井だった。
視界がぼやけたまま、ベッド脇に視線を向けると、椅子に腰かけた人影がひとつ。
「ゆず……っ!」
葉月だった。
上体を起こした俺と目があった途端、葉月の大きな瞳から涙がポロポロとこぼれた。
「よかった。元気になったんだね」
「もう!人の心配している場合じゃないよっ!心配したんだからっ」
次の瞬間、勢いのまま強く抱き締められる。
肩口に揺れた髪から、ふわりと馴染みのある香りがした。
家で、いつも使っているシャンプーの匂い。
それだけで、張りつめていた何かが解けていくような気がした。
葉月の知らせをうけて、櫻井さんもすぐに駆けつけてきた。
その顔はいつも以上にしかめっ面だというのに、どこか瞳は潤んで見えた気がした。
互いに迂闊に口を開けないまま、秒針の音だけが響く。
頼みの綱の葉月は、この空気を知ってか知らずか。
櫻井さんに『花瓶のお水換えてきますね』と言って、あっさりと出て行ってしまった。
深く息を吸ったあと、櫻井さんは目も合わせないまま、言葉を選んだ。
「……体調は、どうだ」
「特に、大丈夫です。というか、正直よく覚えていなくて……」
それから、櫻井さんは苦い顔をしながらも、あの日のことを話してくれた。
中央裁定局。
西鈴庁のトップを任命し、不正があればその権限を剥奪できる独立機関。
あの日、リアルタイムでの裁定により藍田さんの権限は剥奪され、現在は櫻井さんがその座を引き継いでいるとのこと。
そして、著しく倫理観を欠いた今回までの一連の件は、既にメディアでも大きく報道されているらしい。
警察への信用問題から公表の是非について意見は割れたものの、櫻井さんの強い要望で事実を伏せない方針が決まった。
現在は詳細を調査中で、櫻井さん自身も記者会見で説明に追われているという。
「と、いうわけだ。何か聞いておきたいことはあるか?」
(と、言われてもなにがなんだか……)
あまりの情報量に、まだ頭の整理が追いついていなかった。
つい、柄にもなく思い浮かぶままに、声に出してしまった。
「そういえば」
「俺のことを、排除するつもりだったんじゃ……」
「はあ?なんのことをいっているんだ。お前は」
「橘さんと二人で、夜の保管庫で話してたじゃないですか。俺が『計画に邪魔』だって」
「あぁ?」
「俺、内部不正の報告をしようとして……」
「あー……っと、あれは違う」
櫻井さんは、気まずそうにうなじを掻いた。
「内部不正には、俺も薄々気づいていた。ただ、証拠がなかった」
ここまで徹底的に痕跡を消せる以上、相手は相当上の権限を持っている。
だから櫻井さんはより確実な証拠を集めるために、自分自身が権限を持てる位置まで上がる道を選んだらしい。
「まさか、藍田さんだとは思ってなかったがな。ここまで来るのに、数年もかかった」
「じゃあ、『邪魔』っていうのは……」
「お前の正義感なら、先に動くだろうと思った」
「え」
「証拠も揃ってないのに正面から詰めたって、絶対に逃げられる。だから、それまでは大人しくしていてほしかった」
櫻井さんは、小さく息を吐いた。
「ま、藍田さんの目的がお前自身だったなら、遅かれ早かれだったのかもしれないがな」
「本当に、俺の……思い違い……」
胸の奥で固まっていたものが、ゆっくりとほどけていく。
そう理解した途端、じんわりと涙がこみ上げてきた。
「当たり前だろう。お前みたいな生意気なガキ、そう簡単に俺より先に死なせるわけにはいかないからな。どうしても死にたきゃ俺より偉い立場になってから言え」
「って、アンタ今トップじゃないですか!超えられるわけなくないですか、性格悪いですよ」
「ほう。現トップにそこまで言い返せるなら、当分はまだまだ五月蠅くてかなわないな」
そう言って笑ったあと、櫻井さんは腕時計に目を落とした。
ほんの一瞬だけ、その表情が曇る。
「……悪い。そろそろ戻らないと」
立ち上がりかけて、それでもすぐには扉へ向かわなかった。
「体調、本当に大丈夫なんだな」
「大丈夫ですよ」
「無理はするなよ」
「分かってますって」
それでもまだ何か言いたそうに、櫻井さんは俺の顔を見ていた。
けれど次の瞬間には、小さく息を吐いて踵を返す。
「今はしっかり休め。また時間を作って様子を見に来る」
「あ、はい」
「じゃあな」
そう言って、櫻井さんは慌ただしく部屋を出て行った。
悪態をついた口で礼も言いそびれたまま、俺はその大きな背中が扉の向こうへ消えるのを見送った。




