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脱走当日

それは、今思えばずいぶん都合のいい夜だった。


誰もが入浴やその手伝い、寝る前の準備で最も忙しく、

施設全体が慌ただしく入り乱れる時間帯。


俺がいつも通り、チビたちの布団を奥の部屋から運んでいた、そのときだった。


――ふっと。


施設中の照明が、一斉に落ちた。


「せんせぇ……こわいよぉ……」


暗闇の中、低い泣き声が広がる。

職員の声、走る足音。

外は豪雨。でも、停電するほどの嵐じゃない。


(……おかしい)


胸の奥に、嫌な予感が落ちる。


(もしかして……あの手紙の)


確証はなかった。

でも、もしそうなら――これが最初で、最後のチャンス。


俺は布団を近くの部屋に置き、出口を探して暗闇を進んだ。

月明かりだけを頼りに、壁に手をつきながら。


(確か……月ヶ丘の……)


思い出そうとした瞬間、頭が真っ白になる。


(……やべぇ。完全に忘れた)


そのときだった。


「相咲燐、だな」


声がした。


反射的に、身体が強張る。


見知らぬ二人の影が、月明かりの中に立っていた。


――敵か?


考えるより先に、身体が反応する。

何度も、それで命を繋いできた。


胸の奥で、あの感覚が立ち上がる。

見えない膜が、皮膚の内側からせり上がってくる。


(……使うか?)


攻撃はできない。

それでも、守れる。


たった一人でも。


その瞬間。


「……安心なさい」


静かな声が、闇を割った。


「私たちは敵じゃないわ。

だから――“それ”を使う必要はない」


言葉が、正確すぎた。


“それ”。


名前も、性質も、何も言っていないのに。

まるで、ずっと見ていたみたいに。


俺の中で膨らみかけていた感覚が、行き場を失って揺らぐ。


「そうだ」


もう一人が、続ける。


「俺たちは、攻撃する意思はない。

……君を迎えに来た」


迎えに、来た。


その言葉が、静かな波紋のように、胸の奥に落ちた。


超能力。

施設の脱走。

素性の知れない二人に連れ出される、訳の分からない状況。


それでも、その夜。


俺は初めて、

一人じゃないと思った。


 

◇ ◇ ◇

 


無線越しに、ドットの短い合図が入る。


「照明、落とします。

 3分、その間で遂行してください」


短い沈黙のあと、施設の灯りが消えた。


(……子どもたち、驚くだろうな)


一瞬だけ、胸の奥がざわつく。

だが、躊躇はできない。


これは救出だ。

そう、何度も自分に言い聞かせる。


月明かりの下、俺と真琴は並んで立った。


――来る。


足音。

息を潜める気配。


闇の向こう、少年がこちらを見た。


肩が、わずかに強張る。


(……来るな)


その仕草だけで分かった。


防御系。

無意識に、張ろうとしている。


――一人で。


(……ほんとに、よく今まで耐えたな)


だが、それは今言うべき言葉じゃない。


ドットからの指示が、脳裏をよぎる。


『簡潔に、敵ではないことを最優先で伝えなさい』

『能力を使わせてはいけません』



……分かってる。


分かってる、はずだった。


真琴が、一歩前に出る。


「安心なさい。私たちは敵じゃないわ。

だから、“それ”を使う必要はない」


完璧な言い回し。

台本通りだ。


俺も、続く。


「俺たちは、攻撃する意思はない。

……君を迎えに来た」


その瞬間。


少年の目が、わずかに揺れた。


張り詰めていた空気が、すっと緩む。


(……ああ)


しまった、と思った。


この顔を、知ってしまった。


信じる顔だ。


俺はただ、

用意された言葉を、なぞっただけなのに。


それでも彼は、

それを“本物”として受け取ってしまった。


(……最低だな)


胸の奥で、そんな声がする。


だが、今は進むしかない。


この夜を、

彼が“救いだった”と思ってくれるなら――


それが嘘でも。

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