裁きの刻
「それより、トレースの続きをしなさい」
いつも冷静な藍田さんが柄にもなく、顔をしかめていた。
声を荒らげているわけではないのに、一言にこもった圧が痛い。
「藍田さん……!」
「櫻井くんは黙っていてください。君の机上の正義など、もう付き合いきれません」
藍田さんが語気をわずかに強めたときだった。
「そこまでです!」
突如勢いよく開かれた扉とともに、施設内の高い空間に一人の声が響いた。
藍田さんが振り向くと、背後には数名の人影が立っていた。
そしてその奥から、一人の男が現れた。
「君たち……」
橘さんだった。
その手には、藍田さんが持っていたIDカードによく似たものが握られていた。
橘さんは目の当たりにした現場の状況に眉を寄せるが、何も答えない。
藍田さんの端末が接続されている端子の、1つ隣へ。
同じように、取り出したスマートフォンを、モニターと接続させた。
モニターが一瞬だけ明滅したが、その後は音もなく、ただ真っ黒になった。
(そうだ、ここは外部との通信が……)
しかし、予想に反して接続完了の電子音がした。
映し出されたのは、複数人接続用の無機質な画面だった。
橘さんは、姿の見えない真っ黒な画面向こうへ呼びかける。
「監査用閉域回線、接続完了」
「……そこまで持ち出しましたか」
藍田さんの問いに、橘さんは一度だけこちらを見たが、何も答えないまま、また画面に向き合った。
黒い画面には6つの枠。
その誰もが、カメラやマイクが切られている。
接続者名も、権限情報も表示されない。
静かに黒い画面の下部に、小さな文字が浮かび上がる。
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――中央裁定局
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藍田さんは、その文字を見て、わずかに目を細めた。
「……なるほど」
嘲るように、息を吐く。
見上げたモニターの先には、変わらず無機質な6つの枠があるだけ。
「あなた方でしたか」
誰も、ミュートを解除する気配すらない。
「不思議ですね」
ゆっくりと吐き出すように、言葉を続けた。
「このプロジェクトを立ち上げた時、あなた方は止めませんでした」
一度落とした視線が、再び黒い画面に向けられる。
「それどころか、支援すらしてくださいましたね。資金も、権限も」
二段に分かれた枠組みの、左上から右下まで。
6つの枠すべてを視線でなぞるが、動く気配すらない。
「成果が出ている間は、何も言いませんでした」
藍田さんの口元が、ほんの少しだけ歪む。
「……都合が悪くなったら、今度は私を破棄ですか」
誰かの答えを待っているように見えた。
だが、返事はない。
黒い画面は、沈黙を貫いたまま。
肯定も、否定も、そこにはない。
あるのは、判断だけだった。
「あなた方は」
藍田さんは、ほんの一瞬だけ笑った。
「そこで、私より綺麗な手をしているつもりですか」
その瞬間。
モニターの文字が切り替わる。
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――中央裁定局
接続確認
裁定中
承認
権限移行を開始します
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橘さんが画面を確認し、小さく頷く。
櫻井さんが一歩、前に出た。
「中央裁定局との事前協議に基づき、本件はリアルタイム裁定対象です」
藍田さんの視線が、鋭く櫻井さんを射抜く。
「……最初から、そのつもりでしたか」
「ええ」
櫻井さんは感情を乗せずに答える。
「証拠は十分に揃っていました。ただ、私には決定権がなかった」
櫻井さんの声にかぶせるように、藍田さんが続きを繋いだ。
「だから、その場で“揃う瞬間”を待った」
そして、短く笑った。
「……上手く、なりましたね」
モニターが一瞬だけ暗転し、表示が切り替わる。
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最高管理権限者:櫻井 恒一
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「権限移行、完了です」
橘さんが言った。
櫻井さんも、黙って頷いた。
「よって」
銃口が、わずかに下がる。
「藍田 圭吾。
あなたを、未成年者監禁の容疑で現行犯逮捕します」
遠くで、足音が重なったかと思うと、何十名もの人が流れ込んできた。
最前列の部隊は銃口を向け、警戒態勢。
続々と溢れる人は、慌ただしく俺たちの周りを包囲した。
観念したように、藍田さんは端末をそっと側のデスクに置いた。
櫻井さんがゆっくりと歩み寄ると、藍田さんはひとりごとのように呟く。
「君とこんな立場で向き合う日がくるとは、思いませんでした」
『お』という一言目が空気に乗ったか、否か。
少なくとも唇の動きは俺にはそう見えたが、櫻井さんはその続きを喉の奥へ押し込めるように、ただ唇を固く結んでいた。
櫻井さんが静かに手錠をかけるが、藍田さんは抵抗しなかった。
金属音が、室内に響いた。
「……結局」
連行される直前、藍田さんは呟く。
「切り捨てられるのは、いつも“現場”か」
黒い画面の文字が、静かに切り替わる。
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――接続終了
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その文字だけを残して、画面は暗転した。




